第16幕 夢見るglow starter。②
食堂には、紅茶の香りが立ち込める。
鼻歌混じりでカップに紅茶を注ぐイリーニャは、少しだけ誇らしげだ。
そんなイリーニャが紅茶を注ぎ終わり、席に着いたのを見計らって、清寿は口を開いた。
「イリーニャ、聞いても良いだろうか?」
清寿が1番最初に指名したのはイリーニャだった。
だが、その声音は静かに、けれど優しい。
「え? 俺!? え? え!? 何だろう?」
当のイリーニャはと言えば、不意打ちにも似た指名にアワアワしながら、動転したように辺りをキョロキョロ見回している。
お
でも、周りの反応もイリーニャと大差はない。
清寿が、いの一番で確認したい事が、まさかまさかのイリーニャの事だったのだ。
皆、動揺と困惑が隠しきれない表情で、目線を清寿とイリーニャに往復させている。
「え? 何でイリーニャ?」
レニーは思わず言葉を溢した後に、あんぐりと口を開いて訝しげな目線をイリーニャに戻した。
思った以上にイリーニャの立ち位置が透けて見えてしまった状況に、清寿は乾いた笑いを浮かべてしまう。
『1番何にも出来ない人』と、イリーニャが自称はしていたが、自称だけでは済まないようだ。どうにも、薄々の共通認識として存在しているようである。
あからさまなパニックで騒ぎはしないものの、静かにプチパニック状態。
まだ内容も話していないと言うのに、指名をしただけで一気に変な空気になってしまった事に清寿だって困惑である。ーーこんなものは、想定外もいいとこである。
清寿はこの状況を打破するべく、仕切り直しとばかりに咳払いをひとつ。
自身に注目を集め直したあと、イリーニャに笑みを向けて続きを口にした。
「もしかして、水の性質を変えたり、浄化と言うか……浄水が出来るのかな?」
「はぁ!?」
ーーだから。何で本人よりも、周りの反応が早くて大きいのか。
またもや周囲がプチパニックだ。
ただし、今度は先程とは打って変わって、蜂の巣を突っついたかと思うほどに騒然としているのだが。
そして、当のイリーニャはポカン顔である。
「いやいや。イリーニャは、浄化スキルを持ってませんよ?」
真っ先に異議を唱えたセディは、笑いながらも諭すような口調であった。
まぁ、セディからすれば、この世界の定説を知らない清寿に説明している状況だろう。
「ですね。それに、浄化は結構珍しい類の能力ですし。そもそも浄化スキルが有れば、方舟に来る事もないでしょう?」
そう言って切ない微笑みのメイビーも、セディの言葉をごく自然に後押ししている。
「まぁ、マリィさんに対してなら、その指摘も納得なんですけどねぇ。何せ、紛う事なく浄化のスキル持ちですし」
困ったように笑っているリッカは、ダメ押しとばかりに根拠を示した。
皆、当たり前の事を、当たり前と認識して話している。
清寿の目の前にあるのは、そんな極々ありふれた、何の変哲もない普通の光景だった。
ただし、清寿が理解していなくともしょうがない。
こちらの世界に来て、たかだか数ヶ月。しかも、半年すら経っていないのだから。
ましてや、向こうの世界には魔法もないときたものだ。だったら、尚更致し方なし。
グレイスは、そんな事を言いたげにため息を零すと、苦笑いをしながら口を開いた。
「だねぇ。んな、特殊能力あったら、スキル表に……」
『書いてある』と続けたかったようだが、その言葉を紡ぐ前にイリーニャの言葉で掻き消えた。
「……え? キヨ、何で分かったの?」
キョトンとするイリーニャに、皆の目が極限までカッ開いていく。
「う? えぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」
俄かに、あちらこちらで上がる奇声。
今度はプチではなくて、明確なパニックである。しかも、特大。
驚愕よりは、もはや戦慄。そんな表情だ。
「お前、スキル表に出てなかったじゃねぇか!?」
グレイスは身を乗り出し、泡を食ったように叫ぶ。
三白眼が大きく見開かれている様は、なかなかに迫力がある。
他の者もアクションの大小はあれど、明らかな動揺が見て取れた。
「ちょっと待って!? え? どう言う事? ねぇ、どう言う……」
セディは『さっぱり理解が出来ません』と言う内容の言葉を延々と繰り返して、完全に動揺している。
隣のメイビーも、首をもげそうなほど左右へと捻り、苦悶の表情を浮かべている。
まぁ、無理もなかろう。信じていた『当たり前』が目の前で壊されてしまったのだから。
特に、この同じ魔法使いと言う職業に就く2人にとっては、段違いに衝撃が強かったようだ。
「……やっぱりか」
清寿は目の前に広がる大混乱を眺めながら、大きくて深いため息を吐いた。
清寿はイリーニャの飲み物を褒める時、高確率で『水の魔法使い』と言うワードを出していた。
軽い口ぶりではあったかもしれないが、ずっと『可能性』として会話をしていたつもりだったからだ。
ただ、まぁ。ほとんど軽く流されるか、冗談と受け止められるかの2択だったわけなのだが……よもや、完全に可能性を疑いもしなかったとは思わなんだ。
イリーニャに真相をやっと聞けたは良いが、複雑な気持ちが勝ってしまう結果となってしまった。
「てか、キヨぉ。何で分かったんだよぉ!?」
グレイスは、考えても答えが出なかったのか、それともどう考えたら良いか分からなかったのか。
半ば狼狽と言った感じで情けない声を出し、清寿に問うてきた。
ここまでくれば、呆れるよりは可笑しさすら込み上げる始末であろう。
「淹れる飲み物の味」
清寿は苦笑にも似た笑いを溢して、答えを返した。
「はぁ!? 何だよ、それぇ!? 確かにコイツが淹れる飲み物は美味いけどさぁ!?」
グレイスからしてみれば、清寿の答えは答えになってなかったようである。
はぐらかされたとでも思ったのか、ムキになって聞き返す有り様だ。
「うん。美味しいんだ」
清寿としては、真っ当な理由と思って述べているつもりだろう。
けれど、グレイスが聞きたい事は、多分そう言う事ではない。
「だ・か・ら! それで何が分かったんだよぉ!?」
案の定と言うか何と言うか。
グレイスは余計にムキになって噛み付いてきた。
「だって。ここの水じゃ、本来はあの味を出せないんだよ」
まぁ、とは言え。なぜ分かったのかと言う理由は、これ以上でもこれ以下でもない。
至極単純ではあるが、これが揺るぎない真実である。
ただ悲しいかな、互いの認識が上手く噛み合わずに、伝わらないだけの話なのだ。
前提が違うと言うのは、なかなかに難儀なものらしい。
「はぁ? どう言う事じゃ?」
セロもグレイス同様、頭上にハテナマークを大量に浮かべているのだろうか。
たまらずに口を開いた。
「これは石鹸の事も併せて、確信したんだけどな」
困った笑顔の清寿は、堂々巡りでは埒が明かないと思ったようで、とりあえず話を先に進め始める。
全部細かく理解してもらうより、大枠で納得してもらう方を選んだようだ。
「石鹸の事?」
これに反応したのは、マリィ。
訝しげに眉を顰めたのは、自身が作っている石鹸が話題に上ったからだろう。
「マリィが前に言ってただろう? こっちで作り出してから石鹸の質が落ちた、って」
清寿は、グレイスとセロの疑問を一旦横に置いて、マリィに向かって話し出す。
置いてけぼりの2人は少々不服のようだが、答えが気になるのか拗ねたままで口をつぐんだ。
「おお。汚れの落ちも泡立ちも。郷の時よりずっと品質が落ちてしもうた」
マリィは、前に清寿に溢した愚痴を思い出したのだろう。
長くて深いため息と共に、落胆しながら言葉を返した。
「……が。それと何の関係があるんじゃ?」
とは言え、それがどう繋がるのかは理解に及んでいないらしい。
顎を撫でながら首を捻ると、清寿に続きを促すように目線を投げた。
「多分だが、石鹸の質は落ちてないはずだ。水がそうさせているだけだと思う」
まずは端的に答えから。
ただし、こちらも推測の域で、明言するには少し弱いのだけれど。
「ん? 言っとる意味が、イマイチ理解出来んのじゃが?」
マリィは、更に大きく首を傾けた。
言っている内容は解ったようだが、因果関係までは理解出来ていないらしい。
「ここ一帯の水は、土壌のせいか石灰とか鉱石の成分を多く含んでいる気がするんだ。その成分が邪魔して、石鹸の性能が充分に発揮出来てないんだと思う」
清寿の推測理由を簡単に説明すれば、ヤカンや鍋などの調理器具には水垢の様な物が付着しているし、排水溝にも含有物であろうものの固着が見受けられるからである。
例えて言うなら、温泉地の水回り。結構な箇所が、あんな感じの状態なのだから。
まぁ、ぶっちゃけそれ以前に、飲んでいる水の味や匂いが軟水、硬水どころの話ではなく、効能たっぷりの温泉水と言うか、冷鉱泉に似ている気がするので、そう言う事なのだろうと予想していたのだが。
「確かに。ここの地層は鉱石のある層と、石灰層が多いですね」
思い出したように割って入ったセディの言葉で、一歩確信に近付いた。
石灰層が多いなら、硬水である事は確定だろう。
「ですが、それと飲み物と、どう言う関係があるんです?」
セディの疑問で、また元の話に戻ってしまった。
セディにしてみれば、石鹸の品質は割とどうでもよくて、やはり飲み物との因果の方が気になるらしい。
「そう言う水でコーヒーや紅茶を雑に淹れると、苦味や渋みが出やすい傾向にあるらしいんだ」
清寿が返した答えは、向こうでの一般論。
ただ、日本ではそこまで大きな違いは感じにくい。
それに、硬水地域の海外でも、沸かしてしまえば微細な違いになると言われているし、清寿自身も実際に海外出張でそこまで大きな違いを感じた事は少なかった記憶である。
――まぁ、向こうでも国によっては天地の差があるのかもしれないから、一概には言えないが。
「けど、イリーニャの淹れるコーヒーもお茶も、他の者が淹れてくれるものより、味がまろやかなんだよ」
ただし。さきも説明した通り、ここの地域ではそれ以前の問題が山盛りではある。
イリーニャ以外は、癖の強い鉱泉でお茶やコーヒーを淹れているのだから、美味しくなくて当たり前。
しかも、特に紅茶は水の影響が大きいと聞く。
それに加えて淹れ方もよろしくないなら、相乗効果は抜群だろう。
「だから。イリーニャは水系の魔法使いだと聞いていたから、もしかして……と思ったんだ」
清寿は、随分と説明を端折って話した自覚はあるが、ここで蘊蓄を垂れても意味はないとも思っている。
今の段階で『成分がー』とか『硬度がー』なんて説明を始めたとて、墓穴を掘る事は目に見えているのだ。
「そがーな事、あるんか!?」
マリィは俄かには信じられないと言った表情であるが、好奇心が勝ったのか目は爛々と輝いている。
薬学を修めているからだろうか、知識に貪欲なところが垣間見える。
「まぁ、試してみるのが手っ取り早いかのな?」
論よりは証拠。清寿がやろうとしている事は、つまりはそう言う事である。
例えマリィを論で納得させても、周りがそれで納得するとは限らないのだから。
ならば、手っ取り早い方法を選ぶ事が利口と言うもの。
「イリーニャ、すまない。これを、コーヒー淹れる時に使う水に変えて貰っても良いかい?」
清寿は柔らかく微笑みながら、イリーニャへとボウルに入った水を差し出した。
お願いしているようで、半強制的なのはご愛嬌だ。
「良いよ~?」
イリーニャは躊躇いもせずに、ニパっと笑う。
そのあと指を水面にかざすと、その指をくるくる動かしながら何か呪文のようなものを唱えた。
「はい! 出来た!!」
満面の笑みで出来上がりを宣言する。本当に、アッと言う間の出来事であった。
そんなイリーニャに清寿が礼を述べると、再び破顔してくすぐったそうに肩をすくめた。




