第9話 コロッケ屋の試食会
「か、奏さん、どうも……」
何故だろう。奏さんが笑顔で僕に挨拶しているだけなのに、圧を感じるのは……。
啓介のあの惨状を見たからか? 今日の奏さんが怖く見える。
「郁人、来るのが遅いんじゃない? わ、た、し、は、先週呼んだんだけど?」
奏さんは腰に手を当てながら、笑顔のまま顔を近づけてきた。
僕はその笑顔に怯んで、徐々に仰け反っていく。
怖い、怖いよっ! 顔はいつもみたいな笑顔なのに……。
今はおでこに、怒りマークが見える気がする。
「す、すいません。先週はその……腹を壊してまして。」
僕は軽く頭を下げながら謝った。
こういう時は素直に言って謝るに限る。なぜなら、やましいことは何もない。
正直に言うのが一番だ。奏さんは大人だし、きっとわかってくれるよね?
「それは啓介に聞いて知ってるわよ。でも普通にご飯食べてたんでしょ?」
!? そうだ……普通にご飯は食べていた。食事ができなかったわけではない。
それなのに来なかった、ということは……。
「は、はい……食べてました。」
僕は頭を下げたまま答えた。今顔を上げることはできない。動揺が顔に出ているからだ。
このままやり過ごすしかない……。
「なんでそれで来なかったのかなぁ?」
奏さん! そこは突っ込まないで!
試作品のハズレが来た時のことを考えて来ませんでした。とか言えるわけがない。
何故かって? 今朝の啓介の顔を見ているからだ!
僕も何かされるんじゃないかと怖くて仕方がない。
普段笑顔で接してくれている相手が、凄んでくるだけでこれほどの迫力とは。
啓介、従順とか思ってすまん……これは怖い。
「まぁいいや。早く中に入りな。試作品持ってくるから。」
あれ? これで終わりか? 僕は顔を上げると、奏さんは店に入っていった。
良かったぁ。殴られるかと思ったよ。
安心したら、一気に体の力が抜けた。
……今度から呼ばれたらすぐに来よう。
「郁人、入れよ。」
啓介は何事もなかったかのように店の入り口から手招きしている。
僕は一度深呼吸をして、気持ちを落ち着かせてから入り口に向かった。
カウンターの横から奥に入っていき、通路を通り抜けると階段が現れる。
啓介の家は一階が店舗、二階と三階が居住スペースになっていて、試食をする時にはいつも二階の居間で試食会をするのだ。
僕は二階に上がると、いつものように居間のソファに腰かける。
啓介は鞄を置きに、自室のある三階に上がっていった。
さて、今から奏さんの新作を食べるわけだが……ハズレでないことを願う。
前回のはおいしかったからなぁ。前回の試食はグリーンカレー風コロッケだったかな。
カレー味のコロッケは他のお店でも見かけるけど、グリーンカレーは初めて食べた。
クリーミーなココナッツミルクの味わいと、切れのある青唐辛子の辛さ、定番のコロッケみたいなゴロゴロ感はないけれど、クリームコロッケかのような滑らかさが最高だった。
あれをご飯の上に乗せて、崩しながら食べたら旨かっただろうな。
そんなことを考えていると啓介が下りてきて、隣のキッチンに向かう。
「姉ちゃんまだ来てないのか?」
「来てないよ。」
啓介はコップとお茶のボトルを持ってきて、テーブルに置くとお茶を注いだ。
「さて、今回は何が来るかね。」
僕はお茶の注がれたコップを受け取りながら答える。
「前回みたいなのがいいな。」
――階段を上ってくる音が聞こえてきた。
奏さんが試作品を持って部屋に入ってくる。
「二人ともお待たせ。」
さっきまでと違い、いつも通りの奏さんの笑顔に安堵しつつ、手に持った袋に目が行く。
手にはコロッケの包みが二つ。今回の試作品だ。
「さぁ啓介、郁人。食べな。」
奏さんは僕と啓介にそれぞれ包みを差し出してきた。
「い、いただきます。」
僕は両手で包みの一つを受け取る。
包みの中を確認した。
……コロッケというのはどうして見た目で判断がつかないんだ。
種類によって形が少し異なるだけで、どれも茶色い塊じゃないか。
匂いは揚げ物独特の香ばしい匂いしかしないし……食べるまで中身がわからない。
なんでコロッケ一つ食べるのにこんなにハラハラしないといけないんだ。
「あのぉ……奏さん。今回の中身は?」
奏さんは満面の笑みで答えてくれた。
「食べてからのお楽しみでしょ!」
ですよねー。いつもそうだもんなぁ。
わかってましたよ? 答えてくれるかなーとか少ない希望を抱いていただけです。
「早く食べなよ? 冷めちゃうじゃん。」
奏さんに急かされる。啓介の方を見てみると……真剣な顔をしてコロッケを見つめている。
わかるぞ、その気持ちわかるぞ。怖いよな? 何来るかわかんないもんな?
しかし、これ以上躊躇していると奏さんの機嫌を損ねかねない。
僕は覚悟を決めて、コロッケに噛り付いた。
こ、これは――
しょ、しょっぱいっ! それでもってなんか魚臭い!?
なんだ? 一体何が入ってるんだ!? 食感は普通のコロッケなのに!
ジャガイモの味を感じられない……何をしたら一体こうなるんだ。
噛み進める度に口の中に嫌な匂いが広がっていく。
これはきつい……啓介、お前はどうなんだ?
僕は、一旦口の中のものを飲み込んで、啓介の方を確認する。
一点を見つめてやがる……しかもちょっと涙目じゃない?
頬膨らんでるし、口いっぱいに頬張ったな……。
その度胸は尊敬するが、このコロッケに対してそれは自殺行為だ!
とりあえず啓介は放っておこう。
手に握るコロッケを見る。断面は何か黒っぽい?
一体何が入っているんだ? イカ墨か? それなら魚っぽい匂いも頷けるが。
飲み込んだのにまだ口の中に匂いが残ってる。
それに……なんか鉄っぽい感じもする気が。
奏さんが僕と啓介の顔を交互に見て聞いてくる。
「ねぇ、どう? おいしい?」
奏さん……不味いです。と言いたところだが、ここで不味いと直接的な言葉を言うことは許されない。
なぜなら、以前に一度不味いと言いかけた時に奏さんの顔が豹変したからだ。
あんな顔されたら不味いなんて言えるわけがない……。
僕は慎重に言葉を選んで答えることにした。
「こ、これはちょっとしょっぱ過ぎるかなぁ。それに、匂いがきついかも。食感はいいんですけどねぇ……。」
どうだ? 不味いとは言っていない。悪いところを指摘しつつ、最後にフォローを入れる。
これが何度も試食を経て覚えた僕のスキルだ!
恐る恐る奏さんの顔を見てみると、手を顎に当てて考えている。
……ミスったか?
「なるほどねぇ、そんな味なんだ?」
ん? まるで食べたことないみたいな反応だな……。
……怖いが、聞いてみるか。
「か、奏さん? これ一体何が入ってるんです?」
奏さんはエプロンのポケットから瓶を取り出した。
「んっ、これ入れてみた。」
差し出された謎の瓶を受け取る。
黄色いラベルと蓋、中身が黒い……なんなんだよこれ。
アルファベット表記で全部は読めないが商品名くらいなら何とか読めるかな。
ブイ、イー、ジー、イー、エムアイティーイー? ええっと、ベジ……マイト?
――ベジマイト!?
僕は目を見開いて、奏さんの顔を見た。
「あははっ。それね!大学の友達がくれたんだけどさぁ、なんかすごい味するって言ってたから、コロッケに入れてみた!」
にこやかにウインクしながら親指を立てる奏さん。
あははっじゃないよ!? 僕も動画サイトで食べてる人いたから知ってるくらいだけど、これかなり強烈なやつでしょ! こんなもの入れてたのか。
それにしても奏さんの友達……なんでベジマイトなんて渡すんだよ!?
どんな友人だよ!? なんかのお土産なのか? それともなんとなく買ってきたのか?
いずれにしてもチョイスが凄まじいわ!!
――まぁ、それは置いておくとして……これ奏さん絶対食べてないな。
僕は奏さんに瓶を差し出した。
「奏さん。これ、食べてないでしょ?」
「ん? 食べてないよ? そんなにヤバかった?」
なんですかその――当たり前じゃん! って顔!
それになんでそんなに楽しそうなんだ……。
「ヤバいなんてもんじゃないですよ。」
一言言い捨ててコロッケに向かい合う。
はぁ……過去一番ヤバイのに当たってしまった。
まだ一口しか食べてないのに、次が進まない。しかし残すわけにもいかない。
僕は意を決して、大きく深呼吸をして残りを一気に頬張った。
塩っ辛い! 嫌な匂いが鼻から抜けていく!
急いで咀嚼し飲み込んで、用意されていたお茶を一気に飲み干した。
はぁ、食べきったぁ。
――うわっ!
お茶で洗い流したつもりだったのに、水分を入れたことで匂いがまた襲ってきた!?
食べ終わってもこれだけ匂いを放つのか!
ダメだ、口の中がベジマイトの匂いに侵されている。
……そういえば啓介は? しばらく反応がないような。
あれ? 啓介がいない。あいつどこに――。
「ふぅ、食ったわぁ! 姉ちゃん、これはダメだって。」
啓介、どこ行ってたんだ? よく見ると、目潤んでない?
もしかしてあいつ……いや、詮索しないでおこう。
奏さんは手を頭に置きながら、啓介に答える。
「あー、啓介もダメだったかー。」
「まぁ……また次に期待だな。」
僕と啓介は顔を見合わせて、お互いに小さくため息をついた。
……試食はいいけど、これは二度と食べたくない。
「じゃぁ、私はお店戻るから、ゆっくりしていきなね。」
奏さんはベジマイトをエプロンのポケットにしまってお店の方に降りていった。
奏さんが下に降りていったことを確認した啓介が話しかけてくる。
「郁人、今回のは過去一ひどかったな。」
「そうだな、まさかベジマイトが出てくるとは。奏さんの友人を恨むぞ。」
いつかその人に会ったら文句言ってやる。
その後啓介と今日の試作について話し合った。
*
――三十分後
「さて、そろそろ帰るわ。」
僕は立ち上がり、ソファに乗せていた鞄を持ちあげる。
「そうか、今日はありがとな。俺一人ならきっとダウンしてたわ。」
啓介もソファから立ち上がり、一緒に下に降りていく。
廊下を通り抜けて、カウンターの横まで来ると店番をしている奏さんがいた。
「郁人、もう帰るの?」
「はい、また来ますね。」
奏さんに軽く会釈して、僕はカウンター横を通り過ぎて外に出る。
外に出て奏さんの方を向くと、啓介が見送りにカウンター横から出てきた。
「また明日学校でな。」
「おう、また明日。」
啓介に挨拶を済ませ、奏さんの方を見る。
「またすぐに試食で呼ぶからね。」
奏さんは笑顔で手を振っていた。
「あはは、次はおいしいのにしてくださいよ?」
手を振り返して、店を後にしようとしたその時、背中から声をかけられた。
「藤宮くん?」
振り返ると杏子と橘さんが立っていた。
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