第七章 待ち合わせの花火
七月に入ると、美術室の窓が開け放たれるようになった。
放課後のグラウンドから見上げると、白いカーテンが風に膨らみ、ときどき窓の外まで大きくはみ出している。その向こうに葉子がいるかどうかまでは、下からでは分からなかった。
私たちの会う時間は、六月よりさらに減っていた。
陸上部は夏の地区大会を控え、美術部には市民会館で開かれる公募展の締切が迫っている。昼休みに会えても、葉子は指先に絵の具を残したまま、私も首へ濡れたタオルを掛けたままだった。
以前なら、放課後になればどちらかが待っていた。
いまは、待つかどうかにも連絡が必要になる。
今日は遅くなる。
先に帰っていて。
了解。
そんな短いやり取りが増えた。文面だけを見れば、私たちはずいぶん物分かりのいい友達だった。
けれど、葉子から「先に帰るね」と届いた日は、練習を終えたあとの駐輪場が妙に広く見える。
私がそう感じるのだから、葉子も同じなのだろうか。
それとも葉子には、私より先に帰る時間にも、美術室で過ごす時間にも、すでに別のものが詰まっているのだろうか。
考えても答えは出なかった。
六月の記録会から、葉子は私に何も求めてこなくなっていた。
近づきすぎたと思えば少し離れ、私が呼べば戻ってくる。告白したのは葉子なのに、そのあと歩く速度を決めているのは、ずっと私のほうだった。
それが優しさなのか、ただ怖がっているだけなのか、私にはまだ分からない。
七月最初の金曜日、練習を終えて昇降口へ向かう途中で、掲示板の前に葉子を見つけた。
町の夏祭りを知らせるポスターが貼られている。毎年八月の初めに神社で開かれる、小さな祭りだ。最後には川向こうの河川敷から花火が上がる。
葉子はポスターの隅に書かれた日付を見ていた。
「行くの?」
後ろから声をかけると、肩がわずかに揺れた。
「びっくりした。足音しないね、桜」
「走ってるから、忍び足も得意になった」
「関係ないと思う」
「冷静だね」
「桜の冗談を全部拾ってたら、日が暮れるから」
そう言いながら、葉子は少し笑った。
その笑い方を見ただけで、胸の奥にあったものがほどける。何日も顔を合わせていたはずなのに、きちんと二人で話すのは久しぶりだった。
「祭り、今年も行く?」
訊き直すと、葉子はポスターへ視線を戻した。
「美術部で頼まれてることがあるの。神社の参道に飾る灯籠、今年は高校生も絵を描くんだって」
「じゃあ、ずっと仕事?」
「夕方までは。設置が終わったら自由」
「私は陸上部で片づけの手伝い」
「桜も?」
「去年、駅伝大会で町内会に協力してもらったから、そのお返しらしい。力仕事なら陸上部、みたいな雑な頼まれ方した」
「適任じゃない」
「葉子も灯籠に持ち手をつけたら運んであげる」
「私を祭りの飾りにしないで」
葉子は呆れた顔を作った。
こういう話なら、いくらでも続けられる。告白される前の私たちは、いつもそうだった。意味のないことを言って、どちらかが笑い、途中で別の話へ移る。
変わったのは、笑い終えたあとだった。
短い沈黙が訪れると、私は葉子の横顔を意識する。
同じ制服も、耳に髪をかける仕草も、小さいころから知っている。それなのに葉子が私を好きだと知ったせいで、今まで見落としていたものまで輪郭を持つようになった。
葉子の睫毛は、思っていたより長い。
笑ったあとには、左の頬にだけ浅い窪みができる。
私が見ていることに気づくと、目を逸らすのは決まって葉子のほうだった。
「花火は?」
私が訊くと、葉子は少し遅れてこちらを向いた。
「見るつもり」
「誰と?」
口にしてから、ずいぶん不自然な質問だと思った。
葉子も同じことを感じたらしい。すぐには答えず、私の顔を探るように見ている。
「まだ決めてない」
「じゃあ、一緒に見よう」
なるべく簡単に言った。
葉子は目を瞬かせた。
「桜と?」
「ほかに誰がいるの」
「いや、そうなんだけど」
「何、その反応」
「桜から約束してくると思わなかったから」
「私だって約束くらいするよ」
「知ってる。でも最近は、部活の予定を訊いても『たぶん』しか言わないでしょ」
反論しようとして、思い当たる返事が多すぎてやめた。
練習の終了時間は日によって変わる。大会前ならなおさらだ。確実でないことを約束して、守れなくなるのが嫌だった。
ただ、その慎重さが、葉子には私が予定を決めたくないように見えていたのかもしれない。
「当日は、ちゃんと行く」
私はポスターの日付を指で叩いた。
「片づけが長引いても、花火には間に合わせる。神社の裏の石段、分かる?」
「分かる」
「八時。そこで待ち合わせ」
葉子は少し考えたあと、頷いた。
「待ってる」
その言葉が、胸の内側へまっすぐ入ってきた。
私はずっと、葉子が待っていることを当たり前だと思っていたのかもしれない。
教室へ来ることも、昇降口にいることも、帰り道で歩幅を合わせることも。
葉子は何も言わず、何度も私を待っていた。
それを嬉しいと思っていたくせに、嬉しいとは一度も伝えていなかった。
「私も待つよ」
気づけば、そう付け足していた。
「何を?」
「葉子が遅れたら」
「私は遅れないと思うけど」
「そういう現実的な話じゃなくて」
「じゃあ、どういう話?」
説明できずに黙ると、葉子が笑った。
「分かった。桜も待ってて」
今度は私が頷いた。
祭りまでの三週間は、思ったより早く過ぎた。
地区大会では予選を通ったものの、決勝で順位を一つ落とした。自己ベストにも届かず、最後の直線で足が止まった感覚だけが残る。
秋まで競技を続けるつもりではいたけれど、高校生活の終わりが少しずつ近づいている。後輩の練習を見る時間が増え、自分だけのために走る時間は減っていった。
葉子の絵も、思うようには進んでいないらしい。
私を描いた絵は、まだ美術室に置かれていた。公募展へ出すかどうか決められず、別の絵も描き始めたという。
何を描いているのか訊いても、見せられるようになったら、としか答えてくれない。
以前なら美術室へ押しかけていたかもしれない。けれど、今回は待つことにした。
待つと決めてみると、一日は案外長かった。
祭りの日、私は昼すぎから神社へ向かった。
境内にはまだ客が少なく、屋台の骨組みや折り畳まれた長机が並んでいる。陸上部の担当は、倉庫から椅子を運び、本部用のテントを組み立て、河川敷まで柵を移動させることだった。
予想どおりの力仕事で、始まって一時間もしないうちに背中が汗で濡れた。
参道には、四角い灯籠が吊るされている。
一つひとつに違う絵が描かれ、昼の光のなかでは白い紙の箱にしか見えない。近づいて眺める暇はなかったが、葉子の絵がどれなのかだけは気になった。
台車を押しながら辺りを探す。
葉子は鳥居の近くにいた。
美術部の生徒たちと一緒に、吊るした灯籠の高さを調整している。髪を一つに結び、首には薄い青のタオルを掛けていた。制服ではなく、白いシャツと黒いパンツを穿いている。
その格好を見たのは初めてではない。
なのに、学校の外にいる葉子は少しだけ違って見えた。
紬が脚立の上から何か言い、葉子が下で笑う。その横には小夜もいた。受付用の紙を手に、町内会の人と話している。
春から何度か見てきた三人だった。
それぞれ役割があり、私が入らなくても話が進んでいる。
そのことは当然なのに、胸の奥へ小さな棘が刺さる。
「桜、止まってる!」
後ろから真琴に呼ばれた。
押していた台車が参道の真ん中で止まっている。慌てて動かすと、積んでいた柵が金属音を立てた。
「何見てたの?」
「別に」
「葉子ちゃんいたね」
「だから何」
「まだ何も言ってないけど」
真琴は面白そうに笑った。
私は台車の速度を上げた。後ろで柵がまた大きな音を立て、町内会の人からゆっくり運ぶよう注意された。
夕方になると、人が増え始めた。
屋台に灯りが入り、参道の灯籠も一つずつ橙色に染まっていく。昼間は見えにくかった絵が、内側から照らされて浮かび上がった。
花、川、町の家並み、夜空。
葉子のものは、鳥居から七つ目にあった。
描かれていたのは、駅のホームだった。
古い屋根の下に、二人の人影が立っている。顔も服もはっきりしない。片方は背が高く、もう片方はその肩へ少しだけ身体を寄せていた。
春休み、美術館へ行った帰りの電車で、葉子は私の肩に眠っていた。
あの日のことだろうか。
それとも、私とは関係のない二人なのか。
訊きたかった。けれど葉子は受付の手伝いに呼ばれ、人混みの向こうへ行ってしまった。
七時を過ぎるころ、私たちの仕事はほとんど終わった。
残っていたのは、河川敷の入り口へ案内板を立てる作業だけだった。三十分もあれば戻れるはずだったのに、柵の位置を変更することになり、作業は長引いた。
時計を見るたび、針の進み方が速くなる。
七時四十分。
七時五十分。
神社までは走って十分ほど。着替える時間はない。汗の染みたTシャツのままでも、葉子なら笑うだけだろう。
八時の五分前、ようやく作業が終わった。
私は挨拶もそこそこに河川敷を飛び出した。
走るための靴ではない。浴衣姿の人を避け、屋台から出てくる子どもを避け、石段へ続く細い道を上る。
大会でもないのに、息が苦しかった。
石段が見えたころ、最初の花火が上がった。
夜空に白い光が広がり、遅れて大きな音が落ちてくる。
間に合わなかった。
胸の奥が冷たくなる。
石段の下には何人もの人がいた。顔を探しながら上っていく。二発目の花火が開き、その光で、上のほうに座る葉子が見えた。
葉子は一人だった。
膝にスケッチブックを置き、花火ではなく、神社の境内を見下ろしている。
「葉子」
呼ぶと、振り返った。
驚いたあと、すぐに笑う。
「走ってきたの?」
私は隣まで上り、膝に手をついた。返事をしようとしても、息しか出てこない。
葉子が鞄からタオルを取り出し、私へ差し出した。
「陸上部なのに、走ったくらいでそんなに疲れる?」
「これは……坂が悪い」
「坂に謝らせるの?」
「あと靴。それと人混み」
「桜以外は、みんな同じ条件だと思う」
「遅刻した人に厳しくない?」
「怒ってないから」
葉子の声は、本当に穏やかだった。
私はそれが、かえって嫌だった。
「怒ってよ」
息を整えながら言うと、葉子は目を瞬かせた。
「どうして」
「待たせたから」
「仕事だったんでしょ」
「でも、八時って言った」
「まだ始まったばかりだよ」
三発目の花火が上がった。
葉子の横顔が青白く照らされる。怒っているようには見えない。寂しそうにも、困っているようにも。
何も言わず、ただ私を待っていたのだろう。
その姿を想像した瞬間、胸の奥が強く痛んだ。
「私が来なかったら、どうしてた?」
「花火を見て帰る」
「一人で?」
「紬と小夜もいるから、たぶん途中で会えたと思う」
その返事は自然だった。
けれど、私は素直に頷けなかった。
「一緒に見たの?」
「さっきまで設置の片づけをしてたから」
「じゃあ、私が来なくても平気だったんだ」
口から出てから、子どもっぽい言い方だと気づいた。
葉子も少し呆れたように私を見る。
「平気じゃないよ」
その声は静かだった。
「桜と見る約束だったから、ここにいたの」
私は何も言えなくなった。
「紬たちに誘われたけど、断った。桜が来たとき、私がいなかったら困るでしょ」
「うん」
「だから待ってた」
それだけのことだと、葉子は言う。
でも、私にはそれだけではなかった。
葉子が待っていてくれた。
私のために、別の人からの誘いを断った。
そう思うと安心する自分がいた。その安心を喜んでいいのか分からず、後ろめたさも続いてやってくる。
「ごめん」
私は葉子の隣へ座った。
「遅くなって」
「うん」
「さっき怒ってないって言ったのに」
「桜が怒れって言ったから、今から少し怒る」
「どれくらい?」
「飲み物一本」
「軽いね」
「屋台のは高いから、そこそこ重い」
私は笑い、立ち上がった。
ラムネを二本買って戻るころには、花火は半分ほど進んでいた。葉子は場所を空けたまま待っている。
二人で石段に座り、瓶の口を開けた。
葉子はビー玉を落とすのが下手だった。力を入れる場所がずれて、何度押しても開かない。私が受け取ると、たった一度で小さな音が鳴った。
「毎年やってるのに、下手になるね」
「葉子は絵以外の手先がだいたい不器用だよね」
「桜は走る以外も雑に力で解決するよね」
「解決してるならいいでしょ」
「瓶が割れそうで怖い」
「割ったことないよ」
「これから割る人は、みんなそう言うの」
葉子が瓶を取り返す。
ビー玉がからりと鳴った。
私たちは花火を見上げた。
河川敷から上がった光は、夜空で大きく開き、少し遅れて川面へ映る。上と下に二つの花火があるように見えた。どちらもすぐに崩れ、暗さだけが残る。
葉子はときどきスケッチブックへ線を引いた。
「花火、描くの?」
「描かない」
「じゃあ、何描いてるの」
「見てみる?」
差し出された紙には、石段へ座る人たちの背中が並んでいた。
小さな子ども。浴衣の二人。屋台の袋を足もとに置く家族。その端に、髪を一つに結んだ背の高い人が描かれている。
「これ、私?」
「たぶん」
「たぶんなんだ」
「まだ桜になる前だから」
「描き終わったら私になるの?」
「なるかもしれない」
「ならなかったら?」
「知らない人になる」
私はしばらく紙を見た。
葉子が描いた私を見たとき、最初は恥ずかしかった。今でも落ち着かない。でも、知らない人になると言われると、それはそれで嫌だった。
「私にして」
葉子の鉛筆が止まった。
「いいの?」
「描いてる途中で、ほかの人に変えられるの嫌だから」
言いながら、自分でもずるいと思った。
葉子は私の気持ちを知りたがっている。
その答えを渡せないまま、自分だけは特別でいたいと言っている。
葉子は怒らなかった。
「分かった」
短く答え、紙へ目を戻した。
その横顔を見ていると、心のなかに積もっていた疑問が、また一つ形を持った。
「葉子」
「なに」
「もし、ほかに好きな人ができたら、教えて」
鉛筆の先が止まる。
葉子はゆっくり顔を上げた。
「どうして?」
「どうしてって……急に知らされるの、嫌だから」
「誰に知らされるの」
「葉子に」
「私が桜以外の人を好きになったら、桜に報告するの?」
「そう」
「それで桜は、どうするの」
考えていなかった。
葉子が別の誰かを好きになったら。
その人と昼を食べ、休日に出かけ、肩に寄りかかって眠るようになったら。
私はたぶん、そのたびに胸の奥がざらつく。何でもない顔でいられる自信はなかった。
でも、それを止める理由を私はまだ持っていない。
「分からない」
正直に答えた。
「でも、知っておきたい」
葉子はしばらく私を見ていた。
花火の光が横顔を照らし、消える。次の一発が上がるまで、葉子の表情は暗闇に隠れた。
「もう教えたよ」
やがて葉子が言った。
「え?」
「好きな人ができたとき、桜に教えた」
その意味が分かるまで、一瞬かかった。
三月の美術室。
雨の音。
葉子の震えた声。
あれは過ぎた出来事ではなかった。
告白は終わったのではなく、答えのないまま、今も私たちのあいだにある。
「そっか」
それしか言えなかった。
「忘れてた?」
「忘れてない」
「じゃあ、たまには思い出して」
葉子は責める口調ではなかった。
だから余計に、胸へ残った。
私は、葉子の手もとを見た。
ラムネの瓶を持つ指に、鉛筆の黒い汚れがついている。手を伸ばせば触れられる距離だった。
三月には、触れることを意識するだけで身体が強張った。
今も緊張はする。
それでも、葉子の手が遠くにあるとは思いたくなかった。
私は石段へ置かれていた葉子の左手へ、自分の小指をそっと触れさせた。
葉子が息を止める。
すぐに離そうとしたけれど、その前に葉子の小指が少しだけ動き、私の指へ重なった。
手をつないだわけではない。
指先が触れているだけだった。
それなのに、花火の音より自分の鼓動のほうが近くに聞こえた。
「これは?」
葉子が小さく訊いた。
「まだ分からない」
「便利だね、その言葉」
「本当に分からないんだから仕方ないでしょ」
「じゃあ、離す?」
私は答えなかった。
代わりに、小指をもう少し深く絡めた。
葉子も、それ以上は訊かなかった。
最後の花火は、それまでで一番大きかった。
白い光がいくつも重なり、境内にいる人たちの顔を一斉に照らす。歓声が上がり、少し遅れて身体の奥まで響く音が届いた。
光が消えても、私たちの指はしばらく離れなかった。
祭りが終わり、人の流れが鳥居へ向かい始める。
葉子がスケッチブックを閉じたところで、ようやく手を離した。指先に夜風が触れ、そこだけ急に寒くなったように感じる。
参道を歩きながら、葉子の灯籠の前で足を止めた。
「これ、葉子のだよね」
駅のホームに立つ二人を指すと、葉子が頷く。
「春休みの帰り?」
「そう」
「寝てたときの?」
「寝る前。電車を待ってるところ」
「私、こんなに背高い?」
「実際より少しだけ」
「どうして」
「並んだとき、桜の肩が近くなるから」
意味が分からず、私は葉子を見る。
葉子は灯籠のほうを向いたままだった。
「私が寄りかかりやすいように、高くしたの」
「絵なのに?」
「絵だから」
葉子の答えは、ときどき私が想像していない場所から返ってくる。
紙のなかの私は、葉子が寄りかかるために少し背が高い。
それが妙に嬉しくて、でも笑うと台無しになる気がして、私は口もとを引き締めた。
「変な顔してる」
葉子が言った。
「してない」
「してる」
「葉子の絵が変だから」
「人のせいにしないで」
鳥居を出るころ、私たちはいつもの調子に戻っていた。
駅までの道には、祭り帰りの人が続いている。私と葉子は人波から少し遅れ、並んで歩いた。
「来年も見る?」
私が訊くと、葉子は空を見上げた。
もう花火はない。薄い煙だけが、夜のなかへ残っている。
「来年は、ここにいるか分からないよ」
進学すれば、町を出るかもしれない。
葉子は美術を学べる学校を探している。私も県外の大学を考え始めていた。
来年の夏、二人が同じ町にいる保証はなかった。
「じゃあ、いるほうが待つ」
私は言った。
「何を?」
「帰ってくるほうを」
葉子は足を止めなかった。
ただ、少しだけ歩幅を狭くした。
私に合わせるためなのか、それとも近づくためなのかは分からない。
「桜も待っててくれるの?」
「今日、言ったでしょ」
「そうだった」
「何度も言わせないで」
「言ってくれないから、訊いてるの」
私は返事の代わりに、葉子の肩へ軽くぶつかった。
葉子も同じ強さでぶつかり返してくる。
いつものふざけ合いだった。
けれど次に肩が触れたとき、どちらもすぐには離れなかった。
駅へ続く夜道で、私たちの影が並んで伸びていた。
葉子の灯籠に描かれていた二人より、少し近い距離だった。




