第十二話 手綱を持つ者が死んでいく
大正の天皇は、明治の天皇とは何もかも違っていた。
弥一が最初にそう感じたのは、声だった。
明治天皇の声を弥一は数えるほどしか聞いていない。だがその声は低く、短く、廊下の空気を止める力があった。
大正天皇の声は、柔らかかった。
侍従に話しかけるとき、語尾が少し上がる。冗談を言うことがあった。侍従が困った顔をすると、天皇のほうが先に笑った。
弥一は壁として立ちながら、戸惑っていた。
笑う天皇を見たことがなかった。明治天皇は弥一の記憶の中で一度も笑っていない。表情そのものがなかった。
大正天皇は表情が多かった。嬉しいときは嬉しそうにし、疲れたときは疲れた顔をした。人間が見えた。
それが弥一には、少しだけ怖かった。
天皇に人間が見えるということは、弱さも見えるということだ。
◇
弥一はこの年、結婚した。
相手は中山家の下働きをしていた女で、名をキヨという。源太が最後まで世話になっていた中山家が縁を取り持った。源太の死後、ハナは京都で一人暮らしをしていたが、キヨが弥一のもとに来たことで東京に呼び寄せ、三人で暮らすことになった。
明治四十四年、息子が生まれた。
名前を考えるのに、弥一は一晩かかった。源太が弥一の名を考えるのに三日かかったという話を思い出した。
息子には修とつけた。
修が生まれた夜、弥一は源太の言葉を思い出した。
──生まれたあと、育つかどうかや。
佐吉が源太に言い、源太が心の中で弥一に祈ったのと同じ祈りを、弥一は修に向けていた。
三代目が生まれた。
◇
大正三年。ヨーロッパで戦争が始まった。
ドイツ、オーストリアとイギリス、フランス、ロシアが戦い始めた。のちに第一次世界大戦と呼ばれる戦争だ。
日本は日英同盟を根拠に参戦した。
だが弥一が宮中で聞いた空気は、「同盟の義務」とはかけ離れていた。
ある将校がこう言った。
「千載一遇の好機だ」
ヨーロッパが潰し合っているあいだに、東洋におけるドイツの権益を奪う。青島。ドイツが清から租借した山東半島の港だ。
安く取れる。ヨーロッパの主力は西部戦線に釘付けだ。極東のドイツ軍は少ない。
弥一はその言葉を聞きながら、嫌な感じがした。安く取る。千載一遇。人の戦争を、商売のように語っている。
◇
青島攻囲戦。
大正三年十月末から十一月七日。
日本軍二万三千に、イギリス軍千五百が加わった。守るドイツ軍は約五千。
旅順の記憶がまだ新しい軍は、正面突撃を避けた。塹壕を掘り進め、砲兵で叩き、海軍が海上から封鎖した。
十一月七日、ドイツ軍が降伏。
日本側の戦死は二百三十六。ドイツ側の戦死は約二百。
旅順の一万五千四百と比べれば、桁が違う。
安く勝った。
宮中には祝賀の空気が流れた。だがその空気は日露のときとはまるで違っていた。緊張がなかった。重さがなかった。明治天皇の指が白くなるような場面は、一度もなかった。
大正天皇は報告を聞いて、頷いた。「よかった」と言ったらしい。短い言葉だった。
弥一は思った。
この天皇にとって、戦争は遠いのだ。明治天皇は軍服が似合った。痩せていった。大正天皇は軍服が重そうだった。そして報告を聞いて「よかった」と言った。
それが悪いことなのかどうか、弥一には分からなかった。
◇
翌年、日本は中国に要求を突きつけた。
対華二十一カ条要求。
山東半島のドイツ権益を日本が引き継ぐこと。満洲と内蒙古における日本の権益を拡大すること。中国政府に日本人の顧問を置くこと。
弥一は宮中で、この要求に関する書類が運ばれるのを見た。
だが弥一が気にしたのは書類の中身ではなかった。
中山家経由で届いた話の中に、こんな一言があった。
「外務省の中にも、やりすぎだという声がある」
やりすぎ。味方の中からその声が出ている。
中国はこの要求を、「国恥」と呼んだ。国の恥だと。五月九日を国恥記念日と定めた。
四年後、中国で五四運動が起きた。北京の学生が街に出て、日本への怒りを叫んだ。反日の旗が立った。
弥一は新聞でそれを読んだ。
日清戦争のとき、日本は清に勝った。日露のとき、日本はロシアに勝った。そのたびに日本は何かを取った。賠償金を。土地を。権益を。
今度は勝ってすらいない相手から、戦争のどさくさに取ろうとしている。
そしてその相手が、初めて声を上げた。
声は小さかった。まだ小さかった。だが声は出た。
弥一は覚えていた。日比谷の夜のことを。声が出た群衆は、やがて街を焼く。
中国の声が大きくなったとき、何が起きるのか。
壁は予言しない。だが壁にも予感はある。
◇
大正七年。日本はシベリアに兵を送った。
ロシアで革命が起き、帝政が倒れた。内戦が始まった。連合国はシベリアに出兵して、革命政府を牽制しようとした。日本もそれに加わった。
だが日本は他国の何倍もの兵を送った。最大七万二千。アメリカが八千、イギリスが千五百であるのに対して、日本だけが突出していた。
弥一は宮中で、この出兵の目的が分からなかった。
侍従武官に聞いたわけではない。壁は聞かない。だが廊下で交わされる将校たちの会話を拾っていると、目的を語る者がいなかった。
革命政府と戦うのか。シベリアの資源を確保するのか。満洲の権益を広げるのか。
誰も明確に言わなかった。
行ったまま、帰れなくなった。
他国が次々と撤退するなか、日本だけがシベリアに残りつづけた。大正九年になっても、大正十年になっても。
「いつ撤兵するのかと、外務省が陸軍に聞いたらしい」
中山家経由の話が、弥一に届いた。
「陸軍は答えなかった。答えられなかったんやない。答えなかったんや」
弥一は背筋が冷えた。
答えない。政府が聞いても、軍が答えない。
憲法の欠陥が、ここで初めて顔を出していた。
軍を動かすのは天皇だけの権利だ。だが天皇は自分では動かない。政治を実際にやるのは大臣だ。では軍のことは大臣が決めるのか、軍が決めるのか。
源太と弥一が新聞を読んで首をかしげた、あの問い。答えが書いてなかった問い。
シベリアで、その問いが現実になった。
政府が撤兵を求めても、軍が従わない。天皇は何も言わない。誰も手綱を持っていない。
馬が勝手に走っている。
◇
──巷。
大正七年、米騒動が起きた。
シベリア出兵を見越した商人が米を買い占め、米の値段が跳ね上がった。
富山の漁村で始まった騒動は、瞬く間に全国に広がった。東京、大阪、京都、名古屋。群衆が米屋を襲い、米を奪った。
キヨが弥一に手紙を書いた。弥一は宮城に詰めていて家に帰れなかった。
「米が買えません。朝から並んでも売り切れです。ハナお母さまが昔の話をしてくれます。戊辰のころも米がなかったそうです。修は七つになりました。腹が減ったと泣きます。泣かれると何も言えません」
弥一はその手紙を読んで、壁であることが一瞬だけ嫌になった。
宮中の食事は出る。天皇の食事も出る。門の外で米がなくて騒ぎが起きていても、門の中の飯は変わらない。
日比谷のときと同じだ。門の外で人が怒り、門の中では別の時間が流れている。
弥一は手紙を懐に入れた。辰次の万年筆と、源太の手紙と、キヨの手紙。懐が重くなっていく。
◇
大正九年、尼港事件。
シベリアのニコラエフスクで、革命軍のパルチザンが日本の守備隊と居留民を虐殺した。軍民合わせて七百人以上が殺された。
弥一は宮中でその報告を聞いた。
だが宮中の反応は、弥一が予想したものと違っていた。衝撃はあった。怒りもあった。だがそこに混じっていたのは、困惑だった。
なぜそこに日本人がいたのか。何のためにシベリアにいたのか。目的のない出兵に巻き込まれて死んだ民間人を、どう説明するのか。
説明できない。
新聞は「暴虐なる露賊」と書いた。だが「なぜそこにいたのか」という問いには答えなかった。
弥一は源太の言葉を思い出した。
──嘘をついたら燃えるんや。
嘘というより、答えのない問いだった。なぜシベリアにいるのか。誰が決めたのか。いつ帰るのか。
答えがないまま、人が死んだ。
旅順では「英霊で買った土地」と言えた。シベリアでは何と言うのか。何も買っていない。何も得ていない。ただ行って、帰れなくなって、人が死んだ。
弥一はこの事件のことを、どこにも回収されない死として記憶した。意味のある犠牲ではなく、意味を与えられない死。名前を使われることすらない死。
辰次の死は「英霊」に変えられた。尼港の死は、変えるものすら見つからなかった。
◇
だが暗い話ばかりではなかった。
大正という時代には、明治にはなかった風が吹いていた。
大正デモクラシー。
弥一はその言葉を新聞で読んだ。修はまだ幼かったが、街の空気は確かに変わっていた。
政党が力を持ち始めた。大正七年、初の本格的な政党内閣が生まれた。原敬。平民出身の首相だった。藩閥でも軍人でもない男が首相になった。源太が中間だった時代には考えられないことだ。
新聞の論調が自由になった。政府を批判する記事が堂々と載った。労働者が権利を主張した。女性が声を上げ始めた。大学では教授が民主主義を講じた。吉野作造という学者が「民本主義」を唱え、国民の意思に基づく政治を説いた。
大正十四年、普通選挙法が成立した。二十五歳以上の男子全員に選挙権が与えられた。金持ちだけが投票できた時代が終わった。
弥一はそれを聞いて、少しだけ明るい気持ちになった。源太は字も読めなかった。弥一は字を覚えた。修は大学に行ける。そして今、源太のような男にも一票が与えられる時代が来た。
だがその同じ年、もう一つの法律が通った。
治安維持法。
国体の変革を目的とする結社を禁じるという法律だった。天皇制に異を唱える者、共産主義者、社会主義者を取り締まる道具だ。
選挙権を広げた同じ議会が、思想を取り締まる法律を同時に作った。
右手で扉を開けながら、左手で鍵をかけた。
弥一はこのことを、宮中の廊下で将校が語るのを聞いた。
「国民に投票させるが、考えることは制限する。うまいやり方だ」
弥一はその言葉を聞いて、うまいとは思わなかった。危ういと思った。
投票はできる。だが投票先を選ぶための自由な議論が許されない。形だけの民主主義は、いずれ形ごと壊される。
その予感は、十年後に的中する。
◇
同じころ、日本の外交にも大きな変化があった。
大正十年から十一年にかけて、ワシントンで国際会議が開かれた。海軍の軍縮と太平洋の秩序について、列強が話し合った。
この会議で、日英同盟が終わった。
明治三十五年に結ばれ、日露戦争を可能にし、二十年間日本の背中を守ってきた同盟が、廃棄された。代わりに日本・アメリカ・イギリス・フランスの四カ国条約が結ばれた。
四カ国条約は同盟ではない。太平洋の現状を尊重するという約束にすぎない。背中を守ってくれる味方はいなくなった。
弥一はこの変化の意味を、すぐには理解できなかった。だが宮中の空気で感じたものがあった。
ある将校がこう呟いた。
「イギリスはアメリカを選んだ。日本ではなく」
日英同盟を終わらせたのは、アメリカの意向だった。太平洋でイギリスと日本が組んでいるのは、アメリカにとって都合が悪い。アメリカはイギリスに、日本との同盟をやめるよう求めた。イギリスはそれに従った。
日露戦争のとき、イギリスの港と銀行が日本を支えた。その支えが消えた。
弥一は日英同盟の締結を宮中で聞いた日のことを覚えている。あのとき弥一は、戊辰の錦旗を思い出した。旗がある側が勝つ。イギリスという旗が日本にあった。
その旗が降ろされた。
日本は一人で歩き始めなければならない。
だがこの時点で、それがどれほど大きな意味を持つか、気づいている者は少なかった。十年後に国際連盟を脱退し、二十年後にイギリスと戦争することになるとは、弥一にもまだ見えていなかった。
◇
そしてアメリカが、最後の一撃を加えた。
大正十三年、排日移民法。
アメリカ議会が移民法を改正し、日本人の移民を全面的に禁止した。「帰化不能外国人」という分類で、日本人を名指しした。ヨーロッパからの移民には枠がある。日本人には枠すらない。ゼロだ。
明治三十九年にサンフランシスコで子どもが学校から追い出された。紳士協約で日本が自ら移民を制限した。カリフォルニアで土地が買えなくなった。
それでも足りなかった。今度は法律で、入国そのものを禁じた。
弥一は宮中で、外務省の官僚が肩を落としているのを見た。
「紳士協約を守ってきたのに。自分から制限してきたのに。それでもだめだと」
日本は譲った。譲りつづけた。それでも「黄色い」というだけで門を閉められた。
東京のアメリカ大使館の前で抗議の集会が開かれた。ある男が大使館の前で自殺した。
弥一はそのことを新聞で読んだ。
日露のときの日比谷焼打を思い出した。あのときは賠償金が取れないことに怒った。今度は人間扱いされないことに怒っている。
怒りの種類が変わった。金の怒りではなく、誇りの怒りだ。
この誇りの傷は、金の傷より深い。金は忘れられる。侮辱は忘れられない。
十七年後、日本がアメリカの艦隊に爆弾を落とすとき、この傷が心の底で疼いていないと言い切れる者がいるだろうか。
弥一にはそこまで見えていなかった。だが傷が残ったことだけは、宮中の空気で感じていた。
◇
──御前。
大正十年、天皇の容態が悪化した。
弥一はそれを、宮中の空気で知っていた。
天皇が公の場に出る回数が減っていた。もともと体が弱かった天皇は、このころには歩くのにも支えが要るようになっていた。
ある日、弥一は廊下で天皇とすれ違った。
侍従二人に支えられていた。足取りが覚束ない。だが弥一のほうを見て、小さく頷いた。
弥一は直立したまま、目を伏せた。
壁は目を合わせない。だが弥一は見た。天皇の目を。
穏やかな目だった。怒りも、威厳も、意志の力もなかった。ただ穏やかだった。
この人は、と弥一は思った。
この人は天皇でなければ、きっと幸せだった。
十一月二十五日、皇太子裕仁が摂政に就いた。二十歳だった。
天皇が生きているまま、別の人間がその役を引き継いだ。
天皇は御所の奥に退いた。歴史から、静かに降ろされた。
◇
大正十一年二月一日。
山県有朋が死んだ。八十三歳。
弥一は宮中でその訃報を聞いたとき、体の芯が冷えた。
山県。戊辰を戦い、西南戦争で六万五千の政府軍を動かし、日露では参謀総長として国家戦略を描いた男。憲法に書いていない隙間を、その巨体で埋めていた最後の男。
弥一の父・源太が新聞で西南戦争を追いかけていたとき、六万五千を指揮していたのがこの男だ。源太が憲法の条文を聞いて首をかしげたとき、その条文の隙間を塞いでいたのもこの男だ。
天皇と軍と政治。この三つは憲法上、誰が調整するか決まっていない。山県は元老という非公式の立場で、その三つのあいだに立ちつづけた。
総理大臣を選ぶのも山県。軍の人事に口を出すのも山県。天皇に直接話ができるのも山県。
憲法に書いてない。法律にも書いてない。だがこの男がいる限り、機械は回っていた。
その男が死んだ。
弥一は廊下で、将校たちが交わす会話を聞いた。
「最後の元老は西園寺公だが、お体がお悪い」
「山県公ほどの力はない」
「つまり、もう誰もおらんということか」
沈黙があった。
弥一は壁として立ちながら、源太の問いを思い出していた。
──そのとき、書いてないものは、どうなるのか。
源太は布団の中で天井を見ながら、答えが出ないまま眠った。
答えが、今、出ようとしていた。
書いてないものは、消える。
調整する者がいなくなれば、調整されなくなる。天皇と軍と政治が、それぞれ勝手に動き始める。
手綱を持つ最後の手が、棺の中に消えた。
弥一は五十一歳になっていた。あと何年壁でいられるか分からなかった。だがこれから先に来るものが、今までとは違うものになることだけは、はっきりと感じていた。
風の匂いが変わった。
大正の空の下で、何かが軋み始めている。
第十二話 了




