第2話 気付き
「まだ日は出てないけど、出発しようか」
吹雪の止んだ未明、アレクはトビーを起こして言った。
「足止め食らっちまったもんな」
昨日の吹雪による帰路の遅れを取り戻すためだ。戦利品──雪鹿と白兎の鮮度については、此の極寒故に心配には及ばないだろうが。
「お父さん心配してるかも……」
「心配かけないために、早く出るんだろ?」
ルカを励ますようにアレクが言う。
「荷を引くのは己に任せてくれ。一飯の礼と思ってくれて良い」
「! ……、疲れたら遠慮しないで言ってくれよな?」
「オメ、寝てないんだからな?」
コクコクとルカも頷いていた。己より年若いというのに、心根の優しい人達だと素直に感心した。
「嗚呼」
◇◆◇◆
東──だろう、山の頂上から薄く明らんでくる中、先導するルカの灯火を頼りに行進した。
(慎重なのは佳いことだ──)
凡そ半刻おきの休憩も徹底されていた。ブーツを脱いで、足を揉む。伸びをする。給水する。地元の狩り場で慣れていようとも、油断なく初心を忘れていない様子。流石は上級の冒険者。
己は平気だと言ったのにも関わらず、荷車の番さえ交代を申し出てくれた。彼らとて雪道で疲れているだろうに。
五度目の休憩で朝食を摂った。其の頃には、ルカの灯りも不要となっていた。もう二、三刻歩けば無事に町に辿り着けるとの話だった。
彼らは嫌な顔一つせず、またも食料を分けてくれた。一飯の礼どころか、二飯も与ってしまった。町に着いたら仕事を探し、せめて食料代だけでも返さねば──そう思った。
◇◆◇◆
「……」
「それでね、お父さんたら何て言ったと思う──?」
「アッハッハ!! そりゃ傑作だ!」
「…………」
殿を務めるアレクとルカは何やら談笑をしている。よもや、気付いていないのか? 己が数分前に察知した異変──獣の群れに囲まれているというに、彼らは呑気に笑い合っている。緊張感が見られない。斥候のトビーはと言えば、鼻歌混じりに弓の張りを確認しながら歩いていた。彼は流石に気付いている様子……だが、即応態勢という風ではなかった。
有り体に言えば、皆隙だらけ。だが──、己が感じ取っているのは、僅かながら魔力を持った動物の気配。魔獣は頭が良い。下手に戦意を見せれば、却って奴らを刺激すると考えているのだろう。
そう考えた矢先、トビーが停止の手信号を掲げた。
「囲まれてる!」
(!?)
己には理解が出来なかった。トビーが突然に──今更な事を口にした。
「作戦は……」
己が「作戦はどうした?」と言いかけたのを遮るように、アレクが慌てて剣を抜いて駆け寄ってきた。
「種類と数は!?」
陣形は良いのか? とも考えたが、詠唱破棄魔術を扱える彼女に後方は任せるということだろう。
「シルバフォックス! 今、木の陰に隠れるのを見た。八匹くらい……だと思う」
くらいだと思うとは何だ?
「追加報酬稼ごうぜ! オレ達なら出来るって!」
総数は十だ。本当に彼我の戦力差を勘定出来ているのか? 否、上級冒険者に斯様な事を訊ねるのは失礼だろう。
「……」
「どっち道、荷車置いてかないと逃げられもしないんだ!」
「……分かった! やろう! ルカは援護!」
「うん!」
きゅっと、杖を握りしめている。気合は十分といった様子。
「イェゴール、荷車を守ってくれるか?」
「承知」
手出しはするな、といった色が乗っているように感じられた。
彼らの臨戦態勢に煽られた様に、シルバフォックスが一斉に飛び掛かってきた。宙空の獲物に狙いを定め、トビーの矢が放たれる。
「よしっ!」
上がる歓喜の声──集中の糸が途切れたのだろう、立て続けに二匹目を捉えんとするが二射目は木を射止めるに終わる。
「げ!」
魔氷を牙に迸らせながら、トビー目掛けて飛び付く。
「インヴォーク・ソイル!」
ルカの杖先から石礫がばら撒かれた。しかし、魔獣は氷を纏わせた鞭尾でもって石片を砕く。
「ウォワァァアア!!」
絶叫と共にアレクが大きく踏み込む。振り下ろされる刃が氷ごと砕き、切り伏せる。
──連携、と呼べば連携かもしれない。が、偶然噛み合っただけのように見て取れた。本当に上級冒険者の戦い方か?
「インヴォーク・ファイア!」
火球が飛ぶも、心許ない軌道で射出された其れは獲物を捉える前に、シルバフォックスが作り出した雪壁に阻まれた。巻き上がる水蒸気を割って、三匹が一斉にルカ目掛け氷の礫を撒き散らす。
「ギッ──!」
氷刃が頬と腕を掠める。ルカが短い悲鳴を上げてよろめき、其の場に尻餅をついた。
「ルカ!」
アレクが叫ぶが、彼もまた自身の対面にいる二匹の猛攻を捌くので手一杯だった。
己は、荷の白兎を狙い飛び掛かる魔獣を一太刀に切り捨てる。
(なんと脆く儚い──)
手に伝わる感触から、そう抱いた。驕りではなく、経験から覚えるは、此の獣の弱さ。魔力を宿してこそいるが、其処らの野犬とそう変わらぬ脅威度──毛皮が強靭なわけでも、膂力に長けるでもない。
手緩い──塵界に生える野草の方が余程か頑強だろう。
(であれば──?)
ふっと一呼吸。眼球を転がし、彼らを一絡げに視界へ収める。そして──。
考えるより先に身体が動いていた。否、考える必要なぞ無かった。
横薙ぎ一閃。ルカを狙う三匹を纏めて両断。即座に転身、一歩蹴り出す。
「ぐぇ──」
己はアレクの頭を雪へ沈めながら、シルバフォックスに刃を通した。逆手に握り変え、小さな弧で死線を描く。
続け、更に一足踏み込む。トビーの腕に氷歯を立てる獣を引き剥がし、崖から放り捨てた。
「ツぅ……た、助かったよ……」
噛まれた腕の痛みを堪えながら、トビーが涙声で言うが、己は背を向け、鋒を森へ向ける。
(未だ諦めていないか……)
照準を合わせて魔力を練り、撃ち出す。空気を切り裂き宙を奔る二本の氷柱は狙い過たず木陰で毛を逆立たせていたシルバフォックス共を射抜いた。
「え……!?」
「なっ!?」
「嘘!?」
彼らが何やら驚いている。が、今すべきは状況の再確認。気配を探る──が、戦闘に誘われて他の魔獣やらの近寄ってくる様子はない。
「状況終了!」
声を張って安全を伝えてから血振りをし、腰へ納める。
「あ、ありがとう……。イェゴール……さん……」
「あんた一体……」
「今の……」
彼らへ視線をやれば、数秒前よりも距離を感じる──昨日出逢った時のような警戒の色を滲ませていた。
「傷の手当を──」
己の言葉に彼らはハッとしたような表情をした。
「インヴォーク・ヒール」
先の無様──否……、否、無様としか評しようのない戦いとは裏腹に、やはりルカはさも当然の様に詠唱破棄で回復魔法を唱えた。トビーの腕は止血がされる。
「痛ぅ……ありがとな。ルカ」
しかし、止血までのようである。未だ痛みが残るらしい。傷が骨に及んでいるのだろうか?
「トビー。いいか?」
「え?」
不安げな彼の腕に、己は血濡れの手をそっと翳す。
「烏の嘴。半魔の子。たとえ秩序を乱そうとも──汝の祈が和を齎す。ベゾンダレハイルン」
完全詠唱による上位治癒魔法。そうまでしてやる程の傷とも思えなかったが、今彼らが己に抱く疑念を晴らすには、此れが得策に思えた。
「潰れた腸も再生する術だ。骨は言うまでもない。未だ痛むか?」
出来る限り、優しい声音──のつもりで問いかけた。
「!? ……痛くない。痛くない! ありがとうイェゴール! さん!!」
トビーの表情が明るくなった。しかし、彼との心の距離は遠退いたように思われた。何がいけなかった?
◇◆◇◆
其れから、何か言いたげながらも、言い出せない風な彼らと共に、辺り一面に散らばったシルバフォックスの亡骸を拾い集めた。
討伐任務を受けてはいないが、帰ってから受注して、其のまま納品をすれば報酬が貰えるそうだ。そういう事なら崖から捨てたのは申し訳ない事をしたと思ったが、彼らは己を責めなかった。
最後に仕留めた二匹を拾って来るよう己は任され、森へ入った。腹に孔を空けて千切れかけの残骸らを拾って戻った。
「……なあ」
おずおずと、アレクが頬の血を拭いながら声をかけてきた。其の目は、明らかに己を自分達と同等の人間として見ていない。畏怖の念がべったりと張り付いていた。
「あんたがさっき使ったの、何だ? 呪文を唱えてただろ。あれって、昔話に出てくる完全詠唱ってやつか?」
「……? 嗚呼。お前達は使わないのか?」
「使うわけないだろ!?」
アレクが声を裏返した。
「成程。詠唱破棄が当然ならば、態々長い呪文を唱えることもないか……」
「そういうこと言ってんじゃねぇよ!」
何やらトビーが怒っている。
「か、完全詠唱で──! ハイルンなんて難しい魔法使ったら普通なら魔力不足で倒れちゃう! 魔力消費を抑えつつ出力を安定させるインヴォークメソッドで体系化されたのを使うのが普通のはずでしょ?」
魔術師としてパーティの一翼を担うルカは、当然ながら彼らより魔術の理解があるのだろう。理屈立てて何を言いたいのかを言語化してくれた。
だが──。
「インヴォークメソッドとは何だ? 詠唱破棄とは違うのか?」
三人揃って、「え……!?」と驚愕を見せた。
「なぁ、あんた……本当に何者なんだ? どっから来た? ……まさか本当に塵界から来た……ま、ま、魔族…………」
恐怖を滲ませつつ当惑し、二人を自身の後ろに庇いながらアレクは声を震わせて問うてきた。
「安心しろ。お前達と変わらない人間だ。生まれはゼムリヤ」
ゼムリヤ出身の人間。此の事実に偽りはない。が、己は少し──嘘を吐いた。「お前達と変わらない」──そうでありたいとは思っている。そうであるとも思っている。だが、己は──。
「──はぁ……分かったよ。変なこと聞いて悪かった」
しかし嘘混じりの此の言に、彼らは目配せをして、今度こそ信用したように納得してくれた。
そして、改めて己達は帰路を行く。
「此方からも幾つか問いたい」
荷車はアレクが引き、己はシルバフォックス九匹の死骸を詰めた袋を担いで歩いた。
「アレクは魔術師か?」
「違うよ。一応……剣士として稽古は受けた。……イェゴールから見たら、ままごとみたいなものかもしれないけど……」
すっかり自信を喪失した様子で、アレクは言った。己とは反対方向へ視線をやりながらも、言葉に偽りは無さそうであった。
ままごと……正直な感想としては、其の通りだった。
「……お前達の冒険者ランクは?」
「……F」
少しばつが悪そうに、やはり目を合わせることなくアレクは言った。
(成程……)
「失礼は承知で聞くが、其れは最低ランクか?」
己の知る仕組みと変わりなければ、其の筈の等級。
「そうだよ……」
「左様か……」
誉れを傷付けてしまったかもしれない。申し訳なく思う。だが、ようやっと合点がいきはじめた。
(インヴォークメソッド……先のルカの言葉通りならば、出力と引き換えに使い勝手を上げた魔術体系なのだろう。無詠唱や、己の知る詠唱破棄とも異なる仕組み……魔術師ではないアレクとトビーでも扱える様子から、本来は複雑な筈の魔術を簡易化した技術だろう。余裕があれば、調べてみたい。そして、己は無知から彼らの実力を見誤った……)
悔いる。只々、後悔が押し寄せた。
詠唱破棄魔術──否、インヴォークメソッドを扱う彼らを上級の魔術師と勘違いした。其れをきっかけに、彼らの慎重な行程を基本に忠実な上級冒険者の其れと勘違いした。本当に、只々基本をこなすことで精一杯な初級冒険者であるとは思えなかったのだ。
──出逢ったときの、彼の構えで実力を察してやれば良かった。
──もっと早くにシルバフォックスに囲まれていることを伝えてやれば良かった。
──怪我人の出る前に、怖い思いをさせる前に、己が動いていれば良かった。
──己は。
──己が。
「なぁ、イェゴールさん……」
「……!」
声の方を見やれば、今度は確かと此方を見つめるアレクと目が合った。
「そんな顔するなよ。誰も死んでないし、トビーの怪我だって治してくれた。どこから来たのか、何者なのかは……まだよく分からないけど、あんたは──イェゴールは恩人なんだ」
「恩人……?」
己が……?
「そうだぜ! ほら! 弓も引ける! イェゴールのおかげだ!」
ビン、ビン! と力いっぱい弓を引いて見せるトビー。
「イェゴールが守ってくれなかったら、私……シルバフォックスに食べられてたかもしれません」
ととと、と寄って来て、ぎこちない笑顔で言うルカ。
(己が……助けた? 己が、守った?)
今度は、己が……。
「そう、か……」
少し、胸の空く思いがした。
イニシラの町は、すぐ其処まで見えている。




