帰郷
数日とはいえこれほど長く屋敷を空けたのは、オステンヴォルケに来て以来、初めてのことである。
屋敷は、なんだかここに初めてやって来た日のようにひっそりとしているように思えた。
僕はアナベルの肩を借りて、やっとのことで馬車を降りた。
僕に歩く気力が無いとみると、ヴィヴィアンは何も言わずお姫様抱っこをして、屋敷の中まで運んでくれた。
屋敷の食卓ではウンゲツィーファが黙々と針仕事をしていて、僕の帰宅に気付くと徐ろに立ち上がってキッチンに声を掛けに行った。
ヴィヴィアンにソファーに座らせて貰い、そこで少し待っていると、忙しないスリッパの音がパタパタと響いた。
「おかえりなさいませ、リヒト様」
彼女の姿を見た時、声を聞いた時、涙が溢れそうになった。
「ただいま……クララ」
僕は、詰まりそうな喉から大きく息を抜いて、そう応じた。
「リヒト、帰って来たんだ。おかえりー……って、あんたまた顔色悪いわよ」
椅子を並べた上に横になって惰眠を貪っていたカーモスが、のっそりと起き上がり、僕の顔をしげしげと眺めた。
行儀が悪いなぁ、もう。
「カーモスさんの言う通りですね……ヴィヴィアンさん、リヒト様をベッドまで運んで差し上げていただけますか? すぐ、体を拭くためのお湯を持って上がりますから……食欲はありますか? 何か少しでも食べられそうであれば、召し上がってお薬を飲んでからお休みになられた方がいいのですが」
「お安いご用よ。さ、お姫様。寝室へお連れするわ」
クララに従って、ヴィヴィアンは僕を軽々と運んだ。
ベッドの上に僕を下ろすと「じゃあ、ここから先はクララの管轄だから、アタシはお暇してニューフェイスたちと遊んでくるわ」と言って、ヴィヴィアンは階下に降りて行った。
それからすぐ、僕はまたうとうとしてしまっていた。
少しして、部屋の扉が、聞き慣れた高さで三度叩かれた。
「――リヒト様!」
部屋の扉が開いて、クララが現れた。
「お戻りになられたと聞いて、エイルリフィアから飛んで帰って来ました……戦地でお身体を悪くされたと聞いて……私、心配で……心配で……」
彼女は顔を真っ赤にして、解れた髪もそのままに、息も絶え絶えながら僕のもとに駆け寄ってきた。
「クララ……」
兵役についていた二年間、ずっと会っていなかった。色々な感情が湧き上がって、僕は彼女の足下に跪いた。
「フランが死んじゃったんだ……僕のせいなんだ。それだけじゃない……沢山の人を……僕は、間違ったことをしたんだ」
涙が溢れて止まらなかった。崩れ落ちた僕は、クララの足に接吻するような格好になった。こんな姿は、他の誰にも見られてはいけなかった。
「この二年間ずっと……僕は間違ったことをしてきたんだ!」
僕が過ちを犯した理由は、皇帝陛下をはじめとした宮廷首脳部からの要請があったからというだけではない。僕が、少なからず自ら加担した部分もある。
戦後、焼け野原になったザルツシュヴァルツ大公国を、僕は自分が復興させようと考えていた。そこに、女神様の言う豊かで平和な国を、一から建設しようと考えていた。
ザルツシュヴァルツ大公国をツァラトゥストラ首長国連邦から奪還し解放するための"聖戦"に協力する。それが国家の平和のため、人類の未来ためになると、本気で思っていた。
だから僕は協力した。その結果がこれだ。
僕は理想郷を作ろうとして地獄郷を生み出してしまったのである。
「正義のために、苦しんでいる人たちのために戦っていたはずだった……」
正義の名の下にしか行えないような行為が、正しいわけがない。そのことに気付いたのは、死体の山を築いた後だった。
僕は呪われる者となった。僕が流した敵兵の血を、口を開けて飲み込んだ土よりもなお、呪われる。土を耕しても、あそこの土はもはや僕のために作物を産み出すことはない。
「リヒト様が間違っているのであれば、私はこの世に正しいものなどないのかもしれないとさえ思ってしまいます……フランさんのことは、本当に残念でした……今は、少しでも苦しみから遠ざかりましょう。このままでは、リヒト様の心までが弱ってしまいます」
クララはそんな僕を優しく抱いて、涙をそっと拭いてくれた。自分の涙は、流れ出るままにして。
彼女は僕をベッドへ横になるように勧めると、枕元に座って、幼いころ、死にかけていた僕にそうしてくれたように、そっと手を握ってくれた。
「もうここには居たくない。どこか静かな土地で暮らしたいな……誰も傷付けなくて済むように、ひっそりと作物を育てながら生きていきたい」
夜になっていた。月明かりで部屋の中は明るかった。太陽の征服するような強すぎる光よりも、僕は見守るような月の柔らかい光が好きだった。
「でしたら、私も付いていきます。リヒト様が出征されていた二年間、私はエイルリフィアでたくさん勉強して来たのです。……リヒト様が育てた作物を使って、栄養満点のごはんをお作りします。リヒト様の健康が少しでも回復するようなお食事を、毎日ご用意します。そのために、私は勉強して来たのですから」
僕は、クララが付いてきてくれることが嬉しく、また頼もしかった。
「そうです、言い忘れてしまっていました。遅くなりましたが……おかえりなさい、リヒト様」
彼女が居てくれる場所。今も昔も、それが僕の帰る場所なのである。
「――リヒト様?」
クララの声にはっと気が付くと、そこは帝都の宮廷ではなく、オステンヴォルケの屋敷であった。
「ごめん、ぼーっとしてて……少し前のことを思い出していたんだ」
僕の言葉に、クララは「はい」と、目をつぶって答えた。
「あのときクララが一緒に来てくれるって言ってくれたから、僕はここまで来る決断できたんだ。……ありがとう」
「こちらこそ、です」
月の光のように柔らかくクララは笑った。
修正作業を行いますので、一旦完結にしております。更新再開時期は未定です。




