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第十一話 あの赤ん坊が死ぬ日


 戦争が終わって、弥一やいちは京都に帰った。

 休暇きゅうかだった。近衛このえの兵にも休みはある。三年ぶりの京都は何も変わっていなかった。通りの石畳いしだたみも、角の豆腐屋とうふやも、寺の鐘の音も。

 変わっていたのは、源太げんただった。

 家の奥の布団ふとんに横たわっていた。顔が小さくなっていた。ほおが落ちて、目のくぼみが深い。首のすじが浮き出ている。

 六十九歳。

「おとう

「……おう」

 源太は目を開けた。弥一を見て、少しだけ口のはしを上げた。笑ったのだと思う。

「帰ったか」

「帰りました」

怪我けがは」

「ありません。宮中でしたから」

「そうか」

 源太は目を閉じた。しばらく黙っていた。寝たのかと思ったら、また目を開けた。

辰次たつじは」

 弥一は答えられなかった。

 黙っていることが、答えだった。源太は何も言わなかった。目を閉じて、長い息を吐いた。

 ハナが台所からおかゆを持ってきた。源太はほとんど食べなかった。三口でさじを置いた。

 弥一は三日間、京都にいた。

 その三日間で、源太は二度だけ長く話した。

 一度目は夜だった。

「弥一。おまえ、戦は見たか」

「直接は見てません。宮中にいましたから。でも、聞きました。たくさん聞きました」

「天子さまは、どんなお顔やった」

 弥一は考えた。

せはりました。戦の前と後で、軍服の合い方が変わりました」

「そうか」

「お父、なんでそんなこと聞くんです」

 源太はゆっくりとまばたきをした。

「あの子が泣いとった夜からな、ずっと気になっとったんや。あの子がどんな顔になったんやろて。わしは一回しか見とらん。産屋うぶや隙間すきまから、ほんの一瞬だけ。あれきりや」

 弥一は何か言おうとして、やめた。

 源太にとって明治天皇は、まだ「あの赤ん坊」なのだ。五十年以上経っても。戦争をして、勝って、国を大きくして、それでもまだ、あの産屋で泣いていたこぶしほどの顔なのだ。

 二度目は、弥一が東京に戻る朝だった。

 源太は布団から半身を起こして、弥一の顔を見た。

「弥一。一つだけ言うとく」

「何です」

「嘘をついたら燃えるんや」

 弥一は黙った。焼打の夜のことを思い出した。

「誰が嘘をつくかやない。嘘がつかれたいう事実が残るんや。事実は消えん。消えんまま積もって、いつか火がつく。わしはそれを二回見た。禁門の変と、日比谷と」

 源太はき込んだ。長い咳だった。ハナが駆け寄った。弥一も背中をさすった。

 咳が収まると、源太は弥一の手を握った。冷たくて、細い手だった。あのおけを抱えて走っていた手が、こんなに細くなった。

「おまえの代で三回目が来んことを祈っとる」

 弥一はうなずいた。声が出なかった。

 門を出るとき振り返ると、ハナが源太を支えてえんに座らせていた。源太が片手を上げた。小さく。

 それが最後だった。

 明治四十年の冬、源太は死んだ。

 ハナからの手紙は短かった。

「お父さん、十一月九日の明け方にきました。眠るようでした。苦しまなかったと思います。最後に何か言いかけましたが、聞き取れませんでした。ごめんなさい」

 弥一は宮中の自室でその手紙を読んだ。

 泣かなかった。泣かなかったが、辰次の万年筆を取り出して、しばらく握っていた。

 源太。柏木源太。

 中山家の中間ちゅうげんとして産屋の湯を運んだ男。禁門の変で京が焼けるのを見た男。戊辰ぼしんで弾薬箱をかついだ男。西南戦争の新聞にしがみついた男。日清で息子を送り出した男。日露の六万を数えた男。

 七十歳。

 祐宮さちのみやが生まれた夜から、五十五年を生きた。

 弥一は手紙をたたんで、ふところに入れた。辰次の手紙と、源太の手紙が、同じ場所に並んだ。

 源太が死んだ年、日本は変わりつづけていた。

 弥一は宮中から、その変化を見ていた。

 満洲まんしゅうに、南満洲鉄道株式会社みなみまんしゅうてつどうかぶしきがいしゃが設立された。略して満鉄まんてつ。旅順から長春ちょうしゅんまで走る鉄道と、沿線の炭鉱たんこう港湾こうわん、市街地を丸ごと経営する巨大な国策会社だ。

 同時に、関東都督府かんとうととくふが置かれた。旅順と大連だいれんを含む租借地そしゃくち統治とうちする機関だ。ここに駐屯ちゅうとんする軍が、のちの関東軍かんとうぐんになる。

 弥一は宮中で、満洲の話を頻繁ひんぱんに聞くようになった。

 ある日、侍従武官がこう言った。

「十万の英霊えいれいで買った土地だ。手放すわけにはいかん」

 十万の英霊。

 弥一はその言葉を聞いたとき、辰次のことを思った。辰次は十万のうちの一人だ。その一人が、土地を「買った」ことにされている。

 辰次は土地を買うために死んだのか。

 違う。辰次は生きて帰りたかった。「死んだらあかんもんな」と手紙に書いていた。

 だが死んだ者は反論できない。死者の沈黙が「英霊」という言葉に変えられ、「英霊で買った土地」は手放せないという論理に組み込まれていく。

 辰次の万年筆のインクは乾いている。もう何も書けない。

 書けない者の名前で、国の地図が描き直されていく。

 そしてこの「英霊で買った土地」という論理が、日本の未来を決定的に曲げる出来事があった。

 ポーツマス条約が結ばれた直後の明治三十八年秋、アメリカの鉄道王エドワード・ハリマンが日本にやってきた。ユニオン・パシフィック鉄道を率いる男で、世界じゅうの鉄道を一周させる構想を持っていた。

 ハリマンは提案した。日本がロシアから得た南満洲の鉄道を、日本とアメリカで共同経営しないか、と。アメリカの資本と日本の軍事力で満洲を一緒に開発し、利益を分け合う。

 桂太郎かつらたろう首相はこの話に乗った。ハリマンとのあいだに仮の合意を交わした。桂・ハリマン覚書と呼ばれている。

 もしこの合意が実現していたら、歴史は変わっていたかもしれない。アメリカは満洲に自分の金を投じた当事者になる。日本の満洲経営を応援する側に回る。日米が満洲をめぐって対立する理由がなくなる。

 だがポーツマスから帰国した小村寿太郎こむらじゅたろうが、これをつぶした。

 小村は激怒した。「十万の英霊で買った鉄道を、一発の弾も撃っていないアメリカに分け与えるのか」と。

 閣議で小村が押し切り、仮合意は破棄された。ハリマンは手ぶらでアメリカに帰った。

 アメリカは閉め出された。

 アメリカには「門戸開放もんこかいほう」という外交方針があった。中国の市場はどの国にも平等に開かれるべきだという考え方だ。日本が満洲を独占するなら、この方針と正面からぶつかる。

 ハリマンの提案は、門戸開放と日本の権益を両立させる道だった。たぶん唯一の道だった。

 小村がその道を閉じた。英霊の名前で。

 辰次は道を閉じるために死んだのではない。だが辰次の死が、道を閉じる理由に使われた。

 死者が、生者の選択肢をせばめている。この構造は、三十六年後の真珠湾まで変わらなかった。

 そしてハリマンを手ぶらで帰したのと同じころ、太平洋の向こう側でも、別の扉が閉まりかけていた。

 日本がアメリカを満洲から閉め出した。同じ時期に、アメリカが日本人を自国から閉め出し始めた。

 弥一は宮中で、外務省から来た書記官しょきかんがこうらすのを聞いた。

桑港サンフランシスコで日本人の子どもが学校から追い出された」

 明治三十九年。サンフランシスコ市が、日本人の子どもを白人の学校から隔離かくりし、東洋人学校に移すよう命じた。

 日露戦争に勝った直後のことだった。

 背景には、アメリカ西海岸に増えた日本人移民への反感があった。「黄禍論こうかろん」——黄色い人種が白人の仕事を奪い、白人の土地を侵す、という恐怖だ。日本がロシアに勝ったことで、その恐怖が現実味を帯びた。

 翌年、日米のあいだで紳士協約しんしきょうやくが結ばれた。日本が自発的にアメリカへの移民を制限するという取り決めだ。条約ではない。体裁ていさいを整えた譲歩じょうほだった。

 さらに明治四十六年、カリフォルニア州で外国人土地法がいこくじんとちほうが成立した。日本人を含むアジア人が、アメリカで土地を所有しょゆうできなくなった。

 弥一はこれらの話を聞くたびに、奇妙な感覚を覚えた。

 日本は勝った。列強の仲間入りをした。北清事変で肩を並べ、日露で勝ち、条約で対等に渡り合っている。

 なのに、日本人の子どもがアメリカの学校から追い出される。土地が買えない。「黄色い」というだけで。

 勝っても、受け入れられない。

 この感覚が、やがて日本の中に「アメリカは信用できない」という疑念ぎねんを育てていく。そしてその疑念は、三十五年後に砲弾に変わる。

 明治四十二年十月二十六日。満洲のハルビン駅。

 伊藤博文いとうひろぶみが撃たれた。

 撃ったのは安重根あんじゅうこん。朝鮮の独立運動家だった。三発の銃弾が伊藤の胸と腹に命中し、伊藤はその日のうちに死んだ。六十八歳。

 弥一は宮中でその速報を聞いたとき、立っていられなくなった。

 伊藤博文。明治憲法を作った男だ。

 源太と弥一が新聞を読んで首をかしげた、あの憲法を書いた男だ。「軍のことは大臣が決めるんか、天皇が決めるんか」という問いの答えを、あえて書かなかった男だ。書かずに、自分の手で隙間を埋めていた男だ。

 その男は同時に、韓国統監かんこくとうかんだった。朝鮮を日本の保護国ほごこくにし、外交権を奪い、事実上支配した男だ。

 だが伊藤は、併合には慎重だった。朝鮮を完全に日本に組み込むことには反対していた。まだ早い、と。統監として支配しながらも、その一線は越えまいとしていた。

 その伊藤が死んだ。

 一線を越えまいとしていた男が消えたことで、一線を越える者たちの前から障壁しょうへきが消えた。

 翌年、韓国は併合された。

 弥一は伊藤の死を聞いて、山県有朋やまがたありとものことを考えた。山県はまだ生きている。だが伊藤が先に死んだ。憲法の隙間を埋める手が、一本減った。

 この国は、作った者から順に死んでいく。

 作った者が死ぬと、作ったものの意味が変わる。隙間を埋めていた手が消えれば、隙間がむき出しになる。

 伊藤が生きていれば、韓国併合はもう少し先になったかもしれない。もう少し穏やかな形になったかもしれない。

 だが「かもしれない」は歴史にはならない。残るのは結果だけだ。

 明治四十三年、韓国かんこく併合へいごうした。

 日本は朝鮮半島を自国の領土にした。

 宮中では淡々(たんたん)と手続きが進んだ。条約の裁可さいか詔勅しょうちょくの発布。天皇の名前で、一つの国が消えた。

 弥一は宮中でその書類が運ばれるのを見た。

 だが朝鮮で何が起きているかは、宮中にはほとんど届かなかった。

 義兵ぎへいと呼ばれる抵抗ていこうの武装集団が、各地で日本軍と戦っていた。山中で、村で、夜襲やしゅうで。鎮圧ちんあつに何年もかかった。死者は数万におよんだとも言われる。

 その数字は、宮中の報告にはなかった。

 新聞にもほとんど出なかった。

 知らせないほうが楽だ。

 源太が佐吉さきちから聞いた言葉、佐吉が源太にのこした言葉、源太が弥一に手渡した言葉。それが三度目の顔を見せている。

 旅順の虐殺も、義兵の鎮圧も、同じ構造の中にあった。勝った側にとって都合の悪いことは、上にも外にも伝えない。伝えなければ、なかったことになる。

 なかったことにされた者たちの沈黙が、どこかに積もっていく。

 積もったものはいつか燃える。源太はそう言った。

 弥一はそれを覚えている。だが壁は動けない。見ているだけだ。

 明治四十五年七月。

 天皇が倒れた。

 弥一は宮中で、その日の空気の変化を肌で感じた。

 侍従が走る。侍医じいが走る。廊下から声が消える。笑い声はもちろん、話し声すら消えた。足音だけが残った。

 天皇は糖尿病とうにょうびょうわずらっていた。そこに尿毒症にょうどくしょうが加わった。

 七月二十日、重態じゅうたいが発表された。

 宮城の前に人が集まり始めた。最初は数十人だった。翌日には数百人になった。その翌日には数千人が、砂利じゃりの上に正座して、門の向こうの天皇の回復を祈った。

 弥一は門の内側に立って、門の外の人々を見ていた。

 日比谷の夜を思い出した。あのときも、人々は門の外にいた。あのときは怒っていた。今は祈っている。怒ることも祈ることも、門の外でしかできない。

 門の内側では、天皇が死にかけている。

 弥一はあの赤ん坊のことを思った。源太が見た赤ん坊。拳ほどの顔。借金で建てた産屋で泣いていた子。

 その子が六十歳になって、帝国を築いて、軍を持って、戦争をして、勝って、国を広げて、死のうとしている。

 弥一は、源太の代わりに見届けなければならないと思った。

 源太が最後まで見届けられなかったものを。佐吉が「見届けられんのが残念や」と言い残したものを。

 七月三十日。午前零時四十三分。

 明治天皇が崩御ほうぎょした。

 弥一は廊下に立っていた。

 奥の間から、誰かのすすり泣きが聞こえた。そのあと、しばらくの沈黙があった。

 やがて侍従武官が出てきた。その男の目は赤かったが、声は平静だった。

「天皇陛下、崩御あらせられた」

 弥一はひざが折れそうになった。壁が崩れかけた。だが踏みとどまった。今は崩れてはならない。

 門の外で砂利に正座していた人々に、知らせが伝わった。

 泣き声が、波のように広がった。

 弥一は門の内側で、その声を聞いていた。

 九月十三日。大喪たいそうの日。

 明治天皇の葬儀そうぎが行われた。

 その夜、乃木希典のぎまれすけが死んだ。

 妻の静子しずことともに、自宅で自刃じじんした。殉死じゅんし。主君に従って死ぬこと。

 弥一は翌朝、そのことを知った。

 乃木。旅順で六万の損害を出した将軍。二人の息子を戦場で失った父親。天皇に拝謁はいえつするとき、軍服が体に合わなくなっていた痩せた男。

 弥一は乃木を何度か近くで見ている。最後に見たのは数か月前、天皇の見舞いに来たときだった。乃木は廊下で立ち止まり、奥の間のほうを長いこと見ていた。何も言わなかった。ただ見ていた。

 あの目は、別れの目だったのだと、あとから弥一は思った。

 殉死した乃木を、世間は二つに割れて語った。

 武士のかがみだと言う者がいた。時代錯誤じだいさくごだと言う者がいた。

 弥一はどちらとも思わなかった。

 ただ、乃木が最後に書いた辞世じせいの歌のことを聞いたとき、考えたことがあった。

 乃木は天皇に殉じた。天皇とともに逝くことを選んだ。

 だが旅順で死んだ一万五千四百の兵は、天皇に殉じたのか。辰次は殉じたのか。

 辰次は「死んだらあかん」と書いていた。死にたくなかった。生きて帰りたかった。

 殉死を選べる者と、選べない者がいる。

 乃木は選んだ。辰次は選べなかった。

 その差を何と呼ぶのか、弥一には分からなかった。

 明治が終わった。

 大正たいしょうが始まった。

 新しい天皇は嘉仁よしひと。明治天皇の三男で、体が弱かった。

 弥一は新しい天皇を宮中で見た。優しい顔をした人だった。だが声が小さく、歩き方がどこか頼りなかった。

 明治天皇は背筋が真っ直ぐだった。軍服が似合った。新しい天皇は、軍服が重そうに見えた。

 弥一は四十一歳になっていた。

 源太が死に、佐吉はとうの昔に死に、辰次も死に、明治天皇も死んだ。

 弥一の懐には、辰次の万年筆と、源太の最後の手紙と、ハナからの訃報ふほうの手紙が入っている。

 重い。

 紙と金属きんぞくの重さではない。

 これから先を見届けるのは、弥一の仕事だ。源太が見届けられなかったものを。佐吉が見届けたかったものを。

 だが弥一には、源太にとっての佐吉のような人間がいない。辰次は死んだ。問いをぶつける相手がいない。

 壁は一人で立っている。

 大正の空は、明治と同じ色をしていた。だが風の匂いが少しだけ違う。何が違うのかは、まだ分からなかった。

第十一話 了

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