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異世界農楽集  作者: 夢忌無意味
第九章 とある騎士爵の亡霊
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脱出

「殿下、よく耐えられました。ほら、外に出ましたよ」

 再び地上の空気を浴びたとき、僕は騎士爵に背負われていた。


「ありがとう……もう大丈夫。自分で歩けるよ」

 額には汗が滲んでいる。手首に打つ脈は早い。呼吸は乱れ、目眩も酷い。


 だが、どうやら魔力はぎりぎりのところで持ちこたえたようだ。そうでなければ、僕らは揃って地下通路で共倒れしていた筈である。


「……おっと」

 背から降りて、自分の足で地面を踏んだとき、まるで泥の上に立ったように両脚が沈んで、倒れかかった。


「危ない、リヒトさん大丈夫?」

 すかさず、アナベルが僕を支えてくれた。


「無理をしてはいけません、リヒト殿下。さ、遠慮せずに私の背に」

 騎士爵は僕の前にしゃがみ込んだ。


「悪いね、フラン……いつも迷惑ばかり」

「……? 私の名前はラピエルですよ、殿下。誰か、私に似た方とお間違いでは?」

 僕は、振り返った騎士爵の顔を見た。当然、彼女はフランではなかった。極度の疲労によって混濁した僕の意識が、今の状況と、かつての戦場での記憶とを重ねて認識しまっていたようだ。



 彼女が、ここにいるはずなどないのに。



「ーー殿下! リヒト殿下!」

 フランの声が、僕の鼓膜を乱暴に叩いた。次の瞬間、口の中に人肌ほどの温い液体が入り込んでくる。


 もう嫌というほど味わった、ポーションの味である。


「ゲホッ……はぁ……」

 むせて、言葉が出ない。体を起こすと、崩壊した城壁、ポーションの空き瓶、倒れたフランツ・ヴァッハフォイアーが目に飛び込んできた。


 隣を見ると、フランが僕の顔を安心した様子で覗き込んでいる。彼女の足元には血溜まりが出来ていた。

 

「フラン。その腕……」

 彼女は口元についたポーションを肩口で拭うと、石畳に突き刺していた剣を口に咥えた。

 剣を握るための両腕が、その肩から無くなっていた。


「奴等、殿下がニ度目の苦界障土を行使した瞬間、城壁もろとも瘴気を爆弾でふっ飛ばしました……フランツさんは、虫の息です……」

 段々と記憶が戻ってきた。北部地下を標的とした、比重の重い瘴気を発生させた後、地上の兵士を標的とした二度目の苦界障土を行使すると同時に、作戦完了の合図である信号弾をフランツさんが上空に放った。


 その瞬間、周囲を衝撃波が駆け巡った。僕は、そこで魔力切れを起こして再び意識を失っていたのである。


「私は殿下の側に居たお陰で、斥害閃の恩恵を与ることが出来ました。そうでなければ、両腕だけではすまなかったでしょう」

 斥害閃は一旦発動すれば、たとえ僕が意識を失ったとしても継続して発動し続ける。

 そして魔力が切れても、何故か解除されることがない。多分、魔力よりも大切な何かが削られているのだろう。だが、そのおかげで命拾いした。


「ポーション、飲ませてくれてありがとう」

 フランの咄嗟の判断がなければ、僕は意識を失ったまま敵兵に見付かってしまっていただろう。


 僕はフランの両腕を止血し、フランツのもとへ駆け寄った。彼は応急処置すら拒絶した。

 僅かでも魔力を節約するべきだと諭した。もう一度瘴気を発生させなければ、この作戦の目的は達成されず、さらなる犠牲が生まれると。


 彼は僕に遺品と遺言を預けると、父にすまないと伝えてくれ、息子と妹のことをよろしくと言って、息を引き取った。


「足音がします。味方の援軍にしては早すぎるので……恐らく敵兵でしょう。移動しますよ」

 フランの強い語気は、挫けそうな僕の心に鞭を打ってくれた。僕らは、城塞を見渡すことのできる石塔に駆け上がった。


 見張りに残っていた少数の兵士は、フランが最後の死力を尽くして斃していった。塔の頂から、顔を覆った援軍がこちらに向かっているのが見えた。


 逆方向では、敵兵が迎撃の準備を整えていた。


 僕は残りのポーションを全て飲み干して、ありったけの魔力を次の一撃に込めた。

「……苦界障土」


 生涯、ここから見下ろした景色を忘れることはないだろう。僕が奪った命は、敵だけではなかった。


 魔力が不足していたせいで、僕は瘴気の濃度を上手くコントロールすることができなかった。

 そのため、ヴェストヴェスト北部の城塞は、地獄になってしまった。


 石塔を降りた僕たちは、お互いに縋り付くように支え合いながら、地獄を抜け出すために歩いていた。


「こんなつもりじゃなかった」

 間の抜けた言葉が、自然と口から出てきた。


「……殿下は、すべきことをしました。それだけです」

 フランは慰めるでもなく、そう呟いた。


 普段は戦死者に敬意を表する彼女であったが、死体の量が余りにも多く、余りにも疲労していたため、兵士の亡骸を踏みつけて歩くほかなかった。


 そのとき、背後から爆発音がした。音はどんどん連なって、段々とこちらへ向かってくる。

 北部の城塞には、正真正銘最後の抵抗として、自爆用の仕掛けが施されていたのである。


「殿下!」

 フランは、僕の背中を強か蹴り飛ばした。崩れた城壁が、彼女の上へ降り注いだ。


「フラン!」

 僕は届きもしない手を、彼女へ向かって伸ばした。


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