第十七話 満州事変(二)
昭和七年三月一日。満洲国の建国が宣言された。
修は下宿で新聞を広げた。一面に大きな見出しが出ていた。
「満洲国建国宣言 新国家、五族協和を掲ぐ」
五族協和。日本人、漢人、満洲人、蒙古人、朝鮮人の五つの民族が手を取り合って暮らす理想の国。新聞はそう書いていた。
元首は溥儀。清朝最後の皇帝だった男だ。三歳で即位して、六歳で退位させられた。それから二十年、紫禁城の奥で暮らし、天津の租界に逃れ、今度は満洲に担ぎ出された。肩書は「執政」。皇帝ではなく、執政。国家元首だが、皇帝とは呼ばせなかった。
修は記事を読みながら考えた。
この国を作ったのは誰か。満洲の人たちが望んで作ったのか。溥儀が自分の意志で立ったのか。
違う。関東軍が作った。関東軍が溥儀を連れてきて、関東軍が国の形を決めて、関東軍が建国を宣言した。
誰も頼んでいない国が、できた。
◇
松田から手紙が来た。建国宣言の翌週だった。
「修さん、国ができたいう話は聞いた。式典があったらしい。わしらは式典には出とらん。警備に回されとった」
「新しい国の旗が立った。赤と青と白と黒と黄色の横縞の旗や。五族協和を表しとるらしい。きれいな旗や。だが旗を立てたのはわしら日本の兵隊や。現地の人が立てたんやない」
「街を歩くと、役所がもうできとる。看板が出とる。満洲国のなんとか省、なんとか局。偉そうな名前がついとる。でもな修さん、中に座っとるのは日本人や。満洲人の上役がおるにはおるが、その横に必ず日本人の『顧問』がおる。顧問いうのは助言する人やろ。でも実際は顧問が全部決めとる。上役は判子を押すだけや」
修はこの一節を読んで、手が止まった。
上役は判子を押すだけ。
それは天皇と同じ構造ではないか。
天皇は裁可する。輔弼が決めたことに判子を押す。自分では決めない。
溥儀も同じことをさせられている。日本人の顧問が決めたことに判子を押す。自分では決めない。
日本が作った国が、日本の天皇と同じ構造を再生産している。
修はその皮肉を、二十一歳の頭で噛みしめた。
◇
──御前。
弥一は宮中で、満洲国をめぐる空気を見ていた。
天皇は満洲国の承認について、何も言わなかった。
だが弥一は、廊下のなかにかすかな緊張を感じていた。
ある侍従が、別の侍従にこう言った。
「溥儀が皇帝を名乗りたがっているらしい。関東軍はいずれ認めるだろう」
「陛下はどうお思いだろうか」
「……お聞きになれるものか」
天皇と溥儀。二人の皇帝。片方が片方を傀儡にしている。
弥一はそのとき、産屋の夜を思い出した。源太から何度も聞いた話。借金で建てた小屋で生まれた赤ん坊。その赤ん坊が天皇になり、軍を持ち、帝国を築いた。
その帝国の軍が、よその国で別の皇帝を操り人形にしている。
源太が見た天皇は、何もできない存在だった。幕府に閉じ込められて、御所から出られなかった。
今の天皇は、何でもできるように見えて、やはり何もできない。自分の軍が作った国について、意見を言えない。
何もできないことの形が変わっただけだ。
弥一はそう思ったが、声には出さなかった。壁は声を出さない。
◇
──廟堂。
政府は満洲国をどう扱うか、議論を重ねていた。
認めるのか。認めないのか。
関東軍はすでに国を作ってしまった。政府が「作るな」と言う前に作った。不拡大と言った政府の方針は、もう何の意味も持っていない。
ここで認めなければ、関東軍と正面衝突する。認めれば、国際社会と正面衝突する。
どちらを選んでも衝突する。
修は大学の法律の講義で、こういう状況を「二律背反」と習った。どちらを選んでも矛盾が生じる状態。
だがこれは教科書の問題ではなかった。現実だった。
九月十五日、日本政府は満洲国を正式に承認した。日満議定書に調印した。
政府は関東軍を選んだ。国際社会との衝突を選んだ。
追認。やったもの勝ち。
弥一は宮中で、議定書の裁可が行われる日の空気を覚えている。重かった。だが諦めの混じった重さだった。怒りではなく、疲労の重さだった。
止められなかった。止めようとして、止められなかった。だからもう追認するしかない。
それは政府の判断ではなかった。判断を放棄した結果だった。
◇
──巷。
東京の街は、満洲に沸いていた。
新聞は毎日のように満洲の記事を載せた。「王道楽土」。「五族協和」。満洲は夢の大地だと書いた。広大な平原。豊かな資源。石炭。鉄。大豆。
開拓団の募集が始まった。農村から満洲へ移住する人々を募っている。東北の貧しい農家の次男、三男に、「満洲に行けば土地がもらえる」と呼びかけた。
修は街で、満洲の映画が上映されているのを見た。ポスターには広い麦畑と青い空が描かれていた。「新天地」と大きな字で書いてある。
修は松田の手紙を思い出した。「旗を立てたのはわしら日本の兵隊や。現地の人が立てたんやない」「こっちを見る目は歓迎しとる目やない」。
ポスターの青い空と、松田が見ている空は同じ空だ。
だが見えている景色が違う。ポスターには歓迎しない目は描かれていない。
◇
四月、国際連盟からリットン調査団が満洲に入った。
団長はイギリスのリットン伯爵。アメリカ、フランス、ドイツ、イタリアからも委員が参加した。
調査団は奉天、長春、ハルビンを回った。日本側の説明を聞き、中国側の訴えを聞き、現地の人間にも話を聞いた。
修は新聞で調査団の動向を追った。日本の新聞は調査団に冷たかった。
「外国人に満洲の何が分かるか」
「現地を見れば日本の正当性は明白だ」
「リットンは偏見を持っている」
修はその論調に違和感を覚えた。
調査団は見に来ている。見た上で判断しようとしている。それを「偏見」と呼ぶなら、見る前から結論を決めているのはどちらだ。
だが修はそれを口に出さなかった。口に出せる空気ではなかった。大学でも、飯屋でも、電車の中でも、満洲に疑問を呈する声はほとんど聞こえなくなっていた。
疑問を持つこと自体が、非国民の匂いを帯び始めていた。
◇
十月、リットン報告書が公表された。
結論はこうだった。
九月十八日の日本軍の行動は自衛とは認められない。満洲国は住民の自発的な意志によって成立したものではなく、独立国家とは認められない。
ただし、日本の満洲における権益は一定程度認める。満洲に自治政府を設立し、国際的な管理のもとで運営することを提案する。
全面否定ではなかった。妥協の余地はあった。
だが日本の新聞はそう書かなかった。
「リットン報告は日本を侮辱するものだ」
「我が国の正当なる権益を否定するものだ」
「断じて受け入れられない」
修は報告書の要旨を大学の図書館で読んだ。英語の原文ではなく、外務省が出した要約だったが、それでも新聞の論調とは温度が違うことが分かった。
報告書は日本を全否定していない。むしろ、日本の面子を立てる逃げ道を用意している。
だがその逃げ道を、新聞が塞いだ。「侮辱だ」「受け入れられない」と書いて、国民の怒りを煽った。
政府が逃げ道を使おうとしても、国民が許さない。日比谷のときと同じ構造だ。
勝ちすぎた国は、退くことができない。
◇
昭和八年二月二十四日。ジュネーヴ。
国際連盟の総会で、リットン報告書に基づく勧告案が採決された。
賛成四十二。反対一。棄権一。
反対の一は日本だった。
日本全権の松岡洋右は演壇で長い演説をした。そして最後に、日本代表団は席を立った。
背中を向けて、議場を出ていった。
修は翌日の新聞でその写真を見た。松岡の背中。歩き去る背中。
日本は世界から歩き去った。
帰国した松岡を、東京駅で群衆が出迎えた。英雄として。万歳の声が上がった。
修は新聞を畳んだ。
弥一が話してくれた日比谷焼打のことを思い出した。あのときは勝ったのに怒った。今度は孤立したのに万歳を叫んでいる。
群衆の万歳は中身が空だ。勝っても万歳。孤立しても万歳。声を出すこと自体が目的になっている。
◇
松田から手紙が来た。短かった。
「修さん、国際連盟を脱退したいう話は聞いた。小隊長が言った。これで邪魔する奴はおらんくなった、て。みんな喜んどった。喜んどったけど、わしはよう分からんかった。邪魔する奴がおらんいうのは、止めてくれる奴もおらんいうことやないんか」
修は手紙を引き出しに入れた。
松田は飯屋の皿洗いだった。法律も外交も知らない。だがこの一行は、修が大学で四年かけて学んだどの教科書よりも正確だった。
邪魔する奴がおらんいうのは、止めてくれる奴もおらんいうことやないんか。
国内のブレーキは軋んでいる。浜口は銃弾で倒れた。軍に逆らう政治家がどうなるか、誰もが見た。
国外のブレーキも壊れた。連盟を出て、日本は一人で走ることになった。
止める者はもう誰もいない。
◇
弥一は宮中で、連盟脱退の日の空気を覚えている。
静かだった。
怒りもなかった。歓声もなかった。宮中の人間は街の群衆のように万歳を叫んだりしない。
ただ、諦めに似た重さがあった。
ある侍従が、窓の外を見ながら呟いた。
「これで、後戻りはできなくなった」
弥一は壁として聞いた。
後戻りできない。
蛤御門で京が焼けたときも、戊辰で旗が立ったときも、日露で六万が倒れたときも、まだ道はあった。引き返せる場所があった。
今、その場所が消えた。
弥一は六十二歳だった。体が弱っている。宮中の廊下を歩くのが遅くなった。
だが耳はまだ聞こえる。目はまだ見える。
あとどれだけ見届けられるか分からない。だが見届けられる限り、見届ける。
源太が佐吉から受け取った役目を、弥一は修に渡した。
修はもう軍にいる。柏木家の三代目が、天皇の機械の中に入った。
機械はもう止まらない。
止まるのは、壊れるときだ。
第十七話 了




