第29話
声が、でない。
魔術師の男がミアを羽交締めにし、その隙に、カインが魔導ナイフを彼女の首に突き刺したのだ。
彼女の細い首から、ナイフが貫通している。
気道を断ち切るような刃の入れ方に、怒りが増幅していく。
手慣れすぎている……
やめろ……
唇しか揺れてくれない。
やめろ……
カインの顔は嬉々としながらも、どこか安堵の顔で僕をわざわざ見つめて、
「やめろ? やめるわけないだろ」
ミアの手はカインに添えられたまま、ぴくりとも動かない。
ことんと頭が落ち、はらりと髪の毛が流れる。
色白の肌がより白く、青く、染まっていく。
「アキム、人間ってあっけないよな? なぁ?」
叫ぼうとする喉が焼ける。
魔力が沸騰している。
僕は空気を掻くようにミアのもとに行こうともがくが、全く進めないのだ。
「行かせませんよ」
ベナン卿に掴まれた手は、ナイフを持つ手ごと握られている。
彼の腕を切り落とすこともできない。
さらには左背に新しい儀式用の短剣が差し込まれた。
「さあさあ、見ていましょう、アキム殿」
ベナン卿は余興でも始まるかのような口ぶりだ。
僕は無詠唱で魔法を発動が可能だ。
それこそ、自分の体に炎をまとわせようとする。
だが、全く発動しない。
ならば根を燃やし、全ての魔力を解放すればいい。
そうか。
僕自身が燃えればいい──!
僕は頭のなかで2度、詠唱を思い浮かべた。
久しぶりの詠唱だ。
息を吸い込み、ひと息で、いく。
「……イカロスの翼を熔かし湧き上がる烈火、北の流星すらも熔かす煌めき、灼熱の炎姿と」
太い腕が僕の口を覆った。
ベナン卿の腕だ。
「詠唱までは対応が難しいので」
必死に腕を外そうともがくも、魔力は短剣に吸い込まれ、根が再び体の節々に伸びていく。
関節が固まり、息ができない。
背に刺されたため、呼吸器に影響が出始めている。
「あまりご無理しないでください。生きておいてくださらないと困るんですよ」
開いている手首が僕の目前に掲げられる。
魔法無効の最高級の腕輪だ。
僕が最大魔法を5回唱えて、初めてヒビが入るほどの腕輪になる。
「あなたへの対策は万全です。すべて、計画通りなんでね」
ベナン卿の言葉に、僕は鼻で必死に息をしながら、食いしばる。
ここにくることは全て仕組まれていたのか。
カインとあの上官によって、僕がここへ寄越されるのは必然だったのだ……!
「……まずは、首を離して、血抜きがいいか……」
キャトルの反撃を魔術師がいなしている間、カインは言いながら、ミアに刺さった刃を抜こうと柄を回した。
回そうとするが、一向に動かない。
「さっさとしろよ、カイン!」
男は振り回されるキャトルの腕を杖でいなす。
もう3本となった腕では勝ち目がないと判断したのか、キャトルはヘルマンを投げ捨てた。
上部にある通風口へ、キャトルはタコのように逃げこんだのを見て舌打ちするが、男は満足そうだ。
しかし、全く動かないカインに痺れを切らしたのか、杖で床を叩いた。
「そんな首、へし折れよ! いつもみたいに遊ぶ時間はねぇんだぞ!」
カインは首を横に振る。
遊びじゃないと言いたいのだ。
だが必死にナイフを動かそうと踏ん張るがびくともしない。
むしろ、ミアの細い首を切り落とす勢いで力を込めているが、全く動かないのだ。
「……はぁ?」
カインは別な声を上げた。
今度はナイフから手を離そうとするが、離れない。
「なんだ? 魔力を込めても抜けねぇ」
ミアに握られているとしても、全く動かない。
引いても押しても動かないのである。
しかし、ついにカインが暴れだした。
「いてぇ! なんだこれ! おいっ!」
必死に手に魔力を込め、硬化させているようだ。
だが、ミアの手が万力のようにじわじわと力が込められ、遠目でもわかる。
カインの手が徐々に小さくなっていく。
「いだい!」
「やめろっ」
「もう潰れる! 俺の手が、手が!」
すでに背後にいた魔術師は、カインの手が握りつぶされていく様子を間近で見ているためか、すでにミアから離れ、一歩、一歩、と距離を取る。
「おい! 逃げんな! どうにかしろっ」
カインが叫ぶが、少女にできる芸当ではない。
魔術師は悲鳴に似た声を上げ、さらに後ろに下がった。
「離せ! 離せよっ!」
カインは騒ぎながら、もう片方の手でミアを殴る。
ひどく大きな音が鳴るが、ミアの体は支えもなしに立ったままだ。
カインは手の当たりどころが悪かったのか、ぶんぶんと振って痛みを逃すも、握られた手が離れない。
さらに腹部を蹴りあげた。
今度はつま先のあたりどころが悪く、ぴょこぴょこと跳ねる始末。
もう一度、彼女の頭部を殴る。
だが、びくともしない体と、あまりの痛みに、カインは涎を流し、泣き始めた。
「もう……やめて……やめてくれ……」
カインの体がねじれだす。
物理的にねじれているわけではない。
痛みに逃げようと、体をひねり、少しでもその場から離れようとしている現れだ。
だが、その行動も空く終わる。
肉が潰れる鈍い音がした。
そして、全てのモノを切り落とせるという魔導ナイフが、床に音を立てて転がった。
僕も、ベナン卿も、その光景をただ眺めていた。
もう、そこには、知っているミアはいなかった。
ミアは身体中の関節を鳴らしながら、ネジ巻きの人形のように体を弾ませる。
まるで身体中に鈴がついているようだ。
美しくも鋭い音が鳴り終わると、ミアはゆっくりと頭をもたげる。
「……深淵の戦士だ……」
男の声は、確信にも似た声で言った。
彼は、見たことがあるのだ。
深淵の戦士を。
──実は、国境戦争の際、誰かが魔術式を復活させ、兵士として使用している噂が帝国内に流れたのだ。
夜に外にでると魂を抜かれ、永遠の兵士にされると、子どもから大人までもその話を信じ、一切の外出がされなくなった時期がある。
だが、痕跡は見つからず、闇夜の襲撃での混乱で見間違えたのではと、話は収束していたのだが……
ミアは優しく微笑み、スカートを美しくつまんで、会釈する。
「わたくしは、愛らしいビスクドール、ですわ」




