第二十七話 ソ連侵攻
玉音放送の日、戦争は終わった。
だが満洲では、終わっていなかった。
◇
八月九日。玉音放送の六日前。
ソ連が日本に宣戦布告した。
昭和十六年に結んだ日ソ中立条約を一方的に破棄し、百五十万の兵力で満洲に侵攻した。
三方向から。西のモンゴル方面、北のアムール河方面、東の沿海州方面。戦車五千両。航空機五千機。
ノモンハンの再来だった。ただし規模が百倍だった。
修はこのとき南方にいて、ソ連参戦の報を基地のラジオで聞いた。
最初に頭に浮かんだのは松田のことだった。
◇
松田は満洲にいた。
ノモンハンで右脚を失ったあと、松田は除隊した。だが内地には帰らなかった。
東北の実家に帰っても仕事がない。片脚では田を耕せない。飯屋で皿も洗えない。
松田は満洲に残った。開拓団の事務員になった。片脚でも机の仕事はできる。入植してきた農家の世話をする仕事だった。
修に手紙を寄越していた。昭和十九年の消印の手紙が最後だった。
「修さん、満洲は変わった。軍の連中がごっそりおらんようになった。精鋭が南方や本土防衛に引き抜かれて、残っとるのは老兵と新兵ばかりや。関東軍いうたら日本最強のはずやったのに、中身が空っぽになっとる。開拓団のおばちゃんたちは何も知らんと畑を耕しとる」
修はその手紙を読んだとき、嫌な予感がした。
満洲の関東軍は空洞化している。開拓団の民間人は何も知らない。
もしソ連が来たら。
予感は、十か月後に現実になった。
◇
ソ連軍は、関東軍を紙のように突き破った。
かつて「皇軍最強」と呼ばれた関東軍は、精鋭を抜かれた抜け殻だった。七十万の兵力があるとされていたが、実態は訓練不足の新兵と、装備の古い予備兵力ばかりだった。
ソ連のT-34戦車が満洲の平原を走った。ノモンハンで松田が見た戦車の、さらに進化した型だった。日本の対戦車砲では止められない。歩兵の火炎瓶では焼けない。
関東軍司令部は八月十日、新京から通化への後退を命じた。
司令部が逃げた。
そして民間人には知らせなかった。
◇
百五十五万の日本人が満洲に暮らしていた。
鉄道員。商店主。教師。医者。そして二十七万の開拓団員。
開拓団は満洲の奥地に点在していた。都市から遠く、通信手段も限られている。
ソ連が攻めてきたことを、開拓団の多くは知らなかった。
知ったときには、もう遅かった。
修がのちに満洲から帰還した人々の話を聞いて知った光景は、こういうものだった。
ある開拓団では、朝、畑に出ようとしたところで、遠くから砲声が聞こえた。何事かと思っているうちに、ソ連の戦車が村の前に現れた。
逃げる場所がなかった。周りは平原だ。走っても戦車には追いつかれる。
男たちは兵として召集されていて、村にいない。残っているのは女と子どもと老人だけだった。
ある村では、全員が手榴弾で自決した。開拓団には「万一のとき」のために手榴弾が配られていた。万一のときが来た。
別の村では、川に飛び込んだ。母親が子どもを抱いて。
逃げられた者もいた。だが逃げる途中で、ソ連兵に捕まった。略奪された。暴行された。殺された者もいた。
子どもが置き去りにされた。逃げる途中で、もう連れていけない、と母親が子どもを中国人の家の前に置いた。あるいは中国人に預けた。
残留孤児。のちにそう呼ばれる子どもたちが、このとき生まれた。日本人として生まれ、中国人として育てられた子どもたち。自分が日本人であることを知らないまま育った子どもたち。
修はその話を聞くたびに、源太の言葉を思い出した。
──嘘をついたら燃えるんや。
「王道楽土」。「五族協和」。満洲は夢の大地だと言って、人を送り込んだ。青い空のポスターを見せて、東北の貧しい農家の次男三男を移住させた。
その夢が牙を剥いた。
英霊で買った土地に送り込まれた人々が、英霊で買った土地で死んだ。
◇
松田からの手紙は来なかった。
修は戦後、何年もかけて松田の消息を追った。
断片的に分かったのは、こういうことだった。
松田は新京の近くの開拓団事務所にいた。ソ連軍が迫ったとき、事務所の職員は南へ逃げようとした。だが松田は片脚だった。走れなかった。
松田は開拓団の女たちと子どもたちと一緒に残った。走れない者が、走れない者たちと残った。
そのあとのことは、修には分からなかった。生きているのか死んでいるのか。シベリアに送られたのか。中国で暮らしているのか。
飯が食えるから軍に入った男。英霊で買った土地と言われて「そうかな」と思ってしまった男。ノモンハンで脚を失い、英霊にすらしてもらえなかった男。
その男の消息が、途絶えた。
辰次の手紙が途絶えたように。吉田のおかみさんの息子の便りが途絶えたように。
柏木家のまわりで、手紙が途絶える人間が増えていく。三代にわたって。
◇
八月十八日。占守島。
千島列島の最北端。カムチャッカ半島の目と鼻の先にある島。
玉音放送から三日後、ソ連軍がこの島に上陸してきた。
戦争は終わったはずだった。天皇が降伏を告げたはずだった。
だがソ連は止まらなかった。
占守島の日本軍守備隊は約八千。戦車連隊を含む実戦部隊がまだ残っていた。南方に引き抜かれなかった数少ない精鋭だった。
守備隊長の池田末男大佐は、部下にこう言ったとされる。
「もはや戦争は終わっている。だが目の前の敵が攻めてくる以上、自衛のために戦う」
戦闘は激烈だった。
日本軍の九七式中戦車がソ連軍の上陸部隊に突撃した。太平洋戦争で日本の戦車部隊が本格的な戦果を挙げた、最後の戦闘だった。
ソ連軍は押し返された。上陸部隊は海岸に釘付けにされた。
二日間の戦闘で、日本側の死傷は約六百。ソ連側は約三千。
停戦交渉が行われ、八月二十三日に戦闘が終結した。
この戦いは、ほとんど知られていない。玉音放送のあとの戦闘だ。公式には戦争は終わっている。だが占守島の兵は、終わったはずの戦争で死んだ。
修はのちにこの戦いの意味を知った。
スターリンは北海道の北半分を占領するつもりだった。ソ連は千島列島を南下し、北海道に上陸する計画を持っていた。
もし占守島が簡単に落ちていたら。もし日本軍が抵抗せず武装解除していたら。ソ連は千島を一気に南下し、北海道に達していたかもしれない。
朝鮮半島は南北に分断された。ドイツは東西に分断された。
日本が分断されなかったのは、トルーマン大統領がスターリンの要求を拒否したからだ。だがそれだけではなかった。占守島で日本軍が戦ったことが、ソ連の南下を遅らせた。
終わったあとの戦いが、国の形を守った。
その戦いで死んだ兵の名前を、修はほとんど知らない。
◇
千島列島はソ連に占領された。
北方四島——択捉、国後、色丹、歯舞——もソ連の手に落ちた。島の日本人は追い出された。
この問題は、修が老人になっても解決しなかった。九十三年の置き土産は、修の世代では片付かなかった。
◇
シベリア抑留。
満洲で降伏した日本軍の兵約五十七万五千人が、ソ連に連行された。
捕虜ではない。ポツダム宣言は捕虜の速やかな帰還を定めていた。だがソ連は帰さなかった。
シベリアの収容所に送り、労働させた。炭鉱、鉄道建設、森林伐採。極寒の中で、碌な食事もなく、重労働を課された。
修は南方にいたのでシベリアには送られなかった。だが帰国後、抑留から帰った男たちに会った。
ある男はこう言った。
「冬はマイナス四十度になる。素手で鉄を触ると皮が剥ける。凍りつくんや。飯は黒パンの薄切りとスープだけ。スープいうても湯に塩を入れただけのもんや。腹が減って木の皮を齧った。仲間が毎日死んだ。朝起きたら隣の奴が冷たくなっとる。そういう日が何年もつづいた」
約五万五千人が死んだ。
最後の帰還者が日本に戻ったのは昭和三十一年。戦争が終わってから十一年後だった。
十一年間、シベリアの凍土で働かされた者がいた。
修はその話を聞いて、二つのことを思った。
一つ。この国の軍は、自分の兵を飢えさせて殺しつづけた。脚気で二万七千。ガダルカナルで一万六千の餓死。インパールで二万の餓死病死。敵の弾ではなく、味方の構造が兵を殺した。補給を軽んじ、兵站を考えず、精神力で乗り越えろと言い、乗り越えられなかった者が死に、死んだことは隠され、隠されるから学べず、学べないから同じことが繰り返された。それが日清から数えて五十年間、変わらなかった。
もう一つ。シベリア抑留は、その構造とは別の話だ。ポツダム宣言は捕虜の速やかな帰還を定めている。ソ連はそれを破った。五十七万の人間を連行して、十一年間使い潰した。これは日本の構造の問題ではない。ソ連の犯罪だ。
だが修は、その二つが無関係だとも思えなかった。
満洲に兵を送ったのは日本だ。満洲に開拓団を送ったのも日本だ。英霊で買った土地だと言って、人を送り込んだ。その人々がソ連の手に落ちた。
ソ連が悪い。それは間違いない。だが人をそこに置いたのは誰か。関東軍が精鋭を引き抜いて抜け殻になっていることを知りながら、民間人を避難させなかったのは誰か。
構造の罪と、ソ連の罪は、別のものだ。だがどちらも、同じ場所で同じ人間を殺した。
◇
修は南方から東京に帰った。
昭和二十年の秋だった。
東京は焼け跡だった。見渡す限り、黒く焦げた地面が広がっている。煙突だけが残っている家がある。トタンと板で作ったバラックが建ち始めている。
キヨの家は焼けていなかった。修はキヨの顔を見たとき、初めて泣いた。
キヨも泣いた。
「おかえり」
「ただいま」
それだけだった。それだけで十分だった。
キヨが箱を出してきた。弥一の枕元にあった箱だ。
中に、辰次の万年筆があった。インクの乾いた万年筆。源太の最後の手紙があった。弥一の手紙の束があった。
修はそれを一つずつ手に取った。
万年筆を握った。辰次がハルビンの文房具屋で買ったかもしれない万年筆。旅順の塹壕で手紙を書いた万年筆。弥一が三十八年間握りつづけた万年筆。
源太の手紙を開いた。字が弱々しかった。最後の行だけ少し太かった。「はよ戦争やめてくれ。弥一を返してくれ」。
三代ぶんの紙と金属が、修の手の中にあった。
重かった。紙の重さではなかった。
修は箱を閉じて、自分の引き出しから松田の手紙とキヨからの訃報を出し、箱の中に一緒に入れた。
全部が一つの箱に入った。
佐吉の声から始まった物語が、この箱の中にある。
第二十七話 了




