脱出
「殿下、よく耐えられました。ほら、外に出ましたよ」
再び地上の空気を浴びたとき、僕は騎士爵に背負われていた。
「ありがとう……もう大丈夫。自分で歩けるよ」
額には汗が滲んでいる。手首に打つ脈は早い。呼吸は乱れ、目眩も酷い。
だが、どうやら魔力はぎりぎりのところで持ちこたえたようだ。そうでなければ、僕らは揃って地下通路で共倒れしていた筈である。
「……おっと」
背から降りて、自分の足で地面を踏んだとき、まるで泥の上に立ったように両脚が沈んで、倒れかかった。
「危ない、リヒトさん大丈夫?」
すかさず、アナベルが僕を支えてくれた。
「無理をしてはいけません、リヒト殿下。さ、遠慮せずに私の背に」
騎士爵は僕の前にしゃがみ込んだ。
「悪いね、フラン……いつも迷惑ばかり」
「……? 私の名前はラピエルですよ、殿下。誰か、私に似た方とお間違いでは?」
僕は、振り返った騎士爵の顔を見た。当然、彼女はフランではなかった。極度の疲労によって混濁した僕の意識が、今の状況と、かつての戦場での記憶とを重ねて認識しまっていたようだ。
彼女が、ここにいるはずなどないのに。
「ーー殿下! リヒト殿下!」
フランの声が、僕の鼓膜を乱暴に叩いた。次の瞬間、口の中に人肌ほどの温い液体が入り込んでくる。
もう嫌というほど味わった、ポーションの味である。
「ゲホッ……はぁ……」
むせて、言葉が出ない。体を起こすと、崩壊した城壁、ポーションの空き瓶、倒れたフランツ・ヴァッハフォイアーが目に飛び込んできた。
隣を見ると、フランが僕の顔を安心した様子で覗き込んでいる。彼女の足元には血溜まりが出来ていた。
「フラン。その腕……」
彼女は口元についたポーションを肩口で拭うと、石畳に突き刺していた剣を口に咥えた。
剣を握るための両腕が、その肩から無くなっていた。
「奴等、殿下がニ度目の苦界障土を行使した瞬間、城壁もろとも瘴気を爆弾でふっ飛ばしました……フランツさんは、虫の息です……」
段々と記憶が戻ってきた。北部地下を標的とした、比重の重い瘴気を発生させた後、地上の兵士を標的とした二度目の苦界障土を行使すると同時に、作戦完了の合図である信号弾をフランツさんが上空に放った。
その瞬間、周囲を衝撃波が駆け巡った。僕は、そこで魔力切れを起こして再び意識を失っていたのである。
「私は殿下の側に居たお陰で、斥害閃の恩恵を与ることが出来ました。そうでなければ、両腕だけではすまなかったでしょう」
斥害閃は一旦発動すれば、たとえ僕が意識を失ったとしても継続して発動し続ける。
そして魔力が切れても、何故か解除されることがない。多分、魔力よりも大切な何かが削られているのだろう。だが、そのおかげで命拾いした。
「ポーション、飲ませてくれてありがとう」
フランの咄嗟の判断がなければ、僕は意識を失ったまま敵兵に見付かってしまっていただろう。
僕はフランの両腕を止血し、フランツのもとへ駆け寄った。彼は応急処置すら拒絶した。
僅かでも魔力を節約するべきだと諭した。もう一度瘴気を発生させなければ、この作戦の目的は達成されず、さらなる犠牲が生まれると。
彼は僕に遺品と遺言を預けると、父にすまないと伝えてくれ、息子と妹のことをよろしくと言って、息を引き取った。
「足音がします。味方の援軍にしては早すぎるので……恐らく敵兵でしょう。移動しますよ」
フランの強い語気は、挫けそうな僕の心に鞭を打ってくれた。僕らは、城塞を見渡すことのできる石塔に駆け上がった。
見張りに残っていた少数の兵士は、フランが最後の死力を尽くして斃していった。塔の頂から、顔を覆った援軍がこちらに向かっているのが見えた。
逆方向では、敵兵が迎撃の準備を整えていた。
僕は残りのポーションを全て飲み干して、ありったけの魔力を次の一撃に込めた。
「……苦界障土」
生涯、ここから見下ろした景色を忘れることはないだろう。僕が奪った命は、敵だけではなかった。
魔力が不足していたせいで、僕は瘴気の濃度を上手くコントロールすることができなかった。
そのため、ヴェストヴェスト北部の城塞は、地獄になってしまった。
石塔を降りた僕たちは、お互いに縋り付くように支え合いながら、地獄を抜け出すために歩いていた。
「こんなつもりじゃなかった」
間の抜けた言葉が、自然と口から出てきた。
「……殿下は、すべきことをしました。それだけです」
フランは慰めるでもなく、そう呟いた。
普段は戦死者に敬意を表する彼女であったが、死体の量が余りにも多く、余りにも疲労していたため、兵士の亡骸を踏みつけて歩くほかなかった。
そのとき、背後から爆発音がした。音はどんどん連なって、段々とこちらへ向かってくる。
北部の城塞には、正真正銘最後の抵抗として、自爆用の仕掛けが施されていたのである。
「殿下!」
フランは、僕の背中を強か蹴り飛ばした。崩れた城壁が、彼女の上へ降り注いだ。
「フラン!」
僕は届きもしない手を、彼女へ向かって伸ばした。




