世界樹の苗
「失われた神樹の言葉……?」
「はい。神樹・イグドラシルは、かつて世界樹と呼ばれていました。その名の通り、この世界そのものであり、世界の理だったのです……ドライアドは、その時代からずっと神樹の言葉を守ってきたのです」
つまりドライアドというのは、世界樹の神託を授かる巫女ということだろうか?
「あらゆる生き物は、神樹の言葉を敬い、その言いつけを守って暮らしていました。しかしあるときから、段々その言葉に耳を傾けなくなったのです。神樹の豊かな実りの恩恵に与っていたにも関わらず、人は共に生きる動物を殺して食べ、やがて人間同士で殺し合うようにまでなってしまいました」
ティターニア・アールヴヘイムは、洞の中の階段をどんどん上へ上へ昇っていく。相当標高が高くなっているはずなのだが、神樹の力なのか、酸素が豊富なのか、息苦しさも疲労感も感じなかった。
「神樹・イグドラシルはついに人々を追放しました。世界樹はこのときから、人々から世界樹という呼び方をされなくなったのです。一本の大木であったイグドラシルは、根を延ばし森を作り、人や魔物が自身に近付くことがないようにしました。そのなかでエルフだけは、イグドラシルとその精霊であるドライアドとを守り続ける、森の守り人たる役目を果たすかわりに、神樹の恵みを授かることを許されていたのです」
洞が開けて、樹の頂に到達した。三十分も歩いていないはずなのに、雲と同じ高さまで登っていたのである。
「さあ、ヒナをこちらへ……」
僕はティターニアの言葉に従って、ヒナを巣へと戻した。
「ピィー」
天を衝くようなヒナの囀りに引き寄せられて、二羽の親鳥が現れた。その姿は、太陽を隠すほど大きな入道雲のようであった。
「驚きましたか? 入道雲雀は、霞を食べることで真夏の入道雲ほどの大きさまで体を巨大化させることができます……ヒナに触れることができたリヒトさんなら、きっと乗ることもできるはずですよ。帰り道は、親鳥たちに乗せて貰ってみてはどうでしょう?」
「それはありがたいですね……」
まるで筋斗雲みたいだ。そっと親鳥の雲のような体に触れると、綿菓子のように柔らかな感触がした。
これは是非とも良好な関係を築きたい。馬車か船かしか長距離の移動手段がないこの世界では、なんとも頼もしい存在だ。
僕ら三人は、親鳥に乗せて貰って、神樹の根元まで降りた。カーモスとアナベルは、その巨大な入道雲雀の姿に相当面食らっていた。
「ティターニアさん。貴女は、フェロニアという女の子を覚えていらっしゃいますか?」
カーモス、ヴィヴィアン、アナベルが入道雲雀と戯れているあいだ、僕は女神様が言っていたことの真相を探るべくそう切り出した。ティターニアは静かに首肯した。
「ええ。もちろん……桜色の髪をした、ドライアドの少女のことですね。彼女は、お元気ですか?」
女神様は、ドライアドだったのか。カーモスは僕らの会話が聞こえていたのか、居心地悪そうに斜を向いた。
「……彼女は既に亡くなっています。今は、オステンヴォルケにある、彼女が植えた桜の樹の下で安らかに眠っています」
「そうでしたか……もう百年以上も前になります。私が七妖としてこの世界樹の新たな守り人になった頃だったでしょうか。彼女に、株分けした世界樹の苗を託したのです……もしかしてリヒトさんが仰ったその桜の樹というのは、この神樹の分身かもしれません」
話がつながり始めた。世界樹に関する神話が、ここでフェロニアの運命と交差したのである。
「実は、彼女は豊穣の女神となってオステンヴォルケの地を見守ってくれています。そして、僕を異世界からこの世界へと転生させました。豊かで平和な国を作らせるために……ティターニアさんは、死後に人やドライアドが神になるという話について、何かご存じですか?」
僕のその問いに、ティターニアは首を横に振った。
「リヒトさんは、異世界人だったのですね……残念ながら、詳しいことは私にも分かりません。人々を追放して以来、イグドラシルは黙してほどんど語ることがなくなったのです。私が声を聞いたのは、フェロニアに苗を託すようにと命じたのが最後になります。ですが……彼女が豊穣の女神となったのは、この世界樹の選択かもしれません」
「世界樹の選択……」
全貌は明らかにならなかったが、しかし世界の秘密の一端は明らかになった気がする。
このまま神話について蒐集を続ければ、いずれはフェロニアさんが女神になった理由も、どうして僕が異世界から転生したのかも、明らかになるかもしれない。
そんな展望が開けた。




