第27話 再会
骨が折れそうだ──そう思った矢先のことだった。
「どうかされました?」
不意に声を掛けられた。己は咄嗟に振り返る。
「わ、驚かせてしまってすみません」
気の良さそうな眼鏡の男子学生であった。年の頃は成人して直ぐくらいだろうか? イニシラで出会ったアレクと変わらないくらいと見えた。ミリィの同世代が多く通っているものだろうことを思えば当然と言えば当然か。
「否……失礼。此の大学のあまりの広大さに圧倒されていたところで」
「あはは、初めて来られた方は皆さんそう言いますね。何かお探しですか? 良ければ、案内しますよ」
「あ、しかし……」
如何にも、帝都の人間は世話焼きが多いらしい。
「つかぬ事を伺いますが、総統閣下を尊敬していますか?」
「え? はい! それは勿論! 俺も卒業したら軍に入ろうかと思っているんです!」
彼は目を輝かせて言う。矢張りと言うべきか、ハルトマンの影響らしい。
「軍に入るだけなら学は要らないのでは?」
ふと抱いた疑問を口走ってしまったが、余計な世話だったかもしれないと後悔する。
「そうかもしれませんね。けど、知らない事、分からない事は少ない方が世界がより鮮明に見えると思うんですよ。見えるものが多ければ助けられることも増える……俺はそう信じてます」
若そうだのに、己なぞより余程か視座が高い。彼の気を悪くさせたかもしれないという後悔を抱きかけたが、其れ以上に只みっともない揚げ足取りめいた質問をしてしまった事への後悔が押し寄せた。
「そうか……。矢張り大学に通う程の人物は賢いな……」
「賢い……エヘヘ。いや、そんな俺は全然ですよ」
「……無礼な問いに答えていただき、感謝します」
己が姿勢を正して礼を言うと、学生は照れくさそうに頭を掻いた。
「いえいえ! あ、それより、何かお探しなんでしたっけ?」
「嗚呼……助かります」
純粋そうな彼を、何とはなしに頼ってみることにした。
「ミリアルテ・フォン・ザイドリッツという学生を探したいのですが、心当たりはあるだろうか?」
「ザイドリッツ……? ああ、ザイドリッツさん! 魔導遺物学の飛び級の!」
学生は即座に手をポンと叩いた。
「御存知か!」
思わず声が上ずる。
「ええ。有名ですから」
如何やらミリィは、此の広大な大学内でも其れなりに名の知られた人物であるらしい。
「では、魔導遺物学の学舎は何処になるでしょうか?」
「んん~……どこだろう? いや、教室や研究棟も幾つもありますから。メインで使いそうなところってなると……」
学生は顎に手を当てて少し考え込むと、ポンと手を叩いた。
「あ、そうだ! 確か今日の午前中は、第二講義棟の方か、中庭のテラスで資料の持ち寄りをするって、同じ学科の奴が言ってた気がします。あそこの古い時計塔の裏手にある広場ですね」
「第二講義棟か中庭のテラス……助かる。詳しく教えていただき、ありがとうございます」
「いえいえ、お役に立てて良かったです! あ、それから……あぁ……駄目ってことはないんですけど……」
彼はまごまごと言葉を選んでいるようだった。
「それ、目立つので隠した方が……良いかなって思います。トラブルにならないこともないとは言えないって言うか……」
”それ”というのは己の腰の刀のことであった。確かに、学び舎で得物をぶら下げているというのは余計なトラブルを呼びそうだと思えた。
「嗚呼。何から何まで、感謝します」
腰の拵えをベルトから外して、外套を脱いで巻き付けた。これで何か長い物を持っている学外の男、という姿になれるだろう。
「見ての通り学生ではないのですが、勝手に学内をうろついて問題ないだろうか?」
「もぐりの人とか、学食だけ使う人とか、いろんな事情で制服を着たがらない人とかも居るので、そこは問題ないと思いますよ。それじゃ、俺はこれで」
爽やかに笑いながら、学生は足早に別の校舎へと去っていっていった。残された己は、教えられた方向へと歩き出す。
石畳の小道を抜け、レンガ造りの重厚な建物を横目に進むと、次第に周囲の喧騒が穏やかなざわめきへと変わっていく。木漏れ日が差し込む中庭では、若い学生達がベンチに腰掛け、書物を広げながら熱心に議論を交わしていた。
戦場を這い回ってきた己にとって、この知性と平穏に満ちた空間はあまりにも眩しく、何処か現実離れしているようにすら感じられる。
(どんな顔で会えばよいのだろう……?)
教えられた時計塔の裏手へ近付くにつれ、胸の奥が微かにざわつく。軍に連行された一件で今生の別れかのようなやり取りをしておきながら、二日程で再会しようとは妙な居た堪れなさがあった。
──だが。
「あ、待ってよ。資料、落としそうだよ」
「大丈夫! これくらい平気……っと!」
ふと、前方から聞き覚えのある、鈴を転がすような澄んだ声が風に乗って届いた。
白い回廊から続く階段のあたりから、何冊もの厚い羊皮紙の束と本を胸に抱えた小さな人影がひょっこりと姿を現した。朝の陽射しを反射して輝く水色の瞳、黄金色の髪。
ミリアルテだった。
「ミリィ……」
声にはならなかった。
彼女の其の横顔には、あの魔導列車の事件や、別れ際の不安の色は微塵も感じられない。しっかりと自分の足で、此の光の場所を歩いている。
その光景に、己は胸の詰まるような安堵を覚えた。
──その時、ふとミリィの視線が宙を泳ぎ、立ち尽くす無骨な男の影を捉えた。
「……っ!」
彼女の足が、ピタリと止まる。抱えていた荷物を握る腕に力が籠る。
「……や、やぁ。約束通り……来た」
何が「やぁ」だ。己はそんな柄ではないだろう。もっとマシな言葉をかけるべきだったと、自分の言葉選びの下手さをすぐさまに呪った。
しかし──。
「イェゴール……っ!!」
ミリアルテの瞳から大粒の涙が一気に溢れ出し、彼女は周囲の学生達の視線も気にせず、一直線に駆け出してきた。
「ちょ、ちょっとミリィ!? 資料資料っ!」
後ろから追ってきた友人らしき学生の制止も耳に入っていないようだった。胸に抱えていた厚い羊皮紙の束がいくつも手から零れ落ち、石畳の上を滑っていくのも構わず、彼女は一心不乱に距離を詰めてくる。
「っと──」
勢い良く胸へと飛び込んできたミリィの小さな体を、己は受け止めた。
伝わる柔らかな身体の温もりと、切ない泣き声。ぎゅっと己の服を掴む小さな手に、どれ程彼女が不安な夜を明かしたかが痛いほど伝わってきた。
「イェゴール……っ! バカ! 心配したんだから……っ!!」
「……泣かないでくれ。ほんの数日でまた会えたじゃないか」
「うう……っ、うん……! よかった……本当に無事で良かったぁ……っ!」
己の胸に顔をうずめたまま、しゃくりあげるミリィ。八十年前の殺伐とした戦場では決して得られなかった「約束を果たせた安息」が静かに己の胸を満たしていく。
「盛り上がってるところ悪いんだけどさ、その人誰?」
「あ、あの……ザイドリッツさん? そちらの方は……?」
書類を拾ってくれた友人は勿論の事、周囲で書物を広げていた学生達までもが何事かと此方を注視していた。先程聞いた限り、学内でも有名であるらしいミリィが身元の分からぬ無骨な男に抱きついて泣いているのだから当然の反応であった。
「〜〜〜〜っ!」
周りの視線に気付いたミリィは途端に顔を真っ赤にして勢い良く己の胸から離れた。目元を制服の袖でゴシゴシと拭うと、照れ隠しのようにパンと己の肩を叩いて胸を張ってみせる。
「な、何でもない! 紹介するね。私の専属護衛のイェゴール! 怪しい人じゃないから気にしないで!」
「専属護衛」という呼称に、触れずに雇用主に紹介されるまま頭を下げておく。
「どうも……冒険者をしています、イェゴール・マシラウです」
物珍し気に取り囲んできた学生らにギルドカードを見せた。
「冒険者さんだって!」
「ご、護衛……?」
「ほら、研究の道中に付いてもらうやつだよ」
「地元には結構居たよ」
「そう! フィールドワークで北方へ行った先で雇ったの。さ、イェゴール! 私の研究室行くよ!」
「あ、嗚呼……」
何かを誤魔化すように早口で捲し立てた雇用主様──ミリアルテ・フォン・ザイドリッツに手を引かれるのだった。
「手紙は、出したか?」
構内はとても広く、城塞のように入り組んでいた。
「うん! けど、届くのは早くても一月後くらい……数か月先になっちゃうかなぁ……。事故……事件の方が早く伝わって心配をかけちゃうとは思うけど」
「父君は耳が早そうだからな……」
彼女の父、ヴァルダー・フォン・ザイドリッツ氏は故郷クラークで役人をされている。件の魔導列車の手配をしてくれたのも彼だ。きっとツテがあるのだろうが、其のツテがあればこそ、情報が入るのも早いだろう。一層、事故について知ってから娘の安否を知るまでの月日を要してしまう。優秀なのも良し悪しといったところだ。
「そうなの……」
しおらしい表情のミリィに連れられて足を踏み入れたのは、とある棟の最上階であった。
重厚な木製の扉を開けると、其処は膨大な書物と羊皮紙の束。そして発掘された古代の魔導器具の断片が壁際までぎっしりと並ぶ知の巣窟であった。
換気用と思しき小さな窓を覗けば、帝都の美しい景観が辛うじて窺える。
大きな木製デスクに並べられたインク瓶と羽ペン、読み込まれた文献の山、そしてデスクの傍らには彼女の愛用する軍戯の盤と駒が大事に仕舞われていた。
「まぁ、何だ……軍戯でもしつつ、話さないか?」
「……うん!」
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