遭遇戦
アウシュヴィッツのあとで詩を書くことは野蛮である
アウシュヴィッツ以降、文化はすべてごみ屑となった
――テオドール・アドルノ「文化批判と社会」「否定弁証法」
「いま街にいる騎兵隊は先行部隊で、夜には増援も到着することになっているみたいです。魔犬を連れている部隊も来るらしいから、夕方までにはなんとしてでも墓地に逃げ込まないと」
街を偵察して来てくれたアナベルから、そう報告があった。
「随分気に入られているみたいじゃないか、ラピエル。こんなに盛大な御迎えが用意されているなら、ここに残って暮らした方が幸せなんじゃない?」
「冗談じゃない。私は、牢獄だろうと家庭だろうと、狭い世界に閉じ込められるのはまっぴらだ。自然豊かな土地で、村を魔物から守りながらのんびり暮らすんだい」
マルメッラーダとラピエルは、やいのやいの言い合っている。この二人、わりと呑気だな。
まあ、ラピエルはスタイル良いし美人だし、健康的な肌をしているしで、確かにこの国の王族に好まれそうな容姿をしている。
ただ、これだけ執心されているのはむしろ、名誉を重んじる文化と復讐を美徳とするツァラトゥストラの風習とが原因だろう。
右手を切られたら、四肢を切り落とせということになりかねない。
「増援が来るとなれば、夜を待って暗闇に紛れて逃走するという訳にはいきませんね。魔犬を連れているのであれば、臭いで見付かってしまいますので尚更……アナベルの言う通り、タイムリミットは夕方までです」
「ですが、明るいうちに動くのもハイリスクでは? ここから墓地へ行くには、見張りのいる大通りを横切る必要がありますし……」
僕は、マルメッラーダと二人、成功確率の高そうな退却作戦を練っていた。頭を使うよりも体を動かすがモットーの実働向きのアナベルとラピエルは、あまり口出しせずにその様子を見守っている。
「古典的ではありますが、陽動作戦でいきましょう。街の関所の一部を破壊して、そこから逃走したように見せかけるのです」
「問題は、小規模とは言え関所を破壊するのであれば、爆発物が必要だということです。戦時体制下で、あらゆる土地から火薬の原料が徴発されましたから、現地で調達するのは困難かと」
マルメッラーダの懸念はもっともである。しかし、ここには偶然にも空気中から無限に爆発物の材料を生み出すことのできる人間がいるのである。
「――じゃあアナベル、陽動は頼んだよ。僕は先行して墓地の安全確保をしておくね。マルメッラーダとラピエルは、いましばらく追っ手の動向を警戒。爆発を合図に墓地に逃げ込んできて」
作戦を確認して、それぞれの役割を果たすべく別行動を取る。
墓地の周囲には相変わらず人気がなく、閑散としている。墓参りに来た人間を装って花屋で話を聞いたところ、昨年末あたりからこの墓地に長時間いると体調不良などの症状が現れるため、近頃では人が全く寄り付かなくなったそうだ。
おそらく、地下通路から瘴気が漏れ出しているのだろう。そう考えると、あらかじめラピエルが墓場に潜んで救援を待つことができなかったのも、元を辿れば僕の所為でもあるのか……。
なんだか急に責任の重さを感じてきた。
「……アナベル、うまくやったかな」
そんなことを考えているうち、西の空に日が傾き始めた頃、遠くの方から爆発音が響いて、黒い煙が空に向かって高く昇っていくのが見えた。
少しして、一仕事終えたアナベルが空から降って来た。
「おつかれさま、アナベル。首尾は?」
「うまくいったと思う。騎兵隊の半分は、壊れた関所から街の外に出て行った。あたいは黒煙に紛れて空に翔け上がったから、見つかっていないはず」
やはりこの人選で良かった。黒い翼を持つハルピュイアのアナベルなら、燃焼時の煙の量が多い黒色火薬との相性は良好である。
「さて、あとは二人が無事に辿り着いてくれればいいのだけど」
墓地の入り口を見詰めながら待っていると、街の中から犬が吠える声が響いてきた。嫌な予感がする。
「いたぞ! 女剣士だ! 墓地へ逃げ込むぞ、囲め! 囲め!」
続いて騎兵隊の怒声と、蹄鉄が固い土を叩く高い音が響き渡った。次の瞬間、縮こまったマルメッラーダを小脇に抱えたラピエルが、全力疾走で墓場に駆け込んできた。
「すみません、殿下。見つかってしまいました」
「みたいだね……まずいな」
四方から馬に乗った兵士たちが続々と現れる。もう既に増援が到着していたのだ。三十……四十……いや、五十はいるだろうか。
静かな墓地は、一転して騎馬兵たちの鬨の声に包まれた。
「なかなか見つからぬ上に、封鎖されている国境近くに逃げ込んだかと思えば、仲間がいたのか……抵抗するなら、五体満足で戻れるとは思うなよ」
騎兵隊の隊長らしき人物は一歩前に躍り出ると、他の兵士たちを制し、ラピエルを睨みつけた。騎士爵はマルメッラーダを下すと、それに応じるように剣の柄に手を掛けた。
どうやら戦闘は免れないらしい。




