第25話 屋敷僕
「相も変わらずキャンキャンと騒々しい……静かにしろエーリッヒ」
頭を抱えて溜息を吐くレイチェルをよそに、エーリッヒと呼ばれた小柄な──少年とも少女ともつかぬ風貌の従者は、ウルウルと大きな目を潤ませながらイェゴールを上から下まで穴が開くほど検分した。
「そ、そんな……! 二十二にもなって浮いた噂一つなかったレイチェル様が、選りにも選ってこんな無骨で、幸の薄そうな刀挿しの男を……!」
「無骨……」
イェゴールは一人心を傷めた。
無用な誤解と騒ぎを収めるのに数十分を要した。結局、ヤーヴィス中将の差配によってしばらく身を寄せることになった「客」であると説明を受け、エーリッヒはようやく渋々と納得した様子で鼻を鳴らした。
「ふん……まあ、ヤーヴィス様のお言いつけとあらば仕方ありません。良いですか? 御客人。夜中にレイチェル様のお部屋に忍び込んで、あんなことやこ~んなことをしようものなら、このエーリッヒ特製の毒薬をスープに混ぜますからね!」
──ッゴ。
「そんなことをするのはお前の方だろ」
レイチェルの軽い拳骨がエーリッヒの頭に落ち、コブを作った従者が「痛いっ!」と頭を押さえる。
「二階の好きな部屋を使ってくれ。エーリッヒ、案内してやれ」
「はいぃ……」
よろよろとした足取りで階段を上っていく後を追い、イェゴールも二階へと向かった。
「さぁ! お好きなお部屋をお選び下され御客じ……あぁ、御名前は何とおっしゃられましたかな?」
「イェゴール・マシラウです」
「マシラウ様。申し遅れました。エーリッヒはエーリッヒと申します。お見知りおきを」
どこか中性的ながら整った顔立ちを綻ばせ、綺麗なお辞儀をするエーリッヒ。
「ささ、選り取り見取りですぞ。エーリッヒめが毎日掃除を欠かさぬ清潔な客室の数々。ベッドはふかふか、チリ一つございませんとも」
イェゴールは階段から一番近くの部屋のドアを開けた。
「確かに綺麗だ」
「そうでしょう、そうでしょうとも! エーリッヒが毎日掃除を欠かしませんから──」
自信に満ち溢れた調子でくどくどペラペラと語り始めたエーリッヒをよそに、男はその部屋で荷物を下ろした。
「ちょちょちょちょちょ! マシラウ様? 他の部屋は見なくてよろしくて?」
「え? 嗚呼、はい」
どうせ上手く寝付けないのだからという諦観もあり、体裁上人間らしい居室は欲しいとは思いながらも、雨風さえ凌げれば彼はどんな部屋でも構わないのだった。与えられればきっと厩でさえ文句を言わずに使うだろう。
「他の部屋も見てほしいのですが? エーリッヒめが毎日お手入れをしているお部屋の数々。是非に見比べてご検討いただきたいのですが?」
「……」
イェゴールは出掛かった言葉を飲み込んだ。眼前の小さな生き物の表情が陰っていったために。
「では……」
「……! 行きましょうともお連れしましょうとも!!」
二人はルームツアーを行った。確かにどの部屋も隅々まで手入れが行き届いており、清潔であった。が、結局最初の部屋に落ち着くかたちとした。階段が一番近かったためだ。
「マシラウ様は見かけによらず良い人ですなぁ! 沢山褒めてくださる。なっはっは~」
気を良くしたらしい。単純な奴だった。
「エーリッヒ、は何時から此処……レイチェルの家でお勤めを?」
まだ呼び捨てにする程の距離感ではないと思いながらも、「『さん』なんてよしてくださいよ。屋敷僕に御客人が」と言われてしまったため呼び捨てにする。
「七年前ですね。一族の集落が焼けてしまい、行き場を失くしたエーリッヒを拾っていただいてからになります」
けろりとした表情でエーリッヒは言った。
「……気を悪くさせたな。済まぬ」
「お気になされるな、マシラウ様。エーリッヒめは今の暮らしに満足しております故」
「……そうか……」
「夕飯が出来たら呼びに来ますから、それまでお寛ぎくださいな!」
元気に一礼して階下へ降りていくエーリッヒの背中を見送り、イェゴールは一人、客室のベッドの端に腰を下ろした。部屋の隅々まで磨き上げられた清潔な室内。だが、どれ程ふかふかの布団を当てがわれようと、今の彼の肉体と精神が心地好い眠りを受け入れることはないだろう。
──数十分の後。
「マシラウ様、お夕飯の支度が整いましたぞ!」
弾むような声に促されて一階の食堂へ降りると、大きな木製テーブルには湯気を立てるスープと香ばしい焼き色の肉料理、焼きたてのパンが所狭しと並べられていた。この屋敷の家事一切は全てエーリッヒの手によって完璧に切り盛りされているようだった。
「さぁさ、冷めない内に! お召し上がりくだされ」
卓には家主たるレイチェルも着いていたが、今の立場上客人であるイェゴールが先に手を付けるのを待っている風だった。
「……嗚呼。いただきます」
勧められるままスプーンを取り、具沢山のスープを一口、口に含む。途端に、舌の上に広がるのは──無であった。
(……やはり、如何にも)
「あ、あの……マシラウ様? お口に合いませんでしたかな……?」
黙々と、しかし無感情に食べ進めるイェゴールの様子に、エーリッヒが不安そうに大きな目を潤ませて覗き込んでくる。
「否……美味い。温かくて、身体に染み渡る」
彼が無難な言葉を選んだときだった。
「嘘を、吐いていますね?」
エーリッヒの丸い目が細められた。
「え……?」
「口に合わないなら素直にそう言え。そいつに嘘は通じない」
レイチェルが口を挟む。
「ヒヒ族。ご存知ないですか? 相手の心が読める特性を持った魔族です」
耳をピコピコと動かして、ヒトよりも獣に近いといった風に訴えていた。
「──とは言ってもエーリッヒは落伍者でして、心なんて読めないのですけど。嘘くらいは分かります」
「嗚呼……其れは……」
イェゴールは言葉に詰まった。隠しても仕方のないことだが、この場の体裁の為に世辞を述べたという事実は覆らない。
「己は今、病気らしく……味覚が駄目になっている。味の良し悪しが分からない。不味くは思わなかったため、気を悪くされぬよう斯様な物言いをした。済まない」
嘘が通じないというのなら隠さず正直に伝えることが賢明に思えた男は、ありのままを伝えた。
「なんと……」
「……お前の反応を見るに、本当らしいな」
「ええ。マシラウ様は嘘を仰ってはいませぬ」
エーリッヒは耳をしょんぼりと垂らし、胸の前で小さな手と手を握り合わせた。
「なんということでしょう……。お身体がお辛いのに、エーリッヒに気を使ってくださって……」
「……味は分からずとも、丁寧に作られた料理であることくらいは分かる」
確かに気遣いではあったが、指摘された気恥ずかしさからイェゴールはぶっきらぼうがちに言葉を返した。
「マシラウ様……!」
感極まった様子のエーリッヒを見て、レイチェルが呆れたように鼻を鳴らす。
「まぁ、不味くはないのなら多少無理してでも食べておけ。生きるということは食べるということだ」
「あ、嗚呼……」
◇◆◇◆
食後、静まり返った客室。あてがわれた柔らかなベッドの上で、イェゴールは天井をじっと見つめていた。
どれほど目を閉じようと、微睡の縁すら訪れることはない。不眠の症状は帝都へとやって来てなお、男の魂を縛り続けていた。
ベッドを抜け出し窓を開けるれば、 月光に照らされたレガーティアの街並みが、静謐の中に佇んでいた。
(ミリィ……)
胸の奥で、自然とその名が浮かぶ。帝国兵に連行され、離れ離れになった雇用主。彼女は今頃、無事に大学の寮へと辿り着けただろうか。
(明日、会いに行けるだろうか……? 否、会いに行こう)
夜風を頬に受けながら、イェゴールはひたすら夜が明けるのを待ち続けた。
◇◆◇◆
薄水色の朝靄が帝都の街並みを包み込む頃、イェゴールは静かに客室の扉を開けた。結局、満族に睡眠が取れぬまま迎えた朝であったが、彼の身体に倦怠感は無かった。
階段を降りると、既に厨房からはパチパチと薪がはぜる音とスープの煮立つ芳しい香りが漂っていた。
「おや、マシラウ様! お早いですな。まだお陽様も登り切っておりませんよ?」
お玉を手にしたエーリッヒが顔を出す。
「おはよう、エーリッヒ」
「そのお召し替えは……お出掛けですかな?」
腰に魔導軍刀を差して服装を整えたイェゴールの姿にエーリッヒが首を傾げる。
「嗚呼。己が世話になった……何と言えば良いか…………やはり雇用主が一番適切か? 雇用主へ挨拶に行こうかと」
「レガーティアに居られるのですか?」
「ええ。帝国大学に」
「ほぁあ……帝国大学ですか。ここから徒歩ですと二時間はかかりますよ? 馬車を借りられては?」
「往復か?」
「いえいえ、片道です。帝都も広うございますからね~」
イェゴールは帝都というものを無礼ていたと、如何に自分が世間知らずであったかと思い知る。彼の知る頃の大帝国ゾティークは軍の基地の中だけであった。そして思い返せば、基地で体力練成の為に走るにしても一周に数十分かかった記憶が甦る。中小都市にも匹敵する軍の敷地を有して尚、最高学府も擁しつつ、当然市街も在るとなれば、それはそれは大きな街だろうと今になって理解が及ぶ。
「成程……」
「どうした?」
男が軽い眩暈を起こした頃に、欠伸を噛み殺しながらやって来たのは家主のレイチェルであった。髪を後ろで大雑把に束ねてラフな寝巻のまま現れた。
「どぅわっレイチェル様! いけませんよ! そんな格好で男性の前に出ては!」
「私の家だぞ。それに、お前も一応男だろ」
着崩れもまるで気にしない様子でレイチェルは言う。
「そこは論点にはございません!」
ヒヒ族に男も女も無い──両性具有である。
「出掛けるのか?」
レイチェルはエーリッヒの言葉を煙たそうにして、イェゴールへと話を振った。
「大学へ行こうと思ったのだが……二時間かかるらしく」
「あぁ、例の令嬢の」
「嗚呼。想定していたよりも大学までは遠いと聞いて、如何したものかと……。中将殿の手前、数日は君と行動するという話だったが……行っても構わないだろうか? 役務に差し障るようなら事後に行くか或いは……と考えているのだが」
「私にお前を縛る権利はない。言っただろ? 体裁上、と。特務やヤーヴィスの事は手前の事情が済んでからでも構わん。行ってくると良い」
「そうか……。此方の勝手だというのに、ありがとう」
道中に摘まむ用の軽食をエーリッヒに持たせてもらい、イェゴールは屋敷を出るのだった。




