第18話 団長
「カッハー!! オォウ! オォオウオウ! 狙い通りじゃあねェの!」
断崖の頂から、燃え盛る鉄橋を見下ろし、男は嬉々として夜に吠えた。夜闇を紅蓮に染めて炎上する鉄甲船。ねじ切れ、ひしゃげ、奈落の川底へと崩れゆく線路。ゾティーク帝国が誇る最新鋭インフラの破壊、その糸を引いた張本人こそが彼であった。
男の名はミカヅキ。齢千を超える半人半魔にして、世界を股にかける残虐非道の傭兵団邪轟侵域の頭目。邪轟侵域は傭兵稼業らしく金で動き、昨日の友を今日の仇に変え、破壊の限りを尽くす災厄の暴風。近年はゼムリヤ公国貴族という大口のパトロンを得て、専らゾティーク帝国の国力を削ぐための暗躍に興じていた。
「急ブレーキの衝撃で首でもやっておっ死んでてくれりゃあ一つ片付いて楽なんだがなァ。『哀れ、新型列車の視察先にて不慮の事故により逝去』……んなタマならハナっから王の器じゃねェってとこだよなァ!? 王子様よォ?」
ミカヅキはくつくつと喉を鳴らし、夜風に混じる鉄の焦げる臭いを深く吸い込みながら、楽しげに指を折る。
「俺ァ、ブロンボの連中は嫌いじゃあない。ドンパチやってるノラギマ、デケェ顔してる公国、顔色窺いしてるオルッテとエジミもつまんねぇ。……どこにも靡かず中立掲げてる根性が良い。そのくせ腹ん中はギラつかせてるのが好い。公国の汚ェ貴族らしさはキッチリ引き継いでやがる」
ゼムリヤ公国──極寒の大地オクホタ大陸ほぼ全域を支配する超大国。かつてその過酷な環境と厳しい階級社会に背を向け、公国から離脱・独立を果たした四つの国家。それが「独立四国」と呼ばれる地域であった。
不毛な神学論争と宗教対立の火種が未だに燻り、果てなき内紛によって絶え間なく血を流し続けるノラギマ共和国。
双星サンクト合衆国の先進的な魔法技術と文化を受け入れ、親サンクト寄りとして急速に民生を発展させるエジミ共和国。
かつての宗主国であるゼムリヤの顔色を伺い、その強大な国力に依存し続ける日和見のオルッテ共和国。
そして、表面上は中立を標榜し、精強な軍事力を独力で維持しながらも、その腹の内には公国貴族特有の生臭い権力闘争をどす黒く煮詰めさせているブロンボ王国。
今回、邪轟侵域にこの襲撃を依頼したのは、ブロンボ王国の内部で蠢く陰謀派閥──ゼムリヤ公国貴族と密かに血脈を通わせる一派であった。
狙いはただ一つ。若くして聡明、国内外に熱烈な支持者を抱える第二王子ヨハン・ブロンボの暗殺。暗愚な長兄アンドリューを傀儡の王として担ぎ上げ、国を裏から支配したい黒幕連中にとって、あまりに優秀な第二王子は、喉元に刺さった太い棘に他ならなかった。ゾティーク帝国が開発した最新鋭の魔導列車への試乗──その道中での不可抗力の事故死こそが、提示された金貨の山に見合う依頼内容だった。
男は妖しく輝く双眸をさらに細め、断崖の際へとにじり寄る。
「……ん? あァ……?」
客車の窓の奥──そこに映った影を捉えた瞬間、ミカヅキの邪悪な笑みがぴたりと凍りついた。
「おいおいおい……! 話が違ェじゃあねェか!? 何ッであの子豚ちゃんが乗ってやがる!?」
彼が闇を覗き込んで認めた存在は、自分達が暗殺を任ぜられた少年とは真逆の人物。暗君として担ぎ上げるべき第一王子の姿。本来なら第二王子が視察に赴くはずだった計画を持ち前の我が儘で父王にねだり、半ば強引に横取りしてこの列車に乗り込んできたらしい。
「カーッハッハッハ! 最高だゼあのアホタレ!」
動揺は柄じゃない。こういう時にこそ笑うべきだ。首魁としての振舞いをミカヅキは本能で理解していた。
「……っか~……しゃーなしだ」
標的が乗っている筈の列車に乗っていない。どこかで情報にズレが生じたのだろう。切り替えていくしかあるまい──ミカヅキは冷静に考え直す。
第二王子が乗っていない以上、この客車を丸ごと爆破し、乗客を皆殺しにしようとも雇い主の望む「第二王子の死」という結果は得られない。彼は無用な殺生を好みはしない。彼の求めるものは生への執着と命の輝き。無抵抗な者を一方的に肉片に変える作業など、彼にとっては何の価値も面白みもない。
「出張るかァ……ま、どっちみち俺も行く手筈だったしなァ」
作戦そのものに変更はなかった。今回の任務は王子暗殺だけではない。そして、こちらに関してはミカヅキのみが抱えている仕事であった。団員達には常の如くゾティーク帝国へ被害を与えるべく、軍が密かに開発したとされる新兵器の奪取、あるいは破壊を任じてある。少なくともこちらだけでも確かな情報であって欲しいと願いながら、ミカヅキは闇を駆けた。
◇◆◇◆
客車には緊張が満ちていた。非常制動の凄まじい衝撃によって、豪華な装飾が施された客車内は一瞬にして阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。粉々に砕け散った高級ガラスの破片が床に散らばり、転倒した乗客たちの悲鳴と呻き声が重なり合う。窓の外、夜闇に包まれた鉄路の先からは大気を震わせる爆裂音と、胸の悪くなるような硝煙の臭いが容赦なく流れ込んできていた。
「な、何なんだ! 何が起きた! おい! 軍の警備兵はどうした!?」
床に這いつくばったまま、小太りのアンドリュー王子が顔を真っ青にして喚き散らしている。前方の貨物車両を取り囲むように、異形の武装を凝らした集団──邪轟侵域の傭兵たちが、蟻のようになだれ込んでいくのが見えた。迎え撃つゾティーク帝国軍の兵士たちとの間で、魔法と白刃が交錯する凄惨な白兵戦が既に始まっている。
「ミリィ、己の側に」
イェゴールは震えるミリアルテの身体を静かに自らの背後へと庇った。彼の右手は既に、魔導軍刀の柄へと添えられている。その青鉄色の瞳は、かつての大戦を潜り抜けた魔導改造兵の冷徹極まりない光を宿し、窓の外の戦況を冷酷に分析していた。
その時だった。客車後方のドアがギィ──と音を立てて開いた。
「よォ。ご客人の皆さん」
乗客たちの視線は列車前方の戦闘風景に集中していたこともあり、男の登場に虚を突かれて固まってしまった。
男が客車に一歩踏み込んだ瞬間、その巨躯から立ち上る塵界の高濃度魔力の残り香と、生存を許さない絶対的な強者のプレッシャーが客車内の空気を瞬時に氷点下へと叩き落とした。
「ひ、ひぃぃ……っ!」
「ま、魔族……!? 何故こんなところに!」
乗客たちが腰を抜かし、悲鳴すら忘れて客車の隅へと這いずる。闖入者はそんな彼らを愉快そうに一瞥した。
「おいおいおい~……今時魔族差別は流行んねェぞ? 時代は多様性だぜ? タヨーセー。それから言っとくが、俺は混血──半分はテメェらと同じなんだ。仲良くしようぜ?」
狼狽する乗客らに男は軽薄な笑みを向ける。手を広げて見せる姿勢だけを見れば、確かに敵意が無く友好的に映る。
だが──。
「……っ、ミカ……ヅキ……!」
その時、アンドリュー王子の前に立ち塞がっていた眼帯の女──レイチェルが、喉の奥から絞り出すような戦慄の声を上げた。固く握り締めた両手はガタガタと目に見えて震え始めている。怒りか恐れか──当人にしか分からぬ大きな感情の発露であることだけは確かであった。
「あ゛ァ? 俺のことを知ってるのがいるのか。名が売れてるみてェで鼻高々……。俺はミカヅキ──傭兵団邪轟侵域団長だ。団の名前の方が有名だろうな──折角だ、知らなかったら覚えていってくれ」
ざわり、と車内にどよめきが起こる。傭兵団の名は耳にしたことがある者が多かったためだ。昨今、帝国に被害を出すことに執心しているらしい傭兵団の狙いがまさか自分の乗る列車になろうとは思ってもみなかったと不幸を呪う。
ミカヅキはそんな乗客たちを尻目に、頭をだらりと傾けて不気味に爛々と輝く眼をレイチェルへと向けた。
「お前ェ……」
己の名前を口にした彼女を見透かすような視線であった。
「いや失敬。女を値踏みするみてェに──何処かで会ったかと思ってな。何、俺を殺したい奴なんざゴマンといるよなァ」
彼女のそれを殺意と捉えたのか、男は諸手を擦り合わせ、今度はゆっくりとそれを広げていく。
(来る──)
ミカヅキの全身から迸る闘気と魔力を感じ取ったイェゴールは本能的に得物を抜き、臨戦態勢にあった。
「深紅の手甲」
鉄臭と魔力によって咽返る程に車内の空気が一層張り詰めた。
(此れは……魔力で錬成した武装か。何が半分は同じだ──魔族のやり口ではないか)
イェゴールはこの事象を戦役で幾度も目にしていた。魔族が得意とする、魔力の物質化──正確には触媒へ魔力を定着させる技術であった。
「夢を語れよ女ァ! 俺は邪轟侵域団長ミカヅキ! 俺を殺して何を望むァ!?」
ミカヅキは臨戦態勢にあったレイチェルへ問うた。彼女もまた、誰に気取られるよりも疾く得物を抜き放っていた。その両手には長短の剣が握られている。
「人類平和──民を救い、ハルトマン総統閣下の願う発展の障害となる存在を打倒する」
女は啖呵を切ってみせた。
イェゴールには彼女の宣誓が眩しく思えた。明確な目標の無い今の彼には羨ましかったのだ。
「カッハッハッハ! イイねェ! 良いねェ! 実に善い!! 生きる甲斐、命を燃やす価値を感じるゥッ!」
歯を剥き笑う。素晴らしい、合格だとでも言うように。
「見合う実力があるかなァッ──!?」
ミカヅキは数合の間合いを瞬きよりも速く詰めた。音も無く、まるで空間そのものを圧縮したように瞬間的にレイチェルを己の間合いへと飲み込む。喉元を狙った手刀の一突きは彼女の得物が受け止め、激しい火花を散らした。その金打を鳴り物に連撃の応酬が繰り広げられるのだった。互いに互いの命へと手を掛けながら往なし合う──峻烈な鼬ごっこめいた攻防。
「カーハッハハハ! 悪くない! 悪くないィ! まだまだ本気はこれからだろう? お前の本気を見せてくれェ!!」
二重奏の律動はますます速度を上げていく。
乗客たちは固唾をのんで彼女の奮戦に祈りを捧げた。
繚乱たる火花を散らす攻防の渦中、イェゴールはその軌跡を冷徹な眼光で凝視していた。
(……彼女、見事な双剣の冴え。だが、互いに牙の先端しか見せていない)
双剣使いの技量は並の剣士を遥かに凌駕していた。だが対するミカヅキの戦闘力もまた、常軌を逸していた。幾つもの鉄火場を潜り抜けた余裕か、未だ全力の数分の一も出していない風にイェゴールの目には映った。
彼の手は軍刀の柄を握ったままであった。今ここで割って入り、レイチェルに助太刀すれば、この災厄の頭目を退けることも可能かもしれない。しかし、思案が彼を押し留める。
客車内というフィールドには、あまりにも無防備な人間が多すぎる。ミカヅキ程の化け物が本気を出せば、衝撃波だけで客車諸共ミリィや無抵抗な乗客たちが肉片と化すだろう。
(今、己が動くべきか──否か──)
イェゴールが逡巡し、まさに足を踏み出そうとしたその刹那。
「や、やめろォッ! 何をやっているんだレイチェル!!」
緊張感を絶ち切る狂おしい金切り声が車内に響き渡った。声の主は座席の陰で丸まっていたブロンボ王国第一王子アンドリューであった。真っ青な顔に脂汗を浮かべ、血走り出目となった双眸で叫び散らす。
「お前には命を賭してまでソイツ戦う理由なんてないだろ!? 僕の護衛だぞ! お前が死んだら、世界の宝であるこの僕を誰が守るって言うんだ!?」
あまりに身勝手で、状況を弁えぬ道化の怒号。
だが、その声は劇的な効果を齎した。息詰まる連撃の旋律が止む。
「……ハッ」
ミカヅキはピタリと動きを止めると、またも瞬間的な歩法にて間合いを広げた。そして大袈裟に肩を竦めて溜め息を一つ。
「カハハッ……! そうだよなァ、お前はそういう奴だぜ大将。流石だよ。アンドリュー・ブロンボ」
ミカヅキは空いていた座席にドカと腰を下ろし、手甲をすっと霧散させる。寸秒前まで漲っていた闘志は潮が引くように消え去っていた。
しかし、刃を交えていた女剣士は納得がいかない様子で胸を大きく上下させ、呼吸を荒げながらも、更なる一歩を踏み出そうと双剣を握り直した。
「貴様──」
「止せ」
伸びかけた彼女の踏み込みを遮るように、イェゴールが静かに、しかし断固とした足取りで間に入り、彼女の肩を固い手つきで押さえつけた。
「止すんだ。彼奴と此処で真剣勝負をするのは……現実的ではない。連れの王子だけではく、他の乗客に被害が及ぶ」
イェゴールの低く落ち着いた声に、レイチェルは一瞬ハッとしたように目を見開いた。彼女の隻眼を支配していた苛烈な熱が冷静な制止によって僅かに冷やされる。
「お前も、本気で大立ち回りと洒落込む気であったわけではないだろう?」
「心外だねェ……俺はいつだって本気だぜ? ……っと? あァ゛?」
優雅ささえ感じさせる余裕を見せながら、ミカヅキは彼女を制した男──イェゴールへ視線をやると、表情を歪めた。
「お前……」
まるで鼻がもげるような感覚──冒涜的な彫刻作品でも目にしたような嫌悪感がミカヅキを襲った。彼ら魔族の一部は生物が宿す魔力の流れを知覚することが出来る。……出来てしまうが故に、眼前の男が宿す魔力の歪さに吐き気を催した。そして、それに覚えがあった。
「その剣にコート……」とぼそりと口にしてから、ミカヅキはニヤリと不敵な笑みを浮かべ直してから立ち上がる。
「お前らの旅の不運には同情するぜ。折角の快適な列車の旅が台無しだ。だが生憎とクライアントから頼まれたのが、この貨物車に乗せてある軍のブツでな。……コッチの安全は保証してやるよ。そこの少年王子に感謝するんだな。彼の勇気ある御言葉に免じて、手出しさせないよう部下にはキツく言っておく。後のことは……大人しくお迎えでも待つか、えっちらおっちら歩いて帝都まで行くんだな」
踵を返し、ドアへと歩みを進める。
(懐かしいのを見たぜ。相変わらず気持ち悪ィ魔力の巡りの奴だな)
ミカヅキは客車を降りながら思いを馳せた。
彼が現在を本気で生き、全力を希う怪物となったキッカケ──つい昨日の事のように思い出すことができる塵界魔京戦役。その戦場で出逢った、人類の本気の結晶──魔導兵オーバーロード。
「だが、これだから──人間は面白い! 最高だぜゾティーク帝国ゥ!! 人間万事塞翁が馬ァ! まだまだ面白ェもんを見せてくれェッ!!」
呵々大笑しながらミカヅキは前方車両、部下達と帝国兵の渦中へと身を投じた。




