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異世界農楽集  作者: 夢忌無意味
第六章 惑いの森の魔女のサーガ
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失われた神樹の言葉

「神樹・イグドラシルは、死と動物の血の臭いを嫌います。不滅種リッチーはもちろん、植物以外の生き物を食べる動物を、神樹は決してその身に近付けさせません。方向感覚を狂わせる芳香を漂わせ、森自体も侵入者を神樹から遠ざけるために形を変え続ける……ゆえに、ここは惑いの森なのです」

 ティターニアは階段のようになっている洞の中をゆっくりと登っていった。神樹に入れたのは、僕とヴィヴィアンだけであった。


 リッチーのカーモスと、肉食のアナベルは、神樹からの入場を拒否されてしまったみたいだ。二人には申し訳ないが、樹の下で待っていて貰うことにしよう。


「その入道雲雀(クラウドアラウダ)は神樹と共に生き、雲の上の霞だけを食べて暮らしています。神樹と同様、動物を殺して食べる人間には触れることはできないのです……お二人は、菜食主義者なのでしょう?」

 僕らを振り返って、ティターニアはそう尋ねた。なるほど、僕以外の誰も入道雲雀に触れなかったのは、そういう訳か。


「主義ってほど、大層なモノじゃないわ。アタシはハーフエルフだから、肉を食べなくても、草や木があれば生きていられる。ハイエルフのアナタほどエネルギーの変換効率は良くないけどね。だから、まあ、結果的にあんまり食べないってだけよ」

「僕は春から生き物のからだを食べることをやめました。もともと生命の維持に必要なときにしか食べませんでしたが……」

 前世からずっと、動物由来のものは牛乳やチーズ、無精卵しか口にしないようにしていた。


 そのせいで時々、体調を崩したこともあったけれど……。


「そうでしたか……そのヒナは幸運です。そんな人に偶然見付けて頂いて。エルフと違って、人は植物だけで必須栄養素を得るには限界がありますから」

 確かに。この世界で僕が無事に菜食主義を通せているのも、ひとえにクララの栄養管理のおかげだ。


「ところで、草や木をエネルギーに変えることができるということは、エルフは腸内にセルロース分解菌か何かを飼っている可能性が高いということになります。もしこの仮説が正しければ、世界中の食糧問題を解決するほどの大発見です。ちょっと研究したいな……すみませんが、サンプルとして便を採取させて頂く……なんてことはできませんか?」

 前世でシロアリから採取した菌を腸内環境で培養する実験をしたが、全くうまくいかなかったのだ。エルフが持っている菌であれば、あるいは……。

 

「えっ……? べ、便ですか?」

 ティターニアさんは急な申し出に当惑したのか、顔を紅くしてたじろいだ。


「アンタ、ちょっと落ち着きなさい。アタシはともかくとして、初対面の美女を目の前に言う言葉が『うんこ下さい』って終わってるわよ」

 しっかりとニューハーフエルフに窘められた。


 確かにヴィヴィアンの言う通り、初対面なのにあまりに不躾だった……もう少し距離が縮まってから、折をみて頼むことにしよう。


「リヒトさん、でしたね? 貴方はどうして動物を食べないのですか?」

「……色々理由はあります。ですが、生き物を殺すことに抵抗があります。特に、動物には」

 ティターニアは、先程から菜食主義について随分とこだわる。僕はこの問題を言葉で説明するのは少し苦手なのだ。


 別に、生きるために動物を食べるということ自体には反対ではないし。


「では、植物を殺すことには抵抗はないのですか? あるいは、動物よりは植物を殺すほうがまだ許容できる、と」

「……これは植物の言葉を聞くことができない人間の、都合の良い解釈かもしれません。ですが、少なくとも植物の方が動物より苦痛を感じる度合いが少ないのではないでしょうか。それに、例えば果実であれば動物に食べられる事ではじめて種を遠くへ運ぶことができます。穀物も、人間の食用に適するかたちに進化したことによって、種を繁栄させています。人間と植物とは……どうでしょう? 上手く共生しては、いないのでしょうか?」

 僕は話しているうちに、自身の言葉に自信が無くなってしまった。


「ふふ……リヒトさんは真面目な方ですね。少し意地悪な質問でしたが、真剣に答えてくれてありがとうございます……ドライアドは、植物の声を聞くことができます。リヒトさんが考えているように、優しい気持ちを注がれて育った作物は、食べられることに対して苦痛を感じることは、確かに少ないのですよ」

 ティターニアさんは悲しい顔をしていた僕を安心させるように、優しく微笑みかけてくれた。


「ティターニアさんには、植物の声が聞こえるのですか? どんな風に聞こえるのですか? 僕もいつか、植物の声を聞くことができるようにはなりませんか?」

「……聞こえますよ。私にははっきりと、貴方の声と同じように植物の声が聞こえます。でもこの能力は、私たちドライアドに与えられた使命を全うするための、特別なものなのです。失われた神樹の言葉を、守り続けるためのね」

*2021/06/16付記。ここで登場人物が「植物を食べることは倫理的に問題はないのか」という話題に触れています。筆者は、ピーター・シンガー(Peter Singer)の著作『Animal Liberation: A New Ethics for Our Treatment of Animals』 (Random House, 1975).日本語訳:戸田清『動物の解放』(技術と人間, 1988年)(改訂版、人文書院、2011年)等を参考に、植物は痛みを感じる器官が無いため食べることに問題はない、という定説に則ってこの部分を書いておりました。が、近年の研究 Masatsugu Toyota et al.“Glutamate triggers long-distance, calcium-based plant defense signaling”Science. 2018 Sep 14;361(6407):1112-1115. において、植物体が外傷に対して反応を起こし、それを伝える仕組みがあることが明らかになっています。これは、(=植物が痛みを感じる)ということでは必ずしもありませんが、外傷に反応する以上「痛みを感じない」と言い切ることもできない気もします。折を見て、登場人物(ティターニア)の発言について修正をしようと思いますので、ここは「ファンタジーだから」という温情をもって読み飛ばして下さいますようお願い致します。

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