第14話
検死のタイミングを逃したことに気づいたけれど、もう遅い。
追いかけることもできず、これは明日の朝イチにしよう。そう決断したのを察してか、ロドスがエンバーを抱えながら、僕の後ろについた。
エンバーはロドスの黒いジャケットに赤毛を塗りつけて、大きなあくびをする。
『なあ、騎士ってやつは、男にも言い寄られるのかー?』
「聞こえてたの?」
『俺っち、これでも、猫だぜ?』
「違うと思うけど」
シャー! とロドスの腕のなかで威嚇されるが、顔が怖い程度でそれほど恐ろしさがない。
エンバーのおでこを小突くと、『ふんっ。舎弟のくせに』ぷいっと顔を背く。
どうも猫に誇りがあるようだ。
どうしたらいいかと思っていると、エンバーと僕の間に割って入ってきたのはミアだ。
「困りますわっ! アキム様はわたくしが、全身全霊で愛しますっ!」
「……重そうな愛は、その、ちょっと、結構ですので」
後ずさる腕に抱きつかれ、
「そんなご遠慮なさらず」
にこやかに歩きだすミアに引きずられるように歩けば、瞬く間にあてがわれた部屋に到着だ。
到着するなり、エンバーはロドスからひょいっと飛び降り、またあくびをする。
『俺っちは寝るぜぇ。おやすみー』
ベッドのど真ん中に丸まったのを見ながら、僕が手袋を履き直していると、ロドスが途中だった食事の食器をカートの上に手際よく片付けていく。
すでに飲みかけのスープも、ソーセージも冷えてしまっている。
唯一、冷めたまま味わえそうなのは、特産リンゴで作ったアップルパイだけだ。
「アキム様、アップルパイ、召し上がられます? なら、今、お茶を淹れますわ」
ミアは勝手知ったる我が家のように、魔石式ポットでお湯を沸かし、棚からティーポットを取り出した。
「茶葉にこだわりはございます?」
ミアはどこから取り出したのか真っ赤な小瓶から茶葉をスプーンでかきだすと、そっとお湯を注いでいく。
途端に、華やかな茶葉の香りが部屋に満ちていく。
「いい香りですね。それこそ支給品しか飲まないので茶葉には疎くて」
「香りは気に入っていただけたようですが、味はお気に召していただけるかしら」
アップルパイを目の前に置き直し、淹れたばかりのお茶を僕の手前に置いてくれた。
顔の真下あたりにあるカップはほのかに温かな蒸気を立ち上げながら、茶葉の香りも鼻をくすぐる。
今までかいだことのない茶葉の香りは、繊細で、力強く、柑橘系の風味も感じる。
だがどこか枯れた印象も奥にあり、まるで秋のような香りがする。
「これほど奥行きのある茶葉を嗅いだのは初めてかもしれません」
僕は肺いっぱいにその空気を吸い込んだ。
全身に染みるのがわかる。
ひと口すすり、鼻腔に抜けていく香りを楽しみながら、冷めたアップルパイを頬張った。
アップルパイは酸味が際立っていながらも、鼻に抜ける蜜の香りは蜂蜜のように濃厚で、カラメルの焦げた風味がお茶とよく似合う。
「このアップルパイだからこそ、この茶葉が引き立つ気がします。熱々のパイなら茶葉の香りが消えてしまいそうです」
「さすがですわ、アキム様。茶葉がアクセントになるようにしてみましたの」
ミアもアップルパイを頬張り、茶を啜った。
とても彼女のイメージ通りのマリアージュだったようで、満足そうに頷きながら頬張っている。
しかし、疲れているときに限って、嫌な思い出がフラッシュバックするものだ。
「──アップルパイってのは、家庭の味だろ?」
食堂でランチを食べていたときだ。
いつも通り、一人での昼食だったが、たまたま後ろに同じ講義を受けていた見習い騎士が席に着いて、そう言った。
その日、司法の授業で、『毒入りパイ殺人事件』が題材だった。
地方貴族の侍女が、主人たちからの仕打ちに耐えかね、夕食のデザートに殺鼠剤を練り混ぜて提供。幼児を含む、5名が死亡した痛ましい事件だ。
その際の検死方法はもちろん、検死作業をする際の魔術展開式、犯人を見つけるに至るまでの流れを学んだ日だった。
都合よく、その日の食堂のランチに、デザートとして簡素なアップルパイがあったのだ。
しなびたりんごを余さないようにと作られたそれは、りんごのジャムに近いほどしっかり煮込まれ、砂糖は控えめ、シナモンが多めの地味なアップルパイだ。
僕はどこにでもあるような素朴な味が好きで食べていたが、褐色の見習い騎士が「これは嫌いだ」という。
「うちはさ、りんごよりも洋梨だったけどさ、こんなクッタクタじゃあさ……。今日の事件聞いてて、家族団欒の代名詞みたいなもんを毒入りにしなくてもって思わないか?」
「確かにな。よっぽど憎かった、って供述が残ってるけど、それでもね。食べた家族がかわいそうだよな」
「オレも。パイなんて安心して食べるもんの一つだろ、な? アキム」
母のボヤけた笑顔が見えた気がした。
しかし、ぐにゃりと歪んで崩れた肉体へと変化すると、首のない腐った体が、見慣れたキッチンに立ち、パイを差し出す風景がよぎる。
瞬間、育ての親から教わった方法で、その景色を黒い本に閉じ込める。
だが僕の顔からは表情が消え、同時に感情の波もフラットになる……
「そう、だね」
単調な返答に、みんなの空気が、少し冷えた気がする。
「そのさ、アキムはかわいそうとかって思わないの?」
「んー……そうだね。解決する方法のほうが重要かなって思うけど……」
「なんか、前から思ってたけど、お前って感情が薄いよな」
感情が薄い。
もう一度その言葉を噛み締めて、僕は冷めたアップルパイを頬張る。
あの日に食べたアップルパイよりもずっと美味しいのに、どうしてか、舌から味が消えていく気がする。
ふうと、腹の底から息を吐いたとき、ミアが僕に視線を投げた。
「何か思い出しまして?」
薄く微笑んだ唇は端でしか笑っていない。
話してごらんなさい。そういう、意思表示だ。
「ええ、まあ……。僕の弱い部分です」
「あら、どんなところですの?」
『アキムの弱みか。俺っちも気になるな』
今までベッドで寝ていたのに、すたん! と、いい音を立てて降りると、僕の後ろに立っているロドスの腕の中でくるりと丸くなった。
どうにか言葉にしようと、視線を泳がす僕に、ミアは視線を合わせず、優雅に、ゆったりと紅茶を口に運んでいく。
「僕は、その、昔に少し嫌な記憶があって、その気持ちを鎮めるように育ての親から訓練を受けたんです。そしたらいつの間にか、殺人事件の記事を読んでも、それこそ今日の被害者を見ても、何も感じないのです……」
『なにも? なにもってなにが?』
エンバーの聞き方は興味ばかりではない。少し、気遣っている声音だ。
するりとロドスから降りると、僕の膝の上で丸くなり、気遣うように僕を見上げる。
エンバーの柔らかい毛を優しく撫でてから、僕は続けた。
「……そうだね、その亡くなってしまった方のことを、かわいそうとか、つらかっただろうな、とか、そういう気持ち、かな。いくら想像をしても、僕の心は一つもなびかないんだ」
ミアはじっとテーブルに頬杖をついて聞いていたが、俯いた僕を振り向かせるように、音を立てながらカップを取り上げた。
「いいことなんじゃないかしら」
ミアの返答に僕は「え?」という間抜けな声をかけてしまった。
「もし、わたくしが殺されたなら、同情なんかより、早く犯人をズタズタにして欲しいですもの。それに冷静に現場や状況を確認できるってことじゃなくて? 素晴らしい特技ですわ。さすがアキム様」
にこやかに微笑み、最後のひと口を頬張ったミアに、僕もつられて笑ってしまった。
「ミアは、達観されていますね」
「褒めていたけて、うれしいですわ」
「僕はこのことをずっと、欠点だと思っていましたから」
少しぬるくなった紅茶を飲み込んだとき、ミアは首を横に振った。
「すべては欠点で、すべて美点なのです」
アップルパイを大きく頬張った僕をじっとミアは見る。
「わたくし、思うのです。アキム様はきっと損得をはかるのもお得意かと。損切りされないように、わたくし、がんばりますわ」
もう一口頬張ろうと、フォークに乗せたパイがぽろりと落ちる。
皿から転がり、エンバーの頭にべちゃりと着地した。
『おい、アキム、お前しっかり口に入れろよっ』
「……あ、ごめ……」
ナフに水を濡らして丁寧に拭き取りながら、どこまでも見透かされている気分になり、胃が痛い。
「まだアキム様は16歳ですものね。意地悪し過ぎましたわ。ごめんあそばせ」
カバンの中に入れていた身分証を見たのだとすぐにわかり、僕は思わず鞄を指さした。
「ミア、鞄の中も見ましたね……」
「い、いいえ」
顔がこちらを見ない。
口笛を吹いてやり過ごそうとするのはいただけない。
「君の鞄も僕は見ないんですから、僕の鞄も見ないでくださいっ」
「いいじゃないですの。わたくし、アキム様のお世話係なんですから」
「いつからですか!?」
「出会ったときから、ですわ」
『ミアに口で勝とうと思うと、面倒だぞ』
頭のてっぺんだけ毛がぼそぼそになったエンバーは、ベッドのくぼみに戻っていく。
丸くなったエンバーは何度も手を舐めて、頭をならすが、トサカのように立った毛は寝てくれない。
「さ、アキム様、もう一度ぬるいお湯につかってから眠ってくださいまし。明日はとても気持ちがいい目覚めができますわよ」
ミアはそそくさと浴室へ向かっていく。
「今、湯船を洗ってお湯を溜めますわ。残りのパイ、ゆっくり召し上がってらして」
フリルのドレス姿にも関わらず、腕まくりをして向かっていく。
小さな背を引き止めることができず、浴室の扉が静かに閉じる音が聞こえてきた。
僕はふうと深く長い息を吐きだて、ひとり、呟く。
「……なんでだろう。ミアのペースに乗せられてしまう……」
エンバーにも聞こえていたはずだが、ぺちゃぺちゃと頭をなでる音しかしない。
3人目の被害者が出た日なのに、夜の今は、本当に静かだ。




