第30話
可憐な笑顔を振り撒くが、魔術師は腰を抜かし、床を這う。
男の視線の先は、転送用の魔法陣だ。
床を掃除するモップ並みに、ずりずりと体を擦り付けながら進んでいくが、かなり遅い。
ミアは細いヒールで、落ちた魔導ナイフを蹴り上げた。
細長い弧を描きながら落ちてきたナイフを左手で握り、そのまま後方へ。
水平の円を描くように刃を回転しながら飛ばされた魔道ナイフは、見事な切れ味で男の目と鼻を上下に切り離した。
「……嘘だろ」
ベナン卿の声が聞こえる。
それはまるで作り物の映像を見させられたような、手品師のコイン隠しのような、そんな興奮にも似ていたが、驚きの方が優っていた。
その声と同時に、ベナンの腕の力が緩んだ。
彼の左腕が僕の口を覆い、右手が僕の手を握ったままだったのだ。
それが、少し、痛みが消える。
すぐに腕を引き抜こうと動いてみるが、まるで歯がたたない。
もちろん、口は塞がれたままのため、詠唱もできない。
あの最高級の腕輪でなければ、突破できているのに……!
ミアは、怒りで顔を真っ赤にしたカインと対峙している。
表情を変えずに距離を詰めるミアと、後退りながらも笑うカイン。
どちらが優勢かはわからない。
異常な圧迫感なら、カインの方に部がありそうだ。
ミアはカインを視線でぐるりと見回した。
「あなた、アキム様と同じ3枚なのでしょう? もう魔法は使えなくて?」
ミアの問いに、カインの眉間に血管が浮きでてくる。
よほど、図星だったのだろうか。
脂汗を袖で拭ったカインは、闘牛のように、息をふんふんと吐き、後ずさる足をつま先で踏ん張った。
顔をぶるぶると振るったカインの目は、少しだけ正気に戻る。
彼が腰から引き抜いたのは、隠していた短剣だ。
口の端から赤く滲んだ泡を飛ばしながら、ナイフを構える。
「ガキのくせによぉっ!」
潰れていない左手にナイフを持ち、ミアを攻撃するが、大雑把な動きはまるで意味がない。
刃は短く、大ぶりの動きのため簡単に避けられるのだ。
「やはり、もう魔力が切れたのですね。まあ、手が握りつぶされた時点で魔力切れなのはわかってましたけど」
「うるせぇ、ガキがっ!」
カインはナイフを投げつける。
ミアは首を傾けただけで避けたものの、カインは腰に下げていた魔石を握り、叫んだ。
「炎の凱歌、灼熱の暁光! 焚き付けよっ!」
火球魔法だ。
彼を囲うように、握り拳台の火の玉が5つ出現した。
それはカインの視線のとおり、ミアに向かって飛んでいく。
「ガキガキうるさいですわ。わたくし、これでも、あなたよりずっと年上ですわよ?」
ミアは手で炎を叩き落とし、最後の1個を片手でつかんだ。
まじまじとその炎の球をミアは見るが、小さく肩をすくめた。
「大したことありませんわね。魔力の練度が足りませんわ」
真っ赤な炎はミアの手を焦がすが、それ以上の効果はない。
いくら燃やしても彼女の手の平はきれいに再生するからだ。
「うそだろ……」
土気色に変わったカインがこぼす。
ミアはその声に笑いかけると、握り潰した。
そのまま炎の破片をカインの顔面になすりつける。
奇声に近い絶叫が響いた。
燃え上がった炎は、丁寧に手入れをしていた金髪を燃やし、色白の肌を瞬く間に爛れさせる。
手で擦るたびに皮膚が破れ、血と焼けて溶けた肉が剥がれ落ち、色男だと数多の女性にしなだれかかれたあのカインはもういない。
赤黒い焦げた皮膚と、まだらに頭皮を残した男の顔しか残っていない。
満足げに振り返ったミアだが、僕はようやく解放された唇で伝える。
に げ ろ
すでに僕はもう、人質の立場になっている。
腕が数本しか残っていなくとも、キャトルといっしょであれば、逃げることができるはずだ。
転送の魔術式もまだ生きている。
「まあ、卑怯な手をお使いになるのね」
僕の視界には細いナイフが見える。
僕はミアの脅しの材料であり、彼の生き抜く盾になってしまったのだ。
背中の短剣は、指先にまで根を生やしているし、今回は肺に根を張られたせいで、呼吸がままならない。
仮に焼き尽くすだけの魔力を解放しても、ベナン卿の腕輪を壊すだけの魔力は残せない。
「お嬢さん、どうか心臓を……いや、君の賢者の石をいただけないかな」




