第5話 初任務
早速、カウンターで冒険者登録の手続きをした。
「野盗に襲われて路銀を盗られてしまったとは災難でしたね……」
「はい」
身分について疑われることを心配したが、杞憂に終わった。2シルバ支払い、冒険者として登録をしたい旨を伝える。帳簿へ記名をする。其れだけであった。
「ですが、シルバフォックスを難なく討伐してしまう程の腕。また稼いで、直ぐに旅を再開できると良いですね!」
「ええ」
受付嬢──セイナさんは随分と親身になってくれた。が、嘘を吐いている手前、居心地は悪かった。かと言って、また「塵界から来た」と言えば話がややこしくなり、最悪の場合身分が剥奪されてしまう恐れがあるので黙っていた。
「それにしても、お高そうなコートに……武器は盗られなかったのですね」
「え、ええ。せめてもの温情だったのでしょう」
適当に話を合わせて相槌を打ちながら、ちらりと視線をカウンター奥へと向けた。
バチンバチンと金属音がする。ギルドカード──身分証を作ってくれているのだ。銘を金属板に刻んだものがギルドカードになる。此れがあれば、最悪手持ちの金が無くともツケで生活ができるらしい。当然、其のツケは四半期に一度ギルド経由で取り立てられるので逃げられはしないが、最悪最悪慌てて仕事をすれば百日程遊んで暮らすことも理論上は可能と言えば可能という訳だ。小心者の自分にそんな暮らしは出来ないのだが。
視線に気が付いたのか、作業をする男性と目が合った。歳は二十代半ばくらいといったところだろうか? 事務仕事の割には、なかなかに体格が良い。ああいう人間を見かけたら軍に勧誘するように言われたことをふと思い出した。
「出来たぞ」
ぬるりと現れた彼は、金属板を手渡してくれた。
「紹介します。ギルドガードのランディーさんです」
「ランドルフだ。ランディーって呼んでくれ」
手短に名乗ると、彼は拳をヌッと突き出してきた。
「……」
何だ?
「おいおい、こうだよこう。ほれ、ターッチ!」
ランディーさんはセイナさんと拳をぶつけ合って見せてくれた。
「た、たーち」
見様見真似で、彼に拳を向ければ、嬉しそうな顔でコツとぶつけた。
「良いねぇ! 頑張れよルーキー!」
「ランディーさんは元B級冒険者さんです」
(F、E、D、C、B……此れは凄い)
「家庭を持っちまったからな。危ないのはやめて、っつーワケよ」
経歴の割には飾らず気さくな調子だ。
「ちなみに、私の先輩で同じくギルドの受付をしている方が奥様です。その内お会いになると思いますよ」
「エレノアってんだ。美人なんだゼ? テメ、手ェ出したらタダじゃおかねぇからな?」
「ええ」
「俺のエレノアが魅力的じゃねぇって言いてェのか!?」
突然豹変して凄んできた。如何しろと言うんだ此の人は。
「後、宿が借りられると聞いたのですが」
彼のことは無視することにした。こういった手合いは放っておくのが得策だ。
「はい。上階に六部屋個室がございます」
彼女も慣れた様子で彼のことは無視していた。やはり正解だったらしい。
「数日分、まとめて借りたいのですが」
「十泊十一日で、通常6シルバのところ5シルバ50カッパになるプランがありますが、ご利用になりますか?」
「おお……」
先程試算して軽く心積もりはしていたが、思わず声が出てしまった。想像していた相場観に違いはなかったのだが、いざ数字にされるとどうしても大金に思えた。己が戦地に居る間にハイパーインフレーションが起きたのか、ゾティーク帝国とはそういう国なのか……どちらでも嫌だ。
「では、其れでお願い申し上げる」
「? かしこまりました。階段上がって一番奥のお部屋になります」
代金を支払い、鍵を受け取った。
◇◆◇◆
渡された鉄の鍵を差し込み回せば、カチリと小気味よい音がして扉が開いた。中に入り、まずは扉を閉めて閂を下ろす。
そして、ベッドに腰を下ろすより先に無意識の内に窓を覗いていた。
(此の小窓からの侵入は、小柄な女性くらいしか適わぬだろうが……)
そう考えながら、窓のある側の壁をコツコツと叩いた。己なら容易に蹴破れる──そう、確信する。いざとなれば脱出は出来る。此の高さなら着地も問題無い。が、同時に不安が押し寄せる。敵手が壁を蹴破って来るのではないか──? 否、此処はBランク冒険者様が護衛に就くギルド。襲う奴は馬鹿である。
続け、耳を欹てる。隣室からの物音や、下階からの会話は聞こえない。防音性もまずまずといったところか。
「くぁっ……」
そうしてようやく、欠伸を一噛みし、ぐっと伸びをした。
(此処をしばらくの根城とする──!)
強く思った。そう思うことで、安らぎの地と思える気がした。思えば、随分と久し振りに、屋根あり壁あり寝床ありの三拍子揃った「部屋」というもので休む気がする。
塵界への侵攻をしたのが三週間前──そう思うと言う程久々でもないか。
気のせいであった。が、身の危険がない場所で休めることのありがたみを噛み締めているのはまた事実。土魔法で作った壕や防壁の中で、交代で番をしながら休眠を取ることを思えば、此処は楽園である。
窓の外を見やる。空は灰色。陽の位置は分からない。が、もう一、二時間で日没だろうことは窺えた。
「先に手入れをするか……」
一人、モソりと呟く。誰に向かってかと言えば、得物に対して言っていたのかもしれない。己は腰に差した試製型・89式魔導軍刀【コンスタラシオン】を抜く。僅かな部屋の明かりの中、刃を透かし見る。当然と言えば当然ながら、刃こぼれは無い。あってはならない。だが、手入れを怠ってもならない。
「……!」
魔力を込める。全身の魔力回路を意識し、握る柄へと巡らせていく感覚。
「ふぅ……」
再び、刃を窓からの明かりに透かし、眺める。満足のいく出来栄えであったため、鞘へ納めた。
魔導軍刀──最初は戸惑ったものだが、慣れれば便利な物である。鉄と銀と魔石とを練り合わせ鍛造した特殊な合金で造られた此の刀身──其れも各員の体格と戦技に併せた一点物は、魔力操作のみで研磨が可能で刃こぼれが起きようとも魔力で再生させることができる。帝国と合衆国の技術──人類の英知の結晶。感心するばかり。……祖国ゼムリヤ公国は関与していないことについては何とも言えない気持ちになる。
(ゼムリヤ……家族は無事だろうか?)
考えたとて仕方のない事だと頭では分かっていながらも、ふと故郷を思い出してしまう。──が、軍属として先ずすべきは生存報告ではないかと思考が上書きされた。が、海を越えるための金が無い。港へ行くまでの金も無い。此処が何処かも分からない。何をするにもナイナイ尽くしである。
(先立つものはやはり金か……)
故郷の村を出て軍人となって以後、心配したことの無かった金の事で頭を悩ますことになろうとは思ってもみなかった。冒険者も大変だ。仕方がないので、明日から受ける任務の下見のため、己は一階へと下りるのだった。
◇◆◇◆
ロビーへと戻り、クエストボードを眺める。
(F……F……。成程。雪掻きに、ペット捜索。書庫の整理雑用。お、薬草採集。獣の狩猟。冒険者らしい物も一応あるのだな)
冒険者──文字通り町の外やダンジョンだとかを冒険して、何かを取って来るだとか討伐だとかばかりを考えていたが、便利屋に近いのかもしれない。
(否、Eでも良いのか……。E、F。E、F……)
属する階級の、一つ上の依頼──FランクであればEまで、BランクであればAの依頼までを受けることが出来る仕組みだと説明されたことを思い出す。
Eには、先刻自分も会敵したシルバフォックスの討伐任務があった。実入りは比較的悪くない。たった数匹で十日分の宿代にはなるのだ。
(此れは悪くないやも知れん……!)
己が手に取ったのは、ディグ・ボアの駆除依頼。町はずれの薪備蓄倉庫近くでディグ・ボアという頑強な牙獣が巣食ったらしい。夜行性で、陽が暮れる頃によく目撃されるそうだ。しかし、薪備蓄倉庫である都合、炎魔法等の使用は禁じられている。故に受ける人間が居らず、余っていたのであろう。
「あれ~ぇ? イェゴール様、もう次のお仕事探しですか?」
横から話しかけてきたのは受付嬢のセイナさんであった。
「ええ。宿代で懐が寂しくなったので」
苦笑を返す。
「3シルバも手持ちがあれば、大抵の人は数日遊んでからまた仕事しますけどね? こんな時期ですし。温かくなるまではツケで生活する人も多いんですよ」
「気が小さいもので。ところで、薪備蓄倉庫というのは近いですか?」
「はい。ここから2.5キルク程。迷わなければ歩いて小一時間ですね」
「此れ、今から受けられますか?」
「え!? あぁ、ディグ・ボアの件ですか。まぁ、はい……。お受け頂けますよ? けど、お仲間はどうするんです? ガスコインくん達を?」
彼らはきっともう酒宴でもしているだろう。頼るべくもない。
「一人です」
頼れるツテも無い。
「えぇ~……危ないですよ?」
「百も承知です」
「もし諦めるとなったら契約金は返却されませんけど大丈夫ですか?」
「構いません」
「……ご理解の上でしたら、私はこれ以上口出しできませんね……」
何も言うまい、痛い目でも見て現実を理解すると良い──言外に彼女は言っていると見えた。
◇◆◇◆
セイナさんの手製の地図を貰い、ギルドを出た。
(2.5キルクか……)
何とはなしに、走りたい気持ちにあった。否──正確には、足を止めたくなかったのだ。歩く程度の緩やかな思考の余裕があれば、先程脳裏を過ぎったゼムリヤの家族のこと、無いもの尽くしの己の現状、そして塵界の泥と血の記憶が、濁流となって押し寄せてくるのが分かっていた。
脳を黙らせるには、肉体を酷使するに限る。
己は深く息を吸い込むと、雪の残る道を蹴り出した。
──が、ギルドで借りた荷車があまりに跳ね暴れて衆目を集めてしまったので、数十ルクで止めることにした。けれど、早足で往けば半刻程で其れらしい倉庫に到着した。
(陽は落ちかけているな──)
暗闇とまでは言わないが、木々に囲まれた此処は既に人が万全で野獣と戦闘の出来る環境ではなかった。通常であれば、篝火の一つでも欲しいところだろう。しかし、火気厳禁。重ねてしかし、己には不要であった。
何故なら──我が身は既に只人に非ず。
──視得る。──辿れる。──嗅ぎ分けられる。
己は虚しく闇に生きる者。
狡猾邪悪な魔の物を──狩り尽くすべく生み出された兵器也。
一呼吸、一足一刀。其れで充分。
世界を置き去りにする。影と跳び、空間を横一文字の絶佳が駆け抜けた。血飛沫が上がり、遅れて音が訪れる。
──飆。
更に一拍遅れて、斬られた事に気付いたかのように獣が三匹、地に沈むのであった。
◇◆◇◆
「只今戻りました」
太陽が沈み切って少しした頃に、己はギルドへと帰り着いた。三匹の大柄な猪豚を荷車に積み込む作業が一番骨が折れた。バランス良く乗せるのに苦労させられた。
「え!? 本当にこの短時間で討伐して来たんですかァ!?」
「頂いた地図のおかげです」
「ほぉう、思った通りやるねぇオタク!」
暇そうにしていたランディーさんが手を貸してくれた。ギルドガードが一介の低級冒険者に手を貸しても良いのかと少し驚いた。が、彼に楯突く者は誰も居なかった。
「三匹も居たんですね」
「綺麗に首だけ落としたな。こりゃスゲェ。毛皮のこの傷は……アンタが付けたもんじゃないな? ナルホドナルホド。こいつぁウィンドバリオスに森を追われて町近くまで来ていたってとこか? それ以外は戦闘傷無し──牙もほぼ無傷ときたもんだ」
ざっと眺めて、ランディーさんは亡骸から情報を探る。
「へぇ? アンタ何者だ?」
査定を終えた彼は苦笑しながら問うた。
「野盗に襲われた哀れな流人です」
「ルニンね……そりゃまた何の罪で?」
乗って来るとは考えていなかった。
「…………罪」
言葉に詰まる。──己の、罪。
其の言葉が耳の奥で爆縮を起こしたかのように鋭く弾けた。視界が、ぐにゃりと歪む。
(仲間を、死なせた。否、殺した。己を庇い、盾となって、肉片に変わった。あの頑強な同胞達)
ギルドの温かな橙色の灯りが一瞬で色褪せ、脳裏に広がったのは、あの泥と過剰な魔力に塗れた、地獄の如き塵界の光景だった。
(ルルチェ──ルルチェ・ベルナドット。愛した彼女を守ってやれなかった)
そして、己だけが生きている。仲間も、彼女も、全てをあの地獄に置き去りにして。戦火の届かぬ、灰色の空が広がる、こんな温かな楽園に、一人だけ、のうのうと──。
──生き残ってしまった。
他ならぬ己自身が己に下した、終身の流刑。きっと、其れが今なのだろう。ふと気付く。気付いてしまった。
ドクン、と心臓が爆ぜるような錯覚。視界が急速に狭窄していく。煤煙の臭いと、肉の焦げる悍ましい記憶が、ディグ・ボアの死臭を媒介にして鼻腔へと逆流してきた。
只人を遥かに凌駕するはずの、強靭に造り替えられた魔導の肉体。其れが、内側から生じた強烈な拒絶反応によって、激しく軋み悲鳴を上げた。
ゆらり、平衡感覚を失していくのを自覚する。
「──・────!?」
ランディーさんの怪訝そうな声が、まるで遠く仄暗い水底から響くかのように歪んで聞こえる。応えようと口を開いた瞬間、喉の奥から熱い塊が迫り上がってきた。
「ガ、ッ……」
咄嗟に口元を手の甲で覆う。だが、堰き止められるような生易しい衝撃ではなかった。胃が雑巾のように雑に固く絞られる。
「ゴホッ、ウ、プ……ッ! ェ!」
たまらず其の場に膝を着き、床へ向かって胃液をぶちまけた。幸か不幸か、今朝の干し肉以降、まともな食事を摂っていなかったため、出たのは酸鼻を極める胃酸と濁った胆汁だけだ。其れらが激しく床を汚す。ゴボゴボと、内臓を吐き出すかのような嘔吐が止まらない。涙と鼻水で視界がぐちゃぐちゃに滲む。呼吸の仕方が分からなくなったように、肺が引き攣れて冷たい空気を必死に求めた。
だというのに、「嗚呼、此れを掃除するのはセイナさんやランディーさんなんだろうな」なんて、まるで他人事のように第三者視点から己を眺めている己がいる。其の事実も薄ら寒く、此の状況を悪化させる。
「イェゴール様!?」
「クソっ、おい! しっかりしろ!」
セイナさんの悲鳴のような鋭い声と、ランディーさんの慌てた足音が耳朶を震わす。
背中に大きな、しかし酷く優しい手が添えられた。さすられ、叩かれる。ひたすらに戸惑いと案じが混ざった手だ。
「おいセイナ、水だ! 後、誰でもいい! あぁ~……お前! いや、あんた! そこの棚。そう! その下! そっからボロ布持っきてくれ!」
「は、はいっ!」
嗚呼、頭が割れるように痛む。己は泥の海に這いつくばりながら、只々、止まらぬ震えを押し殺そうと──冷え切った己の腕を強く、強く、肉が千切れんばかりに掴むことしか出来なかった。




