第二十三話 南進
修が中国から帰ったのは、昭和十六年の春だった。
四年ぶりの東京だった。三十歳になっていた。
弥一とキヨが迎えた。弥一は七十歳。背が縮んで、修より頭一つ低くなっていた。キヨの髪は白くなっていた。
修は門をくぐったとき、立ち止まった。弥一が片手を上げた。小さく。源太がそうしたように。
修は何か言おうとした。だが言葉が出なかった。四年間、「生きています」の一行しか書けなかった男の喉は、帰ってきても動かなかった。
「痩せたな」
「はい」
「飯、食えとったか」
「……はい」
弥一は修の目を見た。四年前の目ではなかった。見すぎた目だった。
弥一は聞かなかった。何を見たか。何をしたか。聞かなかった。
◇
東京は変わっていた。
「ぜいたくは敵だ」と書いたポスターが街に貼ってあった。砂糖は配給制。マッチも配給。人の口が小さくなっていた。疑問を口にする者がいない。
だが修がいちばん驚いたのは、壁に貼られた去年の新聞の切り抜きだった。
「日独伊三国同盟、締結」
昭和十五年九月。日本はドイツとイタリアと軍事同盟を結んだ。
修は考えた。法律を学んだ頭は、まだ動く。
ドイツの敵はイギリスとアメリカだ。日本がドイツと組めば、イギリスとアメリカは日本の敵になる。
日本の石油の八割はアメリカから買っている。鉄くず(くず)もアメリカから来ている。
石油を売ってくれている相手と、軍事同盟で敵対する。
修は飯屋のカウンターに座ったまま、味噌汁を啜る手が止まった。
これは、詰んでいないか。
◇
──幕僚。
修は新しい配属先で、南方作戦の準備に関わることになった。
将校から日本の状況を聞かされた。
「北は、もうやらん。ノモンハンで分かった。ソ連の機械化部隊には勝てん。だから南へ行く」
「南に何があるんですか」
「石油だ」
蘭印——オランダ領東インド。今のインドネシアだ。パレンバン、ボルネオのタラカン。そこに石油がある。
「日本は石油の備蓄があと二年分しかない。平時の消費量で二年だ。戦時になれば一年半で尽きる」
将校は地図を広げた。
「去年の九月、北部仏印に進駐した。フランスがドイツに負けたから、フランス領のインドシナに入った。アメリカはくず鉄の禁輸を始めた。だがまだ石油は止めていなかった」
「そして今年の七月、南部仏印に進駐した。サイゴンまで入った。ここからなら蘭印の油田もマレーのゴムも射程に入る」
将校は地図のサイゴンを指で叩いた。
「七月二十八日、アメリカが日本の在米資産を凍結した。八月一日、石油の全面禁輸。イギリスもオランダも追随した」
「石油が、止まった」
「止まった。完全に。今この瞬間から、日本は備蓄を食いつぶしている。時計が動き始めた」
◇
──影の中のもう一つの戦争。
このとき東京に、日本の運命を左右する男がいた。
リヒャルト・ゾルゲ。ドイツ人のジャーナリスト。ドイツ大使館に出入りし、大使オットの信頼を得ていた。
だがゾルゲの本当の仕事は別にあった。ソ連のスパイだった。
ゾルゲには日本人の協力者がいた。尾崎秀実。近衛文麿首相のブレーンの一人で、政策研究会「朝飯会」のメンバーだった。近衛の近くにいて、政府の方針を知ることができる位置にいた。
ゾルゲと尾崎が探っていたのは、一つの問いの答えだった。
日本は北へ行くのか、南へ行くのか。
ソ連にとって、これは生死の問題だった。ドイツが西からソ連に攻め込んでいる。もし日本が東から攻めてきたら、ソ連は挟み撃ちになる。
だが日本が南に行くなら、ソ連は東の国境から兵を引き抜いて、西のドイツ戦線に回せる。
ゾルゲは答えを掴んだ。
昭和十六年秋、尾崎を通じて日本の御前会議の方針を知った。日本は南へ行く。北は攻めない。
ゾルゲはモスクワに打電した。
その情報がスターリンの手に届いた。
スターリンは極東シベリアに配置していた精鋭十八個師団を西へ移動させた。極寒の訓練を積んだシベリアの兵士たちが、貨車に乗ってモスクワへ向かった。
十月、ゾルゲと尾崎は逮捕された。だが情報はすでにモスクワに届いていた。
弥一も修も、ゾルゲの名前をこのとき知らなかった。逮捕は秘密にされた。近衛のブレーンがソ連のスパイだったとは、公表できるはずがなかった。
だがゾルゲが盗んだ情報が、やがて歴史を動かす。
◇
──御前。
九月六日、御前会議が開かれた。
弥一はもう宮中にはいないが、古い知り合いの侍従から話が漏れてきた。
「陛下が、歌をお読みになった」
「歌?」
「明治天皇の御製だ。『四方の海 みなはらからと思ふ世に など波風の立ちさわぐらむ』」
四方の海はみな同胞だと思う世の中で、なぜ波風が立ち騒ぐのか。
平和を願う歌だった。明治天皇が詠んだ歌を、昭和天皇が読み上げた。
弥一はその話を聞いて、体が震えた。
天皇は戦争を望んでいない。歌を読むことで、そう伝えようとした。だが命令ではない。禁止でもない。歌だ。
田中義一のとき以来、天皇は直接的な言葉を使わなくなった。二二六のときだけ例外で、あとはずっと黙っている。今回も、歌という間接的な表現で意思を示した。
御前会議の出席者はその歌を聞いた。聞いて、頭を下げた。
そして予定通り、会議は進んだ。
十月中旬までに外交交渉がまとまらなければ、開戦を決意する。
歌が読まれた。誰も止まらなかった。
◇
十一月。ハル・ノート。
アメリカ国務長官コーデル・ハルが日本に突きつけた条件。中国およびインドシナからの全面撤退。満洲国の否認。三国同盟の空文化。
修は部隊でその内容を聞いた。
法律を学んだ頭は言っている。退くべきだ。アメリカの国力は日本の十倍以上だ。石油を握られている。退いて、やり直すべきだ。
だが四年間銃を持った体が、別のことを言っている。上海の路地で死んだ仲間は何だったのか。南京で見たものは何だったのか。あの四年間が無駄だったと認めるのか。
修は二つの声のあいだに立っていた。
「英霊で買った土地」。小村寿太郎がハリマンを追い返したときと同じ論理が、国ごと縛っている。
死者が生者を縛る。積み上がった死者の重さが、退路を塞いでいる。
この国は、自分の死者に押しつぶされようとしている。
◇
十二月八日。
修は未明に起こされた。
「開戦。繰り返す、開戦」
ハワイの真珠湾を、日本海軍の航空隊が攻撃した。
アメリカの太平洋艦隊の戦艦群が並ぶ港に、三百五十機の攻撃隊が殺到した。戦艦アリゾナが爆沈。オクラホマが転覆。ウエストバージニアが着底。戦艦四隻が沈み、四隻が大破した。
開戦の速報を聞いた修は、何も感じなかった。
感じなかったことが、いちばん怖かった。
四年間、中国で戦ってきた。人に銃を向けることに慣れた。開戦を聞いても驚かなかった。ああ、始まったか、と思っただけだった。
弥一はどうだっただろう。修は弥一のことを考えた。
東京の小さな家で、ラジオの前にいるだろうか。キヨと並んで。
あの人は驚いているだろうか。それとも、来ると分かっていただろうか。
◇
戦争は南へ走った。同時に、あらゆる方角に。
真珠湾は始まりにすぎなかった。十二月八日、日本はハワイだけでなく、太平洋と東南アジアの全域で一斉に動いた。
修の部隊はマレー方面に向かった。だが修のいない場所でも、同時に戦争が始まっていた。
◇
香港。
十二月八日、日本軍は九竜半島から香港島へ向けて攻撃を開始した。守るイギリス軍とカナダ軍は約一万四千。
イギリスは香港を百年近く支配していた。ヴィクトリア・ハーバーを見下ろす丘の上にイギリス国旗がひるがえっていた。
日本軍は十八日間で香港を落とした。十二月二十五日、クリスマスの日に、イギリス軍は降伏した。
降伏後、日本兵による略奪と暴行が報告された。病院に押し入った兵がいた。負傷した捕虜が殺された。看護婦が襲われた。
修はこの話をあとから聞いた。南京の記憶が蘇った。占領した街で兵の規律が崩れる。南京で見たことと同じことが、別の街で起きている。
場所が変わっても、構造は変わらない。
◇
マレー沖。
十二月十日。真珠湾の二日後。
イギリス東洋艦隊の主力艦二隻──戦艦プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦レパルスが、日本海軍の航空隊に沈められた。
プリンス・オブ・ウェールズは当時最新鋭の戦艦だった。排水量三万五千トン。十四インチ砲を十門備える。チャーチル首相が大西洋でルーズベルトと会談したとき、この艦に乗っていた。イギリス海軍の誇りだった。
その誇りが、海の底に沈んだ。
航行中の戦艦が航空機だけで沈められたのは、史上初めてのことだった。真珠湾の戦艦は港に停泊していた。動けない的だった。だがプリンス・オブ・ウェールズは海の上を走っていた。走っていても、航空機には勝てなかった。
大砲と装甲の時代が終わった。日露の日本海海戦から三十六年。戦艦が海の王ではなくなった。
修は将校からこの報告を聞いた。将校は興奮していた。だが修は日本海海戦のことを考えた。弥一が宮中で聞いたあの勝利。東郷の三笠。あの時代の戦艦が、今、航空機に置き換えられようとしている。
ならば日本の戦艦も同じだ。巨大な大和も武蔵も、航空機の前では的でしかない。
修はそこまで考えて、口をつぐんだ。兵がそんなことを言えば殴られる。
◇
マレー半島。
日本陸軍はマレー半島を北から南へ駆け下りた。山下奉文中将の第二十五軍、約三万五千。
イギリス軍は八万を超えていた。数では日本の倍以上。だがイギリスは負けつづけた。
日本軍は密林を通った。イギリス軍が「通れない」と思っていた道を、自転車に乗って走り抜けた。銀輪部隊と呼ばれた。ゴム園の作業用の道、獣道、川沿いの小径。地図にない道を使って、イギリス軍の側面に出た。
修はこの作戦の一部にいた。自転車ではなく徒歩だったが、密林の中を歩いた。
暑かった。中国の冬とはまるで違う。湿気が体にまとわりつく。蚊が群がる。マラリアの蚊だ。修の小隊でも発熱する者が出た。敵の弾より蚊のほうが多くの兵を倒した。
だが進んだ。止まらなかった。
イギリス軍は橋を爆破して退却した。日本の工兵が夜のうちに橋を架け直した。朝になるとまた進んだ。
一月三十一日、イギリス軍はマレー半島からジョホール水道を渡ってシンガポール島に退いた。背後の橋を爆破した。
◇
同じころ、太平洋の別の場所でも戦線が広がっていた。
フィリピン。マッカーサー将軍が率いるアメリカ・フィリピン連合軍を、日本の第十四軍が攻撃した。マニラは一月二日に陥落。マッカーサーはバターン半島に退き、さらにコレヒドール島に追い込まれた。マッカーサーはオーストラリアに脱出し、「I shall return(必ず戻る)」と言い残した。
蘭印。石油。南進のそもそもの目的だ。日本軍はボルネオのタラカン油田、スマトラのパレンバン油田を占領した。パレンバンでは落下傘部隊が降下して製油施設を確保した。石油が、手に入った。
ビルマ(現ミャンマー)。三月にラングーンが陥落した。ビルマを取れば、連合国が中国の蒋介石に物資を送っていた援蒋ルート——ビルマ公路——を断てる。中国を干上がらせる。
わずか四か月で、日本は東南アジアのほぼ全域を手に入れた。
地図の上に、巨大な弧が描かれた。満洲から中国沿岸を経て、仏印、タイ、マレー、シンガポール、蘭印、フィリピン、ビルマ。太平洋の西半分が日本の色に塗り替えられた。
大本営はこれを「大東亜共栄圏」と呼んだ。
修は地図を見ながら思った。
広い。あまりにも広い。
中国一国ですら、占領しきれなかった。点と線を押さえても、面は中国のものだった。四年間歩きつづけて、それでも終わらなかった。
今度はそれよりはるかに広い地域を、同時に押さえようとしている。守備兵はどこから来るのか。補給線はどれだけ伸びるのか。
修には答えが見えていた。見えていたが、言えなかった。
◇
昭和十七年二月十五日。シンガポール陥落。
イギリスが「難攻不落」と呼んだ要塞が、七十日で落ちた。イギリス軍八万が降伏した。
修の部隊はシンガポールには行かなかった。だが同じ南方作戦に組み込まれた仲間から、手紙と伝聞で話が届いた。
シンガポールが落ちたあと、何が起きたか。
粛清が始まった。
「検証」と呼ばれた。マレー語では「粛清」。日本軍がシンガポールの華僑——中国系の住民——を組織的に選別した。
十八歳から五十歳の中国系男性を集めた。学校の校庭に。広場に。海岸に。
反日分子を選び出す、という名目だった。
だが選別の基準は曖昧だった。中国の新聞を読んでいた者。中国に送金したことがある者。眼鏡をかけている者。手がきれいな者——知識人かもしれないから。
南京で修が聞いた「手にタコがある者は兵隊だ」と、鏡写しだった。南京では手が荒れている者が殺された。シンガポールでは手がきれいな者が殺された。どちらにしても、手を見て人を選び、選んだ者を殺す。
選ばれた者たちはトラックに載せられた。海岸に連れていかれた者もいた。
銃声がした。
何人が殺されたのか。日本側は五千人と言った。現地の記録では数万にのぼるとされている。正確な数は分からない。
数えなかったからだ。
旅順で数えなかった。韓国で数えなかった。南京で数えなかった。シンガポールでも数えなかった。
数えないことが、この国の習い性になっている。
◇
修は仲間の話を聞きながら、ある将校がこう言うのを耳にした。
「華僑は抗日の温床だ。根を断たねばならん」
修は黙っていた。
対華二十一カ条で中国を怒らせた。五四運動で反日の旗が立った。日中戦争で中国人を殺した。
その中国人が東南アジアに散らばって華僑になっている。華僑が抗日を唱えるのは当然だ。日本が撒いた憎しみの種が、南洋でも芽を出している。
そして芽を出したものを「根を断つ」と言って、また殺す。
殺せば殺すほど、憎しみが増える。憎しみが増えれば、もっと殺さなければならなくなる。
修にはその螺旋が見えていた。見えていたが、止める力はなかった。歩兵の上等兵に螺旋を止める力はない。
◇
──ゾルゲの遺産。
修もゾルゲの名前を知ったのは戦後のことだ。だがゾルゲが盗んだ情報の結果は、戦争の形を変えた。
昭和十六年の冬。ドイツ軍はモスクワの目前まで迫っていた。あと数十キロで首都が落ちるところだった。
そこにシベリアの精鋭が到着した。ゾルゲの情報を受けて、スターリンが極東から移動させた十八個師団だ。
極寒に慣れた兵士たちが、冬のモスクワ前面でドイツ軍を押し返した。モスクワは落ちなかった。
翌年、スターリングラード。ドイツ軍がヴォルガ川のほとりで包囲され、壊滅した。昭和十八年二月、ドイツの第六軍が降伏した。
スターリングラードに投入されたソ連軍の中にも、極東から移された部隊が含まれていた。
日本が南へ行くと決めた。その情報がゾルゲからスターリンに渡った。スターリンは東の兵を西に回した。その兵がドイツを止めた。ドイツが止まったことで、日本の同盟国が崩れ始めた。
日本の決断が、回り回って日本の同盟国を殺した。
ゾルゲは昭和十九年十一月に処刑された。巣鴨の拘置所で絞首刑。
だがゾルゲが死んだときには、彼が盗んだ情報はすでに歴史を動かし終えていた。
弥一も修も、そのことを知らない。知ったのは戦後だ。
壁の中にいても、壁の外にいても、見えないものがある。
ゾルゲという名の影が、この戦争の底を這っていたことを、日本の誰も知らなかった。
◇
──巷。
東京の弥一は七十一歳になっていた。
真珠湾の速報をラジオで聞いた。
キヨが修のことを心配した。
「修はどこにおるんやろ」
「南のどこかや。手紙が来るまで分からん」
弥一はラジオの前に座って、戦果の発表を聞いた。戦艦何隻撃沈。航空機何機撃墜。
日清のとき、源太が新聞にしがみついたのと同じだ。日露のとき、弥一が宮中の廊下で電報を聞いたのと同じだ。
勝っている。最初は勝っている。日清も勝った。日露も勝った。最初は。
だが弥一は知っている。勝ったあとに何が来るかを。
日清のあとは三国干渉が来た。日露のあとは日比谷が燃えた。
今度の「あと」には何が来るのか。
弥一は七十一歳の体で、布団に横たわりながら考えた。
源太は七十で死んだ。弥一はもう超えた。だが体は日ごとに弱っている。
あと何年生きられるか分からない。修の無事を確認できるまで、生きていたい。それだけだった。
窓の外で、提灯行列の声がした。
真珠湾大勝利。万歳。
弥一は窓を閉めた。
提灯の声を聞くたびに、そのあとに来るものを思う。禁門の変のあとは京が焼けた。日比谷のあとは街が燃えた。
万歳のあとには、いつも火が来る。
第二十三話 了




