第1話 未知
ザシュ、と小気味よい音が白銀の森に響いた。若木を揺らした雪がひとひら、少年の頬に落ちて溶ける。
「よし、仕留めた! アレク、そっちに追い込んだぞ!」
「任せろ!」
斥候のトビーが放った矢は、狙い過たず白兎の脚を射抜いていた。雪の上を転がる獲物へ向け、リーダー格のアレクが手にした短剣を突き立てて息の根を止める。
十代半ばの少年少女達三人のパーティ。戦闘──と言うよりは一方的な狩猟であったが、若者達は息を弾ませ、快活な汗を流しながら体温上昇と共に全身から湯気を上げていた。
「これで今回の獲物は雪鹿が二頭に、白兎が三羽……。まぁ、上出来かな。ルカ、ほ〜れパス!」
白の毛皮が赤黒く染まっていたそれを、荷車近くに居た少女へと放り投げた。
「もう! 投げないでよ〜……」
ルカと呼ばれた少女は、狼狽えつつも投げ渡された獲物を受け取り、荷台へそっと横たえさせた。
「ごめんね……私達も生きていかないとだから……」
ルカは数秒前まで命だったものへ謝罪と感謝の念を送った。
「あぁ〜あ、出た出た。ルカの優し子ぶりっ子」
トビーが鼻で笑いながらルカを小突いた。
「そんなんじゃないよ! ただ、私達も死にたくないように、この子達も死にたくなかったろうなって考えちゃっただけで……」
しゅんとした表情でルカは言う。
「んむぅ〜……二日で7シルバいかないくらいかぁ……生きていきゃするけど、贅沢は無理だし装備整えるのなんていつになるやら……」
三人で割ると2シルバと少し。数日分の宿代にはなるが、数日分の宿代にしかならないと捉えるべきところだろう。食費やらを考えると、もって三日分か。
「なぁなぁアレク〜、オレ達ならもっとマトモな仕事やれるぜ? 日和ってFランクの狩猟で日銭稼いでないでEの仕事受けようぜ〜?」
トビーは報酬の算用をしていたアレクの肩をガバと組んで言葉を続けた。
「シルバフォックスの生息地もこの辺だろ? 同じ日程でこなせるし報酬はざっと倍だぜ? 酒だって飲めるし肉も食える。贅沢しないで今と同じ生活しても、貯金して装備整えたら、もっとムズい任務だって出来ちまうんだぜ?」
「それは……そうだけど」
シルバフォックス。獣としての肉体的な戦闘力は雪鹿あたりとそう変わらない。何なら角が立派な雄の雪鹿の方が脅威かもしれない。だが、低級とはいえ魔獣は魔獣。魔術で攻撃してくるため、町では危険視されている。故に危険度が高い狩猟になる。今の自分達で手に負えるかどうか……。
「ルカも何とか言ってやれよ。アレクのカッコイイとこ見たい〜ってよ」
「え! ふぇ!? あ、うん……」
ルカは、ぷしゅうと赤くなって目を逸らした。トビーとしては二人の仲を進展させてやりたいつもりなのだが、どうにも上手くいかない。
ルカにすれば、地に足ついた慎重な今のアレクだって魅力的に映るのだ。
「ひとまず! 今後のことは無事に帰ってから、改めて考えよう。トビー、前を頼むよ」
パン! と手を叩いてアレクは会話を切り上げて、荷車を引くのだった。
「はいよ〜」
「う、後ろは任せて……!」
◇◆◇◆
一行が歩き始めて数刻──太陽が少し傾き出した頃、雪と風が強まってきた時にそれは訪れた。吹雪が強まる前に安全な洞窟でも探そうか、なんて話していた折だった。
「……ッ!」
トビーがいつになく真剣な面持ちで停止の手信号を示した。伊達に斥候を名乗っているわけではない。
「……!」
「……っ!」
アレクとルカも、トビーにやや遅れて異常に気付く。びゅうびゅうと、心なしか風が強まり荒天の様相となったように思えた。
ざく……ざく……。ざく、ざく……。
歩みを止めた今、自分達のではないと断言出来る足音が、吹雪の中に薄っすらと聞こえる。四足のそれではない。二足歩行……せめて人の足音であってほしいと願う。
だが──。
(何……だ!? この、気配……!)
トビーは恐怖で固まったまま、弓を構えられず立ち尽くした。
(怖い……アレク!)
アレクは自分の後ろにいるルカの膝が笑っているのにも気付く。
(俺が──)
とてつもない圧力を感じる。それに見付かれば命はない──そう思わせる程の殺気。十五年余りの人生で感じたことのない威圧感。
この森で動物と戦っただけで命のやり取りをした気になっていた自分達が、お笑いであったと強く自覚する。
(俺が、二人を守らないと──!)
アレクは緊張の中、腰の短剣へ恐る恐る手をかける。そして、おっかなびっくり抜き放つ。
ゴクリと喉を鳴らしつつ、トビーの前へと歩を進める。
ざく、ざく……。
白銀のカーテンに、ゆらりと幽鬼が如き影が浮かぶ。
「や、やぁーッ!」
気声一発──アレクは、なけなしの勇気を振り絞り得物を振り被った。
「もし──」
が、精一杯の勇気はやり場を失くして宙ぶらりんとなり、風に攫われた。
「え……?」
上擦った、声とも呼べない間抜けた音がアレクの喉から出た。
「もし。言葉は……通じるだろうか?」
吹雪の向こうから現れたのは、人間──の形をした闇。そう形容する他ない、瘴気さえ感じられる程歪んだ不気味な笑みを浮かべた大男だった。
◇◆◇◆
──どれ程歩いただろうか。体感としては四時間程歩いた気がするが、陽の動き様を見るに半分程しか経過していないだろう。
土地勘がない道を征くのは今に始まったことではない。寒いのは寒いが、術式を回しながら塵界を歩いたことを思えば比べるべくもないことだった。
其れは其れとして、行けども行けども景色が変わらない銀世界の森林。故郷ゼムリヤ公国の雪質とは少し異なる気がする。改めて、此処は何処なのだろう?
冷静になるべく、己は土魔法でコップを成形し、水魔法と火魔法で白湯を作って啜った。
──戦闘用の肉体だと思っていたが、生き残る上ではとても便利だ。魔力を練りさえすれば飲水には困らん。無詠唱ならば悴んだ唇でも魔法が扱える。塵界の旅路でも重宝したものだ。
……遭難したか? 否、遭難している。
だが、こんなところで野垂れ死ぬ訳にもいくまい。何の因果か分からぬが、生き長らえてしまった以上は生きなければならないだろう──。例え、此の世界の生き残りが自分一人だけだとしても。
そう考えた矢先、白い小鳥が飛び立つ姿が目に映った。生命は存在するようだ。僥倖。後は人でも……此の際魔族でも構わない。文化的生物とも出会いたいところだ。
小休憩を終えて、歩を進めることまたしばし──陽は雲に隠れ、雪が降り始めた。其れは次第に強まっていき、剰え強風を伴い吹雪の様相となり始めた。
此れでは人探しどころではないな──そう思った折だった。前方に気配。吹雪で距離の感覚が不確かだが……1.5キルクといったところか。此方へ向かって歩いて来ている。
「……」
其の場へ屈み、真白へ手を翳す。
「三人。其れと、荷車か……」
ボソと独り言ちる。己を安堵させるがためだろうか、口を突いて出た。
探り当てた歩調は此の雪道に慣れている様子であった。迷っているという様子でもない。地元民であれば有難いのだが、其処までは期待するまい。行商人でも良い。近隣の村への道でも教えてもらえれば良いが……。そう思いながら、彼らの方向へと歩みを再開した。
そして歩くこと数分。悪い視界の中、彼らを捉えた。幸いにも魔族の気配ではない──人であった。彼方は未だ己に気付いた様子はない。
更に接近すること数十秒、彼らも此方に気が付いたらしい。歩みが止まった。警戒されているようだ。無理からぬ話か……。
(此処は、努めて穏やかに……)
出来る限りの柔和な表情を作りながら、ゆっくりと近付いて話しかける。
「もし……其処な御仁」
久々に話しかけた感覚。声が掠れる。上手く声が出せなかった自覚がある。加えて、わざとらしく強風まで吹いたときたものだ。己の声は彼らには届かなかったろう。そう思い、今度はもっと上手く声を出そうとした時──。
三人の内の一人が得物に手を掛けたのを認める。咄嗟に己も腰の軍刀に手を掛けそうになる。だが……眼前の相手から感じられるのは殺気ではなく恐怖の色。刃先も僅かに震えている。そして何より、腰が引けていた。彼方が動き始めても、後の先を取り無力化が出来る──驕りなぞではなく、そう確信した。
「や、やぁーッ!」
威嚇だろうか。得物の振り上げられるのを認め、改めて慎重に声をかける。
「もし──」
佳し。今度は上手く声が出せた。
「え……?」
反応が返ってきた。
「もし。言葉は……通じるだろうか?」
敵意はないと示すべく、諸手を開いて見せながら半歩近付く。
「あ、あぁ……」
良かった。他種族の言語は得意ではない。見やれば、身体的特徴からも三人とも人間のようだ。
だが、彼らの表情は何だ? まるで魔人や悪魔でも初めて見たような顔貌。人間を見る目ではなかった。
短剣を振り被っていた少年──成人して直ぐくらいの年の頃だろうか? 彼は徐に剣先を此方から外してくれた。だが、未だ納めはしない。握る腕に緊張が見られた。
「此処が何処かを伺いたい」
彼を──彼らを刺激しないように、ゆっくりと尋ねる。
「え!? ノ、ノストの森だけど……」
「ノ・ノストの森? 知らぬ名だな」
何処だ? ゼムリヤではない。そして、塵界でもないだろう。
「ノストの森! 知らない……って、旅人か? ──ですか? ……っても、そんな軽装で? どっから来たんです?」
然り。己の装備は革防具に外套、腰の軍刀だけ。手荷物は無い。旅支度らしい荷は何一つ無い軽装だ。
「…………塵界?」
一瞬の逡巡の後、正直に伝えた。が、口から出た音は疑問形となってしまった。自分でもよく分かっていないのだから、仕方のないことだった──そう思うしかあるまい。
「……ッハッハッハ! あんた面白い冗談言うな」
笑い飛ばしたのは、彼の後ろに居た弓を担いだ猿顔の少年だった。彼もまた、十代半ばといった風体である。
「や、やめなよぉ……トビー。も、もし本当だったら……」
腹を抱える少年──トビーを震え声で窘める少女もまた、同じくらいの齢と見えた。
「寒さで頭おかしくなったのか?」
「や、やめろって……」
剣を納めながら、トビーを同じく窘める少年。冗談だと思われたのだとしても、警戒を解いてくれたのなら良しとしよう。
「そうやも……しれぬ」
此処が塵界──危険とは縁遠い場所であるらしいことだけは理解した。
「お兄さん、名前は? 俺はアレク。アレク・ガスコインです」
アレクが名乗り、続けてトビー・ザバス、ルカ・ディベラと紹介をしてくれた。
「イェゴール・マシラウです」
己も頭を垂れて、遅れながら挨拶を交わした。
「あ、あぁ〜……それで? マシラウさん。塵界から山越え海越え来たとして……何しにこんなゾティーク辺境に?」
「ゾティーク……だと……!?」
ゾティーク? 此処はゾティーク帝国だと言うのか? 確かに塵界からは三大国で一番遠いが……故に、何故俺は此処にいる? どうやって?
「そ。ゾティークの北端……は言い過ぎか。でも、ほぼ端。イニシラ。知らない……よな? 田舎だしな。まぁ良いや。イニシラって町から歩いて……ここなら後半日くらいかな? の、ノストの森。が、ここ」
「ゾティーク……イニシラ……。ノストの森……」
彼の言葉を反芻する。
「すまない。ゾティークは帝都アシュトンしか知らん」
帝都の名前しか分からぬ不勉強な己を呪う。
「アシュトン……?」
アレクは不思議そうな顔をした。自国の首都も分からないとは──己以上に学が無いのだなと思ってしまったが、口にはしなかった。
「帝都はレガーティアだぜ? 大丈夫か?」
トビーが可哀想なものを見る目で言った。
「レガーティア?」
知らぬ名前だ……。
「! ……ア、アシュトンは昔の名前だよ。レガーティアの。八十年前くらいに変わったって学校で習ったでしょ?」
横から口を挟んだのはルカだった。
「……昔の?」
だが、彼女の言っている事が己には理解できなかった。
「あぁ〜……塵界魔京戦役の後何やかんやモメて、ってやつね」
ジンカイマキョウセンエキ……彼は今、塵界と言ったか?
「はいはい。あったな」
二人も「そういえばそうだった」といった具合で頷き合っていた。己だけは頷けなかった。言葉の意味は分かるが、其れを飲み込むことが出来なかった。此の子らは一体何を言っているんだ……?
「待ってくれ。八十年前とはどういうことだ? 塵界魔京──!」
己が声を張り上げた時だった。一際強く風が吹き荒び、言葉を遮った。
「こりゃ厳い!」
立ち話をしている内に吹雪は強まっていた。
「あの洞穴に避難しよ!」
「あぁクソ! 雪でスタックした」
数分の内に、荷車の車輪が埋もれてしまったらしい。
「己が押そう」
こういった事は、己も昔覚えがあった。
「助かる! いくぞ。せーのっ!」
◇◆◇◆
「火、火ぃ焚こうぜ火」
「枝余ってる?」
「私のがある。点けちゃうよ?」
「頼むよ」
暗闇で身を寄せながら、ルカは細枝を組んだ。そして、少女は杖を其れへと翳した。
──成程、此の子は魔術師か。
「インヴォーク・ファイア」
「──!?」
己は思わず息を飲んだ。ルカは魔術の詠唱を行わずに、枯れ枝へ火を灯したのだ。失礼は承知だが、此の少女が詠唱破棄魔術が扱える程の逸材であったとはまるで見抜けなかった。
そして、彼らも其れを当然のことのように捉えていた。付き合いの長さが故だろうか?
否──。
「インヴォーク・ソイル。インヴォーク・ウォーター。ほれ、マシラウさん」
魔法使いの彼女だけでなく、前衛と思われたアレクもまた、詠唱破棄魔術でコップを成形し、水を注いで寄越した。
「あ……ありがとう──」
ひとまず、礼を言って受け取る。コップを指で軽く撫ぜれば、硬度や質感は必要十分に思えた。水も澄んでいる。魔力由来であれば当然か……。一瞬でも疑った自分を恥じた。
「ございます……」
「何だよ急に〜よそよそしい」
アレクはくしゃと笑った。
己と相対した際は、緊張から斯様な剣の構えになってしまっただけで、彼らはきっと上級の冒険者なのだろう。
「あぁ〜あ、この調子じゃ今日はここで足止めかな」
外の悪天候を見ながら、トビーがぼやいた。
「少し早いけど食事にして寝ようか。吹雪が止み次第出発して、帰ろう。火の番は交代……四人だし二人ずつ──マシラウさんと俺、トビーとルカで良いか?」
「イェゴール……。イェゴールと呼んでくれ。……さんは、要らない」
彼らに敬意を払われる様な立場でもない。
「そ、そうか……」
嫌だったろうか? 呼び捨てにする程の近しい仲でもないのもまた確かだ。軽率で不躾──手前勝手な提案だったなと恥じた。
「はい。イェゴールさ……イェゴールの分」
「な……?」
ルカに差し出されたのは干し肉。己の分……?
「何遠慮してんだよイェゴール。あ! オレらのこと見縊ってんだろ?」
「いや、そういう訳では……」
返せるものが無い。無一鉄──1スチラさえ持っていない。
「さっきスタックした荷車手伝ってくれたろ? 帰りも働いてもらうからな! 報酬の分け前は……やれないけど、このくらいならくれてやる!」
バシバシと己の肩を叩きながら、トビーは食えと言ってくれた。きっとトビーは大物になる──そう思った。
「ありがとう……」
感謝を伝え、ルカから干し肉を受け取り、齧り付いた。久方ぶりに水以外を口にした。
(……味が、しない……)
だが、彼らの厚意だ。感謝しながら咀嚼し、飲み込む。
元より、旅の食料なんてこんな物か。まともな味など期待すべくもないが、其れにしても何の感慨も湧かない。塩気すら、遠くの方で微かに感じる程度だった。生きるための燃料として、固形物を胃に送り込む。塵界の戦地での食事は未だマシだったはずだ。彼の帝国も田舎ともなると食が貧しいのだろうか?
「ッシ。んじゃ、火の番は任せろ。先に休んでな」
「おやすみなさい」
「ああ。頼むな。何かあったら遠慮なく起こしてくれ」
成程。やはりアレクは此のパーティのリーダーなのだ。人を引っ張って提案が出来るのは才覚だ。実力だけに依拠するものではない。此の人が居れば大丈夫──そう思わせられるのは勇者の才だ。
(勇者……ジン。其の才覚はアレクの比ではなかった。決して諦めず、挫けず、何度でも立ち上がる。彼に付いて行けば、彼さえ居れば、勝利を掴める──そう思わせる魅力が彼にはあった。ジンは、無事だろうか。己のせいで……)
己と同じように魔力拮抗によって発生した渦に巻き込まれてしまったろうか? 其れとも、魔王を撃破出来たろうか? 瞼を閉じて、考える。考えてしまう。考えたところで、今の己に出来る事はないというのに。
──独り。戦線から勝手に消え、ゾティークに辿り着いてしまった己が彼を、彼らを心配する資格等有る筈もないのに。
ぐるり、ぐるり、ぐるぐると思考が湧いては中途半端に消えていく。
思い起こされるのは、同胞の死。辺り一面に広がる魔族の屍山血河。ルルチェの──。靄がかかった様な不鮮明な其れが、剣を振ることしか能が無い己の心を掻き乱す。
「──ル? ──ール、イェゴール! イェゴール!!」
音に──声に反応した己は考えるよりも速く、咄嗟に身体が動いていた。呼吸が浅い。ハイネゴシクの呼吸術を無意識で行いながら、眼球を動かしていた。視界は鮮明。心配とも恐怖とも取れる表情の二人──トビーとルカ。
(どうして、そんな顔をしている? どうして、そんな目で己を見る?)
そう考えた刹那、気付く。得物を抜き放った己が、彼らから飛び退いていた事に。
「何が、あった……?」
彼らに怪我は無い。横たわるアレクは死んで──否、眠っている。
「何があったはこっちのセリフだ!」
「寝苦しそうだったから声をかけたら、呼吸が荒くなって、急に飛び起きて……!」
彼らに言われ、落ち着き始めた胸の音を自覚する。呼吸法のおかげだろう。
「何も……無かった、のだな?」
軍刀を鞘へ納め、問うた。
「は?」
「え……? うん……」
不安の色は、いくらか薄らいでいた。だが、奇異の目──心配の目は変わらなかった。
「火の番は己がしよう」
頭の靄は、寸秒前よりは晴れている。
「お前達は寝ていろ」
「おいおい!」
出会って数刻、無理からぬ話だ。
「……ルカ、先に寝てくれ。己は、眠れそうもない」
トビーにも休んでもらいたかったが、火の番を任せる信用は無いだろう。
「え……」
ルカはトビーへ視線をやる。彼は少し悩んだ後、頷いた。「オレがコイツを見てるから」といったところだろう。
そうして、ルカは「じゃ、じゃあ……」とアレクの横で眠りについた。雪道で疲れていたのだろうか。瞳を閉じてしばらくすれば、規則的な寝息を立て始めた。
「…………」
「…………」
トビーと二人、無言の時間が続いた。必要はなかったが、彼は手持ち無沙汰がちに焚火の世話をしている。何か言いたげな視線を此方へ寄越したが、言葉に迷ってか、何も言わなかった。
一般に、他人との無言の時間は苦痛らしい。だが、其の感覚が己には無かった。何も話すことが無いのなら、何も言わなければ良いのだから、「気まずい」というのが理解出来ない。けれど、トビーは今「気まずい」のだろう。
そうして一刻程が過ぎた頃合い、トビーがアレクを起こした。アレクは「何でイェゴールが起きてるんだ?」と困惑したが、トビーが耳打ちをすれば驚きつつも状況を理解した様子で、火の番を代わった。
彼もまた、何も言わなかった。
己は、代わる代わる彼らと共に八時間程──只々、火を眺めながら過ごした。疲労はあるというのに、微睡みが訪れることはなかった。




