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異世界農楽集  作者: 夢忌無意味
第九章 とある騎士爵の亡霊
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僕の正しい名前とは何か

「おかえりなさい、リヒト、アナ。あら、そっちは……ニューフェイスが二人もいるのね。帰ってから、ゆっくり紹介して頂戴。ひとまず、今はみんな相当お疲れみたいだから、急いで帰るわよ」

 ヴァッハフォイアー辺境伯領内・ベスパー軍港に到着した僕たちを、ヴィヴィアンが待ち構えていた。


 蒸気輓馬スチームドラフトのバンが引く馬車にぎゅうぎゅう詰めになりながら、僕らはオステンヴォルケへ戻った。


 隣に気の置けない仲間がいる。狭く、乗り心地の悪い馬車だけど、それはとても暖かく感じられた。

 

 旅の疲れからか、僕はすぐに眠りに落ちた。



 ――目が覚めた時、僕は八頭立ての天蓋付き寝台馬車に乗せられていた。


 枕が、不快なほど濡れている。


 周囲には宮廷魔法師が二人、宮廷御抱えの医師が二人、軍医が一人いて、僕から一瞬でも目を離さないように交代で見張っていた。


「目が覚めましたか、殿下」

 顔に深い皺を刻み込んだ軍医が、僕の顔を覗き込んだ。


「フランは……」

 僕は回らぬ舌でそう尋ねると、彼はただ一言「騎士爵、フラン・ランベール=ルージュの死体は、未だ揚がっておりません」と言った切り、黙ってしまった。


 僕はそれを聞くと、宮廷に着くまで、再び死んだような深い眠りに落ちていった。


「術式を崩すな! 一瞬たりとも気を抜くな! 自分の身体を治療していると思え!」

 宮廷には、皇帝陛下の命で国内だけでなくエイルリフィアからも招聘された回復魔術師が控えており、僕は三日三晩、二十四時間体制で回復魔法をかけ続けられた。


 魔法が使える人間はこの世界では1%にも満たない。貴族のなかでも、特に優れた者の血統にしか、魔力は発現しないからである。

 そのため、魔法使いの希少価値はどの国でもとても高い。


 このとき、僕の健康回復のために計上された予算の総額は、インウィクトス帝国の年間の国家予算の約10%にも上ると言われている。


 いくら王族とはいえ、第二皇子である僕一人のためにこの額の国家予算が動くのは、異常な事態であった。


 だが、どこからも不満どころか、反対意見すら出なかったという。


 その理由は、僕がこの戦争の英雄に仕立て上げられていたからである。「障煙ヨルムン魔女ガンド」という、世にもおぞましい魔法使いではなく、国家を平和に導いた「光の皇子」という虚像を背負わされて。


 それまで、王侯貴族の間でのみ通っていたこの渾名は、終戦間際から瞬く間に市井の中にまで浸透していった。


 曰く、地方農民が徴兵されたことによって低下した農業生産力を、魔法によって向上させ、戦争遂行を可能にさせた農業の神の使者。

 曰く、ヴェストヴェストで発生した瘴気による眼病や呼吸器の病を未然に防ぐ方法を発見し、多くの兵士の命を救った光の化身。


 帝国側に有利な形で講和条約が締結され、終戦を迎えることが出来たのは、この第二皇子がインウィクトスにいたからである。というように喧伝された。


 僕は、活版印刷に乗って拡がってゆく「光の皇子」という虚像を背負って生きていくことが我慢ならなかった。「障煙の魔女」というおぞましい存在であることを、責め立てられるべきだと思った。


 僕の正しい名前とは何か? どちらが本当の僕なのか?


 農地を爆弾でふっ飛ばして敵国に飢餓を生み出したこと。毒ガスによって広域に無差別の攻撃を行ったこと。民の血税を吸って生き存えていること。

 誰一人それを責めないとしても、僕自身はその罪を忘れてはならない。僕の人生をゴミ屑にしないためにも。



 宮廷に戻って七十二時間後、回復魔術師たちによる未曾有の規模の施術が終了した。


 僕は、三日かければなんとか魔力が全回復するまでには、身体機能が快復した。

 それでも魔力の絶対量は、戦前の半分以下にまで落ち込んでしまった上、魔法を行使する度に身体のどこかしらに不調が現れるようになってしまったが。


 軍医からは、長生きしたいのであれば、魔法の行使は極力控えるようにと告げられた。

 ……そういえば、この世界に転生して間もない頃、賢者様から転生者は三十三年しか生きることが出来ないと言われたんだっけ。どちらにせよ、長生きはできなさそうだ。


 ようやく自室に戻ることが出来た僕は、転生してからこれまでに起こったことを思い出しながら、ベッドに横になっていた。


 ……そういえば、僕はなぜこの世界に転生したのだっけ? 自分から、そう望んだのだろうか? 思い出せない……僕をこの世界に転生させた女神様は、なんて言っていたっけ。


 僕は……誰かに会うために、この世界に来たのではなかったか? そして、そのために、豊かで平和な国を作ろうとしていたのではなかったか?


「……僕は一体、これまで何をしてきた?」

 そんな言葉と共に、後悔の念が止め処なく溢れてきた。


 僕は天井に向けて手を翳した。この小さな密室であれば、いまの著しく減少した魔力でも苦も無く毒ガスを充満させることができるだろう。

 そして、斥害閃はもう自動では発動しない。


「やはり僕は、転生したこと自体が間違っていたんだ」


 そのときであった。部屋の扉が、聞き慣れた高さで三度叩かれた。

次話は金曜日の19時投稿になります。

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