第二十二話 ノモンハン
昭和十四年五月。満洲とモンゴルの国境で、また戦闘が始まった。
修はそのとき中国大陸にいた。武漢の奥、果てしない掃討戦のなかにいた。
ノモンハンという地名を最初に聞いたのは、中隊の古参兵からだった。
「関東軍が北でソ連とやり合っとるらしい」
「ソ連と?」
「国境のあたりで揉めとる。モンゴルの騎兵が越境してきたとかで、関東軍が出た」
修は地図を思い浮かべた。満洲の西の果て。草原しかない場所だ。
また関東軍か、と修は思った。
◇
松田から手紙が来た。
長いあいだ音沙汰がなかった松田からの手紙は、五月末の消印だった。中国にいる修のもとに届いたのは六月の半ばだった。
「修さん、久しぶりに書く。満洲で七年になった。ずっと駐屯勤務やった。退屈やったが飯は食えた。その飯のおかげで生きとる」
「五月に動員がかかった。ノモンハンいう場所に行く。名前も知らんかった。地図で見たら何もない草原や。ここでモンゴルの兵と小競り合いがあって、関東軍が出ることになった」
「小競り合いやと聞いとった。すぐ片付くと。満洲事変のときと同じや、と古参の下士官が言うた。相手はモンゴルの騎兵やから楽なもんやと」
修はこの手紙を読んで、嫌な予感がした。
「すぐ片付く」。上海でも同じことを言っていた参謀がいた。三日で落とすと。三か月かかった。
そして松田は「相手はモンゴルの騎兵」と書いている。
だがモンゴルの背後にはソ連がいる。
◇
六月、松田から二通目が来た。消印は六月上旬。
「修さん、えらいことになった」
「敵がモンゴル兵だけやなかった。ソ連が出てきた。装甲車が来た。戦車が来た。見たことのない戦車や。でかい。速い。砲塔が回る。こっちの対戦車砲が当たっても弾かれた」
「飛行機も来た。空が真っ黒になるほど来た。爆弾を落とされた。地面が裏返るみたいに吹き飛んだ。塹壕に伏せてもだめや。塹壕ごと潰される」
「こっちは歩兵と軽い戦車しかない。歩兵が突撃する。戦車に向かって突撃する。肉弾や。火炎瓶を持って走る奴がおった。戦車の前で撃たれた。瓶が割れて、その男が燃えた。自分の持っとった火で自分が燃えた」
修は手紙を持つ手が震えた。
辰次の手紙を弥一から聞いたことがある。旅順の塹壕、スコップの殴り合い、手榴弾の破片。あれは三十五年前の戦争だ。
松田が書いているのは、それとはまるで違う戦争だった。
戦車。装甲車。航空機の絨毯爆撃。機械の戦争だ。歩兵が走って勝てる戦争ではない。
日本軍はまだ歩兵で戦車に突撃している。三十五年前と同じ思想で、三十五年後の兵器に向かっている。
◇
七月、手紙が途絶えた。
修は中国の陣地で、毎日の郵便を確認した。来ない。一週間。二週間。三週間。
辰次の手紙が途絶えたとき、弥一は宮中の廊下で右手が震えた。
修は中国の塹壕で、同じことをしていた。右手が震えた。左手で押さえた。
柏木家の男は、手紙が来なくなると手が震える。三代にわたって。
◇
八月。ソ連が反撃に出た。
修がこのことを知ったのは、断片的な軍の通信からだった。正式な発表ではない。中国にいる修のもとにノモンハンの詳報は届かない。だが通信兵の顔色が変わったのを見た。
「北がひどいことになっとるらしい」
ひどいこと。それ以上は言わなかった。言えなかったのだろう。
あとから修が知った全容はこうだった。
八月二十日、ソ連軍が総攻撃を開始した。指揮官はジューコフ将軍。のちにドイツをスターリングラードで破ることになる男だ。
ソ連は戦車五百両、装甲車三百両、航空機五百機を投入した。
日本軍は歩兵を主力に、軽戦車が少数。航空機もソ連に劣った。
ソ連軍は日本軍の両翼を戦車で包囲し、砲兵が壊滅的な砲撃を加えた。日本の歩兵は草原の中に取り残された。退路を断たれた部隊がいくつもあった。
壊滅した。
投入された約三万のうち、死傷者は一万八千にのぼった。六割だ。
旅順の損耗率と同じだ。だが旅順は五か月かかった。ノモンハンの本格的な戦闘はわずか十日間だった。十日間で六割が倒れた。
◇
九月、停戦が成立した。
同じ月、ヨーロッパでドイツがポーランドに侵攻した。第二次世界大戦が始まった。
だがノモンハンの結末は日本国内ではほとんど報じられなかった。
修は中国の陣地で新聞を読んだ。ノモンハンの記事は小さかった。「国境紛争、停戦により解決」。
解決。
一万八千の死傷を「解決」と呼んでいる。
修は新聞を畳んだ。
これまでの嘘は、書き方を変える嘘だった。「自衛のため出動」「果敢に前進」。事実を別の言葉で包む嘘だった。
今度は違う。事実そのものを消している。一万八千が消えている。
修は弥一の言葉を思い出した。
──新聞に書いてあることと、書いてないことの両方を見ろ。
書いてないことが、今回は一万八千人だった。
◇
十月、松田から手紙が来た。
修は封筒を見たとき、息が止まった。松田の字ではなかった。
別の男の名前が差出人にあった。松田と同じ小隊にいた兵だった。
「柏木修殿。松田は八月の戦闘で負傷し、野戦病院に収容されました。右脚に重傷を負い、現在も歩行困難の状態です。松田から、柏木殿に手紙を出してくれと頼まれました。以下、松田の口述です」
修は読みつづけた。
「修さん、生きとる。右脚をやられた。戦車の破片や。もう走れんかもしれん。飯屋では皿が持てたのにな。足で稼ぐ仕事はもうできん」
「あの草原で見たもんはな、戦争やなかった。屠殺や。牛や豚を処分するように殺された。こっちが何をしても敵の装甲に通らん。弾が弾かれるんや。こっちの弾が通らんのに、向こうの弾は通る。こんなもん戦争やない」
「わしは飯が食えるから軍に入った。英霊のために来たんやない。それでも死ぬところやった。死んだ連中はみんな普通の奴や。東北の百姓の倅や。飯を食いに来た奴らや。その連中が戦車に踏まれて死んだ」
「修さん、このことは誰も言わんやろ。新聞にも出んやろ。負けたて認めたら関東軍の面子が潰れるからや。一万八千が消える。なかったことにされる。わしの脚もなかったことにされる」
修は手紙を読み終えて、しばらく動けなかった。
辰次は旅順で死んだ。辰次の死は「英霊」に変えられた。
松田は生き残った。だが松田の脚と、松田の仲間の死は、「なかったこと」にされようとしている。
英霊にすらしてもらえない。
大正九年にシベリアで起きた尼港事件と同じだ。シベリア出兵で目的もなく駐留していた日本軍と居留民が、ニコラエフスクという港町で革命軍のパルチザンに包囲され、七百人以上が殺された。なぜあの町にいたのか、誰も説明できなかった。目的のない出兵に巻き込まれた死。「英霊で買った土地」とすら言えない死。新聞は「暴虐なる露賊」と書いたが、「なぜそこにいたのか」には答えなかった。
ノモンハンの一万八千も同じだ。どこにも回収されない死。名前を使われることすらない死。
◇
──御前。
弥一は東京で、ノモンハンの話を断片的に聞いた。
宮中にはもう通っていないが、古い知り合いの侍従が一人だけ残っている。その男が、ぽつりと言った。
「陛下には、国境紛争は解決した、と申し上げた」
「一万八千のことは」
「……数字は申し上げた。だが詳細は」
男は言葉を濁した。
弥一は聞かなかった。聞く必要がなかった。
詳細は上げていない。戦車五百両に歩兵で突撃して壊滅したとは言っていない。関東軍が独断で始めて収拾がつかなくなったとは報告していない。
届かない。また届かない。
旅順。韓国。南京。ノモンハン。
四度目だった。
弥一は六十八歳になっていた。もう体が言うことを聞かない日が増えた。
だが数えることだけはできた。届かなかった回数を数えることだけは。
◇
──幕僚。
ノモンハンの敗北は、陸軍の内部で秘匿された。
参加した将校の一部は、責任を取って自決を命じられた。戦って負けたことではなく、負けたことが知られることを恐れた自決だった。
敗北から学ぶ者はいなかった。
ソ連の機械化部隊に歩兵では勝てないという教訓を、陸軍は受け入れなかった。受け入れれば、陸軍の存在意義が揺らぐからだ。歩兵の精神力で戦車に勝てると信じつづけた。
だが一つだけ、変わったことがあった。
「北」をやめた。
ソ連とはもう戦わない。北に行っても勝てないことは、認めたくなくても体が覚えている。一万八千の体が。
ならば「南」へ行く。
東南アジア。石油がある。ゴムがある。錫がある。
ノモンハンの敗北が表に出ることはなかった。だがその敗北が、日本の進路を南に曲げた。
太平洋への道が、草原の血の上に引かれた。
◇
修は中国の陣地で、松田の手紙を引き出しに入れた。
松田の手紙。辰次の万年筆は弥一が持っている。源太の手紙も弥一が持っている。
修の引き出しには松田の手紙だけがある。
松田は生きている。脚を失ったが生きている。
でも松田の戦った戦争は消された。新聞にも出ず、報告書にも残らず、天皇にも届かなかった。
一万八千人が消えた国で、修はまだ銃を持っている。
この銃がこれからどこに向くのか。北ではないことだけは、ノモンハンが決めた。
南だ。
だが南に何があるのか、修にはまだ見えていなかった。
第二十二話 了




