↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
6/28

第六話 日清戦争


 明治二十七年、夏。

 弥一(やいち)から手紙が来た。

「広島(ひろしま)にて待機中。暑い。飯はまずい。元気です」

 源太は五十七歳になっていた。目が悪くなり始めていて、弥一の字を読むのに顔を紙に近づけなければならなかった。ハナが横で聞いている。

 弥一は帝国陸軍の歩兵(ほへい)だった。第一軍、第三師団(しだん)に配属(はいぞく)されている。入営(にゅうえい)して三年の現役(げんえき)を終え、予備役(よびえき)に回っていたところを、召集(しょうしゅう)された。

 朝鮮(ちょうせん)で何かが起きている、ということは新聞で知っていた。朝鮮の農民が反乱を起こし、朝鮮政府が清国(しんこく)に助けを求めた。清が兵を出すなら日本も出す。日本と清が朝鮮で睨(にら)み合っている。

 だが源太にとって、それは遠い国の話だった。

 遠い国の話が、息子を連れていった。

◇

 七月二十五日。宣戦布告(せんせんふこく)より前に、海で戦闘が始まった。

 豊島沖海戦(ほうしまおきかいせん)。

 朝鮮の牙山(がさん)沖で、日本の巡洋艦(じゅんようかん)三隻──吉野(よしの)、浪速(なにわ)、秋津洲(あきつしま)──が清の軍艦と遭遇(そうぐう)した。

 吉野は当時世界最速の巡洋艦だった。速力(そくりょく)二十三ノット。英国で造られた四千百トンの快速艦(かいそくかん)で、速射砲(そくしゃほう)十二門を持つ。

 清の巡洋艦、済遠(さいえん)は逃げた。砲艦(ほうかん)の広乙(こういつ)は座礁(ざしょう)して自沈(じちん)した。

 そして浪速の艦長(かんちょう)・東郷平八郎(とうごうへいはちろう)が、清兵(しんへい)千百人を乗せた英国商船(しょうせん)、高陞号(こうしょうごう)を撃沈(げきちん)した。

 英国の船を沈めた。これは国際問題(こくさいもんだい)になりかけたが、結果として英国は日本の行動を正当(せいとう)と認めた。戦時中に敵兵を輸送(ゆそう)していたのだから、沈めても国際法違反(いはん)ではない、と。

 源太は新聞を読んでもらいながら思った。

 もう戊辰でも西南でもない。外の国と戦っている。外の国の船を沈めている。それが正しいのかどうかを、また別の外の国が判定している。

 日本はそういう場所に出てきてしまった。

◇

 八月一日、正式に宣戦布告。

 日清戦争(にっしんせんそう)が始まった。

 大本営(だいほんえい)が広島に置かれた。明治天皇が東京を離れ、広島に入った。天皇が前線近くに移ったのだ。

 源太はそれを聞いて驚いた。

 あの御所の奥にいた少年が、広島まで来ている。

 もちろん戦場には行かない。大本営の中で報告(ほうこく)を受けるだけだ。だが京都から一歩も出られなかった孝明天皇のことを思えば、天と地の差だった。

 明治天皇は四十二歳になっていた。もうあの拳(こぶし)ほどの赤ん坊の面影(おもかげ)はないだろう。

◇

 九月十五日、平壌(ぴょんやん)の戦い。

 弥一は、ここにいた。

 戦の後に届いた手紙に、こう書いてあった。

「九月十五日未明、平壌城に向けて進軍(しんぐん)。五方面からの同時攻撃(どうじこうげき)。我が第一軍、混成旅団(こんせいりょだん)、朔寧支隊(さくねいしたい)の合計一万六千。清軍は城壁(じょうへき)の中に一万四千。夜明けとともに砲撃(ほうげき)を開始。清軍の砲台(ほうだい)もよく応射(おうしゃ)す。弾が頭の上を通る音を初めて聞いた。蜂(はち)が耳元を飛ぶような音がする」

 源太は手紙を握りしめた。

「激戦は玄武門(げんぶもん)付近。ここが最も堅(かた)く、左宝貴(さほうき)なる清の将が自ら砲を指揮して抗戦(こうせん)。我が軍は一度押し返される。砲弾が足元で炸裂(さくれつ)し、左右の者が倒れた。自分は倒れなかった。なぜ自分だけ倒れなかったのか分からない」

 ハナが泣き始めた。源太は読みつづけた。

「午後、左宝貴戦死。城内の清軍、白旗を掲(かか)げる。我が軍突入。清兵は北門より敗走(はいそう)。追撃(ついげき)の命令が出て走った。道に清兵の死体が並んでいた。自分も撃った。当たったかどうかは分からない」

 手紙の最後にはこう書いてあった。

「我が軍の死者百八十、負傷五百余(よ)。清軍の死者は二千を超えると聞く。勝った。勝ったが、隣にいた男が死んだので、今は何も考えられない」

 源太は手紙を膝(ひざ)に置いた。

 弥一は生きている。それだけが大事だった。勝ったかどうかなど、どうでもよかった。

◇

 平壌の二日後、海でも戦いがあった。

 黄海海戦(こうかいかいせん)。九月十七日。

 日本の連合艦隊(れんごうかんたい)と清の北洋艦隊(ほくようかんたい)が、黄海の上でぶつかった。近代の東洋(とうよう)で、これほどの規模(きぼ)の海戦は初めてだった。

 日本側、軍艦十二隻。旗艦(きかん)は松島(まつしま)。司令長官(しれいちょうかん)は伊東祐亨(いとうすけゆき)。先頭を走るのは吉野、高千穂(たかちほ)、秋津洲、浪速の快速艦隊だ。

 清国側、軍艦十四隻。旗艦は定遠(ていえん)。提督(ていとく)は丁汝昌(ていじょしょう)。定遠と鎮遠(ちんえん)は排水量(はいすいりょう)七千トンを超えるドイツ製の装甲艦(そうこうかん)で、三十センチ砲を四門ずつ備(そな)える。日本にこれに匹敵(ひってき)する艦はなかった。

 数では清が上。大きさでも清が上。

 だが日本には速度(そくど)と速射砲があった。

 戦闘は正午過ぎに始まった。新聞はこう伝えた。

 日本艦隊は単縦陣(たんじゅうじん)──一列に並ぶ隊形──で突進した。吉野を先頭にした快速艦隊が清の艦列を回り込み、側面から速射砲を叩き込んだ。清の大砲は口径(こうけい)では勝るが、発射速度(はっしゃそくど)が遅い。三十センチ砲が一発撃つ間に、日本の速射砲は十発以上撃てる。

 清の艦が燃え始めた。超勇(ちょうゆう)が沈没(ちんぼつ)。揚威(ようい)が炎上。致遠(ちえん)は日本艦に体当たりを試みて沈んだ。経遠(けいえん)も沈んだ。五隻を失った。

 日本側は一隻も沈まなかった。松島は被弾して死傷者を出したが、浮いていた。

 定遠と鎮遠は最後まで沈まなかった。三十センチの装甲は日本の砲弾を弾(はじ)いた。だが上部構造物は破壊(はかい)され、戦える状態ではなくなった。夕方、清艦隊は旅順(りょじゅん)へ退却(たいきゃく)した。

 日本は黄海の制海権(せいかいけん)を握った。

 源太は読み手の声を聞きながら、定遠と鎮遠のことを考えた。あの二隻は沈まなかった。三十センチの砲と装甲。日本にはあれがない。勝ったけれど、あれがない。

 その差を埋めるために、この先どれだけの金が軍艦に注(つ)ぎ込まれるのか。源太にはまだ見えていなかった。

◇

 十一月二十一日、旅順口(りょじゅんこう)が陥落(かんらく)した。

 第二軍、大山巌(おおやまいわお)の指揮のもと、旅順の清軍を攻撃。清軍は約一万三千がいたとされるが、組織的な抵抗(ていこう)は少なく、一日で陥落した。

 新聞は「大勝利」と報じた。

 だが、弥一の手紙には別のことが書いてあった。

 弥一は旅順にはいなかった。平壌のあと別の部隊に合流して遼東半島(りょうとうはんとう)にいた。だが同じ師団の者から聞いた話を、短く書いていた。

「旅順にて、占領(せんりょう)後に良くないことがあったらしい。詳(くわ)しくは書けない。書いたら届かないかもしれない」

 源太はその行間を読めなかった。

 だが新聞の外で、別の文字が動いていた。

 従軍(じゅうぐん)していた外国人記者──アメリカのクリールマンという男が、本国の新聞に書いた。日本軍が旅順で非戦闘員(ひせんとういん)を殺害(さつがい)した、と。数日間にわたって、兵が民間人(みんかんじん)を斬り、撃ち、町を荒らした、と。

 旅順虐殺事件(りょじゅんぎゃくさつじけん)。

 アメリカの新聞が報じた。ヨーロッパの新聞が転載した。

 日本の新聞は、ほとんど報じなかった。

 大本営の明治天皇に、この報告が上がったかどうか。源太には知る術がない。

 だが佐吉ならこう言っただろう。

 ──知らせんほうが楽や。上の人間にとっては。

 十年前に死んだ男の声が、源太の耳の奥で鳴った。

◇

 翌年二月、威海衛(いかいえい)が落ちた。

 旅順から逃げた北洋艦隊の残りが、ここに集まっていた。日本は陸と海から挟撃(きょうげき)した。陸軍が砲台を奪(うば)い、その砲台を海に向けて撃った。自分の砲台から撃たれた北洋艦隊は、もう逃げる場所がなかった。

 定遠が沈んだ。自沈だった。鎮遠は降伏(こうふく)して、日本海軍に編入(へんにゅう)された。

 提督の丁汝昌は、毒を飲んで死んだ。

 北洋艦隊が消滅(しょうめつ)した。清の海軍は存在しなくなった。

 日本は完全に勝った。

◇

 四月、下関(しものせき)で講和条約(こうわじょうやく)が結ばれた。

 清は朝鮮の独立を認めた。遼東半島を日本に割譲(かつじょう)した。台湾(たいわん)と澎湖諸島(ほうこしょとう)を日本に渡した。賠償金(ばいしょうきん)二億両(テール)。日本の国家予算の三倍を超える額だった。

 弥一が帰ってきた。

 痩(や)せていた。頬(ほお)がこけて、目の下に隈(くま)があった。右手の人差し指に傷があった。

「撃たれたんか」

「擦(かす)っただけです」

 弥一は多くを語らなかった。平壌のことも、旅順の噂のことも、聞いても短い言葉しか返ってこなかった。

 ただ一度だけ、夜中に弥一が庭に出ているのを源太は見た。月を見ていた。

「眠れんのか」

「……隣で寝てた奴の顔が出てくるんです。平壌で死んだ奴の」

 源太は何も言えなかった。

 西南戦争のとき、新聞の数字を聞いて震えた。死者一万三千。だがあれは数字だった。弥一が抱えているのは数字ではない。隣にいた人間の顔だ。

◇

 勝利の余韻(よいん)は、六日で消えた。

 四月二十三日。三国干渉(さんごくかんしょう)。

 ロシア、フランス、ドイツの三国が、日本に要求した。遼東半島を清に返せ、と。

 源太は新聞を読んでもらって、意味が分からなかった。

「戦争で勝って取った土地を、返せ言うんですか」

「そう書いてありますわ」

「なんでです」

「ロシアが遼東を欲しいからや、て書いてある人もいますけど……新聞には『東洋の平和のため』て理由が出てます」

 日本は返した。三国を相手に戦う力はなかった。

 弥一は黙っていた。眠れない夜に浮かぶ、隣で死んだ男の顔。その男の命と引き換えに取った土地を、一発も撃っていないロシアに脅(おど)されて手放す。

 京都の町には、四文字が広まった。

 臥薪嘗胆(がしんしょうたん)。

 薪(たきぎ)の上に寝て苦しみを忘れるな。胆(きも)を嘗(な)めて屈辱(くつじょく)を忘れるな。いつか仕返しをする日まで耐(た)えろ。

 賠償金二億両。そのうち遼東半島の返還(へんかん)の代償(だいしょう)として上乗(うわの)せされた三千万両を加えた合計は、当時の日本円に換算(かんさん)して約三億六千万円。

 その金がどこに流れたか。

 軍拡(ぐんかく)だった。

 海軍は六・六艦隊計画(けいかく)を立てた。戦艦六隻、装甲巡洋艦六隻。定遠を超える艦を揃(そろ)える。二度と砲で負けない海軍を造る。

 陸軍も師団を増やした。砲兵を増やした。

 勝って、取り上げられて、怒って、軍を大きくする。

 その金は、清が払った賠償金だった。つまり戦争で得た金で、次の戦争の準備をしている。

 源太はそのことに気づいていたかどうか。たぶん気づいていなかった。町は臥薪嘗胆で燃えていて、いつかロシアに仕返しをするという空気が、水のように当たり前に流れていた。

 その流れの先に何があるかを、まだ誰も考えていなかった。

◇

 弥一は除隊(じょたい)して京都に戻った。

 源太の荷運びの仕事を手伝いながら、少しずつ日常に戻っていった。夜中に庭に出ることは、しばらくつづいた。

 ある夜、源太が隣に座った。

「弥一。おまえが見てきたもんは、俺には分からん。けどな、一個だけ聞いていいか」

「何です」

「旅順で良くないことがあった、て手紙に書いとったな。あれは何や」

 弥一は長いこと黙っていた。

「俺は旅順にはおらんかったから、直接は見てません」

「聞いた話でええ」

「……兵がおかしくなったんやて。城が落ちたあと、清兵の死体を見て、仲間の死体を見て、それで抑(おさ)えがきかんようなった奴がおったと。軍服を着てない人間も斬ったと。何人かは知らん。聞いた奴も数は言わんかった」

 源太は黙った。

「それ、天皇は知ってるんかな」

「知るわけないでしょう」弥一は即答した。「そんなこと上に報告する将校(しょうこう)がおるわけない。外の新聞には出たらしいけど、日本の新聞には出てへん。出してへん」

 知らせないほうが楽。

 佐吉の言葉が、また鳴った。

 この構造は、蛤御門(はまぐりごもん)の夜にはもう始まっていた。天皇に届く情報と、届かない情報。その選別(せんべつ)を誰がやっているのかは分からない。だが選別は確かに行われていて、天皇はきれいな勝利だけを見ている。

 五層のうち、一番上には一番下が見えない。

 源太は六十に近づいていた。足が弱り、目がかすむ。もうあまり長くないだろうと自分で分かっていた。

 次の戦争を見届けるのは、弥一の仕事になる。

第六話 了

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。