第二章 デートではない休日 三
三
昼食は、葉子が以前から行きたがっていた喫茶店で取ることにした。
商業施設から十分ほど歩いた、古い通りにある店だった。木の扉を開けると、小さな鈴が鳴る。
店内には六つほどのテーブルしかない。壁には古い映画のポスターが並び、窓際に大きな観葉植物が置かれていた。
「前に、凪さんが教えてくれたの」
凪は駅前の書店で働いている人だった。私たちより一つ上で、葉子が画集を探すときに相談している。
「葉子、一人で来ればよかったのに」
「一人で喫茶店入るの、苦手」
「美術館は一人で行くでしょ」
「絵は話しかけてこないから」
葉子は窓際の席へ座った。
私は向かい側へ腰を下ろす。
メニューを開くと、葉子は迷わずオムライスを選んだ。私はサンドイッチと紅茶にする。
注文を終えると、会話が途切れた。
店内には静かな音楽が流れている。窓の外を、買い物袋を持った人が通り過ぎていく。
向かい合っている葉子を見る。
制服でも、部屋着でもない。朝に気づいたとおり、髪も少しだけ整えている。
「今日、髪どうしたの」
葉子は耳の後ろへ触れた。
「変?」
「変じゃない。いつもと違うから」
「美咲に教えてもらった」
「今日のため?」
「うん」
葉子は隠さなかった。
「桜と出かけるから、少しくらいちゃんとしたほうがいいかなって」
「今までも出かけてたでしょ」
「告白してからは初めてだから」
葉子は水の入ったグラスへ視線を落とす。
「桜にとっては今までどおりでも、私は少し浮かれてた」
真琴へすぐ否定したことを、また思い出した。
葉子は朝から、この日のために髪を整えてきた。きっと服も選んだのだろう。
私はそういう葉子を見て、いつもと違うと思った。それなのに、その理由を考えないようにしていた。
「私も服、少し迷った」
気づけば口にしていた。
葉子が顔を上げる。
「本当?」
「本当。でも、意識してるみたいで嫌になって、いつものにした」
「今、意識してるって言った」
「だから言いたくなかったの」
葉子が笑う。
その笑い方は、告白する前と同じだった。
私も少しだけ肩の力が抜けた。
「じゃあ今日は、半分だけデートにする?」
冗談のつもりだった。
葉子はすぐには笑わなかった。
「半分って、どこからどこまで?」
「分からない。お昼まで」
「もうお昼だけど」
「じゃあ終わり」
「短いね」
葉子はようやく笑った。
私たちは、恋人同士のような会話をしたわけではない。ただ、デートという言葉を二人の間へ置き、それを冗談にできたことが嬉しかった。
料理が運ばれてくる。
葉子のオムライスは、卵の上に細いケチャップの線が引かれていた。私のサンドイッチには、厚く切った卵と野菜が挟まっている。
葉子は一口食べ、目を細めた。
「おいしい」
「よかったね」
「桜も食べる?」
差し出されたスプーンを見て、私は動きを止めた。
葉子は何も考えていない顔をしている。
これまでも、互いの料理を味見することはあった。スプーンや箸をそのまま使うことも珍しくない。
でも、同じスプーンを使うことが、今日はひどく気になった。
葉子も途中で気づいたらしい。
「あ、ごめん。別のもらう」
スプーンを引こうとする。
「いいよ」
私は葉子の手首を軽くつかみ、そのままオムライスを口へ入れた。
卵は柔らかく、中のご飯には少し酸味があった。
「おいしい」
スプーンを返す。
葉子はその先を見つめていた。
「食べないの?」
「食べる」
葉子は同じスプーンで次の一口を取った。
それだけのことだった。
なのに胸の奥が熱くなり、私は紅茶を飲んだ。まだ熱くて、舌先が少し痛んだ。
葉子は窓の外を見ている。
耳が、朝より赤くなっているように見えた。




