人糞科学
「それでは改めまして。私が考えている、農地の生産力の回復計画、および財源の確保についてお話をします。皆様からは忌憚のないご意見、疑問、質問、異論、反論等を頂きたいと思います。それがこの計画をより良いものにする材料になりますから、どうぞご遠慮なく……」
車座になると、領民の代表として出席した20名程の老人や女性は、真剣に僕の言葉に耳を傾けてくれた。
「まず、農地の生産力回復には、豊富な落葉を利用した腐葉土と、近隣の領地から回収した屎尿による肥料を利用したいと考えております。落葉はもちろん、屎尿についても入手にコストはほとんどかからないと考えて良いです。というのも、現在都市部では人口の急激な増加によって、屎尿の処理が間に合っておりません。このままでは疫病の流行も考えられます。そこで我々は、清掃を請け負うという名目で屎尿を回収。この土地まで持ち帰り貯蔵し肥料を作ります」
「そんな簡単に、タダで譲って貰えるものでしょうか? 都会では屎尿を用いた肥料はもう使われないのですか?」
一人の老人がそう問うた。閉鎖的な土地だから、他の領地の事情はあまり知られていないのだろう。
「そうですね。帝国南部の農業地帯では、現在でも屎尿肥料の価値は高いです。しかし、オステンヴォルケ周辺の比較的寒冷な北方都市では、主要産業は農業から工業に移行しております。そのため屎尿の価値は低く、むしろ処理が困難な廃棄物として厄介者扱いされています」
「なるほど……それで、タダ同然で貰い受けることができるのですか」
「いえ、タダでではありません。屎尿を回収しつつ、報酬も貰います」
「どういうことです?」
「いま言った通り、都市にとって屎尿は厄介者に他なりません。そのため役所は、わざわざ人を雇って、川に棄てるか、人里離れた土地に埋めるかして処理をするのです。ですから我々は、その廃棄業務を受注する、という訳です。比較的良心的な料金でね」
前にいた世界の話である。16世紀に来日した宣教師ルイス・フロイスの『ヨーロッパ文化と日本文化』という書物にこんな言葉がある。――「われわれは糞尿を取り去る人に金を払う。日本ではそれを買い、米と金を支払う。ヨーロッパでは馬の糞を菜園に投じ、人糞を塵芥捨場に投ずる。日本では馬糞を塵芥捨場に、人糞を菜園に投ずる」――これは人糞に対するスタンスの隔たりを端的に示している。
ヨーロッパのように広大な平地で牧畜が行える場合、人糞ではなく畜糞が主な肥料になる。一方で国土のほとんどが山で平地に人口が周密化した日本では、限られた農地を飼料栽培に回すことができず、牧畜が発展しなかった。
そのため、人糞を肥料として活用するシステムが発展したのである。インウィクトス帝国もどちらかといえば牧畜が主流だから、他の地域と人糞の獲得で競合することは無い。都市は、我々にとって黄金の山なのである。
「はぁ……そんなこと、よく思い付かれるものじゃ。領主様は商いにも明るくいらっしゃる」
「まぁ、それほどではありますが……都会の人間の屎尿は栄養価が高いため、かなり上質な肥料になるでしょう。特に、窒素が多く含まれているので、葉物野菜……甘藍にはうってつけです」
僕は、クーボー先生を見た。
「ええ。肥料が入手できれば、きっと再び甘藍が育つでしょう。無茶な作付けさえしなければ、甘藍はきっとまたこの土地を飢えから救ってくれます」
「私も、そう思います。……しかしながら、一年目に用意できる腐葉土と肥料には限界があります。そこで甘藍の他に3つ、この土地の状態でも栽培可能な作物を考えました」




