第十一話 あの赤ん坊が死ぬ日
戦争が終わって、弥一は京都に帰った。
休暇だった。近衛の兵にも休みはある。三年ぶりの京都は何も変わっていなかった。通りの石畳も、角の豆腐屋も、寺の鐘の音も。
変わっていたのは、源太だった。
家の奥の布団に横たわっていた。顔が小さくなっていた。頬が落ちて、目の窪みが深い。首の筋が浮き出ている。
六十九歳。
「お父」
「……おう」
源太は目を開けた。弥一を見て、少しだけ口の端を上げた。笑ったのだと思う。
「帰ったか」
「帰りました」
「怪我は」
「ありません。宮中でしたから」
「そうか」
源太は目を閉じた。しばらく黙っていた。寝たのかと思ったら、また目を開けた。
「辰次は」
弥一は答えられなかった。
黙っていることが、答えだった。源太は何も言わなかった。目を閉じて、長い息を吐いた。
ハナが台所からお粥を持ってきた。源太はほとんど食べなかった。三口で匙を置いた。
◇
弥一は三日間、京都にいた。
その三日間で、源太は二度だけ長く話した。
一度目は夜だった。
「弥一。おまえ、戦は見たか」
「直接は見てません。宮中にいましたから。でも、聞きました。たくさん聞きました」
「天子さまは、どんなお顔やった」
弥一は考えた。
「痩せはりました。戦の前と後で、軍服の合い方が変わりました」
「そうか」
「お父、なんでそんなこと聞くんです」
源太はゆっくりとまばたきをした。
「あの子が泣いとった夜からな、ずっと気になっとったんや。あの子がどんな顔になったんやろて。わしは一回しか見とらん。産屋の隙間から、ほんの一瞬だけ。あれきりや」
弥一は何か言おうとして、やめた。
源太にとって明治天皇は、まだ「あの赤ん坊」なのだ。五十年以上経っても。戦争をして、勝って、国を大きくして、それでもまだ、あの産屋で泣いていた拳ほどの顔なのだ。
◇
二度目は、弥一が東京に戻る朝だった。
源太は布団から半身を起こして、弥一の顔を見た。
「弥一。一つだけ言うとく」
「何です」
「嘘をついたら燃えるんや」
弥一は黙った。焼打の夜のことを思い出した。
「誰が嘘をつくかやない。嘘がつかれたいう事実が残るんや。事実は消えん。消えんまま積もって、いつか火がつく。わしはそれを二回見た。禁門の変と、日比谷と」
源太は咳き込んだ。長い咳だった。ハナが駆け寄った。弥一も背中をさすった。
咳が収まると、源太は弥一の手を握った。冷たくて、細い手だった。あの桶を抱えて走っていた手が、こんなに細くなった。
「おまえの代で三回目が来んことを祈っとる」
弥一は頷いた。声が出なかった。
門を出るとき振り返ると、ハナが源太を支えて縁に座らせていた。源太が片手を上げた。小さく。
それが最後だった。
◇
明治四十年の冬、源太は死んだ。
ハナからの手紙は短かった。
「お父さん、十一月九日の明け方に逝きました。眠るようでした。苦しまなかったと思います。最後に何か言いかけましたが、聞き取れませんでした。ごめんなさい」
弥一は宮中の自室でその手紙を読んだ。
泣かなかった。泣かなかったが、辰次の万年筆を取り出して、しばらく握っていた。
源太。柏木源太。
中山家の中間として産屋の湯を運んだ男。禁門の変で京が焼けるのを見た男。戊辰で弾薬箱を担いだ男。西南戦争の新聞にしがみついた男。日清で息子を送り出した男。日露の六万を数えた男。
七十歳。
祐宮が生まれた夜から、五十五年を生きた。
弥一は手紙を畳んで、懐に入れた。辰次の手紙と、源太の手紙が、同じ場所に並んだ。
◇
源太が死んだ年、日本は変わりつづけていた。
弥一は宮中から、その変化を見ていた。
満洲に、南満洲鉄道株式会社が設立された。略して満鉄。旅順から長春まで走る鉄道と、沿線の炭鉱、港湾、市街地を丸ごと経営する巨大な国策会社だ。
同時に、関東都督府が置かれた。旅順と大連を含む租借地を統治する機関だ。ここに駐屯する軍が、のちの関東軍になる。
弥一は宮中で、満洲の話を頻繁に聞くようになった。
ある日、侍従武官がこう言った。
「十万の英霊で買った土地だ。手放すわけにはいかん」
十万の英霊。
弥一はその言葉を聞いたとき、辰次のことを思った。辰次は十万のうちの一人だ。その一人が、土地を「買った」ことにされている。
辰次は土地を買うために死んだのか。
違う。辰次は生きて帰りたかった。「死んだらあかんもんな」と手紙に書いていた。
だが死んだ者は反論できない。死者の沈黙が「英霊」という言葉に変えられ、「英霊で買った土地」は手放せないという論理に組み込まれていく。
辰次の万年筆のインクは乾いている。もう何も書けない。
書けない者の名前で、国の地図が描き直されていく。
そしてこの「英霊で買った土地」という論理が、日本の未来を決定的に曲げる出来事があった。
ポーツマス条約が結ばれた直後の明治三十八年秋、アメリカの鉄道王エドワード・ハリマンが日本にやってきた。ユニオン・パシフィック鉄道を率いる男で、世界じゅうの鉄道を一周させる構想を持っていた。
ハリマンは提案した。日本がロシアから得た南満洲の鉄道を、日本とアメリカで共同経営しないか、と。アメリカの資本と日本の軍事力で満洲を一緒に開発し、利益を分け合う。
桂太郎首相はこの話に乗った。ハリマンとのあいだに仮の合意を交わした。桂・ハリマン覚書と呼ばれている。
もしこの合意が実現していたら、歴史は変わっていたかもしれない。アメリカは満洲に自分の金を投じた当事者になる。日本の満洲経営を応援する側に回る。日米が満洲をめぐって対立する理由がなくなる。
だがポーツマスから帰国した小村寿太郎が、これを潰した。
小村は激怒した。「十万の英霊で買った鉄道を、一発の弾も撃っていないアメリカに分け与えるのか」と。
閣議で小村が押し切り、仮合意は破棄された。ハリマンは手ぶらでアメリカに帰った。
アメリカは閉め出された。
アメリカには「門戸開放」という外交方針があった。中国の市場はどの国にも平等に開かれるべきだという考え方だ。日本が満洲を独占するなら、この方針と正面からぶつかる。
ハリマンの提案は、門戸開放と日本の権益を両立させる道だった。たぶん唯一の道だった。
小村がその道を閉じた。英霊の名前で。
辰次は道を閉じるために死んだのではない。だが辰次の死が、道を閉じる理由に使われた。
死者が、生者の選択肢を狭めている。この構造は、三十六年後の真珠湾まで変わらなかった。
そしてハリマンを手ぶらで帰したのと同じころ、太平洋の向こう側でも、別の扉が閉まりかけていた。
日本がアメリカを満洲から閉め出した。同じ時期に、アメリカが日本人を自国から閉め出し始めた。
弥一は宮中で、外務省から来た書記官がこう漏らすのを聞いた。
「桑港で日本人の子どもが学校から追い出された」
明治三十九年。サンフランシスコ市が、日本人の子どもを白人の学校から隔離し、東洋人学校に移すよう命じた。
日露戦争に勝った直後のことだった。
背景には、アメリカ西海岸に増えた日本人移民への反感があった。「黄禍論」——黄色い人種が白人の仕事を奪い、白人の土地を侵す、という恐怖だ。日本がロシアに勝ったことで、その恐怖が現実味を帯びた。
翌年、日米のあいだで紳士協約が結ばれた。日本が自発的にアメリカへの移民を制限するという取り決めだ。条約ではない。体裁を整えた譲歩だった。
さらに明治四十六年、カリフォルニア州で外国人土地法が成立した。日本人を含むアジア人が、アメリカで土地を所有できなくなった。
弥一はこれらの話を聞くたびに、奇妙な感覚を覚えた。
日本は勝った。列強の仲間入りをした。北清事変で肩を並べ、日露で勝ち、条約で対等に渡り合っている。
なのに、日本人の子どもがアメリカの学校から追い出される。土地が買えない。「黄色い」というだけで。
勝っても、受け入れられない。
この感覚が、やがて日本の中に「アメリカは信用できない」という疑念を育てていく。そしてその疑念は、三十五年後に砲弾に変わる。
◇
明治四十二年十月二十六日。満洲のハルビン駅。
伊藤博文が撃たれた。
撃ったのは安重根。朝鮮の独立運動家だった。三発の銃弾が伊藤の胸と腹に命中し、伊藤はその日のうちに死んだ。六十八歳。
弥一は宮中でその速報を聞いたとき、立っていられなくなった。
伊藤博文。明治憲法を作った男だ。
源太と弥一が新聞を読んで首をかしげた、あの憲法を書いた男だ。「軍のことは大臣が決めるんか、天皇が決めるんか」という問いの答えを、あえて書かなかった男だ。書かずに、自分の手で隙間を埋めていた男だ。
その男は同時に、韓国統監だった。朝鮮を日本の保護国にし、外交権を奪い、事実上支配した男だ。
だが伊藤は、併合には慎重だった。朝鮮を完全に日本に組み込むことには反対していた。まだ早い、と。統監として支配しながらも、その一線は越えまいとしていた。
その伊藤が死んだ。
一線を越えまいとしていた男が消えたことで、一線を越える者たちの前から障壁が消えた。
翌年、韓国は併合された。
弥一は伊藤の死を聞いて、山県有朋のことを考えた。山県はまだ生きている。だが伊藤が先に死んだ。憲法の隙間を埋める手が、一本減った。
この国は、作った者から順に死んでいく。
作った者が死ぬと、作ったものの意味が変わる。隙間を埋めていた手が消えれば、隙間がむき出しになる。
伊藤が生きていれば、韓国併合はもう少し先になったかもしれない。もう少し穏やかな形になったかもしれない。
だが「かもしれない」は歴史にはならない。残るのは結果だけだ。
◇
明治四十三年、韓国を併合した。
日本は朝鮮半島を自国の領土にした。
宮中では淡々(たんたん)と手続きが進んだ。条約の裁可。詔勅の発布。天皇の名前で、一つの国が消えた。
弥一は宮中でその書類が運ばれるのを見た。
だが朝鮮で何が起きているかは、宮中にはほとんど届かなかった。
義兵と呼ばれる抵抗の武装集団が、各地で日本軍と戦っていた。山中で、村で、夜襲で。鎮圧に何年もかかった。死者は数万に及んだとも言われる。
その数字は、宮中の報告にはなかった。
新聞にもほとんど出なかった。
知らせないほうが楽だ。
源太が佐吉から聞いた言葉、佐吉が源太に遺した言葉、源太が弥一に手渡した言葉。それが三度目の顔を見せている。
旅順の虐殺も、義兵の鎮圧も、同じ構造の中にあった。勝った側にとって都合の悪いことは、上にも外にも伝えない。伝えなければ、なかったことになる。
なかったことにされた者たちの沈黙が、どこかに積もっていく。
積もったものはいつか燃える。源太はそう言った。
弥一はそれを覚えている。だが壁は動けない。見ているだけだ。
◇
明治四十五年七月。
天皇が倒れた。
弥一は宮中で、その日の空気の変化を肌で感じた。
侍従が走る。侍医が走る。廊下から声が消える。笑い声はもちろん、話し声すら消えた。足音だけが残った。
天皇は糖尿病を患っていた。そこに尿毒症が加わった。
七月二十日、重態が発表された。
宮城の前に人が集まり始めた。最初は数十人だった。翌日には数百人になった。その翌日には数千人が、砂利の上に正座して、門の向こうの天皇の回復を祈った。
弥一は門の内側に立って、門の外の人々を見ていた。
日比谷の夜を思い出した。あのときも、人々は門の外にいた。あのときは怒っていた。今は祈っている。怒ることも祈ることも、門の外でしかできない。
門の内側では、天皇が死にかけている。
弥一はあの赤ん坊のことを思った。源太が見た赤ん坊。拳ほどの顔。借金で建てた産屋で泣いていた子。
その子が六十歳になって、帝国を築いて、軍を持って、戦争をして、勝って、国を広げて、死のうとしている。
弥一は、源太の代わりに見届けなければならないと思った。
源太が最後まで見届けられなかったものを。佐吉が「見届けられんのが残念や」と言い残したものを。
◇
七月三十日。午前零時四十三分。
明治天皇が崩御した。
弥一は廊下に立っていた。
奥の間から、誰かのすすり泣きが聞こえた。そのあと、しばらくの沈黙があった。
やがて侍従武官が出てきた。その男の目は赤かったが、声は平静だった。
「天皇陛下、崩御あらせられた」
弥一は膝が折れそうになった。壁が崩れかけた。だが踏みとどまった。今は崩れてはならない。
門の外で砂利に正座していた人々に、知らせが伝わった。
泣き声が、波のように広がった。
弥一は門の内側で、その声を聞いていた。
◇
九月十三日。大喪の日。
明治天皇の葬儀が行われた。
その夜、乃木希典が死んだ。
妻の静子とともに、自宅で自刃した。殉死。主君に従って死ぬこと。
弥一は翌朝、そのことを知った。
乃木。旅順で六万の損害を出した将軍。二人の息子を戦場で失った父親。天皇に拝謁するとき、軍服が体に合わなくなっていた痩せた男。
弥一は乃木を何度か近くで見ている。最後に見たのは数か月前、天皇の見舞いに来たときだった。乃木は廊下で立ち止まり、奥の間のほうを長いこと見ていた。何も言わなかった。ただ見ていた。
あの目は、別れの目だったのだと、あとから弥一は思った。
殉死した乃木を、世間は二つに割れて語った。
武士の鑑だと言う者がいた。時代錯誤だと言う者がいた。
弥一はどちらとも思わなかった。
ただ、乃木が最後に書いた辞世の歌のことを聞いたとき、考えたことがあった。
乃木は天皇に殉じた。天皇とともに逝くことを選んだ。
だが旅順で死んだ一万五千四百の兵は、天皇に殉じたのか。辰次は殉じたのか。
辰次は「死んだらあかん」と書いていた。死にたくなかった。生きて帰りたかった。
殉死を選べる者と、選べない者がいる。
乃木は選んだ。辰次は選べなかった。
その差を何と呼ぶのか、弥一には分からなかった。
◇
明治が終わった。
大正が始まった。
新しい天皇は嘉仁。明治天皇の三男で、体が弱かった。
弥一は新しい天皇を宮中で見た。優しい顔をした人だった。だが声が小さく、歩き方がどこか頼りなかった。
明治天皇は背筋が真っ直ぐだった。軍服が似合った。新しい天皇は、軍服が重そうに見えた。
弥一は四十一歳になっていた。
源太が死に、佐吉はとうの昔に死に、辰次も死に、明治天皇も死んだ。
弥一の懐には、辰次の万年筆と、源太の最後の手紙と、ハナからの訃報の手紙が入っている。
重い。
紙と金属の重さではない。
これから先を見届けるのは、弥一の仕事だ。源太が見届けられなかったものを。佐吉が見届けたかったものを。
だが弥一には、源太にとっての佐吉のような人間がいない。辰次は死んだ。問いをぶつける相手がいない。
壁は一人で立っている。
大正の空は、明治と同じ色をしていた。だが風の匂いが少しだけ違う。何が違うのかは、まだ分からなかった。
第十一話 了




