第26話 帝都
己は迷っていた。
(何処へ繋がっているのだろう)
昨夕はレイチェルに連れられて帝国軍本部基地から住宅街まで歩いた。しかし暗くなっていたこともあり、風景がまるで違って感じられる。屋敷を出る際にレイチェルから道を説明してもらった限りでは、基地の正門から東へなぞって進んだ大通りを行けば大学まで行けるとのことだったが、其の正門までも辿り着けずにいた。
(如何したものか……)
こんな事なら衛門までの道も仔細に教えてもらっておけば良かったなと後悔をしながら、回らぬ頭で今について考える。肉体こそ魔術改造の恩恵で動くものの、思考の端々に微かな霧が掛かったような不鮮明さがあった。
何とはなしに人の波に乗って歩いていた。人の多そうな方向へ歩いて行けば中心街へと出られるのではないかという安易な考えであった。
そして幸いにも閑静な住宅地区画から次第に市街地へと街並みが変わってきたことで胸を撫で下ろす。
立ち並ぶ建造物は何れも白を基調とした堅牢かつ美しい造りである。石畳の道路は広く整備され、馬車や無数の市井の人々が行き交っていた。
(記憶の帝都とは様変わりしているな……)
ふと足を止めて、街並みを眺めた。己が訓練兵として駐在していた頃の帝都──アシュトンと呼ばれていた頃の其れとは随分と様子が異なっていた。まず街灯の類は無かったように記憶している。しかし、種類の差こそまちまちであるが、ランプや燭台、魔導街灯等が点在している。ミリィの故郷クラークを訪れた際には其れが現代の常識かとも思ったが、あの統一規格は今もって尚一歩革新的な街造りなのかと思い至る。
(ミリィに話したら喜んでくれるだろうか?)
一つ話のタネが出来たのは幸いだ。
更に周囲を観察しながら歩を進めた。街人達は早朝から其処ら中で楽しげに会話をしている。通り過ぎる折、ちらりと聞こえた会話の幾つかに『ハルトマン』の名があった。具体的な話題こそ分からないが、声色には熱を感じた。其れも敵意や排斥でなく、尊敬や親愛の熱に思えた。矢張りと言うべきか、ハルトマンは此処ゾティークではジンら大戦の英雄という時代も土地も遠い存在以上に、生ける伝説と云った具合で身近な為政者は信奉されているらしい。己としては何処か物寂しさを覚えるものの、兎もあれ活気に溢れるのは良いことだ。誰が言ったか民は街、民は国──民草が健全であれば街も国も然り。
だが、賑やかな街並みに感心するのも束の間、立ち並ぶ街路樹と複雑に交差する大通りの前に己は再び足を止めることとなった。
(……どの通りで曲がるべきか)
あまりの街の広大さに、不眠で朦朧とする頭が目眩を起こしかける。通りを行き交う人々は皆、仕立てが良く小綺麗で洗練された衣服を纏い活気に満ちた表情を浮かべていた。
腰に物々しい軍刀を提げ、殺伐とした戦場の気配を擦り切れた外套の奥に隠し切れていない己の姿は、どう見ても此の光り輝く街の異物でしかない。
通行人に声をかけようにも気後れしてしまい、路地口の陰で一人佇んでいた。
「おや、そこのお方。何かお困りですか?」
不意に、朗らかな声が掛けられた。振り返れば、大きな買い物籠を抱えた人の良さそうな中年男性が心配そうに此方を覗き込んでいた。
「否……其の」
咄嗟に半身に身構えてしまったが、彼には警戒するような様子は一切無感じられず、純粋な親切心からの眼差しを向けていた。己の挙動すら、不慣れな帝都に緊張している旅人とでも受け止めてくれているようだった。
「旅の方とお見受けしましたが、道に迷われましたかな? ここは中央区の三番街でしてね、初めての方には少々紛らわしい造りになっているのですよ」
「……あ、嗚呼。実は……帝国大学へ向かいたいのですが、道が分からなくなってしまい」
「おお、帝国大学! ここからだと、この先の大通りを東へ真っ直ぐ進んで、二つ目の大きな噴水広場を左に折れると良いですよ」
彼は身振り手振りを交え、誠に丁寧かつ分かり易く道を教えてくれた。
「態々ありがとうございます……。見ず知らずの己なぞに……」
己が頭を下げると、中年は誇らしげに胸を張り破顔した。
「ハハハ、お気になされるな! 総統閣下ならそうされたでしょうから」
「総統閣下……?」
「ええ。ハルトマン総統閣下。あなたは旅の……冒険者さんですかな? それでもエメット・ハルトマンの名前くらいは御存知でしょう? 彼であれば困っている方がいれば迷わず手を差し伸べますから、私も帝国民として彼に倣ったまでです」
「人徳に溢れた方なのですね、閣下は」
「ええ! 閣下は帝国民の憧れです」
中年はまるで少年の様に目を輝かせて続ける。
「閣下は昨日もイルーニュ離宮で襲撃に遭われた際、ご自身の身を顧みず民を庇って刺客を退治されたとか。今朝もレガーティアはその話題で持ち切りです」
方々で耳にした彼の名の話題は其れだったのかと得心がいった。
「あのような気高く慈愛に満ちたお方をお戴きしているのです。我々帝国民も恥じぬ生き方をせねばと気が引き締まる思いですよ!」
彼は己の肩を軽く叩くと、「良い旅を! お気をつけて!」と言い残して去っていった。
(……帝都の民か)
己の胸中には小さな驚きと感銘が広がっていた。指導者一人の威徳と行動が末端──否、血脈たる一市民にまで伝播し、見知らぬ他者へ当然のように善意を向けられるまでに成熟している。
権力による恐怖政治でも、狂々とした煽動でもない。純粋な敬愛によって成り立つ治安。エメット・ハルトマンという男のカリスマ性と、此の街の平和の深さを肌で理解させられた心地であった。
教えられた通り、己は大通りを東へと歩を進めた。道中、街頭の広場では新聞売りが「ハルトマン閣下、刺客を撃退!」「帝都の治安は盤石なり!」と大声で号外を配っており、買い物客や町人達が口々に英雄の武勇と帝国の安寧を称え合っている。
(エメット・ハルトマン……)
表舞台で万民の光となり、輝く英雄。世界を動かす圧倒的な傑出と、時代に取り残された己との懸隔に静かな諦念を覚える。だが、不思議と其処に嫉妬や鬱屈した思いは無かった。此のような平和で誇り高き街を作り上げた男ならば、国民が信奉するのも当然だと、純粋に納得できた。
一時間程歩いたところで、通りにあったベンチに腰を下ろし、一息つくことにした。
懐から取り出したのは、今朝エーリッヒが押し付けるようにして持たせてくれた包みであった。包装を開くと、未だほんのりと温かい蒸し芋と乾肉が入っている。
口へと運ぶ。温かな塊が喉を通り、胃に落ちていく感覚。腹が満たされていく実感。味覚は死んでいても、其処に込められた小さな従者の気遣いと、昨夜レイチェルが投げかけた「生きるということは食べるということだ」という無骨な言葉が、じんわりと身体の芯を温めていく。
「……美味いな」
自分に言い聞かせるように呟き、残りの軽食も飲み込んだ。
◇◆◇◆
再び歩き始めて小一時間。やがて視界が開け、美しい石柱と重厚な鉄柵に囲まれた壮大な建築群が姿を現した。
「此処が……」
ゾティーク帝国大学──。
天を突くような時計塔、格式高い校舎、そして広大な敷地を行き交う若者たち。洗練された制服を身に纏い、知性と希望に満ちた表情で談笑しながら通学する学生達の姿に、己は圧倒され正門の手前で足が止まった。
(此処が……ミリィの居る場所か)
光に満ちた最高学府。軍刀を腰に提げ、返り血と硝煙の臭いを染み付かせた己のような男が足を踏み入れて良い場所ではないように思えてしまった。
(さて、如何やって彼女を探すか)
見るからに大きな大学敷地。何人在籍しているのかは分からないが数十数百ではきかないだろうことは想像に難くない。干し草の中で針を探すようなものだ。




