表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
27/28

第二十七話 ソ連侵攻


 玉音放送の日、戦争は終わった。

 だが満洲では、終わっていなかった。

 八月九日。玉音放送の六日前。

 ソ連が日本に宣戦布告した。

 昭和十六年に結んだ日ソ中立条約にっソちゅうりつじょうやくを一方的に破棄し、百五十万の兵力で満洲に侵攻した。

 三方向から。西のモンゴル方面、北のアムール河方面、東の沿海州えんかいしゅう方面。戦車五千両。航空機五千機。

 ノモンハンの再来だった。ただし規模が百倍だった。

 おさむはこのとき南方にいて、ソ連参戦の報を基地のラジオで聞いた。

 最初に頭に浮かんだのは松田まつだのことだった。

 松田は満洲にいた。

 ノモンハンで右脚を失ったあと、松田は除隊じょたいした。だが内地には帰らなかった。

 東北の実家に帰っても仕事がない。片脚では田をたがやせない。飯屋で皿も洗えない。

 松田は満洲に残った。開拓団かいたくだんの事務員になった。片脚でも机の仕事はできる。入植にゅうしょくしてきた農家の世話をする仕事だった。

 修に手紙を寄越していた。昭和十九年の消印の手紙が最後だった。

「修さん、満洲は変わった。軍の連中がごっそりおらんようになった。精鋭せいえいが南方や本土防衛に引き抜かれて、残っとるのは老兵と新兵ばかりや。関東軍いうたら日本最強のはずやったのに、中身が空っぽになっとる。開拓団のおばちゃんたちは何も知らんと畑を耕しとる」

 修はその手紙を読んだとき、嫌な予感がした。

 満洲の関東軍は空洞化くうどうかしている。開拓団の民間人は何も知らない。

 もしソ連が来たら。

 予感は、十か月後に現実になった。

 ソ連軍は、関東軍を紙のように突き破った。

 かつて「皇軍最強」と呼ばれた関東軍は、精鋭を抜かれた抜けぬけがらだった。七十万の兵力があるとされていたが、実態じったいは訓練不足の新兵と、装備の古い予備兵力ばかりだった。

 ソ連のT-34戦車が満洲の平原を走った。ノモンハンで松田が見た戦車の、さらに進化した型だった。日本の対戦車砲では止められない。歩兵の火炎瓶では焼けない。

 関東軍司令部は八月十日、新京しんきょうから通化つうかへの後退を命じた。

 司令部が逃げた。

 そして民間人には知らせなかった。

 百五十五万の日本人が満洲に暮らしていた。

 鉄道員。商店主。教師。医者。そして二十七万の開拓団員。

 開拓団は満洲の奥地に点在てんざいしていた。都市から遠く、通信手段つうしんしゅだんも限られている。

 ソ連が攻めてきたことを、開拓団の多くは知らなかった。

 知ったときには、もう遅かった。

 修がのちに満洲から帰還きかんした人々の話を聞いて知った光景は、こういうものだった。

 ある開拓団では、朝、畑に出ようとしたところで、遠くから砲声が聞こえた。何事かと思っているうちに、ソ連の戦車が村の前に現れた。

 逃げる場所がなかった。周りは平原だ。走っても戦車には追いつかれる。

 男たちは兵として召集されていて、村にいない。残っているのは女と子どもと老人だけだった。

 ある村では、全員が手榴弾しゅりゅうだんで自決した。開拓団には「万一のとき」のために手榴弾が配られていた。万一のときが来た。

 別の村では、川に飛び込んだ。母親が子どもを抱いて。

 逃げられた者もいた。だが逃げる途中で、ソ連兵に捕まった。略奪りゃくだつされた。暴行された。殺された者もいた。

 子どもが置き去りにされた。逃げる途中で、もう連れていけない、と母親が子どもを中国人の家の前に置いた。あるいは中国人に預けた。

 残留孤児ざんりゅうこじ。のちにそう呼ばれる子どもたちが、このとき生まれた。日本人として生まれ、中国人として育てられた子どもたち。自分が日本人であることを知らないまま育った子どもたち。

 修はその話を聞くたびに、源太の言葉を思い出した。

 ──嘘をついたら燃えるんや。

 「王道楽土おうどうらくど」。「五族協和」。満洲は夢の大地だと言って、人を送り込んだ。青い空のポスターを見せて、東北の貧しい農家の次男三男を移住させた。

 その夢が牙を剥いた。

 英霊で買った土地に送り込まれた人々が、英霊で買った土地で死んだ。

 松田からの手紙は来なかった。

 修は戦後、何年もかけて松田の消息を追った。

 断片的に分かったのは、こういうことだった。

 松田は新京の近くの開拓団事務所にいた。ソ連軍が迫ったとき、事務所の職員は南へ逃げようとした。だが松田は片脚だった。走れなかった。

 松田は開拓団の女たちと子どもたちと一緒に残った。走れない者が、走れない者たちと残った。

 そのあとのことは、修には分からなかった。生きているのか死んでいるのか。シベリアに送られたのか。中国で暮らしているのか。

 飯が食えるから軍に入った男。英霊で買った土地と言われて「そうかな」と思ってしまった男。ノモンハンで脚を失い、英霊にすらしてもらえなかった男。

 その男の消息が、途絶えた。

 辰次の手紙が途絶えたように。吉田のおかみさんの息子の便りが途絶えたように。

 柏木家のまわりで、手紙が途絶える人間が増えていく。三代にわたって。

 八月十八日。占守島しゅむしゅとう

 千島列島ちしまれっとうの最北端。カムチャッカ半島の目と鼻の先にある島。

 玉音放送から三日後、ソ連軍がこの島に上陸してきた。

 戦争は終わったはずだった。天皇が降伏を告げたはずだった。

 だがソ連は止まらなかった。

 占守島の日本軍守備隊は約八千。戦車連隊を含む実戦部隊がまだ残っていた。南方に引き抜かれなかった数少ない精鋭だった。

 守備隊長の池田末男いけだすえお大佐は、部下にこう言ったとされる。

「もはや戦争は終わっている。だが目の前の敵が攻めてくる以上、自衛のために戦う」

 戦闘は激烈げきれつだった。

 日本軍の九七式中戦車きゅうななしきちゅうせんしゃがソ連軍の上陸部隊に突撃した。太平洋戦争で日本の戦車部隊が本格的な戦果を挙げた、最後の戦闘だった。

 ソ連軍は押し返された。上陸部隊は海岸に釘付くぎづけにされた。

 二日間の戦闘で、日本側の死傷は約六百。ソ連側は約三千。

 停戦交渉ていせんこうしょうが行われ、八月二十三日に戦闘が終結した。

 この戦いは、ほとんど知られていない。玉音放送のあとの戦闘だ。公式には戦争は終わっている。だが占守島の兵は、終わったはずの戦争で死んだ。

 修はのちにこの戦いの意味を知った。

 スターリンは北海道の北半分を占領するつもりだった。ソ連は千島列島を南下し、北海道に上陸する計画を持っていた。

 もし占守島が簡単に落ちていたら。もし日本軍が抵抗せず武装解除していたら。ソ連は千島を一気に南下し、北海道に達していたかもしれない。

 朝鮮半島は南北に分断された。ドイツは東西に分断された。

 日本が分断されなかったのは、トルーマン大統領がスターリンの要求を拒否したからだ。だがそれだけではなかった。占守島で日本軍が戦ったことが、ソ連の南下を遅らせた。

 終わったあとの戦いが、国の形を守った。

 その戦いで死んだ兵の名前を、修はほとんど知らない。

 千島列島はソ連に占領された。

 北方四島ほっぽうよんとう——択捉えとろふ国後くなしり色丹しこたん歯舞はぼまい——もソ連の手に落ちた。島の日本人は追い出された。

 この問題は、修が老人になっても解決しなかった。九十三年の置き土産みやげは、修の世代では片付かたづかなかった。

 シベリア抑留よくりゅう

 満洲で降伏した日本軍の兵約五十七万五千人が、ソ連に連行された。

 捕虜ほりょではない。ポツダム宣言は捕虜の速やかな帰還を定めていた。だがソ連は帰さなかった。

 シベリアの収容所に送り、労働させた。炭鉱たんこう、鉄道建設、森林伐採ばっさい。極寒の中で、ろくな食事もなく、重労働を課された。

 修は南方にいたのでシベリアには送られなかった。だが帰国後、抑留から帰った男たちに会った。

 ある男はこう言った。

「冬はマイナス四十度になる。素手すでで鉄を触ると皮がける。凍りつくんや。飯は黒パンの薄切りとスープだけ。スープいうても湯に塩を入れただけのもんや。腹が減って木の皮をかじった。仲間が毎日死んだ。朝起きたら隣の奴が冷たくなっとる。そういう日が何年もつづいた」

 約五万五千人が死んだ。

 最後の帰還者が日本に戻ったのは昭和三十一年。戦争が終わってから十一年後だった。

 十一年間、シベリアの凍土とうどで働かされた者がいた。

 修はその話を聞いて、二つのことを思った。

 一つ。この国の軍は、自分の兵を飢えさせて殺しつづけた。脚気で二万七千。ガダルカナルで一万六千の餓死。インパールで二万の餓死病死。敵の弾ではなく、味方の構造が兵を殺した。補給を軽んじ、兵站を考えず、精神力で乗り越えろと言い、乗り越えられなかった者が死に、死んだことは隠され、隠されるから学べず、学べないから同じことが繰り返された。それが日清から数えて五十年間、変わらなかった。

 もう一つ。シベリア抑留は、その構造とは別の話だ。ポツダム宣言は捕虜の速やかな帰還を定めている。ソ連はそれを破った。五十七万の人間を連行して、十一年間使い潰した。これは日本の構造の問題ではない。ソ連の犯罪だ。

 だが修は、その二つが無関係だとも思えなかった。

 満洲に兵を送ったのは日本だ。満洲に開拓団を送ったのも日本だ。英霊で買った土地だと言って、人を送り込んだ。その人々がソ連の手に落ちた。

 ソ連が悪い。それは間違いない。だが人をそこに置いたのは誰か。関東軍が精鋭を引き抜いて抜け殻になっていることを知りながら、民間人を避難させなかったのは誰か。

 構造の罪と、ソ連の罪は、別のものだ。だがどちらも、同じ場所で同じ人間を殺した。

 修は南方から東京に帰った。

 昭和二十年の秋だった。

 東京は焼け跡だった。見渡す限り、黒くげた地面が広がっている。煙突えんとつだけが残っている家がある。トタンと板で作ったバラックが建ち始めている。

 キヨの家は焼けていなかった。修はキヨの顔を見たとき、初めて泣いた。

 キヨも泣いた。

「おかえり」

「ただいま」

 それだけだった。それだけで十分だった。

 キヨが箱を出してきた。弥一やいちの枕元にあった箱だ。

 中に、辰次たつじの万年筆があった。インクの乾いた万年筆。源太の最後の手紙があった。弥一の手紙の束があった。

 修はそれを一つずつ手に取った。

 万年筆を握った。辰次がハルビンの文房具屋で買ったかもしれない万年筆。旅順の塹壕ざんごうで手紙を書いた万年筆。弥一が三十八年間握りつづけた万年筆。

 源太の手紙を開いた。字が弱々しかった。最後の行だけ少し太かった。「はよ戦争やめてくれ。弥一を返してくれ」。

 三代ぶんの紙と金属が、修の手の中にあった。

 重かった。紙の重さではなかった。

 修は箱を閉じて、自分の引き出しから松田の手紙とキヨからの訃報を出し、箱の中に一緒に入れた。

 全部が一つの箱に入った。

 佐吉さきちの声から始まった物語が、この箱の中にある。

第二十七話 了

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ