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第五話 百姓の子が侍を殺す国


 戊辰(ぼしん)の戦から帰って三年が経った。

 源太は三十五になっていた。中山家を出て、京都の外れに小さな家を借りている。屋敷勤(やしきづと)めはつづけていたが、佐吉の口利(くちき)きで町の荷運びの仕事も掛け持ちするようになった。

 嫁(よめ)を貰(もら)った。近所の桶屋(おけや)の娘で、名をハナという。字は読めないが、よく働く女だった。

 明治四年の冬、息子が生まれた。

 源太は名前を考えるのに三日かかった。名字はもう名乗っていい。明治になって、誰でも名字を持てるようになった。柏木。あの屋敷で勝手に名乗っていた名字が、今は正式に源太のものだ。

 息子には弥一(やいち)とつけた。特に深い理由はない。丈夫(じょうぶ)に育ってくれればそれでいいと思った。

 あの夜、産屋で祐宮(さちのみや)が生まれたとき、佐吉が言った言葉を思い出す。

 ──生まれたあと、育つかどうかや。

 同じことを、今度は自分の子に祈(いの)っていた。

◇

 明治六年、法律(ほうりつ)が出た。

 徴兵令(ちょうへいれい)。

 満二十歳になった男子は、身分に関係なく兵役(へいえき)に就(つ)く。侍の子も、百姓(ひゃくしょう)の子も、商人(あきんど)の子も。三年間、軍に入って訓練を受ける。

 源太は佐吉にそれを話した。佐吉はもう六十を超えている。腰が曲がり、煙管(きせる)を持つ手が震えるようになっていた。

「つまりな」佐吉は煙管をゆっくり口に運んだ。「おまえの弥一も、二十になったら兵隊(へいたい)にされるいうことや」

「まだ二つですよ」

「二つでもいずれ二十になる」

 源太は黙った。

 自分は戊辰の戦で荷駄隊(にだたい)にされた。あれは臨時(りんじ)の徴発(ちょうはつ)だった。だが今度は法律だ。国のきまりとして、すべての男が兵士になる。

「佐吉さん。これは、どういうことなんですかね」

「どういうことも何も、そのままや。百姓の子が銃を持つ国になるんや。侍だけが戦う時代は終わった」

 佐吉はゆっくり煙を吐いた。

「まあ、考えてみたら当たり前やな。おまえだって戊辰で弾薬(だんやく)を担(かつ)いだやろ。あのときすでに、侍だけでは足りんかったんや」

◇

 その法律が本当に試(ため)されたのは、四年後だった。

 明治十年。西南戦争(せいなんせんそう)。

 西郷隆盛(さいごうたかもり)が兵を挙(あ)げた。

 源太はその知らせを聞いたとき、背中が冷たくなった。

 西郷。あの西郷だ。鳥羽伏見で幕府を倒し、江戸城を無血開城させ、この新しい国を作った男。その男が、自分の作った政府に反旗(はんき)を翻(ひるがえ)した。

 源太は新聞を手に入れた。字は読めない。だが近所に寺子屋(てらこや)上がりの若い者がいて、頼めば読んでくれた。

 それから半年のあいだ、源太は新聞にしがみついた。

◇

 新聞が伝える戦の全体像(ぜんたいぞう)は、こうだった。

 薩摩(さつま)の私学校(しがっこう)に集まった士族(しぞく)たち──かつての薩摩藩士──が、西郷を担(かつ)いで挙兵した。二月十五日、鹿児島(かごしま)を出発。総勢(そうぜい)およそ一万三千。

 率いるのは西郷隆盛。その下に桐野利秋(きりのとしあき)、篠原国幹(しのはらくにもと)、村田新八(むらたしんぱち)、別府晋介(べっぷしんすけ)ら。いずれも戊辰を戦い抜いた歴戦(れきせん)の侍だった。

 一方、政府軍の総大将は有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)。皇族(こうぞく)が名目上の大将に就く。実際に軍を動かしたのは参軍(さんぐん)の山県有朋(やまがたありとも)と、別働隊(べつどうたい)を率いる川村純義(かわむらすみよし)だった。

 政府軍は最終的に六万五千を超えた。薩摩の五倍だ。

 だが数だけでは語れない戦だった。

◇

 西郷軍は北上し、まず熊本城(くまもとじょう)を囲んだ。

 熊本鎮台(くまもとちんだい)の司令官、谷干城(たにたてき)が守る城だった。守備兵はおよそ三千八百。新聞には「鎮台兵、よく耐(た)えて城を守る」と書いてあったが、実際は凄惨(せいさん)だったらしい。食糧(しょくりょう)が尽きかけ、兵は馬を殺して食べた。

 西郷軍は城を落とせなかった。落とすのに時間をかけすぎた。その間に政府が全国から兵を送り込んできた。

「なんで落とせへんかったんですか」源太は読み手の若者に聞いた。

「城が堅(かた)い、いうのもありますけど、西郷さんとこは大砲(たいほう)が足りんかったみたいですわ」

 大砲。戊辰のとき禁門の変で聞いたあの音。城を砲で叩(たた)くには数が要る。薩摩軍が持ち出せた砲は二十八門程度(ていど)。政府軍は後から続々と運び込み、最終的には百門をゆうに超えた。

 軍艦(ぐんかん)で海から運べる政府と、陸路(りくろ)を担いで運ぶしかない薩摩。その差が、すでにここで出ていた。

◇

 決戦は田原坂(たばるざか)で起きた。

 三月四日から二十日まで。十七日間。

 田原坂は熊本の北にある細い坂道だ。大砲や馬を通せる道はここしかない。政府軍はこの坂を越えなければ熊本城を救えない。薩摩軍はここを塞(ふさ)いで時間を稼(かせ)ぐ。

 互いに譲(ゆず)れない一本道の戦いだった。

 新聞は日ごとに戦況(せんきょう)を伝えた。源太は読んでもらうたびに、顔が強張(こわば)った。

 政府軍は小銃(しょうじゅう)に英国製のスナイドル銃(じゅう)を使い、薩摩軍もエンフィールド銃やゲベール銃など洋式銃(ようしきじゅう)で応じた。さらに政府側は山砲(さんぽう)と野砲(やほう)を坂の下から撃ち上げた。

 だが地形(ちけい)が政府軍に味方しなかった。坂道は狭(せま)く、大軍の利が消える。しかも雨がつづいた。銃の撃鉄(げきてつ)が湿(しめ)って不発(ふはつ)になる。装填(そうてん)に手間取る。

 そこに薩摩の抜刀隊(ばっとうたい)が斬り込んできた。

 刀だった。

 銃の時代に、刀で突っ込んでくる。雨で銃が使えない泥(どろ)の中を、薩摩の侍たちが白刃(はくじん)を抜いて走ってくる。政府の徴兵兵(ちょうへいへい)は剣(けん)を習っていない。銃剣(じゅうけん)で受けたが、剣の腕(うで)が違いすぎた。

 新聞にはこう書いてあった。「一日の弾薬消費、三十二万発に及(およ)ぶ」。

 三十二万発。

 源太は戊辰で背負った弾薬箱を思い出した。あの箱一つに入る弾は数百発だ。三十二万発を運ぶのに何千人が要(い)る。それがたった一日で消える。

「佐吉さん」源太は思わずそう呟(つぶや)いた。もう隣にはいない人に。「戦が変わってしまいましたわ」

◇

 政府軍は対策(たいさく)を打った。

 警視庁(けいしちょう)から選(え)りすぐりの剣客(けんかく)を集めて、抜刀隊をぶつけた。刀には刀で返す。旧会津(あいづ)や旧桑名(くわな)の藩士もいた。戊辰で薩摩に負けた者たちが、今度は薩摩を斬る側に回った。因縁(いんねん)が巡(めぐ)っていた。

 同時に、政府は別の道を切り開いた。坂の正面を力押しするだけでなく、左右から回り込む迂回路(うかいろ)を使って薩摩軍の側面を突いた。

 三月二十日、田原坂が抜けた。

 篠原国幹は、この戦闘のさなかに銃弾を受けて戦死した。西郷軍の柱の一本が折れた。

◇

 田原坂のあと、戦は崩れるように進んだ。

 薩摩軍は南へ押し戻された。熊本城の包囲(ほうい)は解かれ、谷干城の守備隊は五十二日ぶりに救出された。政府の増援(ぞうえん)は海路(かいろ)で次々と運ばれる。軍艦が兵と物資(ぶっし)を運び、薩摩軍には海がなかった。

 夏にかけて、西郷は九州の山中を転戦(てんせん)した。人吉(ひとよし)、都城(みやこのじょう)、延岡(のべおか)。一万三千いた兵は、逃亡(とうぼう)と戦死で三千を切り、やがて数百にまで減った。

 源太は新聞を聞きながら思った。

 戊辰のとき、錦(にしき)の御旗(みはた)で勝った側が今度は数と金と軍艦で勝とうとしている。西郷には旗がない。船もない。大砲が足りない。あるのは剣の腕と、死ぬ覚悟だけだ。

 覚悟だけでは、近代の戦争には勝てない。

 それを証明する戦だった。

◇

 九月二十四日。城山(しろやま)。

 西郷は鹿児島に戻っていた。残った兵は三百七十二人。

 政府軍は三万で山を囲んだ。砲兵(ほうへい)が山に向けて一斉射撃(いっせいしゃげき)を行い、夜明けとともに歩兵(ほへい)が突入(とつにゅう)した。

 西郷は被弾(ひだん)した。腰と太腿(ふともも)に銃弾を受け、歩けなくなった。

 新聞はこう伝えた。

 西郷は別府晋介に介錯(かいしゃく)を頼み、首を差し出した。桐野利秋も、村田新八も、この日に死んだ。

 西南戦争が終わった。

◇

 源太は新聞を畳(たた)んで、長いこと黙っていた。

 七か月の戦だった。

 死者は、政府軍が六千四百。薩摩軍が六千八百。合わせて一万三千を超えた。負傷者(ふしょうしゃ)を入れれば、その倍以上になる。

 政府が使った金は四千二百万円。当時の国家予算(こっかよさん)のほぼ一年分だった。

 源太は数字を聞くたびに頭がくらくらした。戊辰のときとは桁(けた)が違う。弾の数も、死者の数も、金の額も。

 だが源太にとっていちばん大きかったのは、数字ではなかった。

 徴兵で集められた百姓の子が、薩摩の侍に勝ったということだ。

 田原坂では確かに苦しんだ。抜刀隊には刀で斬られた。だが最後には、数と補給(ほきゅう)と組織で押し切った。個人の武勇(ぶゆう)ではなく、仕組みが勝った。

 これで日本の軍は証明した。徴兵制は使える。百姓の子でも訓練すれば戦える。侍はもう要らない。

 そしてもう一つ。

 この戦に勝ったのは、天皇の軍だ。有栖川宮が大将に立ち、錦の御旗のもとに戦った。西郷には旗がなかった。旗を持つ側が六万五千を集め、持たない側を三百七十二にまで削(けず)り、最後は山を三万で囲んで潰した。

 戊辰で見た構図と同じだった。旗のある側が勝つ。旗を出す仕組みが、今度は徴兵制と近代軍という機械と合体した。

 その機械は、これからもっと大きくなる。

 源太はそう思ったが、声には出さなかった。

◇

 不思議だったのは、町の空気だった。

 政府が勝ったのに、京都の人々は西郷を悪く言わなかった。

「西郷さんは偉(えら)い人やった」

 町の人はそう言った。賊軍の大将を「偉い人」と呼ぶ。戊辰のとき幕府側が賊になったのと同じだ。昨日の官軍が今日の賊になる。

 源太は夜、弥一を膝(ひざ)に乗せて考えた。弥一は六つになっていた。

 あと十四年すれば、この子も二十になる。徴兵される。銃を持たされる。田原坂のような場所に送り込まれるかもしれない。

「おまえは、誰の戦をさせられるんかなあ」

 弥一は意味が分からず、父の顔を見上げて笑った。

◇

 明治二十二年、二月十一日。

 大日本帝国憲法(だいにっぽんていこくけんぽう)が発布(はっぷ)された。

 源太は五十二歳になっていた。腰に痛みが出るようになり、荷運びの仕事は減らしていた。弥一は十八で、二年後に徴兵の年齢(ねんれい)を迎(むか)える。

 弥一は学校に通って字が読めるようになっていた。これも明治の変化だ。新聞を弥一が読み、源太が聞く。

「お父(とう)、こう書いてあるわ。天皇は神聖(しんせい)にして侵(おか)すべからず」

「どういう意味や」

「天皇は絶対に正しくて、誰も逆らえへんいうことやと思う」

 源太は庭を見た。

 あの子が──もう「あの子」ではない、三十七歳の天皇が──絶対に正しいと法律に書かれた。

「ほかには」

「えっと……。天皇は陸海軍を統帥(とうすい)す。統帥いうのは、軍を動かす権限(けんげん)のことやな。軍を動かすのは天皇だけの権利やて」

「天皇だけ」

「せやけど、ここにはこうも書いてある。国務大臣(こくむだいじん)が天皇を輔弼(ほひつ)す。輔弼いうのは、助けるいうか、実際の政治を代わりにやるいうことや」

 源太は首をかしげた。

「ちょっと待て。軍を動かすのは天皇だけの権利やけど、政治を実際にやるのは大臣。ほんなら軍のことは大臣が決めるんか、天皇が決めるんか、どっちや」

 弥一は新聞を読み返して、黙った。

「……書いてへんな。どっちが上かは」

 源太は嫌な予感がした。理由は言葉にできなかった。

 戊辰で見たことを思い出した。錦の御旗を出したのは岩倉(いわくら)たちで、天皇ではなかった。西南戦争で六万五千の兵を動かしたのは山県で、天皇ではなかった。天皇の名前で戦が始まり、天皇の名前で人が死んだ。天皇自身は何も決めていなかった。

 その仕組みが、今、法律になった。

 天皇がすべてを持っている。だが天皇は自分では動かない。では誰が動かすのか。大臣か。軍人か。それとも、誰でもないのか。

 源太はその問いを誰にもぶつけられなかった。佐吉はもういない。三年前の冬に、眠(ねむ)るように死んだ。最後に源太に言ったのは「見届(みとど)けられんのが残念や」だった。何を見届けたかったのかは、聞けなかった。

◇

 憲法が発布された日、東京では祝賀(しゅくが)の行列が出た。花火が上がった。

 京都でも提灯行列(ちょうちんぎょうれつ)があった。源太は行かなかった。膝が痛かったし、人混みが億劫(おっくう)だった。

 だが家の前を通る行列の歓声(かんせい)は聞こえた。

 万歳(ばんざい)、と叫んでいる。

 この国には憲法ができた。議会(ぎかい)もできる。国民が選んだ代表(だいひょう)が政治に関わる。近代国家(きんだいこっか)の仲間入りだ。

 源太はそれを喜ぶべきだったのかもしれない。

 だが腹の底に残ったのは、弥一と新聞を読んでいたときの、あの問いだった。

 軍を動かすのは天皇か、大臣か、誰なのか。

 その答えが書いていない法律で、この国はこれから動いていく。

 今はまだ、それで何も起きない。伊藤博文(いとうひろぶみ)や山県有朋、あの戊辰を戦った男たちが政府の中枢(ちゅうすう)にいて、天皇と軍と政治のあいだを取り持っている。西南戦争で六万五千の兵を指揮した山県は、今も陸軍の頂点にいて、同時に政治にも手を伸ばしている。憲法に書いていない隙間(すきま)を、この男たちが身体で埋めている。

 だが彼らはいつか死ぬ。

 人はいつか死ぬ。

 そのとき、書いてないものは、どうなるのか。

 源太は布団(ふとん)に入って、天井(てんじょう)を見ていた。答えは出なかった。

◇

 弥一が二十になった年、徴兵検査(ちょうへいけんさ)を受けた。

 甲種合格(こうしゅごうかく)。

 弥一は帝国陸軍(ていこくりくぐん)に入った。

 源太は息子を送り出すとき、何か言おうとして、何も言えなかった。

 田原坂の三十二万発を思い出した。あの弾を撃ったのも、撃たれたのも、弥一と同じくらいの若者だ。西郷軍の死者六千八百。政府軍の死者六千四百。どちらの側でも、二十歳そこそこの若者が泥の中で死んだ。

 ハナが泣いた。源太は泣かなかった。泣かなかったが、門の前にしばらく立っていた。

 弥一が曲がり角で振り返って、頭を下げた。

 そのとき源太は思った。

 あの赤ん坊が泣いた夜から、四十年が経った。あの子は天皇になり、憲法を持ち、軍を持った。西南戦争で証明された徴兵の機械を持った。

 そしてその機械に、俺の息子が組み込まれた。

 柏木家の二代目が、天皇の軍の部品になった。

第五話 了

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