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異世界農楽集  作者: 夢忌無意味
第九章 とある騎士爵の亡霊
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悲しみを聴く海

 丁度、この辺りであっただろうか。


 花束を抱えたまま、僕は甲板に立った。そして一本また一本と、海の面に向かって、捧げるように落としていった。


 白い波の上を、僕がその名を知らない赤い花が揺れる。 


 慟哭のような潮の音が、僕の心の奥底に仕舞い込んだ彼女の記憶を揺り動かす。


「君が居なくて、寂しいよ」

 自分の親しい人が、誰一人、欠けることなく、残すことなく、省かれることなく、しあわせにならなければ、僕は「ほんとうのさいわい」に届くことはできない。


 だから、君が海に消えてしまってから、僕は一片の瑕もない、文句の付けようがない、完全な幸せというものに辿り着く可能性を、未来永劫にわたって失ってしまったのである。


「贈り物というのは、手向けだったのですね……先程の、フランという方ですか?」

 いつの間にか後ろに立っていたラピエルから、声を掛けられた。


「ええ、その通りです……僕の大切な、友人です」

「よければ、聞かせて頂けませんか? フランさんは、私と似ているのですか?」

 僕は少し躊躇したが、なんとなく話してみても良い気がしたので、半年前の出来事を語った。


 水面は静かであった。海は、悲しみを黙って聴いているようだった。


「ラピエルは、フランと境遇が少し似ています。性格はまだ分かりませんが、見た目は似ている気がします。だから、こんなにはっきりあの時の事を思い出すのでしょう」

 隣にいるラピエルに話しているのか、海の底のフランに語りかけているのか、自分でもよく分からなかった。


 ラピエルは、フランが海に消えたところまで聞くと、「そんなことが……」と呟いた切り、黙ってしまった。


 僕は言葉が絶えた空間で、半年前に突如訪れた、船の上での永遠の別れの後のことを偲んでいた。



 ーー何か重い塊が水面を叩く音がして、微かに水柱が上がった。一瞬、何が起きたのか理解が出来なかった。


 時が止まったように感じた。


「フラン!」

 僕は彼女を追って海に飛び込もうとして、船縁に足を掛けた。


 手を伸ばして、彼女を包む空気の球を放とうとした。魔法は、使えなかった。


「無茶です! 危険過ぎます!」

 その様子を見ていた水兵がすぐに駆け付けて来て、僕は羽交い締めにされ甲板に引き摺り下ろされた。


「誰か! 彼女を早く」

 救ってくれ、という声は出てこなかった。


 魔力が尽きた状態で魔法を使おうとしたため、身体の機能がほとんど全て停止してしまった。


 このとき、この世界に転生して以来、僕の意志とは無関係に常時発動していた斥害閃ですら、もはや発動していないことに気が付いた。


 僕は、母親と女神様から授かった贈物チートを、両方とも失ったのである。


 軍医が慌ててやって来て、ポーションを振り掛け注射をした。回復魔術士が呼ばれて、僕に治癒魔法をかけ続けていた。


 水兵たちは海を覗き込んで、何かを指差している。木の小舟が海に投げ入れられ、縄梯子が降ろされた。

 一刻も早くフランが引き揚げられることを祈った。早く船を止めて、総出で救出するように、願った。


 しかし、船上の人間たちにはそれが出来ない理由があった。それは、他でもなく、僕の存在のせいであった。


「血圧低下。脈も弱まっています。魔力反応がありません。一刻も早く設備の整った病院で治療しなくては……命を取り留めたとしても、最悪の場合このまま二度と魔法が使えなくなってしまいます」

 軍医が、宮廷から派遣されていた僕の目付役にそう話しているのが、聞こえた。


「捜索は後回しだ。今は一刻も早く殿下をインウィクトスへお連れしなくてはならない」

 目付役は船長を呼び出して、全速力でベスパー軍港を目指すように指示を出していた。


 そして隼に文を括り付けると、帝都の方角に向けて放った。


「しかし、あの騎士爵は殿下の大切なお方のようで……」

 軍医は僕の様子を汲み取ってくれたのか、そう意見をしてくれた。だが、宮廷の代理人たる目付役は、有無を言わさぬ厳しさで応えた。

 

「殿下の命が最優先だ。もし、殿下が二度と魔法を使えなくなってしまってみろ。帝国にとって取り返しのつかない大損失になる。これは宮廷の決定であり、皇帝陛下の意志である。貴様に責任が取れるのか? それに、四肢を失った兵士を救って一体何になる。穀潰しになるだけだろう」

 僕は、人間に価値を付け上下を決める考え方を怨んだ。


 魔法が使えなくなるくらい、なんだ。それでフランが救われるなら、僕は喜んで自分の持っている才能を差し出す。


「殿下の魔法は国民の暮らしを豊かにし、国力を増強させる。ここで一人の騎士爵を救うことと、数百万の帝国人民の将来を守ること、どちらが重要かは議論の余地などない」

 人の命を天秤にかけることが許せなかった。犠牲の上に成り立つ幸福などは、欺瞞でしかない。


 そんなものは、ゴミ屑だ。僕はこの瞬間に、二度と帝国には手を貸さないと決心した。


「……引き上げろ。船を出す」

 船長は甲板に立つ船員にそう言って回った。船は速度を上げて、フランが落下したところからどんどんと離れていく。

 

 僕は、船を戻して彼女を救助するように叫ぼうとした。しかし、身体が僕の所有物ではないかのように、まるで言う事をきかなかった。


 涙が溢れてくるのも、当然止めることはできなかった。

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