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第20話 因果

 魔王アザトルト──その名を耳にした瞬間、イェゴールの背筋を氷の針で突かれたような戦慄が駆け抜けた。

 今の世から見て八十年前、人類を絶滅の淵へと追いやった元凶。光の使徒と魔導改造人間らが命を燃やして抗った存在。食糧難にあった魔族を率いて人類──双星サンクト合衆国へ侵略戦争を仕掛けた首領。


「”魔王の指”って知ってっか?」


 ミカヅキはイェゴールの狼狽を愉しむように薄笑いを浮かべながら、貨物車両の奥──不快な気配の源泉を顎でしゃくった。


「俺とテメェらの居た戦争──今に言う『塵界魔京戦役』の末期、敗北を悟ったアザトルトはテメェの十二本の指を世界中に撒き散らした。いつか全てが揃い、再臨を果たすための保険としてな」


 イェゴールはそんな話は聞いたことがなかった。そして、そんな状況を自分が戦場に居た内には目にしなかった。


「まさか、貴様は魔王復活を企んでいる……」


「……もっとも、人類側も馬鹿じゃあねェ。見つけ次第壊して回ったお陰で、魔王復活のメなんざとっくのとうに潰れてる」


 「人の話は最後まで聞くんだな」とでも言いたげに飽きれた調子でミカヅキはイェゴールの言葉を無視した。


「ま、俺は魔王サマのおかげで変われた──そう思っているからよ。復活してくれりゃまた傘下で暴れたいところだったんだが……こればっかりはどうにもならねェ」


 やれやれと頭(かぶり)を振りながら続ける。


「俺に出来ることァ、本気で生きることの価値を魔王に示してもらった以上、やるべきことを全力全開で全うすることさ」


 全力全開で全うすることが人類へ被害を出すことだとすれば堪ったものではない。


「……何故そんな物が軍の輸送列車にある?」


 自分語りを断ち切り、イェゴールは”魔王の指”とやらへ話を戻させる。


「それはコッチも知りたいところだ。俺達ァ『帝国軍の新兵器』とやらを狙って来たってのに、蓋を開けてみりゃ呪物ときたもんだ」


 本当に肩透かしだったという様子でため息を一つ。


「本当に知らねェみたいだから教えてやるよ。人類の大義として”魔王の指”は発見次第破壊するように言われちゃアいるが……”魔王の指”ってのは、注ぎ込まれた魔力を爆発的に増幅させる性質がある。──こんな風になァッ!」


 ミカヅキはイェゴールでなく貨物車両を目掛け、正拳突きと共に魔力を解き放つ。それは法術といった体系化されたものではなく、何よりもプリミティブなやり方──魔力というエネルギーを只、拳圧に乗せて伝播させる。帝国兵も傭兵も区別なく、ミカヅキが放った奔流によって破砕され、金属製の貨物車両をも打ち砕く。

 そして、その魔力が件の代物──”魔王の指”へと届いた刹那。


「ぐっ……!? 此れは……」


 ミカヅキの放った魔力は、そう多大なものではなかった。だというのに、今大気に満ちている魔力の濃度は人間が呼吸をすることも困難な程に高まっていた。


(呼吸を侵す粘つくような重圧。肺腔が直に灼かれるような不快な熱感──間違いない。此れは塵界の最前線で肌を焼き破っていた大気。魔族の領域に充満していた、人族の肉体を内部から毒し、精神を崩壊させる高濃度の魔力)


「カッハッハ! 見ろよ影の英雄! たった一脈の魔力を注いだだけでこの有り様だ!」


 爆ぜた鉄棺の奥、歪んだ金属の隙間から溢れ出す紫黒の霧が瞬く間に夜気と混ざり合い、周囲を呑み込んでいく。


「ひ……ヒギィッ!?」

「うああっ、頭が……頭が割れる……ッ!」


 絶叫を上げたのは、貨物車の周囲で刃を交えていた帝国兵達だった。魔力抗体を持たない一般の兵士がこの濃密な魔力という呪いを直に浴びて無事でいられるはずもない。

 しかし、帝国軍の奮戦によって数を減らしていた傭兵達は変わらぬ調子で破壊活動を繰り広げていた。そして当然、苦悶する帝国兵らは隙だらけの案山子であるが故に──。


「何故お前の傭兵共は無事でいられる?」


「無事ィ? あぁ、無事と言えば無事だが……アイツらは端っからパァだからな。今更魔力汚染でどうにかなるタマじゃねェよ。ウチの末端は明日を諦めた連中だ。夢も希望も無い奴等に、薬物投与と催眠と、過剰な魔力供給でハイになってもらうのさ。明日があると慰められたところで、土台しょうもない今日の続きを生きるなら──と最期に何とかイイ思いをしたいなんていう刹那主義の末路がアレだ。邪轟侵域(レッドゾーン)はヒトも魔族も区別しない。ウェルカムなのよ」


「……ッ」


 余りの惨たらしさにイェゴールは言葉を失う。


 悲鳴はやがて、獣のような濁った唸り声へと変貌する。兵士達の眼球に血の網目が走り、顔面の静脈が黒く浮き上がった。正気を焼き切られた者達は頭を抱えてのたうち回り──次の瞬間、眼光を迸らせながら手近な者へ無差別に刃を突き立て始めた。

 敵兵を千切っては投げ、味方であるはずの同僚の首を刎ねる。正気を失った帝国兵が狂乱のままに、倒れた傭兵の顔面を剣の柄で幾度も打ち砕く。敵も味方も存在しない。ただ眼前の動く肉塊を破滅させるためだけに動く暴虐の群れ。


「これで分かったろ? ”魔王の指”を都合の良い増幅器として兵器や動力へ技術転用しようと目論む人間も少なくはない。眉唾物の情報だったが……まさか彼の帝国まで手を染めようとしていたとは驚きだなァ? コレが表沙汰になりゃハルトマンフィーバーも終わりかァ? いや、アイツのことだ……他の大衆ウケする政策でも打ち出して、あっという間に支持を回復させるか」


 くつくつと笑いながら、ミカヅキは自分が引いた地獄絵図を遠巻きに眺める。


「で? お前はどうするよ? 今からじゃあ手遅れ……っとォ」


 ふいと側に居たはずの男へ問いかけようとしたが、当のオーバーロードは既に戦場へと身を投じていた。


「アイツの本気(がんばり)次第で結論は変わるか……。ま、俺も部下達に与えた分で素寒貧だからな。大した魔力にゃアならねェだろ」


 ◇◆◇◆


(己(おれ)一人で維持出来る結界の範囲でも客車までは届く。だが、帝国兵──否(いや)、暴徒の無力化も必須)


 過密魔力の中和──此れは最早「呼吸」と言っても差し支えない程に慣れたものだ。常人が塵界の過密魔力の中でも生存できるようにする術を常時発動するために改造手術が施された身である。

 問題は後者、暴徒化した兵と最初から暴徒であったらしい傭兵の方だ。事象として魔力汚染によって精神を蝕まれて暴走する人間が出ることは知っていたが、いざ対峙するのは初めてであった。


 しかし、鉄火場に足を踏み入れた己は悩み考えながらも、何より先に身体が動いていた。


 迫り来る暴徒らの腱を斬って足を止めさせる。這ってでも殺す先を求めんと蠢く者を認めれば、四肢を凍結させることで動けなくする。

 其れを何人、十幾人……其処から先は数えることも止めた。何度も何度も繰り返す。


 大気に満ちる魔力は気が付けば正常な濃度に戻っていた。ミカヅキの放った魔力が少なかったことが幸いしたのだろう。

 そして己は貨物の最後方車両、屋根も壁も失い箱型を留めてすらいない、ひしゃげた金属へと飛び乗った。


「此れが……」


 何か謹製らしい複雑な紋様の刻まれた匣に鎮座する物体。


「”魔王の指”──」


 干からびてこそいるが、其れは紛れもなく「指」であった。見ようによっては枯れ枝のように見えなくもないが、如何(いかん)ともしがたい生理的な不快感を抱かされる。細く長い其れは親指ではなさそうだが、何指とも呼び難い外見をしていた。そもそもとして、十二本ということは魔王は多指なのか──人間であれば五本の指に呼び名が付いているけれど、六本目は何指と呼ぶのだろうか? なぞと無益な事を考えている場合ではない。

 現代人は此れを見つけ次第破壊して回っているのだそうだが、無軌道で無秩序な破壊活動を行う傭兵の説明を素直に信じて良いものか悩ましい。

 だが、目の前の”魔王の指”とやらが此の惨状を齎した元凶であることは疑いようもない。己の眼で見た事実だった。


「ミリィに相談するか……」


 魔導遺物学に云うところの遺物と呼ぶには些か歴史が浅いようにも思えたが、破壊をして問題ないのか──あるいは破壊をすべき物体なのかという事実の確認をしてから対処すべきに思える。


「だが……」


 こんな物を持って客車へ見せに戻る訳にはいかず、かと言って此れを置いて客車へ行っている間にミカヅキの手に渡る可能性も捨てきれず。

 己は踏ん切りがつかずに立ち往生していた。


「動くな! 傭兵ッ!」


 突然に、声が降ってきた。

 いつも手なりで書いて、キリのよいところまでで区切っているのですが、今回は短くなってしまいました。

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