花束を抱いて
黒洞々たる闇をたたえた地下通路から抜け出した僕らは、ザルツシュヴァルツにあるマウルドレッシャー邸から、大公国北端の港へ向かって馬車を走らせた。
港に着くと、マルメッラーダは馬車を売って現金に変えるため、怪しげな御者になにやら交渉していた。
僕は盲の花売りの老婆に白金貨を一枚渡して、籠ごとありったけの花を譲って貰った。
「その花束は、どうするのです?」
ラピエルは、僕の行為を訝しむように小首をかしげてみていた。
「……贈り物だよ。とある騎士爵への、ね。これから、渡しに行くんだ。受け取って貰えるかは、分からないけど」
僕は、やさしい顔をした海の面を眺めた。幾許かの現金を手に入れたマルメッラーダが、僕らのもとに戻ってきた。
彼女もまた、このまま一緒にオステンヴォルケに向かうつもりだそうだ。そこで、大司教立ち合いのもと、正式に脱団の手続きを済ませるらしい。
僕たちは連絡船に乗り込んだ。ザルツシュヴァルツを離れ、インウィクトスへ向かう船から見下ろす海を見るのは、これで二度目である。
あのときは、フランと一緒だった。
ーーヴェストヴェストは陥落した。間もなく、戦争は終わるだろう。
僕は一人の傷痍軍人ーー騎士爵・フラン・ランベール=ルージューーを連れて、一足先に戦場をあとにしていた。
僕らは二人とも生き残った。それは僕にとっては首の皮一枚で繋ぎ止めた幸福であったが、フランにとっては宙ぶらりんの絶望であった。
彼女の乗った車椅子を押して、僕は軍の連絡船に乗り込んだ。
「私の両手は、平民であった私を準貴族の位にまで這い上がらせてくれた。私の両脚は、貧困に閉じ込められた私をどこまででも連れて行ってくれた……けれど、今はそのどちらもない。肉体は、私を不自由な世界に閉じ込める檻になってしまった」
車椅子に座ったフランは、海を見ながらそう呟いた。僕は、彼女の肩に僅かに残った腕をそっと握った。
あの爆発で崩れてきた瓦礫から僕を庇ったせいで、彼女の両脚はその下敷きになって潰れてしまった。
彼女は、今度こそ死んでしまうところであった。
そこへ、救援部隊が来た。僕は、彼等からありったけのポーションを受け取ると、薄れゆく意識に鞭を打って、彼女に回復魔法をかけ続けた。
僕は自力ではほとんど魔力を回復できない身体になってしまったが、代わりにフランは一命を取り留めた。
それだけで、そのときの僕は嬉しかった。
たとえ彼女が、死んだ方が良かったと思っていたとしても。
「僕が君の手になるよ。どこへだって、君が行きたいところに連れて行く脚にもなろう。君が救ってくれた命なんだ。残りの人生を、少しでも君が幸福でいられるために使いたい」
僕の言葉に、フランは首を振った。
「これ以上……殿下にご迷惑をおかけする訳には参りません。こんな身体では、一人で下の処理すらできない……みじめを通り越して、切ないです……」
僕は、彼女の口から弱音が漏れるところを、初めてみた。
「迷惑だなんて、そんなこと……人間、生きてる限り誰だって出るものは出るさ。それに、驚くべきことに尿も糞も、農地では肥料になるんだ。だから、そのくらい僕が引き受けるよ。フランから出た肥料で育った作物を食べて、僕はこれから生きていく所存だよ」
僕は、帝国へ戻ったらどこか静かな自然豊かな土地を貰って、そこで野菜を育てて暮らすという、かねてより思い描いていた話をした。
魔法も使えなくなったことだから、大学時代に研究していた方法で肥料を作り出すことはできない。だから、人が毎日産み出す肥料を使って、作物を育てようと考えているのだと、そう語った。
彼女は少しだけ笑って、それは楽しそうですから、是非私もそこに連れて行って欲しいものですと、そう言ってくれた。僕はお安いご用だと、そう請け合った。
愚かな僕は、フランその言葉に安心して、彼女が生きることに対する希望を、僅かでも持ち続けてくれているのだと、そう勘違いしてしまった。
冬の空を、ウミネコが鳴いて渡っていく。僕はその声につられて、フランからほんの数秒、目を離した。
「ーー私の愛する、親愛なるリヒト殿下。それではお元気で。ときどき私のことも思い出してくださいーー」
耳に、その言葉の響きが今でも残っている。目には、船縁に佇む彼女の姿が焼き付いて消えない。
声に振り返って見てみると、彼女は残った四肢を使って船縁によじ登ったようであった。
「フラン? そんなところにいたら、危ないよ」
僕が伸ばした手は、何ものをも掴むことがなかった。
彼女は、後ろの海に消えていった。




