帝国の天才剣士
「リヒト殿下……少し息が荒いようですが、大丈夫ですか? 私でよければ、肩をお貸ししますよ」
「助かります、ラピエルさん……少し、先程の戦闘の疲れが出てしまったようで」
騎士爵の肩に手を起き、身体を支えながら暗闇のなかを歩いた。
僕が窒素の膜を維持できなくなった瞬間、みんな仲良くお陀仏だ。体力の消耗は、ほんのわずかでも抑えなくてはならない。
あの時と同じだ。ヴェストヴェスト要塞の戦いのときもこんな風に、あの騎士爵の肩を借りながら、敵陣の攻略を進めていた。
「ーーリヒト殿下、お目覚ですか? 顔色がかなり悪いですが、自分の足で歩けそうですか?」
僕はフランの肩から手を放し、周囲を確認した。敵兵の気配はない。
「僕はどれくらい気を失っていた?」
「1分半ってとこです。目覚めるのがあと三十秒遅ければ、一時退却も已む無しかと考えていました」
フランは、風上の索敵を行っていたフランツから合図を受け取ると、行進を再開した。
「……どうやら、斥害閃を使いながら攻撃魔法を行使するのは、相当な負担がかかるみたい」
2種類以上の魔法の同時行使。これはそもそも、歴史を繙いてみてもできる人間が少なかったらしい。だから、このようなリスクがあるということを、実際に戦闘で使用するまで知る由も無かった。
「そのようですね。でも、そんな無茶苦茶な魔法の使い方も、きっと今日で最後です。それにあと一ヶ所で作戦完了ですから、気力を奮い立たせて我慢してください……この戦争が終われば、クララのいる帝都に帰れますよ」
魔法疲労回復ポーション(通称:ヒロポン)を差し出しながら、フランは僕をそんな風に鼓舞した。これで今日は既に3本目を空けることになる。
空気中と地中の成分を化合させることによって毒ガスを発生させ、それを斥害閃を応用し広範囲に撒き散らす広域殲滅魔法・苦界障土。
僕はこの特異魔法を既にヴェストヴェスト要塞の東部、南部、西部で行使し、現在は風上であり標高が最も高い北部に向けて進軍している。
地下に浸透する遅効性の毒ガスは糜爛性で、戦闘不能に至る呼吸困難などの症状が現れるまで、最長で三十分ほど要する。
地上の兵士を標的とした即効性の毒ガスは、窒息剤である。後から来る味方の援軍に深刻なダメージを起こさせないため、中和剤をしみこませたマスクである程度防げるように調合している。
それぞれ空気より重いガスと、空気と同質量のガス。一ヶ所につき二回、魔法を行使することになる。
既に計六回、毒ガスをばら撒いてきた。北部にある自然の地形を利用した3キロ四方の城塞の周囲を、一辺が7キロの城壁が守護し、一周が数十キロに及ぶ塹壕が取り囲むこのヴェストヴェスト要塞を、一度の魔法で陥落させることはほぼ不可能である。
加えて、先月ヒラール農地に対する大規模攻撃を行って以来、万全の力を発揮できなくなっている。
要塞を四区画に分けたうち、残すは北部エリアだけであるが、既に残りの魔力は、3割弱と行ったところである。ポーション込みでも、あと2回も魔法を行使すれば、数分間の意識喪失では済まないだろう。
「僕の目が覚めなくても、帝都までちゃんと連れて帰ってね」
幼い頃から何度も剣を交えた騎士爵に、僕はそう念を押した。
「ええ、その位いくらでも請け合いますよ。私が生きていたらね」
フランは波型の剣を提げ、先行するフランツの背を追った。ここにいる、ヴェストヴェスト要塞包囲殲滅戦の中枢を担う僕を含めた3名は既に、みんな体力の限界を迎えつつある。
同行している二人は、僕の近くにいる間は斥害閃の恩恵によって、ある程度は楽に呼吸ができる。しかし索敵や戦闘で離れると、敵兵同様に瘴気のダメージを受けてしまう。
魔法の過剰行使によって意識が朦朧とする僕を助けつつ、敵兵を警戒しながら瘴気の中を進むことは、肉体と精神を著しく消耗させる。
早々に北部で苦界障土を展開させ、味方に合図を送って援軍を寄越して貰わなければならない。
「北部の城塞は、やはり守りが固いです……今までのようにはいかないでしょうね」
フランツ・ヴァッハフォイアーは、僕の傍へ戻ってくるとマスクを外し、大きく息を吐いた。
「今までのようにいかなくても、やるしかないでしょう。あの北にある城塞を徹底的に落とさないことには、奴ら何度でも湧いてきますよ」
フランはそう息巻いて、聳え立つ石の城を睨みつけた。フランツは「頼もしいですね」と言いながら、苦笑いを浮かべている。
騎士爵・フラン・ランベール=ルージュは、剣の天才である。名字も持たない、田舎の庶民の生まれにも拘わらず、帝国の十二歳以下の剣術大会で、本格的な剣術教育を受けている貴族階級の子ども達をものともせずに、僅か八歳で初優勝を勝ち取ると、以来十二歳まで王座を譲ることはなかった。
神童と謳われた僕も、六歳のときに十歳の彼女と決勝で剣を交え、あっさりと敗れた。それ以来、彼女は僕の稽古相手として宮廷に招かれるようになり、そして準貴族である騎士爵の称号と、彼女の父と母の名に由来する「ランベール=ルージュ」という、風変わりな名字を与えられた。




