第23話 総統
ゾティーク帝国の首都レガーティア。その大動脈たるテールズ川の清流を見下ろす川畔に、白磁と青瓦のコントラスト眩しいイルーニュ離宮は佇んでいた。天に向かって幾重もの水のアーチを描く白亜の大噴水。幾何学模様を描いて美しく調律された広大な庭園には、大陸各地から集められた極彩色の花々が咲き誇り、平時であれば帝都市民の憩いの場として、あるいは恋人たちが語らう観光の名所として賑わう場所である。
そんなイルーニュ宮殿のテラスには国旗が二枚掲揚されている。一つは言うまでもなくゾティーク帝国旗。もう一方は、ブロンボ王国旗。たなびく二旗の下、緊張が張り詰めていた。
ブロンボ王国第一王子、アンドリュー・ブロンボ──ゾティーク帝国が誇る最新鋭の魔導列車の視察に訪れ、先の傭兵団による急襲騒動を生き延びた彼を迎えるため、ゾティーク帝国第12代皇帝ヴィルヘルム・メンデルスゾーン12世との会談が、このイルーニュ離宮にて執り行われているのである。
国家の根幹を揺るがす要人が一堂に会するとあって、普段は市民に開放されている庭園内は完全に封鎖され、全身を鋼の甲冑で固めた近衛兵たちが盤石の警戒網を敷いていた。
しかし──離宮を遠巻きに囲む巨大な鉄柵の向こう側、帝都の大通りには地鳴りのような人集りの熱気が溢れ返っていた。入場を規制された数百もの帝都市民たちが、ひと目あの男の姿を拝もうと群衆となって大挙していたのだ。
瑞々しい青葉を望める回廊を、優雅に行進する一団があった。
会談を終え、皇帝に別れを告げて退出してきた一行の先頭を歩くのは──一見線の細い優男風でありながら、よく見れば筋肉質な体躯であり、まるでこの世の総てを従えているかのように肩で風を切り悠然と歩を進める男。
時代の風雲児、現ゾティーク帝国総統──エメット・ハルトマンである。
先の魔導列車擱座において、自国の管理不届きにより他国の王子を危険に晒した非を認めるべく、ハルトマンはこの会談の場へ直接足を運んでいた。会談の最中、ハルトマンは皇帝の傍らで極めて低姿勢に、かつ完璧な外交辞令でもって王子への謝罪と説明を遂げ、見事にその場を収めてみせた。……だが、一度会談の席を立てば、全身から溢れ出す圧倒的な覇気とカリスマは隠しようもない。
「……何だ、あの失礼な小太りは」
離宮の重厚な扉が完全に閉まり、皇帝や他国の使節団の視線が完全に途切れた廊下で、ハルトマンは小さく溜息を吐いた。彼は恵まれた環境に甘えて努力もせず肥え太る人間を好まぬ人間であった。
「閣下、お言葉が過ぎます。相手は一国の第一王子……」
歩調を合わせる側近の将校が冷や汗を拭いながら声を潜める。ハルトマンは冷ややかな表情のまま言葉を紡ぐ。
「事実だろう。他国の好意で用意された魔導列車に乗り込んでおきながら、己の不注意も棚に上げて文句ばかり。……まあ良い。愚鈍な男ほど外交の盤上では扱いやすい。命が無事だったことだけは重の幸いだな」
皮肉混じりの一言で会話を切り上げると、一行は白砂の敷き詰められた前庭へと抜け出た。
その瞬間、鉄柵の向こう側から地鳴りのような歓声が上がった。
『ハルトマン総統閣下ーっ!』
『閣下! 帝国に栄光を!』
『キャーッ!! 閣下ー!!』
入場を制限された群衆が総統の姿を認めると一斉に手を振り、押し寄せていた。
ハルトマンは足を止めると、ゆったりとした手つきで群衆へ向かって手を振り返す。その一挙一動に、悲鳴に近い歓声が湧き上がる。
「閣下、あまり近付かれますと危険です。本日の警備は万全を期しておりますが、過激派の動きも掴み切れておりません。速やかに馬車へ――」
「警護の努力には感謝している。……だが、俺が民を恐れて逃げるような真似をすれば、彼らは誰を信じれば良い?」
制止しようとする側近の肩を軽く叩き、ハルトマンは迷いの無い足取りで鉄柵のすぐ手前まで歩み寄った。群衆の熱気に押されるかたちで最前列に来てしまった様子の小さな童女の目線に合わせるように腰を落とし、優しく微笑みかける。
「怪我は無いか? 大層な人集りだ。押し潰されないように気をつけろ」
「あ……はい! そうとうかっか、がんばってください!」
「ああ。ありがとう」
少女の頭をそっと手撫で、立ち上がったその瞬間であった。
──ズン、と。大気を震わせる歪な魔力波動が群衆の中に紛れていた四つの影より弾けた。
「エメット・ハルトマンの首! 貰い受ける!!」
気声と同時に、市民の悲鳴が上がる。
群衆を押しのけて跳躍したのは、全身を高度な魔導具で固めた一団。Aランク冒険者パーティ──旧・血統派政治家らに高額で雇われた刺客であった。
前衛の重戦士が巨大な大剣を振り被り、民衆を飛び越えて空中からハルトマンの頭上へと振り下ろす。同時に左右から双剣士と魔術師が挟撃の構えを取り、完璧な連携で退路を断つ。
「閣下!?」
「敵襲! 宮殿へは一歩も近付けるなっ!」
側近の将校が声を上げる。同時、庭園の近衛兵たちが青ざめて剣を抜こうとした──その時には、既に勝負は決していた。
ハルトマンの視界が、緩やかに加速する。
クォーターエルフ特有の絶大な動体視力と魔力察知が、刺客たちの筋肉の収縮、魔術の構築ルートをコンマ数秒の間に完全に解読していた。
彼の前では高位の冒険者も眼前の少女も大した差は無い。
空気を切り裂く最小限の踏み込み。
ハルトマンは少女を片手に抱きかかえて一歩、前へと踏み出たのだ。彼には恐れも不安もありはしない。狂気とも取れる圧倒的な努力に裏打ちされた執念めいた生存能力が彼を前へと押し進めた。
大剣が振り下ろされる直前、ハルトマンの左拳が重戦士の鳩尾へ正確無比に突き刺さった。魔力を凝縮させた寸拳は重厚な鋼鉄の胸甲が内側から砕け散り、巨体がくの字に折れ曲がって背後の双剣士へ激突する。
「ガっ──!?」
仲間とぶつかった双剣士は何が起きたのか理解が追い付かない様子でいた。
その間にハルトマンは少女を安全圏へと逃がしてから、体勢を崩した二人へ振り返りざまに一閃の旋風脚を叩き込んだ。衝撃波が突き抜け、二人は声もなく吹き飛び石畳へと叩きつけられる。
残る後方の魔術師が、冷や汗を流しながら詠唱を完成させようと杖を掲げる。
しかし、ハルトマンが腰の得物を抜き放つが疾い。文字通り「剣を鞘より抜き放つ」、抜剣術の応用にして終着地──投げ抜きであった。刃は回転しながら飛び、魔術師の脳天へと柄頭が激突する。次瞬、圧倒的な運足によってエモノへと追い付いた男は鞘を腰ベルトから抜き取り刃を掬い納めれば、くらりと崩れゆく魔術師の腕へと鞘を叩き付けた。
時間にすれば、わずか二秒。側近達がようやく数歩駆け寄った時には、三人の刺客が沈黙していた。
「ひ……ヒィッ!?」
残された最後の一人──斥候職の女が、あまりの出来事に狂乱した。女は自棄になり、目の前で腰を抜かしていた市民の首元へ短剣を突きつけようと手を伸ばす。
「こ、来い! や、来るな! 動くな! 動いたらコイツを──」
狼狽する女の言葉が最後まで紡がれることはない。
ハルトマンの碧眼は熱く燃えている。
メキリ──。
鈍い音と共に数ルクあったはずの間合いが瞬間的に縮まっていた。彼の挙動を認められた者はこの場には居ない。斥候の肩へと総統閣下の膝がめり込んでいるという事象が起きていた──歴戦の将校でさえ結果のみが情報として流れ込んできた次第であった。
飛び膝蹴りによって鎖骨を砕かれた女の腕はだらりと解け、握られていた短剣は音を立てた。
「……ぉわぁ、あああああ!!」
少し遅れて、腰を抜かしていた男が絶叫を上げる。助かった──助けられた。だというのに、今眼前に居る存在が酷く恐ろしく圧倒的に思えた。
しかし次瞬、彼の絶叫を鳴り物に一呼吸遅れて、爆発的な歓声が巻き起こった。
「うおおおおおっ!!」
「ハルトマン閣下! 万歳!」
「帝国の英雄万歳!!」
彼ら帝国民は光に目を焼かれていた。
貧民街から己の腕と智慧のみで成り上がり、いまやこの強大な帝国を統べるまでに至った男──エメット・ハルトマン。誰よりも強く、誰よりも気高く、そして弱き民のために躊躇いなくその身を投じる。男達はその圧倒的な武勇に身震いするほどの憧れを抱き、女達はその無償の慈愛に歓喜の涙を流し、子供たちはいつかあのようになりたいと目を輝かせる。
『この男がいる限り、我らの帝国は不滅だ』
『ハルトマン閣下についていけば、間違いはない』
理屈を超えた強固な確信と崇拝めいた信頼が地鳴りのような熱狂となり、帝都市民たちの胸を熱く焼き尽くしていた。
「ミシェル少尉、全員拘束しろ。息はある筈だ。この程度で死ぬようなタマでもないだろう……雇い主を吐かせる」
得物をベルトへと差し直しながら、部下へと指示を出す。
「ジモン准将、金の回りを改めさせろ。通してはいないだろうが……念のためギルドも当たれ」
ハルトマンは人の眼を見て物を言う。誰が何の為に何をするのかを使命として全うさせる──そんな魅力が彼にはあった。誰もが「あんな風になりたい」と感ずる模範的な軍人。
民を守る英雄でありながら、陰謀を見逃さない冷徹な指導者。その圧倒的な覇気を纏ったまま、ハルトマンは待機させていた馬車へと悠然と乗り込んでいった。




