第23話
僕が、声を殺して泣いてる。
これは、初めて魔術の攻撃を受けて、怪我をしたときだ。
ヴォルガの氷の鎌は、まだ11歳だった僕に向けていいものではなかったと思う。
だって────
「アキム、カスったか?」
ヴォルガの声に、僕は鋭く睨んだ。
僕はあまりの痛みに、何度も息を吐くしかできない。
だが、視線で怒りは表せる。
それこそ無詠唱で彼を火だるまにしてもいいほど、僕は怒りにまみれていた。
「ひどいよっ!」
僕はすぐに斬り口を炎で焼き、血を止めた。
だが、もうそのレベルではなかった。
腕が半分、取れかかっている。
斬られたのだ。
「……あー……ロドス、手伝ってくれ」
そういうと、ロドスが魔術式を展開、さらに重ねてヴォルガが魔術式を描いていく。
「……再生魔法をかける。すんげー疲れると思うけど、我慢な。お前の治癒力をここの傷の再生に充てるやり方なんだ」
黄金色に染まる腕を眺めながら、痛みが遠のいていくのがわかる。
だがそれ以上に、どっと怠さが肩にのしかかり、これが治癒力の移動なのかと痛みを堪えつつ見ていると、
「これ、腕とか足とかの移植とかにも使える魔術なんだけどさ……」
ようやく酷い痛みから解放された僕は、「そんなの聞いてないけど!」怒りに任せて言い返した。
「戦争が始まっても、絶対にすんなよ」
「うるさいな! そんなの知らないし」
「頼まれても、絶対に、するな。わかったな、アキム」
その目はヴォルガらしくない鋭い目で、いつもの陽気な雰囲気は、微塵もなかった────
名を呼ばれた声が、何度も鼓膜の中に響いてくる。
だがそれは、僕の名を呼ぶ声だ。
ヴォルガの声から、次第に音が高くなる。
少女の、僕を呼ぶ、声……?
「……は…っ……」
まるで水の中にいた気分だ。
僕は深く呼吸を繰り返す。
さっきまで見ていたある意味懐かしい記憶は、腕の痛みからだとすぐに気づく。
「アキム様、よかった。目が覚めまして?」
小声のミアに振り返ると、僕は声を上げないように口をつぐんだ。
ミアが椅子に鎖でしばりつけられていたからだ。胴体はもちろん、足も、椅子の脚に一本ずつ結ばれている。
それは僕も同じで、まるで硬い椅子にさせられた気分だ。
「アキム様、痺れはございます? 痛みとか」
「大丈夫です。それこそ、ミアに怪我は?」
「わたくしはどこも元気ですわ」
部屋は暗く、どうも地下のようだ。
壁にかけられたランプが細々と辺りを照らしている。
僕らの顔はかろうじて見える程度の、薄暗い世界になっている。
水がぴとぴとと落ちる音はもちろん、僕らの声も小さいながらに反響している。
もしかすると、ただ窓がない部屋なのかもしれない。
だが、石を積み上げた壁が湿気で黒く濡れ、カビの臭いも感じる。
少なからず、空気の澱みがある。
これほど汚れていれば、野営の感覚になれる。
僕の潔癖症も発動しなさそうで、逆にありがたい。
「あら、アキム様、腕が淡く光っておりますわ。先程までなんでもなかったのに」
「……あ」
ただのナイフの切り傷かと思っていたのだが、腕に刺さっていたのは儀式で使用するはずの短剣だ。細やかな細工と金の処理が施された短剣は翡翠色に発光しているではないか。
「……これって、まさか……」
過去の戦争で使われた拷問器具のひとつと見て間違いない。
魔術師に短剣を刺し、魔力を奪う拘束具であり、魔力を発生させると酷い痛みを与える拷問器具なのだ。
さらにそこから咲く碧い薔薇は、貴族の中で高値で取引されていたと聞く。
だんだんと左腕に鋭い痛みがわき、むしろ、骨に剣を突き立てられているような感覚がする痛みだ。
締め付けられて痛む腕は、ただの切り傷の痛みじゃない。
蔦が絡んでいる。
すでに伸び始めた蕾の先がかろうじて視界に見えた。
咲くのは時間の問題のようだ。
目が覚めたことで魔力も起きたと見ていい。
逆に言うと、寝ている間は魔力は発せられないし、魔術は発動できないと言うことになるのか。
自分の体の新発見ではあるが、こんな発見の仕方はしたくなかった。
でも、まさか、過去の拷問器具を、儀式で使っていたのか。
いや、逆、なのか……?
確かに、儀式の際、魔力を通して誓いを立てたら花が咲く仕様だ。
その碧薔薇が両国の絆の証となるのは知っていたが……
「……なんなんだよ」
つぶやいた声に反応してか、奥の方からガタガタと椅子がずれる音がする。
ゆったりした歩調で近づいたと思うと、指が鳴った。
一斉に、部屋のランプに火が灯る。
ランプ用の魔石に魔力を飛ばじて発火させており、かなり高度な技術を持つ魔術師だ。
「アキム、目、覚めたみたいだな」
聞き慣れた声がする。
痛む目を何度かまばたきで慣れさせると、僕は部屋をぐるりと見渡した。
声の方に人がおらず、ただ視界に入るものは、古めかしくも残酷な拷問器具で埋め尽くされている。
こんな小さい円形の部屋に、ぐるりと囲うように器具が並んでいるのだ。
足を締め付けるもの、血を流させるもの、自重で痛みを与えるもの……
さらには、最近まで使用されている形跡も見える。
なぜ、この時代に、拷問器具を?
なぜ、ここで?
「ビビるだろ、この部屋」
背後から囁かれた。
振り返ろうとするが、椅子がガタガタと揺れただけで振り向けない。
「あんまり動くなよ。音がうるさいのは苦手なんだ」
言いながら僕の目の前に現れたのは、予想通りの魔術師────
「カイン……やっぱり、あんただったんだ」
カインは自分の胸に手を当て、膝をかくんと折ってお辞儀をした。
貴族がするお辞儀だ。騎士はしない頭の下げ方に心が苛立つのを感じる。
そこからゆっくり顔を上げたカインだが、今まで見たことがない、いやらしく笑った顔で僕の前に一歩踏み出した。
「この部屋すごいだろ? 戦争時代の拷問部屋」
僕の顎を無理やりつかむと、左に視線を向けさせられる。
腕の痛みに鋭さが増すが、それよりも、見せられた場所に遺体がぶら下がっていた。
両腕を天井に向けて縛り付けられ、足は座った姿勢になってはいる。
だが、その体には無数の蔦が巻き付き、ナイフも複数転がっている。
ナイフに対し、一輪の花が咲くとするなら、あの体は、一体いくつの花を咲かせたのだろう。
枯れ果てた腕に、カインが風の魔法で腕輪を切った。
外れ、落ちた腕だが、腕輪のおかげで手首は原型を留めていた。
だが、あの紋様が、ライヴァス族の紋様が、ある。
「ひどすぎる……!」
「あー、気づいたー?」
ゲラゲラと高笑いするカインに、僕は「なんで」としか言葉が出てこない。
頭の中が沸騰する。
だがその怒りをぶつけられない。
ガタガタと体を揺らすしか方法がない。
「当たり前だろ? 金になるし、」
カインは遺体のそばまでいくと、枯れ木になった遺体を力いっぱい蹴り上げた。
茶色の繊維がばらばらと崩れながら床に撒き散らされる。
ごろりと転がった頭蓋を何度も何度も踏みつけるカインの顔は、必死ながらも笑顔だ。
笑顔で、何度も何度も蹴り続けている。
「雑な復讐ですわね」
ミアの呆れた声がカインの動きを止めた。
だが激昂に表情が歪んでいる。
「うるせぇ、ガキがよぉ!」
ミアの襟首を掴み上げ、椅子ごと持ち上げ、叫ぶ。
「てめぇみたいなガキが、俺の地獄なんぞ、わかるわけねぇだろっ」
「やめろ、カイン!」
僕の声を無視し、そのままミアを床に叩きつけた。
鈍い音がするも、悲鳴もあげずに床に椅子と一緒に横たわったままのミアは、くすくすと笑い声をお淑やかに立てている。
「……あなただって、わたくしの地獄は知らなくてよ?」
一瞬、カインの足が後ずさる。
だが、カインは足をふんばり、頭をぐしゃぐしゃとかきあげた。
「……ガキの地獄? 俺たち、ギーア人がライヴァス族にどうされたか知ってんのか? あぁ?」
つま先でミアの腹部を蹴り上げるが、カインが小さくよろける。
もう一度、彼女を蹴ろうと足を踏ん張ばる足に、僕は体ごと体当たりした。
大雑把な動きは簡単に避けられ、湿気った床に椅子ごと転がるが、それでも叫ぶしかない。
「やめろよ、カイン!」
「うるせぇなぁ、お前もよぉ」
カインは凄んだ顔のまま僕の胸元を掴みあげ、椅子を立てた。
元の姿勢に戻れたのも束の間、そのまま殴ろうと、腕を大きく振りかざす。
拳には魔力の流れがあり、思わず顔を背けた瞬間、カインは笑った。
何だと恐る恐る見れば、僕の左腕を見て、嬉しそうに笑っている。
「こりゃすげぇ! 今までにない大きな蕾だな。かなりの高値で売れる」
指で弾かれた蕾が揺れて、激痛が脳天に抜ける。
電気のように痛みがジンジンと腕を包み、痺れが取れない。薬の効果が戻ってきたようだ。
しかし、まさか、碧薔薇の売買をしていたとは……
「そんな顔するなよ。騎士ならみんなやってるぜ?」
夢見ていた聖騎士像が、完全に粉砕された。
もう、僕は、あの聖騎士に憧れを抱いたままではいられないみたいだ。
微妙な大人の階段を登ったようだ。
とても、気分が悪い。
「……っつぅ……」
顔を歪めた僕に、ミアが床から声を上げた。
「アキム様、大丈夫ですの?」
「……すみません、ミアこそ」
ひと言発する度に、喉が焼ける痛みが走る。
魔力を吸い上げている根が、首の近くまで張っているようだ。
「そこのカインって方、覚えておいてくださいまし。アキム様に怪我をさせたのは重罪です。しっかりお仕置きさせていただきますわ」
「キーキーうるせぇなぁ、ガキのくせに」
おもむろに、カインがミアの顔に向けて、拳を振り落とした。
ぐんとミアの頭が床から弾む。
瞬間、ぐったりと全身が落ちていく。
「……ミア! ミアッ!」
「死んじゃいねぇよ。たぶん?」
「このぉ……!」
腕を揺らし、身をずらすたびに花に魔力が吸われていく。
脳みその芯を振るわせる鋭い痛みが全身を走る。
カインの高笑いが狭い部屋に響き渡り、鼓膜すら痛い。
僕は、目を瞑る。
「……ふっ」
僕は息を吸う。そして、吐く。
ゆっくり目を開き、ミアを見る。
大丈夫だ。息がある。肩が揺れている。大丈夫。
もう一度、息を吸う。
僕は、老騎士になる男だ。
この程度の困難を切り抜けられなくてどうする──!
まずは、この花をどうにかしよう。
花を咲かせるられるのなら、枯らすことができるはずだ。
「おいおい、なんか真剣な顔しちゃって。もうお前は、ただの“材料”なんだ。諦めろよ」
覗き込んでくるカインが僕の背後に視線を向ける。
背後から鈍い鉄を引きずる音がして、ドアが開いたとわかる。
背中から、より明るい光が当てられたからだ。
「カイン様、どうにも動きませんっ」
間違いない。
これは、執事・ヘルマンの声だ。




