表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
21/28

第二十一話 日中戦争(二)


 昭和十二年十二月。おさむの部隊は南京に向かって歩いていた。

 上海から三百キロ。道路は壊れ、橋は落とされ、村は焼けていた。焼いたのが中国軍の焦土作戦しょうどさくせんか、日本軍の前進によるものか、修には判別がつかないことが多かった。

 歩きながら、修は兵たちの顔を見ていた。

 上海で三か月戦った兵は、目が変わっていた。入隊したときの目ではなかった。疲労と、怒りと、何かを麻痺まひさせた目。人間を撃ったことのある目。

 修自身も変わっていることを知っていた。銃を人に向けることに、最初ほどの震えがない。それが怖かった。慣れることが怖かった。

 補給ほきゅうが追いつかなかった。

 食糧しょくりょうが足りない。弾薬は前線にかろうじて届くが、飯が来ない日がある。

現地調達げんちちょうたつ」という言葉が上から降りてきた。

 現地で食糧を手に入れろという意味だ。修はその言葉を聞いたとき、法律を学んだ頭が警告を発した。現地調達とは、つまり、民間人のものを取るということだ。

 取る。奪う。

 言葉が変わるだけで、やることは同じだ。

 十二月十三日。南京が陥落した。

 中国軍の司令官、唐生智とうせいちはその前夜に南京を脱出していた。指揮官がいなくなった中国軍は混乱した。逃げる者、投降とうこうする者、軍服を脱ぎ捨てて民間人にまぎれようとする者。

 修の部隊は南京の城壁に到達した。城門じょうもんから入った。

 城門の前に、死体があった。軍服の死体と、軍服でない死体が混じっていた。

 修は足を止めた。

 小隊長が言った。

「止まるな。進め」

 修は進んだ。

 南京に入ってからの数日間のことを、修はのちにこう記憶した。

 断片だった。つながった記憶ではなかった。関東大震災のときと同じだ。修の記憶は、耐えられない場面に出くわすと断片になる。

 路上に倒れている人がいた。兵士かどうか分からなかった。服を着ていなかった。

 建物から煙が出ていた。誰が火をつけたか分からなかった。

 揚子江ようすこうの岸辺まで歩いた。川の水が変な色をしていた。

 銃声が聞こえた。自分の部隊ではなかった。別の部隊がどこかで撃っていた。何を撃っているのか、修の位置からは分からなかった。

 修が確実に自分の目で見たことと、伝聞でんぶんで聞いたことの境界線きょうかいせんは、あとになるほど曖昧あいまいになった。だが修は、自分の目で見たものだけを記憶に残そうとした。弥一やいちに言われた言葉を守ろうとした。

 ──自分の目だけを信じろ。

 修が自分の目で見たもの。

 投降した兵が列を作って歩かされていた。どこに連れていかれるのかは分からなかった。修はその列を見送っただけだった。列は角を曲がって消えた。そのあと、しばらくして、遠くで銃声がまとまって聞こえた。

 修は何も言わなかった。何も聞かなかった。

 見ることをやめるな、と弥一は言った。

 修は見ていた。見ていたが、見たものを声にすることはできなかった。

 声にすれば、自分が何の一部であるかを認めることになる。

 修の小隊に、命令が来た。

敗残兵はいざんへい掃討そうとう

 軍服を脱いで民間人にまぎれた中国兵を捜し出せということだった。便衣兵べんいへいと呼ばれた。

 だが軍服を脱いだ兵と、もともと軍人ではない市民を、どうやって区別するのか。

 修の小隊長はこう言った。

「手にタコがある男は兵隊だ。銃を握っていた証拠しょうこだ」

 修は自分の手を見た。修にもタコがあった。入隊してから四年間、銃を握りつづけた手だ。

 手のタコで人を兵士と断じ、兵士と断じた者をどうするのか。

 修は聞けなかった。聞く必要がなかった。答えは銃声のなかにあった。

 南京に残っていた外国人がいた。

 アメリカやドイツの宣教師せんきょうし、大学の教授、ビジネスマン。彼らは南京の一角に「安全区あんぜんく」を設けて、民間人を保護しようとしていた。ドイツ人のラーベという男が中心にいた。

 修はこの安全区の近くを通ったことがある。

 門の中に人があふれていた。女と子どもと老人。壁の外にいたら何が起きるか、彼らは知っていたのだ。

 安全区の門で、白人の男が日本兵と何か言い争っていた。英語だった。修には断片しか聞き取れなかったが、男は激しく手を振って、兵を追い返そうとしていた。

 修は通り過ぎた。

 通り過ぎながら思った。この外国人たちは見ている。自分の目で見ている。そしてこの人たちは手紙を書ける。報告を書ける。本国に送れる。

 日本兵がやったことを。やらなかったことを。すべて。

 この街で起きていることは、いずれ外に出る。日本の新聞が書かなくても、外国の新聞が書く。旅順のときのクリールマンと同じだ。

 旅順虐殺は外の新聞に出た。日本の新聞は書かなかった。天皇には届かなかった。

 四十三年後、同じことが、もっと大きな規模で繰り返されている。

 ──御前ごぜん

 弥一は東京にいた。宮中にはもう通っていないが、古い知り合いの侍従から時おり話が漏れてくる。

 南京陥落の報は、東京をかせた。

「敵の首都を落とした」

 提灯行列ちょうちんぎょうれつが出た。日清の旅順、日露の奉天、そして今度は南京。勝つたびに提灯が出る。万歳の声が出る。

 弥一は家の窓からその行列を見た。

 キヨが言った。

「南京が落ちたて。修はどこにおるんやろ」

「南京やろな」

「もう帰ってくるんやろか」

「……分からん」

 弥一はキヨに言えなかった。日露のときも旅順が落ちたら帰ると思った。帰れなかった。奉天があった。対馬があった。戦争は一つの街が落ちただけでは終わらない。

 そして弥一は知っていた。宮中にいた四十年の経験で知っていた。

 天皇に届く報告は、整えられている。

 南京で何が起きたか。修が見ているものが何か。それは天皇の耳には入らない。入ったとしても、形が変わっている。

 旅順のとき、弥一はこう思った。辰次の手紙を天皇は永遠に読まない。

 今、同じことを思っている。修の目に映っているものを、天皇は永遠に見ない。

 届く報告は「南京陥落。戦果甚大せんかじんだい」。

 届かない報告は、路上の死体と、揚子江の色と、安全区の門で叫ぶ外国人の声だ。

 三度目だった。

 旅順。韓国。南京。

 三度、届かなかった。

 修から手紙が来た。検閲の跡が濃かった。五か所が塗りつぶされていた。

「生きています」

 一行だった。

 上海のときは「街で銃を撃つのが辛い」と書いてあった。南京からの手紙は一行だった。

 弥一はその一行を読んで、修が何を見たかを想像した。想像して、やめた。想像しきれない。自分が見たのは壁の中からの世界だった。修は壁の外にいる。銃を持って、壁の外に立っている。

 壁の中から見ることと、壁の外で見ることは、まるで違う。

 弥一は手紙をキヨに渡した。キヨは「生きています」の一行を読んで泣いた。

 生きている。それだけで十分だった。それだけしか、もう求められなかった。

 昭和十三年一月十六日。

 近衛文麿このえふみまろ首相が声明を出した。

爾後じご、国民政府を対手あいてとせず」

 修はこの声明を、南京で聞いた。兵舎の壁に貼り出された新聞で読んだ。

 国民政府を相手にしない。蒋介石しょうかいせきの政府とは交渉しないという意味だ。

 修は紙の前に立ったまま、動けなかった。

 交渉しない。

 話さない。

 話し合いの扉を、自分から閉じた。

 犬養は「話せば分かる」と言って殺された。今度は政府自身が「話さない」と宣言した。殺されたのではない。自分から話すことをやめた。

 修はこのとき、戦争の出口が消えたことを理解した。

 戦争を終わらせるには三つの方法しかない。勝つか、負けるか、話し合うか。

 中国は広い。四億の人間がいる。全土を占領することは不可能だ。勝ちきることはできない。

 負けてもいない。日本は南京を落とした。上海を取った。戦場では勝っている。

 残るのは話し合いだけだった。

 その話し合いを、自分から閉じた。

 ドイツのトラウトマン大使が仲介の労を取っていた。蒋介石も条件次第では交渉に応じる姿勢を見せていたという話を、修はあとから聞いた。道はあった。細い道だったが、あった。

 近衛がそれをふさいだ。

 なぜ塞いだのか。修には分からなかった。南京を落として気が大きくなったのか。軍が交渉を嫌ったのか。世論が「もっと取れ」と叫んだのか。

 理由は一つではないのだろう。だが結果は一つだ。

 出口がない。

 勝ちきれず、負けておらず、話し合えない戦争。

 この戦争は、いつ終わるのか。

 修は兵舎の壁に貼られた新聞から目を離し、窓の外を見た。南京の空は灰色だった。

 終わらない戦争が始まった。

 修はこのあと、中国大陸に四年間留まることになる。

 南京から武漢ぶかんへ。武漢から内陸へ。追っても追っても、中国軍は退かない。退いて、また現れる。広大な大陸が中国の味方だった。日本軍が点と線——都市と鉄道——を押さえても、面は中国のものだった。

 修は歩きつづけた。撃ちつづけた。手紙を出しつづけた。

 手紙は少しずつ短くなっていった。書くことが減ったのではない。書けることが減ったのだ。検閲が厳しくなった。そして修自身が、言葉を失いかけていた。

 見ることはやめなかった。弥一の言葉を守った。

 だが見たものを言葉にする力が、戦場にいる時間に比例してけずられていった。

 辰次たつじの手帳は白紙だった。何も書いていなかった。修はそのことを弥一から聞いている。辰次も言葉を失ったのだ。書くべきことがありすぎて、一文字も書けなくなった。

 修は辰次と同じ場所に近づいている。

 だが修は書くことをやめなかった。一行でも。一語でも。

「生きています」

 その一行を、出しつづけた。

 東京の弥一は、六十七歳になっていた。

 キヨと二人で暮らしている。修の手紙が来るたびにキヨが泣き、弥一が手紙を畳んでふところに入れる。辰次の万年筆と、源太げんたの最後の手紙と、修の手紙が同じ場所にある。

 弥一の懐は重い。三代ぶんの紙と金属が入っている。

 窓の外で、提灯行列がまた通った。武漢が落ちたらしい。万歳の声が聞こえる。

 弥一は窓を閉めた。

 源太が禁門の変のあと焼け跡を歩いたとき、道端に座っていた女のことを思い出した。子どもを抱いて、すすで真っ黒で、何も言わなかった女。

 南京にも同じ女がいるだろう。子どもを抱いて、何も言えない女が。

 提灯の行列は、その女の前を通り過ぎていく。

 いつも通り過ぎていく。

第二十一話 了

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ