第二十話 日中戦争(一)
昭和十二年七月七日。夜。
北京の郊外、盧溝橋のそばで銃声がした。
日本軍の駐屯部隊が夜間演習をしていた。演習中に銃声が聞こえた。点呼をしたら、兵が一人いない。
日本軍は近くの中国軍の陣地に向かって、兵を捜索させろと要求した。中国側は拒否した。
翌朝、戦闘が始まった。
行方不明の兵は、しばらくして自分で戻ってきた。用を足しに行っていただけだった。
だが戦闘は止まらなかった。
◇
修は東京の兵営でその知らせを聞いた。二十六歳。入隊から四年が経っている。上等兵だった。
「北支事変」と呼ばれた。戦争ではない。事変だ。日本はこの戦いを最後まで「戦争」と呼ばなかった。戦争と呼べば国際法上の義務が生じる。中立国がアメリカの石油や鉄を売ってくれなくなるかもしれない。だから事変だ。
修は法律を学んだ人間だ。言葉の使い方で現実を曲げる技術を知っている。
これは戦争だ。戦争を事変と呼んでいるだけだ。
だが修はそのことを口にしなかった。軍の中で言葉を選ぶことの意味を、四年間で学んでいた。
◇
──廟堂。
首相は近衛文麿。四十六歳。公家の名門、五摂家の筆頭の出だ。若く、品があり、国民に人気があった。
近衛内閣は事件の直後に方針を出した。
不拡大。
修はその二文字を聞いて、胃の底が冷えた。
六年前と同じ言葉だ。満洲事変のとき、若槻内閣が出した方針と同じだ。不拡大。あのときも不拡大と言って、止められなかった。軍が無視して、内閣が倒れて、追認した。
同じ言葉を、別の首相が、別の事変に対して繰り返している。
修はこのとき確信した。
この戦争は止まらない。
止まらないことを、修はもう知っている。同じ構造が同じ結果を生むことを、柏木家の八十五年が教えている。
◇
──御前。
弥一は六十六歳だった。宮中の仕事はほぼ引退していたが、古い知り合いの侍従から時おり話を聞くことができた。
天皇は盧溝橋の報告を受けて、不拡大を了承した。
だが弥一が聞いた話では、天皇の態度に微妙な変化があった。
「陛下は、不拡大をお認めになったが、こう仰ったそうだ。『今度こそ不拡大を実行せよ』と」
今度こそ。
その四文字に、弥一は天皇の記憶を感じた。
天皇は覚えている。六年前にも不拡大と言って、止められなかったことを。同じ言葉が同じように空回りすることを。
だが天皇は命令しない。「実行せよ」と言ったが、それは願望に近い。もし軍がまた無視したら、天皇はどうするのか。二二六のように声を上げるのか。
弥一はそうはならないだろうと思った。二二六は天皇の身辺への攻撃だった。盧溝橋は遠い大陸の話だ。天皇の人間が殺されたわけではない。
天皇が声を上げる条件は、満たされていない。
だから黙る。不拡大を了承して、あとは大臣に任せる。
そして大臣は、軍を止められない。
同じ機械が、同じように回っている。
◇
七月末、戦闘は拡大した。不拡大は守られなかった。
八月、戦場は一気に南に飛んだ。上海。
修の部隊に動員命令が出た。
「上海方面に展開する。出発は三日後」
修は荷物をまとめながら、松田のことを思った。松田は満洲にいるはずだ。修はこれから上海に行く。別の戦場だ。
弥一に手紙を書いた。
「お父。上海に行きます。言えることは少ないですが、行く前に一つだけ。お父が言った通りでした。不拡大は守られませんでした」
弥一からの返事は、修が上海に着いた後に届いた。短かった。
「見ることをやめるな」
それだけだった。
◇
上海は、修が想像していた戦場とは違った。
修は戦場というものを、弥一から聞いた辰次の手紙で知っていた。旅順の塹壕。斜面を登る歩兵。機関銃と鉄条網。
上海には塹壕も斜面もなかった。
街だった。
ビルがあった。路地があった。商店の看板が残っていた。洗濯物が干されたままのベランダがあった。人が暮らしていた痕跡のなかで、銃を撃った。
修が最初に撃ったのは、閘北という地区の路地だった。
角を曲がったとき、向こうから走ってくる影が見えた。軍服を着ていた。中国兵だ。修は構えた。引き金を引いた。反動で肩が跳ねた。
当たったかどうか分からなかった。影は角の向こうに消えた。
修は壁に背をつけて、息を吐いた。手が震えていた。
人に向けて銃を撃った。
法律の教科書を持っていた手で。
◇
上海の中国軍は、修の予想をはるかに超えて強かった。
ドイツの軍事顧問が訓練した精鋭師団がいた。八十七師、八十八師。装備も訓練もしっかりしている。トーチカを築き、鉄条網を張り、機関銃で日本軍の突撃を止めた。
旅順と同じだった。
修は泥の中に伏せながら、弥一から聞いた辰次の手紙を思い出した。「走りながら死ぬ。体が先に死んで、足だけがまだ走ろうとしとる」。辰次が三十三年前に旅順で見たのと同じことが、上海で起きている。
日本軍は苦戦した。
上海を三日で落とすと言っていた参謀がいたという話を、修は小隊長から聞いた。三日。満洲事変のように簡単に終わると思っていたのだ。
三日では終わらなかった。
一週間でも終わらなかった。一か月でも終わらなかった。
三か月かかった。
◇
──陣中。
修は上海で、戦争の匂いを覚えた。
火薬の匂い。血の匂い。そして腐敗の匂い。
辰次が「甘い匂い」と書いたあの匂いだ。死体が腐る匂いは甘い。修も同じことを確認した。
ある日、修の小隊はビルの一階を確保した。二階に中国兵がいた。階段を上がれない。上から手榴弾が転がってくる。下から撃っても角度が悪い。
丸一日、同じビルの一階と二階で睨み合った。
夜中に、二階から声が聞こえた。中国語だった。何を言っているか分からない。歌のようだった。
隣にいた兵が呟いた。
「歌っとるんか。あいつら」
修は黙って聞いていた。
敵が歌っている。壁一枚と階段の向こうで。朝になったら殺し合う。だが今は歌っている。
修は弥一が教えてくれたことを思い出した。
──壁は見ているだけだ。
修は壁ではない。銃を持っている。引き金を引く。人を殺すかもしれない。殺されるかもしれない。壁ではいられない。
だが見ることはできる。見ることだけは続けられる。
二階の歌が止んだ。静かになった。
翌朝、別の小隊が裏口から二階に突入した。銃声がして、静かになった。
修は二階に上がった。中国兵が三人倒れていた。若かった。修と同じくらいの歳に見えた。
一人が目を開けたままだった。修を見ているように見えた。だがもう見えていなかった。
◇
三か月の戦闘で、日本軍の死傷は四万を超えた。
中国軍は二十五万。
日本軍は約二十五万を投入した。中国軍は六十万。
数字を聞いて、修は考えた。
日清戦争では清軍は組織的な抵抗をほとんどしなかった。満洲事変では北大営の中国兵は寝間着で逃げた。
上海は違った。中国は戦った。三か月、戦った。
修は対華二十一カ条のことを考えた。弥一から聞いた話だ。大学でも学んだ。
大正四年、ヨーロッパが大戦で手一杯のあいだに、日本は中国に二十一か条の要求を突きつけた。五つの号に分かれていた。
第一号は、山東半島のドイツ利権を日本に渡せ。第二号は、満洲と内蒙古での日本の租借期間を九十九年に延ばせ。第三号は、中国の製鉄会社を日本との合弁にしろ。第四号は、中国の沿岸を他国に渡すな。
そして第五号。日本人の顧問を中国政府に入れろ。警察を日中共同にしろ。武器の購入を日本から行え。
第五号が通れば、中国は日本の属国になる。国際社会からも批判が出て、日本は第五号を取り下げた。だが残りは最後通牒を突きつけて呑ませた。
中国がこれを受け入れた五月九日は、「国恥記念日」と定められた。国の恥。毎年この日になると、中国の人々は日本にされたことを思い出す仕組みが、二十二年前に作られた。
四年後の大正八年、パリ講和会議で事態はさらに悪化した。第一次大戦の戦後処理で、ドイツが持っていた山東半島の権益が日本に渡された。中国もまた連合国の側で参戦していたのに、中国の土地にある権益が中国ではなく日本に渡された。
その知らせが北京に届いた日、学生たちが街に出た。大正八年五月四日。五四運動。
北京の大学生三千人がデモ行進し、日本への怒りを叫んだ。日本製品の不買運動が全国に広がった。商店が日本の品物を棚から下ろした。工場で罷業が起きた。
これが近代中国のナショナリズムの出発点だった。日本が火をつけた。
あれから二十二年。五四運動の日に街に出た学生たちは四十代になっている。その子どもたちが、今、銃を持って上海で戦っている。ドイツ式の訓練を受け、トーチカを築き、機関銃で日本軍の突撃を止めている。
修の前で死んでいる若い兵士は、五四運動の子どもたちだ。日本を憎んで育った世代だ。
憎しみの種を撒いたのは日本で、その種が育った畑に日本は兵を送り込んでいる。
修はその構造を見ていた。見ることをやめなかった。
◇
──巷。
東京の弥一のもとに、修から手紙が来た。短かった。検閲の跡があった。
「生きています。上海は街です。畑でも山でもない。人が暮らしていた場所で銃を撃っています。それだけが辛い」
弥一は手紙を読んで、キヨに渡した。キヨは読んで泣いた。
弥一は泣かなかった。
辰次の手紙のことを思い出していた。辰次も「生きとる」と書いた。何通か書いて、そして来なくなった。
修の手紙が来なくなる日が来るのかどうか。弥一はそれだけを考えていた。
六十六歳の弥一にできることは、もう何もない。宮中にはもういない。壁ではなくなった。ただの老人だ。
ただの老人が、息子の手紙を待っている。
源太が弥一の手紙を待ったように。吉田のおかみさんが息子の手紙を待ったように。
三代目が同じ場所に立っている。手紙を出す側として。
そして弥一は、手紙を待つ側として。
◇
十一月、上海が陥落した。
中国軍は西へ退いた。首都の南京へ退いた。
日本軍は追った。
修の部隊にも前進命令が出た。
「目標、南京」
修は小隊の兵と一緒に歩いた。上海から南京まで約三百キロ。道路は壊れていた。橋は落とされていた。時おり中国軍の残兵と遭遇した。
歩きながら、修は考えた。
盧溝橋で兵が一人いなくなった。用を足しに行っていただけだった。それが上海の三か月になり、四万の死傷になり、今、南京に向かっている。
どこで止まるのか。
誰が止めるのか。
不拡大、と誰かがまた言うのだろうか。
修の靴は泥で重かった。銃は肩に食い込んでいた。空は灰色だった。
南京まで、あと百キロ。
第二十話 了




