第3幕 Time to Say Goodbye
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「此処から先は、小ミリヤド公国の領土になりますので、我々が無闇に立ち入る事ができません」
清寿が降ろされた場所には、雪深く、凍てつく世界が広がっていた。
鼻先と耳が、ジンジンとして痛い。
吸い込んだ空気は、肺を凍らせそうな勢いで冷たく、まるで冷凍庫の中に放り込まれたようで、清寿の心まで凍らせていく。
少し先にある壊れかけた石壁は、役割を果たせず物悲しく佇み、その後方に見える、雪を被った木々が連なる黒い森が、否応なしに黒い予感を連れて来る。
来た道を振り返れば、荒野と遠くに聳える山々。
雪が音を消しているのか、時折聞こえる鳥の鳴き声がやけに耳につく。
何だか、モノクロームの風景画にでも迷い込んでしまった気分だ。
それだけ、人の行き来はおろか、営みを感じる事ができない。
綺麗だが、得体の知れない物寂しさを含んだ景色が広がっている。
──こう来たか……
清寿の眉間にシワがよる。予想以上の状況である。
窓の一つも無い、貨物コンテナのような車室。
車内には、薄ぼんやりとしたランプの灯だけ。
罪人用の護送車と言われても、素直に納得する空間だった。
そこに荷物と一緒に詰め込まれ、有無を言わせずここまで運んでこられた。
何処をどうやって、どれくらい移動して来たのかは分からない。
持っていたスマホの充電も既に切れている。時間感覚など皆無なのだ。
だが、向こうには積雪は無かった。気温もこれほど低く無かった。
だから、随分と遠くへ運ばれてきたのかもしれない。
ーーただ、ここが何処か分かった所で、今の清寿には大して役に立ちそうにないのだけれど。
「受け入れ先の小ミリヤド公国領主には申達しております。大変申し訳ございませんが、迎えが来るまで、ここでお待ち頂きますよう」
その言葉には、誠意も申し訳なさの欠片も感じられない。
指示された通り『とりあえず言っておく』が滲み出る態度に、思わずため息が溢れる。
「もし、ここで待つ事がお嫌でしたら、自ら指定都市に出向いて、そこで迎えをお待ち頂いても構いません。この道を辿れば指定都市に着きます。そこには役場がありますので、役場に領主への取り次ぎをお申し出下さい。尚、……」
黒い森にぽっかり空いた入口方向を指差しながら、棒読みの言葉は続く。
ーー言っている内容が、実に鬼畜過ぎる。
要は『ここまでしか送らないから、後は自力でどうぞよろしく』と言う事だ。
御託を長々並べても、肝心な中身はスッカスカ。真面目に聞く価値もない。
──ここまで雑な扱いは、正直言って如何なものだろうかと思う。
あの綺麗な白亜の監獄で数日を過ごし、ある日突然、外に連れ出された。
相変わらず説明になっていない説明を受け、用意を急かされ、流れ作業のように馬車に詰め込まれた。
そして今の状況が、彼らが出した答えと言うワケか。
──お粗末にも程がある。
仮にも清寿が被害者なはずなのに、あまりの仕打ちではないだろうか。
その上、彼らは清寿の安全などまるで考えてはいない。
恐ろしい事に、土地勘がない事など明白な状況で、相変わらず雑な説明だけして、何処とも分からぬ場所で放置しようとしている。
しかもご丁寧に、清寿の私物を隠すようにして、あからさまに金品が入っている事が分かるような荷物を、ソリの1番目立つ場所に乗せてくれる親切極まりないオマケ付きだ。
用意してくれた被服だって、あからさまである。
防寒の役目があるとは言え、上等な毛皮を着せられて、いかにも『金持ちでござい』な見た目になっている。
──これは鴨に葱どころの騒ぎでは無い気がする。
鍋も薪も一式背負って、まるで『襲ってくれ』と言わんばかりの状況で、この辺鄙な場所に放逐しようとしているのだ。
もはや、正気の沙汰ではない。
──むしろ、本当に襲ってくれる事を願っているのだろう。
金品を持たせて放逐すれば、不穏な輩に目をつけられ易い。
しかも、そこそこの大荷物で身動きも取りにくい。
挙げ句の果てに、清寿は今から先は1人になる。
そうなれば、相手が一般人でも複数人で来られれば、どう足掻いたって勝ち目など無い状況だ。
まだ言えば、清寿自身、身を守る術も恩恵も持っていない。
まさにそれが理由で、この様な放逐劇に追い込まれているのだから。
それに、襲ってくるのは、何も人間だけでは無い。
普通に考えても、野犬や害獣、肉食動物だって充分に脅威になり得る。
──だったら、荷物を捨てて逃げたとしても意味は薄い。
しかも今は晴れているが、この雪と寒さだ。
防寒着は恵んで貰ったとは言え、雪に慣れていない者が、この状況でアテもなく動くのはあまりにも無謀過ぎる。
──確実に殺しにきているじゃないか。
要は、不要な召喚者を、自分たちの手を汚す事なく、何かが始末しやすいように、完璧なお膳立てをしてくれた。……と。
つまり、ここから先は死出の旅。
進んでも、ここで迎えを待っていても、命の保証は全く無い。
ミシミシと音を立てて、心が軋む。
「……かしこまりました。ありがとうございます」
清寿は、そう絞り出すのが精一杯だった。
清寿の顔色で何かを察したのか、バツが悪そうな表情で兵士は手短に別れの言葉を述べ、雪がちらつき始めた中、そそくさと踵を返した。
多分、彼らが見えなくなった後、カウントダウンは始まる。
嫌な勘は外れて欲しいとは思うが、こう言う場合の勘は往々にして外れた試しが無い。
だったら、ここが清寿の死に場所になる。
清寿は目を瞑って大きく息を吐いた。
ここに来て、何度目のため息だろうか。ため息を吐き過ぎて、もはや逃げる幸せも残ってなさそうだ。
覚悟を決めたとか、そう言うことではなく。あるのは絶望感と虚無感。
召喚直前の気持ちと似ている。
……いや、あの時はせめて『どうやって生きていこうか?』とは思っていたが、今はそれすら思うことが出来ずにいる。
気力と思考が完全に死んでいる。
『このまま全てを手放せば楽になる』
脳内回路を動かそうとするたびに、ノイズと共にその選択肢が浮かんで、消えてくれない。五感すら、徐々に沈黙し始めた。
包む静寂が冷たくて、痛い。
清寿は馬車が遠去かるのを、ぼんやりと眺めるしかできないでいた。




