第24話 中将
「ふぅ……」
ミリアルテは荷物を置いて一呼吸ついた。数か月ぶりの学生寮は自室。こじんまりとした部屋はやや埃っぽくなっていることこそ気になるものの、実家の様に落ち着く。
ベッドへ身を投げようかとも考えたミリアルテだったが、イェゴールに言われたように実家へ無事を伝えるための手紙を書くことを優先すべきだと考え直す。一度横になってしまうと何もする気になれない気がしたためであった。
ミリアルテは机の上の埃をそっと手で払い、引き出しから丁寧に保管されていた羊皮紙とインク瓶を取り出す。羽ペンを握り締め、心を落ち着かせるように一度深く息を吐いた。
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お父様、お母様、そしてマーサへ
無事に帝都レガーティアの学生寮へと到着いたしました。
既にご存知かもしれませんが、私達の乗った魔導列車が不運にも傭兵団に襲われる事件に巻き込まれてしまいました。ですが、どうかご安心ください。私には擦り傷一つありません。護衛のイェゴールが、その身を挺して私や乗客の皆様を完璧に護り切ってくれました。
現在、イェゴールは聴取を受けているとのことですが、二度と会えないのではないかと心配です。彼と合衆国へ研究の旅へ行く約束をしていたのですが、今後どうなるかは見通しが立っていません。
また旅に出る前にはお手紙を送ります。
試乗レポートにつきましては、私なりにまとめたものを同封しています。お父様ご一読お願いします。
お父様、お母様もどうかお体を大切になさってください。
マーサ、二人のことをよろしくお願いします。
ミリアルテ
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(イェゴール……大丈夫だよね……?)
軍に連行されていった彼の背中を思い出し、胸の奥がキュッと締め付けられるような不安に襲われる。けれど、彼のあの静かで不器用な声が、耳奥で確かに蘇った。
『解放されたら、君に会いに行く』
「……うん。信じて待とう。約束だもんね」
イェゴールはミリアルテをこうして大学のある帝都まで無事に連れて来てくれた。列車でも無事に戻って来てくれた。彼は今、この世界で一人ぼっちなのに自分が信頼してやらなくてどうするのか、少女は強く思うのだった。
◇◆◇◆
Dランク冒険者イェゴール・マシラウが連行されたのは、取調室でも拷問部屋でもなかった。そこはあまりにも静謐で洗練された執務室であった。
壁際にはぎっしりと革装丁の書物や魔導工学の緻密な設計図面が並び、上質な絨毯の上には重厚な黒檀のデスクが据えられている。窓から差し込む帝都の穏やかな夕光が室内の調度品を柔らかく照らしていた。
カチリ──と重い鉄の枷が擦れ合う音が響く。
両手首を頑丈な手枷で縛られたイェゴールは憲兵らに促され、その部屋の中央へと踏み入った。彼の愛刀は没収されデスクに置かれているため丸腰である。
「ご苦労。君達は下がりなさい」
部屋の奥、デスクの後ろから穏やかで澄んだ声が響いた。
指示を受けた憲兵達は一礼すると、イェゴールを室内に残して静かにドアを閉めた。
部屋の中に残されたのは三人。
イェゴールと、デスクの前に佇む男。そして──壁際に背を預け、冷ややかな視線をイェゴールへ向けている一人の女性冒険者だった。
(レイチェルが……)
トレードマークの眼帯で分かったが、あのメイド服姿でない──よくある冒険者らしい装いの彼女にイェゴールの脳は少し処理が遅れた。
「やあ、手荒な真似ですまない」
五十路くらいであろうか、紳士然とした男は立ち上がる。
「……」
イェゴールは近寄って来る男の所作を観察した。この齢で未だに現役で将校たれる人物らしく健全──否、寧ろ若々しささえ感じる程に体幹の鍛えられた姿勢と基本教練。隙の無い軍服の着こなし。軍人の手本といった雰囲気を醸している。
「私も偉くなってしまったのでね。形式上、武器は取り上げさせてもらったが……」
彼の視線はイェゴールからレイチェルへと移る。信用している──といった色だ。
「名前を……いいや、私から名乗るのが筋だね。ゾティーク帝国軍魔導技術総監部司令官、ヤーヴィス・ギュンター・ホイジンガ。階級は中将。どうぞよろしく」
ヤーヴィスは心からの親愛を込めるように微笑む。
軍人言葉でなく柔らかい調子で話すなとイェゴールは感じた。
「イェゴール・マシラウです。Dランクの冒険者をしています」
「ありがとう」
ヤーヴィスは、くつくつと笑いながら言葉を続ける。
「実はレイチェル達から既に話は聞いた上で、ある程度調べさせてもらってね。──駆け出しにしては腕が立つそうだね。胆も据わっている」
「いえ……」
謙遜──と映るかもしれないが、卑屈なきらいがあるイェゴールは本心から否定した。そして同時、「レイチェル”達”」というのが引っかかった。
(クラヴィウスからも何某か聞いていると見るべきか──)
「そんな君に、私の提案を聞いてはくれないだろうか?」
事情聴取という名目で拘束されたと認識していたイェゴールは話に付いて行けなかった。強引な取り調べ、あるいは拷問の一つや二つでも覚悟していたが、問い質されることはなかった。身許が明るくない筈だのに、調べはつけてあるときた。
「……」
イェゴールはガチャリと手枷のかけられたままの手を軽く上げて見せる。「断れる立場ではない」と訴えるように。
「これは失礼。レイチェル、外してあげてください」
「はい」
部下への命令と言うよりは、家族へ物を頼むような調子だと感じる。
「どうも」
「ああ」
手首をゆっくりと回すと、対面のヤーヴィスは机に置かれていた軍刀を手にし、イェゴールへと手渡した。
「珍しい骨董品だ。手入れも行き届いている」
「良いのですか?」
イェゴールは、やや困惑しつつも得物を受け取り、腰ベルトへと差す。ふっと何処か落ち着く感覚を抱いた。
「断言しよう。提案を聞いてもらうには、対等な立場であるべきだろう」
微笑みを浮かべるヤーヴィスだが、彼の手もまた腰にあった。
「成程」
イェゴールは瞑目して一言返すに留めた。
「エメット・ハルトマンを知っているね?」
「ご武功の程は……」
人伝に聞いた情報しか持ち合わせてはいないが、時の首長を知らないとなれば常識を疑われると思ったイェゴールは話を合わせる。
「彼は優れた兵士──であると同時、ある種兵器だ。彼こそがゾティーク帝国最強の防衛装置と言っても過言ではない。いいや、断言できる。彼は私の後輩だけれど、同じ軍人として尊敬している」
「はぁ」
「其処までの傑物なのか……」とイェゴールは内心に驚く。
「しかし、彼もまた一人のヒトだ。手が届く範囲は限られる。ましてや今の彼には立場がある。政務まで行わなくてはならない。いや、正確には政務を行うことで、斬った張ったでは救えない人間を救っている。それもまた素晴らしい行いだ」
政には疎いイェゴールでも、その言い分には賛同することが出来た。魔獣討伐だの傭兵の相手だのだけでは世界は回らない。そして、それら以外にも民を守り救う方法は幾らでもあるはずだと思えたために。
「しかし、その斬った張ったの汚れ仕事は残念ながら必要だ。冒険者をしているならば身を以って経験されただろう?」
「ええ……」
魔獣退治に野盗の相手、傭兵の相手も経験した。
「私は軍の手の届かない範囲の特務を行う精鋭を集っていてね」
「其れが、らいぷにっつ……?」
「……いや、八天はまた別の役割があるのだよ。それはさておき……レイチェルが、そうなんだ」
壁に背を預けていたレイチェルが気怠げに視線を二人へと移した。
「実力は十二分なのだが、彼女だけでは手が足りないと感じていたところに、イェゴール・マシラウ。──君が現れた。先の列車では八面六臂の活躍でミカヅキを撤退に追いやったそうだね。そして活動を開始した北方では単身ウィンドバリオス討滅に尽力したそうじゃないか。素晴らしい。賞賛に値する」
「お言葉ですが……」
幾らか尾鰭の付いた評判に言葉を選びかねる。そして何より、イェゴール・マシラウには使命があった。ミリアルテ・フォン・ザイドリッツの護衛という任務が。共に旅をするという約束が。
「何。今すぐに決めろとは言わない。私達の活動や理念に共感してくれてからで構わない。しばらくレイチェルと生活を送ってみてほしい」
「……はい?」
イェゴールは吃驚し、レイチェルとヤーヴィスとで視線を往復させた。
「まずはここ、帝都での拠点として、彼女の借りている一軒を自由に使ってくれ。君が我々の理念に納得できた時、改めて握手を交わそう」
朗らかな笑顔に送られて、イェゴールはレイチェルに続いて執務室を後にした。
「……本気か? 己と君が一緒に暮らすなど」
「私にとっても命令だ。嫌なら勝手に出ていけばいい。……だが、悪い話でもないだろう? 宿はまだ取っていないだろ。私の家の空き部屋を好きに使うと良い。それに、世の為人の為というのが嫌いな性質でもないと見ているが?」
「まぁ……やり甲斐は無いよりは有る方が良いが。……否! 己にはミリィとの約束がある!」
「令嬢の護衛だったか。金払いが良いのか?」
「否、何方かと言えば悪い。其れでも……!」
(孤独な己に手を差し伸べてくれた彼女に報いたいと強く思う)
「そうか。何にせよ、体裁上は数日付き合ってもらえればと考えている。お前のスタンスが変わらなければそれもまた答えだ」
そう言って、レイチェルは勝手知ったるとばかりに基地内を我が物顔で歩いていく。イェゴールは彼女の背を追いかけた。
◇◆◇◆
イェゴールは拍子抜けする程に簡単に釈放された手前、ミリアルテに会うべく大学へと行きたいと考えたが、日が沈みかけていたため翌日向かうことになった。
帝都の街並みは彼の知る頃のそれとは大きく様変わりしていたが、ドルドーニやクラークで現代の街というものに慣れていたこともあり驚きはやや小さなものだった。
「ここが、私の根城だ」
「おぉ……」
帝国軍中央基地から二十分程歩いて辿り着いた住宅地は一角。レイチェルが一人で暮らしているのだとすれば余りに大きな屋敷。重厚な煉瓦造りの二階建てで、庭木も綺麗に整えられている。しかし、人の気配というものが全く感じられない静けさが漂っていた。
「……一人で住むには、幾分か広過ぎはしないか?」
「元は退役した古い将校の邸宅だったそうだ。ヤーヴィスが買い取ったものを私が譲り受けて使っている」
レイチェルは気にした風もなく重い鉄の鍵を差し込み、ギシと音を立てて扉を開けた。
彼女に続いて中に入ると、埃一つ落ちていない整然としたエントランスが広がっていた。しかし、却って生活感が希薄だとイェゴールは感じた。
「お嬢様~お帰りなさいませ~!」
レイチェルのことであろう──『お嬢様』と呼ぶ声と共に、はたはたと足音が近付いてきた。
「此度も長旅──どゎわあああ! 男連れ!!」
出迎えに現れた小柄な人物が腰を抜かした。
「客人だ。しばらく彼をここに泊める」
「なんと! 男旱りのレイチェル様が、殿方をっ! エーリッヒめは……エーリッヒは……!」
よよよ──というよりは、ドドドといった具合で涙を流し始めた小さな生き物に、イェゴールは困惑するばかりであった。
◇◆◇◆
レガーティア某所──。
「やあ、こんばんは。プリヘーリヤ」
「その声はヤーヴィスかい?」
「ええ」
ここはヤーヴィスが支援する医療施設のとある一室。
「何か良い事でもあったの? 普段より声が明るい」
ベッドに横たわったまま、少女──プリヘーリヤと呼ばれた人物は問う。
「やはり君は聡い人だね」
ふっと口元を綻ばせながらヤーヴィスは続ける。
「良縁があって。……まだ、どうなるかは分からないけれど、きっと善い方向へ事が転がる。私はそう信じている」
「またオトクイの『信じれば願いは叶う』か?」
プリヘーリヤは小さく笑む。
「ええ。断言出来る。何せ、君がそうしてくれたのだから、ね──」
言葉をかけながら、ヤーヴィスは清潔に保たれた掛布団越しに優しく撫ぜた。
「具合はどうかな?」
「変わらずさ。良くも悪くも」
「そうですか……」
「情けない声出すなよ。ウチは今の暮らしに満足してる。食うにも困らず、寝放題。世話付きで、明日の心配も要らない。ケッコーじゃないのよ」
「けれど……」
「ウチは、あの子が今元気にやってるならそれだけで嬉しい。そういう話だったろ?」
「……ええ」
「あの子は……レイチェルは元気してる?」
「勿論」
「ウチのことは……」
やや恐れを滲ませた声色でプリヘーリヤが問えば、ヤーヴィスは首を横に振った。
「そか。ま、ウチの体がずっとこんななんだ。あいつの頭だって変わらないよな」
カラカラと笑って言った。
「あぁ~……ごめんヤーヴィス。痒い、右の頬っぺ」
「痛くはないかい?」
様子を窺いつつ、優しい手付きで彼女の右頬を掻いてやる。
「もう少し上……強めで。あぁ~、ありがと。すっとした。悪いね」
「いえ」
プリヘーリヤはある出来事で負傷してから何年もの間、首から下が動かせずにいる。ヤーヴィスは孤児や傷痍兵など頼りの無い人々の支援活動を長年行っていた。
「君の為なら何てことはありません。愛していますよ、プリヘーリヤ」




