第31話
賢者の石──
万物の生命を構築できるという石の名だ。
なぜそれをベナン卿が知っている……?
「やはり、あなたでしたのね。ただの執事が『命を司る石を持っていないか』なんて、聞くわけがありませんもの」
ミアはまだうなり声をあげ続けるカインの顎を蹴り、黙らせると、ゆっくりとこちらに向いた。
「わたくしが石を差し上げれば、アキム様を解放してくださいますの?」
「もちろん」
「ほんとうですの?」
ミアの赤い目は、どこまでも見透かすのか、不意にベナン卿の腕が緩んだ。
踵でベナン卿の足の甲を踏みつけ、腕をすり抜ける。
掴もうとするベナン卿の手を払ったのはキャトルだ。
もう一方の手でミア側に引き寄せてくれる。
「アキム様!」
転がるようにミアの元に着くが、視界が暗い。
背中の短剣のせいだ。
呼吸が難しい。
むしろ、息をするほど、全身が軋む気さえする。
僕は大きく肩で息をしながら、簡単な言葉で伝えることしかできない。
「……逃げて」
「なにも、問題ございませんわ。安心してくださいまし」
ミアはキャトルの名を呼び、「アキム様をお願いします」そう言った。
キャトルは金縛りのように固まり出した僕の体を簡単に壁側へと引きずっていく。
それからキャトルは、髪の毛を逆立てるように頭を振るわせた。
震わせるたびに、金属音がカンカンとなる。
その理由はすぐにわかった。
切られたはずの腕が、体から伸びはじめたのだ。
さきほどよりもずっと細く、まるで骨、いや、針だ。
まるで血管の束のように絡まり伸びた新しい手は、僕の周りを檻のように包んで隠してくれる。
安全圏を作ったぞと、キャトルの顔がいうので、僕はガラガラの声で「ありがと」と言葉を返した。
どこか嬉しそうに頭を揺らすキャトルだが、つんと、短剣をつついてきた。
「……いっ!」
つついた指を見ると、つまんで引き抜く動作をしている。
「……抜いて、くれるの……?」
キャトルは頷き、任せろと視線で伝えてくる。
確かに僕の手では抜けない。
柄が微妙な場所から生えていて、手が届かないのだ。
だが、今ここで抜かれると、えずきですまない。
絶対に、吐く。
「キャトル、……袋とか、ある……?」
「アキム様、吐いて構いませんわ」
「……え、でも」
「早く私の騎士になってくださいまし!」
ベナン卿は、ミアと一定の距離を保ちながら、じっと僕らの様子を窺っている。
ミアも一定の距離をとって、ベナン卿と向かい合う。
僕はキャトルに、「せーの、で抜いて」と伝えてみる。
「ベナン卿、あなたの目的は、サマーの復活と、若返りでしょう?」
「せ」と発音した時点で、キャトルがナイフを抜きにかかった。
そのせいで、ミアの問いに心が追いつけない。
えずきから、一気に胃液が吐き出される。
魔力の消耗が激しかったのもあり、消化が早く進んでくれて、固形物がないことだけが救いだ。
ぼろぼろと溢れる涙を手でなでて、口を袖でぬぐって二人を見れば、ただベナン卿は笑っていた。
腹の底からの笑い声に、壁が揺れるのではと思うほどだ。
「何がそんなにおかしくて?」
「そこまでわかるとは……。一体、君は、誰なんだ?」
「あなたに教える必要がありまして?」
たしかに。と、ベナン卿はつぶやいた。
ミアの正体を知っても、サマーは復活しないし、自分も若返れないからだろう。
「……どうすれば、君から石をもらえるのかな」
ベナン卿はゆっくりと腰にかけていた剣を抜いた。
僕はいくぶん呼吸がしやすくなった体を起こす。
すぐにキャトルが襟を摘んで、ミアの元に届けてくれる。
やはりベナン卿の腕輪はまだある。
あれを破壊しない限り、僕の魔術は効果がない。
だが詠唱魔法で、この施設を焼き尽くすことは可能だ。
ミアは腕を組んで俯いていたが、ベナン卿に顔を向けた。
「わたくしの分は、差し上げるわけにはいきませんわ」
ただし、と続く。
「その願い、叶えてあげなくもないですわ」




