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第八話 日露戦争(二)


 弥一(やいち)には、友がいた。

 辰次(たつじ)という。同じ京都の生まれで、歳は弥一の二つ下。日清の前に同じ連隊で訓練を受け、弥一が近衛(このえ)に移ったあとも文通がつづいていた。

 辰次は歩兵のまま第三軍に配属された。乃木(のぎ)の軍だ。

 旅順(りょじゅん)に行く、と手紙に書いてあったのは、明治三十七年の初夏のことだった。

「第一回の攻撃の補充(ほじゅう)で回されることになった。おまえは宮中で天子さまのお側やろ。わしは満洲の果てや。えらい違いやな。まあ死なんようにするわ。死んだらあかんもんな」

 弥一はその手紙を読んで、笑えなかった。

◇

 第一回総攻撃(そうこうげき)は、辰次が旅順に着く前に始まっていた。

 八月十九日から二十四日。

 弥一は宮中の侍従武官府(じじゅうぶかんふ)の廊下で、電報が届くたびにその数字を聞いた。

 だが数字は、このとき弥一の頭に入らなかった。

 辰次はまだ移動中だった。間に合っていない。それだけが弥一の頭を占(し)めていた。

 五日間の死傷、一万五千八百六十。

 その数字が意味するものを、弥一は宮中で聞いた侍従武官の会話から知った。

「第一師団の連隊で、中隊ごと消えたところがあるそうです」

「消えた?」

「全滅です。斜面で機関銃に捕まった」

 弥一は壁として立っていた。

 中隊。約二百人。それが消える。斜面で動けなくなって、機関銃に撃たれて、二百人が消える。辰次がそこにいなくてよかった。いなくてよかった。それしか考えられなかった。

 自分が壁でいられなくなっている。弥一は初めて、そう思った。

◇

 辰次が旅順に着いたのは、九月だった。

 手紙が来た。

「着いた。ひどいところだ」

 短かった。検閲(けんえつ)があるから書けないのだろうと弥一は思った。だが次の手紙はもう少し長かった。辰次なりに、書ける範囲で書こうとしていた。

「壕(ごう)に入った。塹壕(ざんごう)というやつだ。幅は肩幅くらいしかない。底に水が溜まっとる。靴がずっと濡れとる。乾く暇がない。三日で足の皮がふやけて剥(む)けた。それでも歩かなあかん」

「飯は握り飯が一日二つ。冷たい。味はない。腹が減る。腹が減ると考えることが減る。考えることが減ると怖くなくなる。怖くなくなるのはええことかもしれん。よう分からん」

「前の攻撃で死んだ人がまだ斜面に転(ころ)がっとる。回収でけへんのや。敵の射線の中やから。だから放ってある。匂いがする。甘い匂いや。甘いいうのがいちばんきつい。飯が食えんようになる」

 弥一は手紙を畳(たた)んで、懐(ふところ)に入れた。

 宮中の廊下は清潔(せいけつ)だった。床は磨(みが)かれている。空気は乾いている。

 その床の上に立ちながら、弥一は辰次の足のことを考えた。ふやけて剥けた皮のことを。甘い匂いのことを。

 同じ国の、同じ天皇の、同じ軍の中で、廊下と塹壕がこれほど遠い。

◇

 ──御前(ごぜん)。

 弥一は天皇を毎日見ていた。遠くからだが、見ていた。

 明治天皇は五十二歳になっていた。

 日清のころの天皇は、体格(たいかく)がよかった。軍服がぴったりと合っていた。だが日露が始まってから、弥一の目にはっきりと分かる変化があった。

 痩(や)せてきている。

 軍服の肩が少しだけ余っている。首まわりにも隙間(すきま)ができている。

 侍従(じじゅう)のあいだで「お召し上がりが減った」という話が漏(も)れていた。侍医(じい)が呼ばれる回数も増えている。

 ある朝、弥一が廊下で直立(ちょくりつ)しているとき、天皇が侍従武官に向かってこう言うのが聞こえた。

「兵は、どれほど死んだ」

 短い言葉だった。声は低かった。

 侍従武官が数字を答えた。弥一にはその数字が聞き取れなかった。

 天皇が何か言った。聞こえなかった。

 だが侍従武官が深く頭を下げて、長いあいだ上げなかったのは見えた。

 弥一は息を止めていた。

 天皇は数字を聞いている。数字を聞いて、何かを感じている。だがそれが何なのかは、壁には分からない。分かるのは、軍服が少しずつ大きくなっていくことだけだ。

◇

 ──廟堂(びょうどう)。

 政府の中で、戦争とはまったく別の戦いが起きていた。

 金がない。

 開戦から半年で戦費は当初の見積(みつも)りを超えていた。日清の賠償金(ばいしょうきん)はとうに使い切っている。国内で公債(こうさい)を募(つの)ったが足りない。

 高橋是清(たかはしこれきよ)という男が、ロンドンに飛んだ。日銀副総裁(にちぎんふくそうさい)。この男の仕事は、英国と米国の銀行家に日本の戦時国債(せんじこくさい)を買ってもらうことだった。

 つまり、借金の営業だ。

 弥一がこのことを知ったのは、中山家経由(けいゆ)で宮中の空気を拾っていた源太からの手紙だった。源太の字は弱々しくなっていたが、中山家で聞いた話を短く書いてくれた。

「政府の金庫が空っぽらしい。外国に頭を下げて金を借りとる。負けたら返せん。負けたら日本が潰れる」

 高橋はロンドンの社交場(しゃこうじょう)を回り、晩餐会(ばんさんかい)に出て、銀行家の前で日本の将来を語った。日本は勝つ。だから国債を買ってくれ。利回りは高い。

 最初、誰も買わなかった。極東の小国がロシアに勝てるわけがない、と彼らは思っていた。

 だがユダヤ系アメリカ人の銀行家、ジェイコブ・シフが手を挙げた。ロシアでユダヤ人が迫害(はくがい)されていたからだ。ロシアに勝つ国を応援したかった。

 シフが五百万ポンドを引き受けた。

 これで最初の扉(とびら)が開いた。英国の銀行も追随(ついずい)した。日本は合計で八億円の外債を調達(ちょうたつ)した。戦費十七億円の半分近くが、借金だった。

 勝っているように見える国が、実は金を借りて戦っている。

 その事実を国民は知らない。新聞にも書かれない。

 弥一は源太の手紙を読んで、懐に入れた。辰次の手紙と、源太の手紙。二通が胸の中で重なっていた。

◇

 ──巷(ちまた)。

 京都の源太は六十七歳だった。

 もう中山家の屋敷には通っていない。足が動かなくなったのだ。ただ中山家の若い使用人が、ときどき見舞いに来て、宮中から降りてきた話の切れ端(きれはし)を置いていってくれた。

 それとは別に、源太の暮らしには戦争が染(し)み込んでいた。

 近所に、吉田(よしだ)のおかみさんという女がいた。源太より十ほど若い。その息子が第三軍にいた。弥一の辰次と同じように、旅順に送られた。

 おかみさんは毎日、郵便屋(ゆうびんや)が来る時刻になると戸口に立った。手紙が来れば生きている。来なければ分からない。生きているかもしれないし、死んでいるかもしれない。手紙が届くまでに二週間はかかる。その二週間のあいだ、息子が生きているかどうかは、この世の誰にも分からない。

 源太はその姿を、自分の家の窓から見ていた。

 ハナが言った。

「吉田さんとこ、今日も立ってはるわ」

「そうか」

「うちは弥一が宮中やから、まだましやな」

「……ああ」

 ましだ。そう思うことに、うしろめたさがあった。近衛にいる息子と、旅順にいる息子。同じ天皇の兵なのに、生き残る確率(かくりつ)がまるで違う。

 十月の終わり、吉田のおかみさんのところに、白い封筒(ふうとう)が届いた。

 戦死公報(せんしこうほう)。

 おかみさんは戸口で崩(くず)れるように座り込んだ。声は出さなかった。声が出ないのだと、源太は思った。

 ハナが走っていった。おかみさんの肩を抱いた。

 源太は窓から動けなかった。足が悪いからではなかった。何を言えばいいのか、分からなかったからだ。

 新聞は「旅順攻略戦、なおも進行中」と書いている。提灯行列の日程も書いている。

 その同じ紙面(しめん)の裏に、戦死者の名前が小さな活字(かつじ)で並んでいることを、提灯を持つ者たちは読んでいるだろうか。

◇

 十月。第二回総攻撃。

 辰次から手紙が来た。前の手紙より字が乱れていた。

「坑道(こうどう)いうもんを掘った。地面の下に穴を掘って、敵の堡塁(ほるい)の下まで行くんや。暗い。蝋燭(ろうそく)一本しかない。壁から水が滲(にじ)む。息が詰まる。何メートル掘ったか分からんようになる。上を歩いとる敵の足音が聞こえる。こっちの掘る音も敵に聞こえとるはずや。どっちが先に着くかの競争や」

「途中で敵の坑道とぶつかった。向こうも掘っとった。暗闘(あんとう)になった。銃は使えん。狭すぎる。スコップで殴り合うた。隣の奴がスコップで顔を割られた。俺はなんとか引っ込んだ。顔を割られた奴は引っ込めんかった」

「手榴弾(しゅりゅうだん)いうもんがある。鉄の塊(かたまり)を投げるんや。壕の中で転がってくると、伏(ふ)せるしかない。伏せても破片が飛んでくる。横にいた男の背中に破片が刺さった。抜いてくれと言うから抜いた。血が噴(ふ)いた。衛生兵(えいせいへい)を呼んだが来なかった。衛生兵も足りてへんのや」

 弥一は手紙を読む手が震えた。

 宮中の報告では「第二回総攻撃、所期の成果を得ず」とだけ伝えられていた。死傷三千八百余。

 三千八百。辰次の隣で顔を割られた男も、背中に破片が刺さった男も、その数字の中の一だ。

◇

 ──幕僚(ばくりょう)。

 旅順の司令部では、意見が割れていた。

 弥一がそれを知ったのは、侍従武官府に届いた内部報告の断片からだった。近衛の下士官(かしかん)が聞ける範囲は限られるが、将校たちの会話には温度があり、温度は壁にも伝わった。

 乃木希典は正面攻撃をつづけようとしていた。

 要塞の東北面にある永久堡塁群(えいきゅうほるいぐん)──二竜山(にりゅうざん)、東鶏冠山(ひがしけいかんざん)──を力で抜く。それが乃木と、参謀長(さんぼうちょう)の伊地知幸介(いじちこうすけ)の方針だった。

 問題は、その「力」で二度失敗していることだった。

 侍従武官府で、ある将校がこう漏(も)らした。

「乃木閣下(かっか)は、正面から行くしかないと仰(おっしゃ)っている。要塞を全部落とさねば意味がないと」

「二〇三高地に集中すべきだという意見は」

「参謀の一部が言っている。だが伊地知参謀長が退けた。あの丘は要塞の外れだと」

 弥一は聞いていた。

 二〇三高地。標高(ひょうこう)二百三メートルの丘。要塞群からは外れている。だが頂上に立てば、旅順港が見下ろせる。港が見えれば、砲で艦隊を沈められる。

 軍人ではない弥一にも、それは分かる話だった。

 だが乃木は動かなかった。

 弥一はあるとき、侍従武官が天皇への奏上(そうじょう)の準備をしているのを見た。書類の上に乃木の名前があった。その書類を持つ侍従武官の指が、少しだけ白くなっていた。握りしめていたのだ。

 天皇にどう伝えるか。二度の失敗をどう報告するか。

 そこにもまた、選別(せんべつ)がある。何を伝え、何を伝えないか。乃木と伊地知の対立を報告するのか。しないのか。

 弥一には分からなかった。壁は判断しない。見るだけだ。

 だがこのとき弥一は、壁でいることが苦しくなっていた。辰次の手紙が懐にある。スコップで殴り合った話が、紙の上に残っている。

 その紙と、侍従武官が天皇に持っていく書類のあいだに、どれだけの距離があるのか。

 御前に届く旅順と、塹壕の中の旅順は、同じ旅順なのか。

◇

 十一月に入った。

 辰次からの手紙が、途切れた。

 一週間。二週間。三週間。

 来ない。

 弥一は廊下に立ちながら、郵便のことばかり考えていた。近衛兵が郵便のことを考えるのは職務怠慢(しょくむたいまん)だ。だが考えずにはいられなかった。

 京都では、吉田のおかみさんが息子の位牌(いはい)を仏壇(ぶつだん)に入れたと、ハナが手紙で知らせてきた。

「吉田さんとこ、毎朝お線香(せんこう)あげてはるわ。静かにしてはるけど、目ぇが赤いのは分かる。お父もな、最近咳(せき)がひどいんや。寒なったからかなあ」

 弥一は壁として立ちながら、京都の家を思った。咳をする父。線香をあげる隣の女。手紙の来ない友。

 宮中の床は今日も磨かれている。

◇

 十一月二十六日、児玉源太郎(こだまげんたろう)が旅順に来た。

 満洲軍総参謀長。乃木の上の上。

 弥一が直接知ったのは戦後だが、宮中の空気は即座に変わった。侍従武官の一人がこう言った。

「旅順の方針が変わるかもしれん」

 翌日、二〇三高地への攻撃集中命令が出た。

 そしてもう一つ。

 二十八糎(センチ)榴弾砲(りゅうだんほう)の砲口が、二〇三高地に向けられた。

◇

 辰次から手紙が来た。

 十一月二十九日の日付だった。二〇三高地への第三回総攻撃が始まった翌日だ。

「生きとる。まだ生きとる。あの丘に二回登った。二回とも押し返された」

「二十八糎が撃つと地面が揺れる。こっちの壕の中でも砂が落ちてくる。あれが敵に落ちるのを見た。コンクリートが割れて、中から土煙(つちけむり)と一緒に人間が飛んだ。人間が飛ぶのを初めて見た」

「丘に登るときが怖い。壕を出た瞬間から機関銃が来る。隣を走っとった男が転んだと思ったら死んどった。走りながら死ぬんや。足が動いとるまま倒れるんや。体が先に死んで、足だけがまだ走ろうとしとる」

「頂上近くまで行った。石と土嚢(どのう)の向こうに露助(ろすけ)の顔が見えた。銃を撃った。当たったかどうか分からん。横から手榴弾が来て、転がり落ちた。気がついたら壕の中やった。傷はない。なんで傷がないのか分からん」

「明日また登る。三回目や」

 手紙はそこで終わっていた。

 弥一は何度も読み返した。

 走りながら死ぬ。体が先に死んで、足だけがまだ走ろうとしとる。

 その一行が、弥一の頭から離れなかった。

 宮中の報告では「第三回総攻撃、二〇三高地に対し鋭意攻撃中」と伝えられていた。

◇

 十二月五日。

 弥一は廊下で、侍従武官が走るのを見た。走るのは珍しいことだった。この建物では誰もが歩く。走ることは、よほどのことだ。

 侍従武官は奥の間に入った。しばらくして出てきた。

 弥一に目もくれず、別の部屋に向かった。その背中は真っ直ぐだったが、歩調がわずかに乱れていた。

 しばらくして、別の将校が廊下で小声で言った。

「二〇三高地が落ちた」

 弥一は息を吐いた。知らないうちに、止めていた。

 落ちた。あの丘が落ちた。

 辰次は生きているだろうか。

 三回目の突撃で登ったのだろうか。登って、戻ったのだろうか。

 弥一は壁として立ちつづけた。だが右手が震えていた。左手で右手の手首を握って、止めた。

◇

 辰次から手紙は来なかった。

 十二月が過ぎた。正月が来た。

 一月二日、旅順が開城した。ステッセルが降伏した。

 宮中で報告を聞いたとき、弥一は初めて壁を捨てた。

 自室に戻り、辰次のすべての手紙を並べた。七通。九月から十一月まで。十二月以降はない。

 三日後、弥一は近衛の上官(じょうかん)に頼んで、第三軍の名簿(めいぼ)を確認した。

 辰次の名前は、十二月一日の戦死者名簿にあった。

 二〇三高地。第三回総攻撃。四日目。

 三回目の手紙を書いた翌々日に、辰次は死んでいた。

 「明日また登る。三回目や」

 その三回目から、辰次は降りてこなかった。

◇

 旅順攻囲戦(こういせん)の全体の数字を、弥一は宮中で聞いた。

 日本軍の戦死、一万五千四百。負傷と病気を合わせた損耗(そんもう)は六万に迫った。

 第三軍の兵力は最大時で約十三万。その半数近くが倒れたことになる。

 乃木希典の長男は南山で死に、次男は二〇三高地で死んだ。

 将軍は兵を死なせた。将軍の息子も同じ場所で死んだ。

 それを批判する声と、それを悲劇と呼ぶ声が、同じ新聞の同じ紙面に並んでいた。

 弥一は何も言わなかった。

 ただ、辰次の最後の手紙を畳んで、懐に入れた。

 それは侍従武官が天皇に持っていく書類とは、まったく違うものだった。

 同じ旅順について書いてある。同じ二〇三高地について書いてある。

 だが辰次の手紙を、天皇は読まない。永遠に読まない。

 天皇が読むのは、数字だけだ。

第八話 了

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