第二章 デートではない休日 一
一
春休みに入って四日目、私は葉子と出かけることになった。
目的は、新しいスパイクを買うことだった。
今まで使っていたものは、二年生最後の記録会で右足の底が剥がれかけた。応急処置をすれば練習には使えるが、三年生の大会をそのまま迎えるのは心もとない。
顧問からも、春休み中に新しいものへ替えるよう言われていた。
葉子を誘ったのは、終業式の日の帰り道だった。
あのときは深く考えていなかった。葉子は私がスパイクを買い替えるたび、一緒に店へ来ている。競技用の靴について詳しいわけではないが、色や形を選ぶときの意見は遠慮がない。
前に赤いスパイクを試したときも、葉子は私の足元をしばらく見てから、「速そうというより、捕まった金魚みたい」と言った。
結局、私はその赤を買わなかった。
今回も、同じつもりで誘った。
ところが前日の夜になって、葉子から届いた連絡を見たところで、急に落ち着かなくなった。
――明日、十時に駅でいい?
普段なら、確認して終わりだった。
それなのに私は、明日の服を考え始めた。
部活へ行くときのジャージでは駄目な気がする。制服を着る理由もない。葉子と町へ出るだけなのだから、いつもの私服でよいはずだった。
クローゼットを開ける。
上段には、冬物のセーターとパーカーが重なっている。春とはいえ、このあたりの三月はまだ寒い。薄手の服だけでは夕方に震えることになる。
紺色のパーカーを取り出し、鏡の前へ当てる。次に、母から誕生日にもらった白いセーターへ替えた。
どちらでも同じようなものだった。
それなのに決められない。
葉子にどう見られるかを考えている自分に気づき、私は白いセーターを棚へ戻した。
ここで服を選べば、本当にデートを意識しているみたいだった。
結局、紺色のパーカーと黒いパンツをベッドの脇へ置いた。
眠る前、葉子へ返信する。
――十時で大丈夫。
少し迷ってから、もう一文を加えた。
――遅れないでね。
葉子は待ち合わせに遅れることが多い。十分程度なら珍しくなく、電車に乗り遅れたことも何度かある。
すぐに返事が来た。
――明日はデートだから遅れません。
画面を見たまま固まった。
次の瞬間、新しいメッセージが届く。
――ごめん。調子に乗った。買い物です。
私はベッドへ座り、しばらく考えた。
葉子が冗談にしたことへ安心したはずなのに、最初の一文を消されたような寂しさが残った。
――遅れなければ何でもいいよ。
それだけ返した。
翌朝、私は約束の二十分前に家を出た。
駅へ着いたのは九時五十分だった。
葉子はすでに改札の前にいた。
一瞬、人を間違えたのかと思った。
葉子が待ち合わせより先に来ていることも珍しかったが、それだけではない。普段は下ろしたままの髪が、耳の後ろで軽くまとめられている。薄い灰色のコートの下には、淡い青のニットが見えた。
特別に華やかな格好ではない。
それでも、学校や近所で見る葉子とは少し違っていた。
葉子も私へ気づいた。
「おはよう」
「早いね」
「遅れないって言ったから」
葉子は駅の時計を見上げた。
「桜も早いけど」
「いつもこれくらい」
「嘘。学校の日は、私が先に待ってる」
「今日は電車を逃したくなかっただけ」
葉子はそれ以上追及しなかった。
切符を買い、二人でホームへ上がる。
休日の電車は、通学の時間帯より空いていた。向かい合わせの席へ座ろうとした葉子が、途中で動きを止める。
「隣のほうがいい?」
「いつも隣でしょ」
「そうだけど」
葉子は私の隣へ座った。
座席には十分な空きがある。肩が触れない程度の距離も取れる。それでも葉子は、普段と同じところへ腰を下ろした。
電車が動き始める。
私は窓へ映った二人の姿を見た。
学校へ行くときとは違う服を着て、休日の朝に並んで座っている。
それだけで、本当にデートのように見えた。




