第3話 凄絶
吹雪の止んだイニシラへの復路──。
「俺が代わるよ」
休憩を終えてアレクはイェゴールへ言った。
「……未だ、己は……」
しかし、彼の予想通り仏頂面は荷車を引く役を代わろうとしなかった。
「でも、ほら……疲れてるだろうし」
「いっこうに……」
疲れた様子は確かになかった。どちらかと言えば、只雪道を歩いているだけの自分の方が疲れていたかもとさえアレクは思った。けれど、彼にばかり負担を押し付けるのは申し訳ないと思ったのもまた事実。
「……。──否、頼む」
数秒悩んだ後、根負けしたようにイェゴールは荷車から離れた。
「ああ」
次の休憩では、トビーが同じように荷車を引く役目を買って出た。その次には、またイェゴールが荷車を引いた。
アレクはイェゴールのことが分からずにいた。当然と言えば当然だ。自称塵界から来た男。出会ったばかりで、素性が分からない。
骨格の逞しさや肌の張りに目を凝らせば、実のところ、自分達とそこまで変わらない──少し上だろうか? 二十歳前後の若者のはずと見えた。しかし、彼の醸す空気はあまりに老け込み、煤けている。
彫りの深い目元には、深く黒い隈が刻み込まれていた。感情の起伏が削ぎ落とされたその顔貌からは、何を考えているのか、今どんな気分なのかすら一切読み取れない。
只の寝不足や疲労とは違う。何かに魂をじりじりと炙られ、若さという肉体の輝きを内側から丸ごと摩耗させてしまったかのような、実年齢を狂わせる不気味な静けさがあった。
立派な外套と腰に差した長剣──それに見劣りしない偉丈夫は、自分達のような駆け出し冒険者とつるむには余りに不釣合に思えた。
(何者だろう──。きっと、ルカもトビーも疑問に思っているはずだけど)
彼の前で口にすることは何とは無しに憚られた。
◇◆◇◆
「はい、イェゴールの分」
「良いのか……?」
ルカが干し肉を手渡すと、イェゴールはとても申し訳なさそうに言う。
「もちろん」
「済まぬ……」
確かに、彼らの稼ぎで用意できる食料は特別美味しい物ではなかった。それにしても、そんなにも空虚な面持ちで口にする程不味い物でもないはずだ。何ならトビーはこの干し肉が好物ですらある。
だというのに、男は砂でも喰むように、肉を齧るのだった。
◇◆◇◆
帰り道は、依然として何事も起こらなかった。
「燻製を作って、お肉を休ませてたらパムが半分くらい食べちゃったの。それでね、お父さんたら何て言ったと思う? 『味見は済んだな!』って」
父親の真似をして、声を低くするルカ。
「アッハッハ!! そりゃ傑作だ!」
隣を歩きながら、アレクは笑った。往路は任務をこなせるかという不安から、こうした談笑をする余裕も無かったが、今は違う。戦果を上げ、誰も怪我を負っていない晴れやかな心持ち。
成人して少しした今、自分も彼女と笑い合える家庭が持てたらな……なんて淡い感情さえアレクは抱くのだった。
そんな折、魁のトビーの手信号を二人は認めた。停止の合図だった。
お喋りは中断。
「囲まれてる!」
トビーの声でパーティに緊張が走る。
「作戦は……」
イェゴールがぼそりと言いかけたが、アレクは慌てて剣を抜いてトビーに駆け寄る。
「種類と数は!?」
「シルバフォックス! 今、木の陰に隠れるのを見た。八匹くらい……だと思う。追加報酬稼ごうぜ! オレ達なら出来るって!」
トビーは息を弾ませている。彼が挑戦したがっていたシルバフォックス──Eランク相当の獲物。
「……」
冒険者は、認定されているランクの一つ上の等級──彼らFランクであればEランクの任務までは受けることが出来る。シルバフォックス討伐任務は当然受注をする事が出来る。
しがらみがあるとすれば、アレクの自信の無さ──勇気が出ずにいた。ルカとトビーを無事に帰す事が出来るだろうか?
「どっち道、荷車置いてかないと逃げられもしないんだ!」
もう、すぐそこまで来ているのだろう。おめおめと、収穫物を捨てて逃げ帰るか、勇気を出して立ち向かうか──。
「……分かった!」
Eランク相当の敵。今の自分達で挑めないわけではない。
「やろう!」
このフリーハントを無事に乗り越えれば、これまで尻込みしていたEランク任務を受ける自信になる。そうアレクは己に発破をかけた。
「ルカは援護!」
「うん!」
「イェゴール、荷車を守ってくれるか?」
(三人じゃない。今日はイェゴールが居る──!)
一人頭二匹なら、何とかなるとアレクには思えた。──しかし、イェゴールは精神的保険。三人でこの壁を乗り越えたい、そう考えた。
「承知」
イェゴールは瞑目した。
キシャア──!!
アレクらの臨戦態勢に煽られた様に、シルバフォックスが一斉に飛び掛かった。
空中の一匹をトビーの矢が射抜く。
「よしっ!」
立て続けに放たれた二射目は標的の脇をすり抜け、寒々しい幹を射止めるに終わった。
「げ!」
魔氷を纏い、シルバフォックスはトビー目掛け躍り出る。
「インヴォーク・ソイル!」
ルカがすかさずロッドを掲げ、放たれる石礫が宙を舞う。しかし、野生の魔獣は侮れなかった。氷を帯びた強靭な鞭尾が一閃されると、硬い石片はあっさりと粉々に砕け散ってしまった。
「ウォワァァアア!!」
アレクは喉が裂けんばかりの絶叫と共に大きく踏み込み、がむしゃらに剣を振り下ろした。刃が獣の纏う魔氷ごと肉を叩き割り、泥混じりの雪へと切り伏せる。一匹。何とか倒した。だが、息が激しく乱れる。連携とは名ばかりの、只お互いの失敗を必死に泥縄で補い合うだけの泥仕合だった。
「インヴォーク・ファイア!」
後方から聞こえたルカの叫びと共に、赤々とした火球が射出される。しかし獲物を捉える前に、シルバフォックスが瞬時に作り出した分厚い雪壁に阻まれて霧散した。
じゅう、と不快な水蒸気が立ち込め、視界が白く濁る。それを割って、今度は三匹の獣が同時にルカ目掛けて氷の礫を撒き散らした。
「ギッ──!」
鋭い氷刃が彼女の頬と腕を掠め、赤い筋を作る。ルカは短い悲鳴を上げてよろめき、そのまま尻餅をついた。
「ルカ!」
アレクは叫ぶ。だが、自身の前にも二匹のシルバフォックスが牙を剥いて立ち塞がっており、助けには動けない。
トビーは腕をシルバフォックスに噛まれて弓を引けずにいる。
完全に手詰まりだった。
ルカを狙う三匹が、獲物を仕留めんと同時に跳躍する。
(ルカが、やられる──死ぬ)
アレクの脳裏に最悪の結末が過った、その瞬間だった。
世界の動きが、奇妙に引き伸ばされたように感じられた。
ボッ──! という、大気が爆発したかのような重低音。次の瞬間、三人の視界から色が消え失せた。
ルカに飛び掛かっていたはずの三匹のシルバフォックス。その身体が何の予兆もなく、空中で綺麗に真二つに分断された。文字通り、一瞬だった。刃が走る金属音すら遅れて聞こえる程の神速。分断された肉塊が雪の上にドサリと落ち、鮮血が白銀を汚していく。
何が起きたのかを脳が処理するよりも早く、アレクの視界が強制的に真白色に染まった。
「ぐぇ──」
後頭部に、鉄の塊めいた凄まじい質量を感じた刹那、そのまま雪の中へと力任せに押し込まれたのだ。
冷たい雪が顔中にへばりつき、息が詰まる。その直上で、鼓膜を震わす獰猛な風切り音が通り抜けた。
ぼとりぼとり、と頭の横に何かが落ちて散らばる音がした。頭に添えられたそれが消えていたことを感じ、彼が顔を上げれば両断された獣が転がっていた。アレクを追い詰めていたシルバフォックスであった。
(まさか、イェゴールが……?)
そう考えるよりも速く、彼の姿はトビーの傍に移っていた。信じられない身のこなし──一足、イェゴールは地を削るように踏み込み、トビーの腕に喰らい付いている最後の一匹の首根っこを掴み取った。
ビシリ、と無理矢理にトビーの腕から引き千切れば、まるで邪魔な小石でも放るかのように無造作に、そのまま崖の底へと放り捨てたのだ。
「ツぅ……た、助かったよ……」
噛まれた腕を抑え、脂汗を流しながらトビーが掠れた声を漏らす。
だが、イェゴールは振り返りもしない。静かにトビーへ背を向けたまま、刀の鋒を暗い森の奥へと向けた。
(シルバフォックスはまだ居る……!?)
彼の行動から、アレクらもようやく気付いて視線を森へやった。
イェゴールは直立したまま、彼らが知る魔術のランゲージを発することもなく、只その身から圧倒的に冷たい魔力を放出した。
彼の周囲の空気が一瞬にして凍りつき、鋭利な二本の氷柱が形成される。次瞬、ヒュッ──! と空気を切り裂く短い音と共に射出された氷柱は、木陰に隠れて毛を逆立たせていたシルバフォックスを、狂いなく正確に射抜いていた。
「え……!?」
「なっ!?」
「嘘!?」
呆然とした声を上げたのは、誰だったか。彼らが命懸けで戦っていた魔獣の群れが、ほんの数秒の間に、只の一匹も残さず全滅していた。
──それも、無傷の男一人によって。
「状況終了!」
イェゴールが声を張り、安全を伝えた。昨日彼と出会ってから、一番大きな声であった。
「状況終了」──つまり、危険は取り除かれたということだろう。ぴょう! と風切音が一つ──目にも止まらぬ速さで彼の手にする鋼は鞘の口へ滑り込んでいた。その一連の動作はどれ一つとっても、まるで儀式のように洗練されており、無駄が一切なく流麗であった。長剣が鞘に収まる「カチリ」という静かな音が、やけに大きく雪原に響いた。
「あ、ありがとう……。イェゴール……さん……」
「あんた一体……」
「今の……」
アレクは雪にまみれた顔を擦り、眼前の大男を見上げた。抱いたのは、畏怖。──彼と話し、食事を共にし、くたびれた迷い人だと思った印象は、再び昨日の出会いで感じた恐れと同じもので塗り替えられていた。
今、目の前に立っているのは──戦場という名の地獄からそのまま這い出てきたかのような、冷徹極まりない戦術兵器──そう抱かずにはいられなかった。
「傷の手当を──」
イェゴールの低く平坦な声に、アレク達はハッと我に返った。
「インヴォーク・ヒール」
ルカが震える声で杖を掲げる。淡い光がトビーの腕を包み、傷口が塞がっていく。だが、肉の深い欠損までは戻りきらないのか、トビーは未だに痛みに顔を歪めていた。
「痛ぅ……ありがとな。ルカ」
「トビー。いいか?」
「え?」
不意に、イェゴールがトビーに近づき、血に濡れた手を、そっと彼の負傷した腕に翳した。トビーの身体が恐怖でびくりと強張る。
「烏の嘴。半魔の子。たとえ秩序を乱そうとも──汝の祈が和を齎す。ベゾンダレハイルン」
男の口から、聞いたこともない奇妙な言葉の列──呪文が紡がれた。それは、「インヴォーク」と唱え呼び出す現代の魔法とは異なる法術。まるで、御伽噺に語られる古代の魔法使いのようだった。
「潰れた腸も再生する術だ。骨は言うまでもない。未だ痛むか?」
イェゴールは低く問いかけた。
だが、その圧倒的な奇跡を目の当たりにしたアレク達の心に湧き上がったのは、純粋な感謝だけではなかった。
「!? ……痛くない。痛くない! ありがとうイェゴール! さん!!」
トビーの表情が明るくなる。しかし、その目は明らかに泳いでいた。イェゴールから出来れば距離を置きたい──という様を滲ませ、半歩、また半歩と後退りしていた。
ルカは言葉を失い、イェゴールと、トビーの完治した腕を交互に見つめながら、ごくりと唾を飲み込んだ。
アレクもまた、剣の柄を握る手が、じんわりと嫌な汗で湿っていくのを感じていた。
──この男は何者だ?
自分達を助けてくれた恩人であることは間違いない。しかし、その実力は、自分達のような駆け出しはおろか、町のギルドで幅を利かせている上級冒険者すら遥かに凌駕しているだろう。
そんな傑物が、何故「一飯の恩」などという安っぽい理由で、荷車を黙々と引いていたのだろうか。
きっと彼の脚力や体力なら、三人を置き去りにして荷を掻っ攫うことも容易だったろう。
逃げずとも、三人纏めて膾斬りにして、食料や身包みを奪うこともまた然り。
だというのに──。彼は荷車を狙う脅威を指示通りに退け、剰え三人の危機を救った。
(わからない──)
分からない。解らない。判らない。そう──、わからない事が怖かった。
「向こう──向こうの、最後に仕留めたやつを回収してきてくれるか……?」
「アレク……」
彼は少しでもイェゴールを側から遠ざけたいと本能的に考えたのだろう。ルカの表情を見て、自分がなんて失礼なことを言ったのだろうと後悔した。だが──。
「嗚呼」
彼は嫌な顔一つせず、木立へ一人歩いて行った。
「トビー、袋あるよな?」
アレクの語気は強かった。
「え? お、おう!」
初めてのシルバフォックス──自分達の戦果は二匹。それ以外も麻袋へと詰めた。それ以外──件の彼が仕留めた死骸は、アレクが叩き切ったそれと同じ、生理的な嫌悪を抱いて当然なはずの魔獣の亡骸──だというのに、芸術性すら感じる程に綺麗な切口をしていた。




