第6話 現実
「お、己は……」
意識がはっきりとしてきた。どれ程の時間蹲っていたろうか? 視界の滲みが引いていく。口内が酷く苦酸っぱい。
「お! 落ち着いたか」
「良かった……」
数十秒とも数時間とも感じられた。けれど、彼らの様子から考えれば長くても数分程度だろう。
「す、済みません。己の不始末は、己が──」
セイナさんが吐瀉物の片付けをしてくれていた。大変申し訳なく思い、慌てて床にしがみつく様にして腰を上げんとしたが、分厚い手が肩に置かれる。
「気にすんな。酔っ払い共のゲロに比べりゃ綺麗なもんだ」
そう言って彼も木床に水を撒いて布で拭いてと、胃液の跡掃除をせっせと再開した。
「……野盗に襲われたんだって? で、そっからほとんどマトモな飯も食ってなかったってとこか? 森で狩りして、立て続けにディグ・ボアの討伐。疲れがドッと来たんだろ」
床でへたり込む己に、彼は諭すように言う。
「……」
「ま、今日のところはウマい飯食って寝るこったな、ルーキー。身包み剥がれて一人、焦る気持ちぁ分かるけどよ。何とかなるって」
掃除を終えて、ランディーさんはカウンターの奥に引っ込んでいった。
「どうぞ。お水です。飲めますか?」
セイナさんがグラスの水を手渡してくれる。
「あ、嗚呼。ありがとうございます」
今度こそ立ち上がり、グラスを飲み干す。喉の不快感が少しましになった。
「さ、清算をしましょうか。稼いだお金で美味しいご飯食べて来て下さい」
◇◆◇◆
任務の報酬清算を終えた己は、受付嬢と少し揉めていた。
「こ、困りますよ。頂けません」
「そういう訳にも……」
「あれも仕事の内ですから……」
幾度目かとなる押し問答のラリー。
「何だ何だ? ゲロの次は揉め事かぁ?」
裏からランディーさんが出てきた。己としては都合が良かった。
「ランディーさんも、此れを」
彼の手にそっと銀貨を握らせた。
「あぁ……? っていや、何の金だよッ!」
勢い余って投げ捨てそうな程の驚きを見せた。
「先程の謝礼を……」
「何バカな事言ってんだ。仕事の内だよ」
彼も、彼女と同じ事を言った。
「ですが……」
「ですがも何もあるか! 俺達ギルドの職員は冒険者の面倒見るのが仕事なんだよ。喧嘩止めんのも、酔って暴れるの止めるのも、全部仕事なんだよ! し・ご・と! その分の給料はギルドから貰ってる。金に困ってる冒険者からイチイチ取り立てる程困ってねぇっつーの!」
セイナさんも、彼の言にうんうんと唸り頷いている。
「……」
貧乏冒険者から金を受け取った──もとい巻き上げたとなれば、彼らの沽券に関わるといったところだろうか。
「礼をしたい己の気持ちはどうすれば……」
「そういう感謝の押し売りは嫌われますよ?」
感謝の押し売り……。言われ気付く。確かに、此れは手前勝手な気持ちかもしれない。
「……」
己の独り善がり。欺瞞を見透かされたようで、酷く恥じ入る。
「……申し訳ない。己が浅はかでした」
頭を下げ、銀貨を懐へと収める。
「分かればよろしいのです」
ふふんと胸を張る彼女は小さくも一端のギルド職員という風格を醸していた。
「失礼します」
一礼し、踵を返さんとしたが、足を止めた。
「つかぬ事を伺いますが──」
◇◆◇◆
「アチバセ……あれか」
アチバセ。アレクら三人の行きつけだという酒場をセイナさんが知っていて助かった。と言えば誤りではないが、若者が行きそうな酒場は其の一軒しか無いのだそうだ。小さな町で良かった。
戸を開ければ、カロンカロンと鐘が鳴り、客の入店を知らせた。
「らっしゃーせーい!」
元気の良い声に続け、反響するように「ッシャーセー!」「いらっしゃぃせー!」と方々から飛んできた。
視野を広げる。見知った顔は──無い。もう帰ってしまったろうか? 仕方のない事だ。其れなら其れで一人で食事を済まそう。
適当な空いている席に座る。
「ハァイ! お兄さん、見ない顔だね? ウチは雪鹿と根菜の煮込みが美味いよ!」
すかさずやって来た、いかにも肝っ玉の座っていそうな給仕の女性。偏見だが、美味いものを出しそうな雰囲気だ。
「……では、其方を。後、火酒はありますか?」
「火酒ね。地の物があるよ! ノスト・シュルフト」
「おいくらで?」
「シングル12カッパ。あ、煮込みは10カッパだよ」
中々にする。……が、今は報酬を貰ったばかりで懐が温かい。ランディーさんに言われた通り美味いものを飲み食いして心を落ち着けるのが良いだろう。
「……では、そちらも。ストレートで」
「はいよ。煮込みとノスト・シュルフトのストレートね」
給仕はキッチンへオーダーを通すのだった。
「ふぅ……」
机に頬杖をついて息を一つ。
「お待ちどう!」
文字通り、息をつく間に運ばれてきた。目を見張る提供スピードだ。
琥珀色の液体が満ちた小ぶりのグラスと、湯気の立つ大皿が目の前に置かれた。皿からは、肉と根菜がじっくりと煮込まれた濃厚な香りが立ち上っている。周囲の客達が美味そうに頬張るのも頷ける、此の店の看板料理なのだろう。
直前にギルドで胃液をぶちまけたばかりだ。常人であれば、白湯なり薄い粥でも啜って寝るのが正しい選択なのだろう。だが、己の肉体は其れを必要としていなかった。魔導強化人間である此の躰は、ちょっとやそっとの酒では酔い知らずなのだから。
己はまず、ウイスキー──ノスト・シュルフトのグラスを手に取り、喉へと一気に流し込んだ。喉を焼くような強烈な熱量と、煤けた薫りが鼻腔を抜けて胃へと落ちていく。
一杯如きでは視界は些かも揺らがず、思考は冷徹なまでに冴え渡ったままであった。
帝国と合衆国の魔導技術の粋を集めた此の肉体。毒素への絶対的な耐性を与えられた己の臓腑は、アルコールという微毒を摂取した端から強制的に分解してしまう。現実逃避に泥のように酔い痴れることすら、此の身体は許してくれないのだ。
「……もう一杯。同じものを」
空になったグラスを突き出すと、給仕の女性は「お、いける口だね!」と機嫌よく追加を注ぎにいった。
続けて、木匙で雪鹿肉の煮込みを掬い、口へと運ぶ。
(……味が、薄いな)
舌が痺れている訳ではない。塩気も、獣肉の脂のコクも、何となく感覚としては感知している。だが、まるで泥でも噛んでいるかのように、美味いという感情がまるきり湧き上がってこないのだ。喉を通り過ぎる其れは、只の熱を持った肉塊に過ぎない。
チェイサーの水と一緒に提供されたノスト・シュルフト。気遣いに感謝しながら、火酒で煮込みを流し込んだ。
(ウマい飯食って寝る、か……)
ランディーさんの言葉を思い出した。だが、ウマい飯はどうにもありつけなかった。ハズレの店だったのか、イニシラの飯が自分には合わないのか。アレクらに貰った干し肉も、思えば微妙だった。
(酒の味は……味は……味の覚えも余りないな)
アルコールと香りは感じられたが、どんな味だったろうか? 果実のような風味や、シロップのような甘味を感じたろうか? 美味かったろうか……?
如何にも、此の土地の物は口に合わないのかもしれない。
何とも言えない悲しさを覚えながら、会計をして店を後にするのだった。
◇◆◇◆
ギルドの宿へと戻り、一番奥の部屋に入って閂を下ろす。
「はぁ……」
どうにも疲れていた。過酷な塵界での行軍や、魔族との戦闘に比べれば──比べるべくもない程の些事。だというのに、己は疲弊──否、参っていた。
「どうしたものか……」
外套を壁に引っ掛け、服を脱ぎ散らしてベッドへ身を投げた。柔らかい。
当面の生活費は手に入った。セイナさんの言ったように、数日休んで過ごすことも頭を過るが、原隊復帰を急ぐべきだろう。合衆国へ──とは言わずとも、帝国軍に出頭して人類軍に合流させてもらう辺りが現実的なところか。
であれば比較的簡単だ。海を超えるための金は不要。馬車だ馬だと贅沢は言うまい。己の二本の足で歩いて行けば良い。食料も現地調達をすれば無料だ。
しかし、昼は何も考えずに十日も宿を取ってしまったな……。否、逆に考えよう。路銀を稼ぐ期間としよう。食料を買い込むなり、馬を買うなりの金にすれば良い。
明日は帝都アシュトン──レガーティアに名前が変わったのだったか、レガーティアまでの道を調べよう。地図はギルドにあるだろう。
やる事が見えれば、自然と希望が湧いてきた。
◇◆◇◆
「……!」
はっと目が覚めた。窓の外は未だ暗い。
寝覚めは最悪だ。何を夢見ていたかは分からない。夢を見ていた感覚はある。内容を思い出そうとするも、どんどんと輪郭が朧げになっていく。
夜明けは遠そうだ。眠気も強い。また、眠ろう。休み、英気を養うことも務め。
余裕のある二度寝に就く。
◇◆◇◆
目が覚めた。窓の外は未だ暗い。
またも、寝覚めは最悪だった。今度は夢を覚えている。部屋に大きめな羽虫が出て、どうのこうの──という、どうでも良い内容だった。だが、部屋というのは此処ではなかった。二年程前になるか──ゾティーク帝国軍に籍を置いていた間の居室だった。
変な夢だった。
再びの二度寝もとい、三度寝に就く。
…………。
が、眠気はあるというのに、どうにも上手く寝付けなかった。目を閉じて横になるだけでも、睡眠に近い休息効果が七割程あると聞いたことがある。其れを信じ、瞼を閉じて横になり続けた。
堪え性の無い己は、痺れを切らして意識的に深呼吸をする。筋弛緩法と言ったか。数年前に上官より教わったものを試す。
全身に力を入れ、身体の先から徐々に脱力していく。呼吸は努めて穏やかに。再び身体を強張らせ、脱力──此れを繰り返す。
段々と、気持ちが安らいでくる気がした。そう信じながら、闇の中で繰り返した。
◇◆◇◆
目が覚めた。窓を見やれば、今度は外が明るかった。太陽は北国らしい灰色の雲に隠れている。が、想定より明るくなってから目覚めたらしいことは直感できた。
「寝過ぎた……」
寝坊。と言えば寝坊だが、今の自分は自由の身。其れを咎める者も邪魔する事も何もない。
此れが自由か、と噛み締める。
身支度をして、部屋を出た。ギルド一階は賑わって──はいなかった。人は居るが、活気溢れるという程ではない。
壁時計を見やれば、九時過ぎ。疾うに稼業の始まっていた頃だ。良い気なものだ。
欠伸を噛みながら階段を下りれば、受付嬢──セイナさんと目が合った。
「おはようございますイェゴール様!」
「……どうも」
早くはない、という余計な思考がまともな挨拶を邪魔した。早くなくとも朝の挨拶はそういうものだろうと内心で反省をした。素直に「おはようございます」とさえ返せぬ己を恥じる。
裏にはランディーさん。と、もう二人。ランディーさんと比べ年若い──己とそう変わらなそうなのと、貫禄ある四十手前程と見える男性らであった。両人共ガッシリとしている。彼と同じギルドガードだろうか。
「お父様! 昨日言った方です」
お父様?
セイナさんは事務所の男性──年上の方だろうへ声をかける。
「よぉ、アンタだな。娘から聞いてるよ」
ぞろぞろと貫禄のある男性陣が三人出てきた。
「俺はギルドマスターのエドマンド・スタンスフェルド。娘のセイナとややこしいから、エドマンドって呼ばせてんだ」
「はじめまして。イェゴール・マシラウです。昨日は娘さんにお世話になりました」
今度は問題なく挨拶を発せられた。当然と言えば当然か。
「腕は立つんだか立たないんだか……どうも曖昧らしいな。ま、頑張っちくり」
「僕はギルドガードのジャスティン。新人のギルドガードだ」
ジャスティンさんは爽やかな笑顔で握手を求めてきたので、応じた。
「イェゴール・マシラウです。新人の冒険者です」
「──! 随分貫禄あるね。元々冒険者やってた人?」
己の手に触れて何を感じ取ったのか、彼の笑顔は消え、神妙な面持ちで聞いてきた。
「いいえ。軍属です」
「へぇ……それ、軍服かい?」
「はい」
チャコールグレーの外套。徽章の類は無い。己は──我々は、居ない事となるはずの存在だからだ。だが、彼の視線は徽章の有無ではなく生地其のものに釘付けになっていた。
「……ふぅん、軍服にしては妙だね。仕立ては信じられないくらい上等だ。こんな高密度で織られた繊維のコートなんて、宮廷魔導師の特注品でもそうそう見ないんじゃないかな。なのに、デザインは実用一点張りで泥臭い。どこの国の規格だ?」
ジャスティンさんだけでなく、後ろで腕を組んでいたギルドマスターのエドマンドさんも鋭い眼光を己の外套へと向けていた。更にはランディーさんとセイナさんまでもが彼の言葉に不思議がり、視線が集中していた。元上級冒険者達の鑑識眼は伊達ではないらしい。国章や階級章が無かったところで、帝国と合衆国の最高技術が詰まった塵界適応型防護外套の質までは隠し切れなかったらしい。
「諸事情により、所属についてはお答えできません。……訳ありの流人という事で、此処は一つ何卒……」
己がそう言って言葉を濁せば、彼は「分かったよ」と苦笑し、追求はしないでくれた。が、彼らの視線は己の腰の得物にあった。興味津々というのは、ひしひしと感じる。
「済みませんが、地図はありますか? なるべく広域のが見たいのですが」
話を逸らしたいの半分、元々の目的半分。
「ありますよぉ」
セイナさんはゾティーク地図を広げて見せてくれた。
「イニシラは……」
「ここですね」
指示されたのは北のはずれ。成程、確かに辺境と彼らが言っていたのも頷ける。
「レガーティアまでは何日程で行けるでしょうか?」
「レガーティアですか。乗合馬車でも三ヶ月か……早くても二か月はかかりますよ? あ! でも最近通った魔導列車なら……まぁ一般人は乗れないので、現実的な手段じゃないですね」
マドウレッシャ……知らない言葉だ。が、現実的でない手段だと言うのなら考える必要もない。
「3500キルクといったところですか」
地図の縮尺から大まかな距離の計算をした。
(……歩けるな)
「帝都に用事でもあるのか?」
「ええ。少々──。未だ、此の土地の物価感に不慣れなものでお尋ねするのですが、三ヶ月分の路銀は如何程必要でしょうか?」
「三ヶ月分かぁ。まず馬で40シルバは見ておくべきとして、宿代に50シルバ見ておく、食費と雑費で25シルバ……。緊急用の予備に15シルバくらいはあった方が良いだろうから130シルバってところかな。どれだけ切り詰めても1ゴルドは欲しいよ」
「然様ですか……」
馬は不要だ。日に約40から50キルク歩けば良い。宿も同様、野営をすれば無料だ。予備資金を含めた40シルバは欲しいというところか。此れなら数日で稼げるだろう。
現実が見えてきた──。




