第22話 到達
──煮えたぎる大気。空を覆い尽くす赤黒い魔力の渦。視界の全てが、燃える肉と鉄の焦げる臭いに塗れていた。
鼻腔を突く腐爛した鉄と血の臭気が喉の奥を焼け付かせる。足元に転がるのは、貌さえも判別のつかぬ亡骸の山。かつて己が背を預け、そして己の無力さ故に守り切れなかった者たちの無言の詰問。
『────』
彼らは何も言ってはくれない。けれど、己は其の視線に耐えられず、逃げ出した。
『何故──』、『どうして──』、『お前は──』と、聞こえない声が鼓膜を揺さぶる。
走る。走る。走る。走っても走っても進めない。どんなに足を動かしても彼らの声が遠ざかることはない。
逃れようと、縋る思いで手を伸ばす。揺らぐ視界には、硝子細工のように儚い彼女の姿があった。
ミリィ──!
叫んだはずの彼女の名前は声にならず、泡となって血の海に消える。
少女は此方を振り向こうとし──其の瞬間、紅蓮の手甲が彼女の華奢な胸腔を容赦なく貫いた。
ミリィ!
手が届かない。指一本分の距離が、果てしない深淵のように遠い。
溢れ出る血が視界を赤く染め上げ、彼女の瞳から光が失われていく。
己は膝から崩れ落ちた。
まただ。
また己は、守るべきものを其の手から零し落とした。我が身を盾にすることもできず、唯無力に、醜く生き残って──。
『──だ』
微かに声が聞こえた。
『まだだ』
今度は鮮明に聞こえた。
『まだだ!』
鼓舞するように男が吠える。
ジンが己の腕を引き上げ、立ち上がらせる。
どうして……?
そう思った刹那、彼の姿は霧散していた。己がジンだと思った人物は眼帯の女性だった。
『待たせたな』
ジンではない彼女──レイチェルの言葉でも胸がすく思いがした。
視線を再びミリィの方へとやると、彼女の姿は無く、彼女を刺し貫いた張本人たるミカヅキが愉しげに笑って立っていた。
◇◆◇◆
「あ! 起きた。レイチェルさん、イェゴール目を覚ましました」
「そうか」
ミリアルテの言葉に、レイチェルは一息つく。
「もう~……心配したんだからね?」
「え、嗚呼」
イェゴールはまるで状況が掴めぬまま、口から音を溢す。
「クフフ、寝ぼけてる」
「嗚呼……」
イェゴールの視線の先、覗き込むように少女の顔が逆さまに映る。そして気が付く。後頭部の柔らかな感触、甘やかで爽やかな匂い。
「……!」
男は飛び起きた。頭が重く、憂鬱な気分であった。
「己は……!?」
イェゴールは咄嗟に左腰へと手をやったが、得物が無いことに気が付く。視線を走らせれば、ミリィの対面の座席に横たえられている軍刀を認めた。
「大丈夫だよ。ここは安全」
ミリィはイェゴールの目を見て、ゆっくりと伝えた。
(ミリィが居る。豪奢な座席……)
「ミリィが居る。豪奢な座席……」
イェゴールは思考をそのまま口にして、状況を理解せんと朧げな頭で考える。周囲を見渡せば、どこか疲れた様子の乗客らが認められた。
「列車……客車か……」
事態は理解したが、この状況となった因果を理解できなかった。
彼は、自身がどのようにして客車へ戻って来たのか覚えていない。
「ちゃんとお礼言って? イェゴール。レイチェルさんが運んで来てくれたんだからね?」
「え……嗚呼。ありがとう、ございます。レイチェル」
「大事無い」
イェゴールは漸く自身の状況が掴めてきた。
「私よりそいつを労ってやれ。傭兵連中を無力化したのはそいつだ」
言われ、イェゴールは思い出す。
傭兵団邪轟侵域の首魁ミカヅキと交戦した後、”魔王の指”によるトラブル対処。そして帝国軍のクラヴィウスとやらに因縁を付けられて戦闘になった。事態が収束して集中の糸が切れた──ここまでが彼の思い出すことが出来た範囲。そして、結果として意識を失ってしまったのをレイチェルが客車まで運び込んでくれたようだと理解する。
「ありがとうございます、レイチェル」
ミリィに促されるまま礼を口にして、どもってしまったので今度はきちんと礼をする。
「構わない。私の方こそ面倒を押し付けてすまなかった」
「え?」
「客車の方は何事も無かったからな」
そう言ってから、レイチェルは一歩イェゴールへと近付き耳打ちをした。
「途中、異様な魔力の発生こそあったが……すぐに納まった。お前が何かしたのか?」
「まぁ……」
男は曖昧な返事を返す。ミカヅキの話からも、彼──彼ら魔導改造兵の存在は今なお秘匿されているらしい故に、誤魔化すことにした。
「そうか」
それ以上、レイチェルも問い詰めることはしなかった。
◇◆◇◆
夜が明けるまでの客車の護衛はレイチェルが単身で行った。イェゴールも交代を買って出たが、彼女はそれを「見くびるな」と断った。
血の匂いを嗅ぎつけた獣の討伐が二、三行われた。乗り合わせていた乗客の内、起きていた者の何人かは車窓からその様子を見物していた。
血と暴力──命を懸けるという見世物はいつの時代も人を釘付けにする魔性があるのだ。
イェゴールは常の如く眼が冴えてしまい、手持無沙汰がちに座席に深く腰掛けて身体を休めるよう努めた。
東の地平が白み始め、夜霧が朝靄へと溶け出していく。未だ夜の帳は濃い。されど、黒一色だった空の底に薄青い光が滲み始めている。
イェゴールは片目だけ開けて、車窓からそれを眺めていた。今になって眠気が来た。数刻前まで覚えていた滾りや緊張も今は随分と薄れている。
止まった列車。破壊された線路。黒く煤けた大地──。その光景だけを見れば、ここが戦場の跡地であることを否定するのは難しい。だが、客車の中には人が居る。眠っている者。小声で話す者。不安げに外を眺める者。そして、何事も無かったかのように身支度を整え始める者。
先の戦いは終わりの見えない戦争ではない。少なくとも、今は。
「……夜が明けるか」
自分に言い聞かせるように、イェゴールは誰にともなく一人言ちる。
その時だった。途切れた鉄路の先から、地の底を鳴らすような無数の蹄音と硬い車輪の響きが届き始めた。
「帝国軍だ!」
誰かが叫んだ。それを目覚ましに、眠気眼を擦りながら一斉に客車内が活気付いた。
緊急要請に応じ、最寄りの拠点より派遣されたゾティーク帝国軍の救助部隊であった。十数頭の軍馬に曳かれた大型の軍用輸送馬車と、武装した歩兵隊。そして大勢の衛生兵が崩落した橋の手前で一斉に停止する。
「ゾティーク帝国軍です! 皆さんを最寄りの駐屯地へお送りします」
部隊は二手に分かれた。一方は客車へ、もう一方は戦場跡へ。戦場跡の方は救護兵が大勢向かった。何せ、傭兵団との戦闘に加えて魔力汚染で暴徒化。それをイェゴールによって鎮圧された都合死傷者が多くいた。
乗客の方は幸いにも怪我人──重傷者は居なかった。精々が掠り傷や軽い打撲といった程度のものであり、簡単な治癒魔術をかけてもらう程度の処置を受けて乗合馬車へと乗っていった。
が、しかし──。この列車に乗っていたのは身分相応に気位の高い人々。背に腹は代えられないと頭では分かっていながらも、軍の汚──訂正、綺麗ではなく無骨で座席もない無蓋馬車に対してぶちぶちと文句を垂れる者も少なからず居た。
「何だこれは! 泥と煤に塗れた、兵員輸送用の荷馬車に乗れと言うのか! 私達は帝国の招待を受けた身だぞ! 傭兵団に襲われ命の危機に合わせておいてこの扱い。もっと然るべき馬車を用意するのが筋ではないか!」
抗議の声を上げたのは、豪奢な衣装を纏った太った男だった。貴族か有力商人だろう。彼の言葉に同調するように、周囲の乗客からも不満と呻き声が漏れ出す。
せめて皆一様に同じ扱いであれば割り切ることが出来たかもしれないが、貴賓用のキャビン型に乗せられたのが居たというのが良くなかった。
「小さくてみすぼらしいが……許そう。僕は寛大だからな!」
アレよりはマシだと理解した様子でずんずんと乗り込んだのは彼の王子──アンドリュー・ブロンボ。流石に一国の王子と役人・名商エトセトラとを同じ扱いにするわけにもいかなかった帝国軍の精一杯の国賓待遇がこれであった。
「線路が途絶した今、臨時で出せる最速の足がこれです。ご不満なら帝都まで徒歩で向かわれますか?」
この救援部隊の隊長らしき人物は臆することなく言葉を返した。軍──国からすれば、物資の輸送が破綻した現場の後始末であり、乗客の快適性など知ったことではないのだ。
兵員用の無骨な乗合馬車は固い木製の座席があるだけ。文字通り「人を運ぶための箱」だった。革のクッションもなければ、サスペンションの効いた車輪もない。そこに十把一絡げに押し込められた乗客達は互いに肩を窄め、泥のついた床面に露骨な不快感を示しながらも、生き残るために黙って座席へ着いた。
「イェゴールも乗りなよ」
「己は……」
馬車には乗らず歩くつもりでいた様子だ。しかし──。
「後ろが閊えている。さっさと乗れ」
まごついていた彼の背を押したのはレイチェル。彼女は軍人らに協力していた。件の馬車へは乗らず、王子の馬車を護衛する役務もある。
「あ、嗚呼……」
促されるままイェゴールはミリアルテの隣へと腰を下ろした。
上級冒険者であり中将の養女だという彼女と、身分の無い木っ端冒険者の自分とでは担うことが出来るものがまるで違ってくるということをイェゴールは嫌と言うほど理解してしまった。出来る事とやらせてもらえる事は別なのだ。
ガタゴトと、身体を突き上げるような激しい衝撃と共に馬車が動き出した。
馬車に揺られながら、イェゴールは一人懐かしさを覚えた。この乗り心地の悪い馬車に詰め込まれる感覚が、軍属時代のことを思い起こさせたためだ。
◇◆◇◆
途中休憩を挟みながら、五時間程で到着した。列車が擱座した地点から最寄りの駐屯地がある町、シャウロン。駐屯地を擁するものの小さな町で、専ら軍の拠点を中心として経済が成り立っているといった雰囲気だった。
駐屯地へ到着すると事故の補償として基地では随分と厚遇をされた。大きな医務室を寝床として解放され、食事まで提供された。生憎の悪路と硬い座席に貴族らは終始恨み節を吐いていたが、軍として出来る限りの対応ではあったろうことを理解してか文句を言う人間も少なくなった。
が、代わりにと言うべきか、軍からの簡単な事情聴取を受けた。
そして翌朝、軍が手配した乗り心地の良い長距離馬車へと引き渡されて、一路帝都へと向かった。
四日間の旅路は恐ろしいほどに穏やかであった。道中、何度か野盗や魔物の類が街道を脅かしかけたが、先頭を往く王子が乗る馬車の御者席の隣で腕を組んだレイチェルが一瞥を投げるだけで、大抵の相手は命の危険を察して逃げ出していった。Aランク冒険者の威圧感というのは伊達ではないらしい。
昼は馬車の揺れに身を任せながら、イェゴールはミリィと他愛もない昔話や装具についての話をした。かねてから興味を抱いていたらしい軍刀についての説明を男はした。
試製型・89式魔導軍刀【コンスタラシオン】。かつての大戦時にある一部の兵──オーバーロードに持たされた魔導軍刀。各員の体躯や得意な戦技に合わせて打たれた一点物の数々が一振り。イェゴールが取り分け得意とする亡国の流派ハイネゴシクに合わせた片刃で反りのある形状の刀剣。当時は今よりも稀少であった魔石をふんだんに使用した合金から鍛造した逸品。刀剣としての品質は言うまでもないことに加え、魔力を込めることで研磨と修復が出来る。更には魔杖としても扱える上に、剣撃に魔術を纏わせたりすることも出来るという代物だ。
「綺麗だね。この、刃にうねうねって模様が出てるのが」
「刃文だな。小乱れと呼ぶものだったか」
父から譲り受けた刀を参考に、わざわざ人類軍の鍛冶師が古い文献を読み漁ってウンデキウムの刀匠の手記に辿り着いてくれたが故に、失われた技術を再現してくれたものだとイェゴールは話した。
「熱心な人だった……あ」
「どうしたの?」
「彼も長命種だ」
イニシラでミリアルテに知り合いの長命種族が居ないかと聞かれたときのことをふと思い出した。
「鍛冶師の人?」
「嗚呼。ドワーフだ。手先は当然器用なんだが……不器用な性格の男で、刀を叩く合間に『お前の剣が分かるようになりたいから教えろ』と言ってきた。己を『師匠』と呼ぶ奇特な人だよ」
「教えたんだ」
「教えると言っても……互いに本業があるからな。合間にしか見てやれなかった。簡単なことだけだな。刀の握り方や振り方の基礎くらいだったと思う。己のは、他流に比べて特殊だという自覚がある」
彼の得意とするハイネゴシクは三大流派のどれとも異なる形質の剣術であった。それ故に鍛冶師も興味を持ったという次第なのだが。
「個の突飛な技や特異性は本来、軍という組織においては扱い難いノイズに過ぎない。集団として規格通りに機能することこそが求められる」
「それじゃあイェゴールは……」
「異端だったさ。だが、当時の人類軍には選り好む余裕など無かったのだろう。規格から外れた歪な存在であれ、眼前の敵を討てる戦力になるならば、毒であろうと何でも良かったのだと思う」
自嘲気味に息を吐き出し、イェゴールは軍刀を静かに鞘へと納めた。ミリィはその横顔をどこか切なさの混じった目で見つめていたが、やがてその小さな手をイェゴールの手の上にそっと重ねた。
「ミリィ……?」
彼女はゆっくりと瞬きを返した。
◇◆◇◆
四日目の午後──。揺られ続けた馬車が遂に大きな減速を見せた。
「見えてきたぞ。レガーティアの砦だ」
レイチェルの声が飛ぶ。
「おお……」
イェゴールは思わず感嘆の声を漏らした。
街道の先、地平線を覆い尽くすように佇む圧倒的な存在感。雲を突くかのような白亜の三重外壁と、その内側に整然と立ち並ぶ巨大な尖塔群。太陽の光を浴びて輝くその城塞都市は、文字通りゾティーク帝国の心臓たる威容を誇っていた。
「八十年前とは結構違う?」
「嗚呼。己の知る其れよりも一層堅牢になっているな」
やがて馬車は第一外壁に設けられた巨大な検問所へと差し掛かり、硬い音を立てて完全停止した。
「やっと着いたか……」
「長かったな」
乗客達が安堵の息を漏らし、荷物を手に取り始めたその時だった。
外から響いたのは重苦しい金属甲冑の擦れ合う音と、統制された無数の足音だった。
「これより特別検問を行う! 乗客は動くな!」
鋭い一喝と共に、馬車の前後が重装の帝国軍憲兵隊によって瞬く間に包囲された。殺気立った気配に客室内がは一変して静まり返り、乗客の顔に緊張と恐怖が走る。
(……何事だ?)
イェゴールが眉を顰めた瞬間、馬車の扉が荒々しく開け放たれた。立ち塞がったのは、将校らしき男と手枷を手にした二人の兵士だった。
「乗客の中に『イェゴール』と呼ばれる冒険者は居るか!」
「……己だが」
当のイェゴールは大人しく挙手をして名乗り出ると、将校の鋭い視線が男へと射抜かれた。
「貴様か。──諸々は省くが、拘束する。大人しく同行してもらおう」
「なっ……!?」
ミリィが悲鳴に近い声を上げ、イェゴールの服の裾をギュッと握りしめた。
「え! ちょ、ちょっと! 困ります! 私の護衛をしてくれてただけなんです! 待ってください! イェゴールは何も悪いことなんてしていません! 列車で皆を守ってくれたんです!」
そう訴えながら、帝国大学の学生証を見せる。
「ザイドリッツ……クラークの」
将校はザイドリッツ家のことを知っている様子だったが、それはそれこれはこれとばかりに一瞥するのみに止め、イェゴールから武器を取り上げて手錠をかけさせた。
「事情聴取です。逮捕して処刑だなんだなんてことにはなりません。……多分」
ミリアルテを優しく引き離した兵士が自信無さげに言った。
「多分って……!」
「あの、少し宜しいでしょうか?」
「……」
下士官が目配せをすると、将校は頷き、手錠をしたままイェゴールはミリィの元へと戻るのを許された。
「ミリィ、大学へ行け。其れで己の此処までの役目は果たされる。君を無事……と言って良いかは分からないが、怪我無く帝都まで送り届けられただけで己は嬉しく思う。久方ぶりに何事かを成せた気がする。ありがとう」
「そんな……」
ミリィは目に涙を溜めて、かけるべき言葉を探す。
「お別れみたいに言わないでよ……」
「別れになるかもしれない。挨拶は出来る内にしておきたいからな。けれど、別れにはならないかもしれない。また出会うためにも、君には大学に居てもらいたい。帝都は広い……はずだ」
ぎこちなく下手くそな苦笑を浮かべながらイェゴールは続ける。
「己は此れから何処へ連れて行かれるかも分かっていない。どれ程かかるかも分からない。だが、解放されたら、君に会いに行くつもりだ。大学に居てくれると、再会しやすいからな」
「うん……。うん……」
堪えていても、ほろほろと雫が零れてしまう。
「其れから、直ぐにご両親へ手紙を出すんだ。襲撃……事故の件と何方が先に耳に届くかは分からないが、少しでも早く家族を安心させてやるんだ。家族は、居る内に大切にしろ」
「うん。分がっだ……!」
「では、また」
そう残して、兵士へ連れられてイェゴールは去って行った。
第1章 ゾティーク帝国北部編 終




