第15幕 灯火stargazer ①
紅茶を飲み出してしばらく。雑談のボリュームも少し落ち始めた。
席を立つ者はいないが、ゆったりとした時間が満ち、宴の終わりを告げている。
そんな中、清寿は静かに立ち上がり、隣のグレイスへと体を向けた。
「改めてお願いがある。聞いて欲しい」
清寿は意を決したように、少し真面目な顔でゆっくりと口を開いた。
さっきまでの勢いはどこへやら。再び緊張した面持ちになっている。
清寿は、こう言う時いつも緊張してしまう。
現時点では、適切な距離感と歩幅を掴めていない。
いや。きっと、これが純粋な『仕事』なら、話は違っていたのかもしれない。
この公私の境界線が酷く滲んでしまった状況が、多くの不安を連れて来るのである。
冷静に判断しようとしても、経験値が少なくて、正解が分からないから怯んでしまうのだ。
「良いけど。どうしたぁ? 何か、あったぁ?」
グレイスは口を小さくぽっかりと開けて、怪訝な顔をする。
どうにも、この状況で『お願い』と、清寿の胡散臭い真顔が功を奏して、少し身構える結果を作ってしまったようである。
「もし。 ……もし、良ければ」
芋を引く。とは、まさにこの事だろう。清寿の声音に張りがない。
グレイスの態度を受けて、腰が引けているのは丸わかりだ。
隠したつもりの動揺が、隠しきれずに少しハミ出してしまっているのだから。
その状況が、尚更グレイスの眉間に皺を深くさせていく。
だとしても、だ。
この状況で、清寿は『撤退』と言う選択肢を存在させてはいけない。
ここで引いてしまえば『良からぬ事を考えて、何か企んでいる人物』に映ってしまう。
そんな風に疑いを残すより、『距離感のおかしい可哀想な人』と認識された方が、幾分マシである。
──えい、ままよ。
清寿は大袈裟にも、清水の舞台から飛び降りる心境で残りの言葉を口にした。
「飯の……飯の支度を、このまま俺にさせて貰えないだろうか?」
何とも。大仰な葛藤の割には、言った内容は誠に瑣末。
流石は『プライベート弱者』と言ったところである。
「……え? は? 寧ろ、キヨはそれで良いのかよ?」
案の定、グレイスも色んな意味で困惑しているようだ。
間抜け顔で、質問に質問を返してしまう有り様である。
「構わない。どちらかと言えば、やらせて貰えれば嬉しいかな?」
清寿の強張った顔が少し緩んだ。
どんな形で返されたとて、内容が自身の意向に沿っているなら無問題である。
良いか悪いか聞かれれば、良いに決まっているのだから。
そんな清寿の反応を見て、クックッと笑いを堪えながらマリィが口を開いた。
「まぁ、あんだけのモンを作れるんじゃ。今までの飯じゃ、物足りんどころの騒ぎじゃ無いじゃろうのう。寧ろ、すまんかった」
そればかりが理由ではないが、間違いだとは否定できない言葉に、清寿はバツが悪そうな笑顔で答えた。
そんな清寿の素直な表情に、マリィは吹き出し、腹を抱えて笑い出してしまった。
「あ゛〜〜、そっかぁ。そりゃぁ、そうだろうねぇ。申し訳ねぇなぁ」
グレイスも頭を掻いて言葉を返す。
申し出の意味と、必然性の欠片。その行動の裏側を、マリィの言葉で色々察したようである。
そして、他の者も思い至ったのか、吹き出す者や苦笑いを零す者が見てとれた。
「まぁ、いや。俺だって、食べさせて貰ってる状況だから」
バツの悪さは継続中。一応、言い訳めいた言葉を添えてみる。
暗に『飯に満足できていない』と言う心の内を、白日の下に晒してしまった状況であるのだから。
ーーしかも、居候の分際で。
「……ただ、見てて思ったんだが、ここには料理が出来る人間は居ないんだろう? だったら出来る俺がやれば、解決すると思ったんだ」
思い至った理由も、念の為に添えておく。
別に現実を叩きつけてドヤ顔をしたいわけじゃない。解決策を提示したいだけなのだから。
「まぁ、確かに出来るヤツはおらんの。やり方を知らん者ばっかりじゃけぇ」
マリィは笑いを止める事が出来ずに、目の端の涙を拭う。
「でも、しょうがない状況でもあるやろ? ここには料理人はおらんしなぁ」
クオンも無頓着にケラケラ笑っている。
「料理人はなぁ。料理を習うのにも大金が掛かるしよ」
アヴィは、然もありなんとばかりに笑う。
反応は様々ではあるが、他の者も大差ない。やはり、なんの疑いもなく会話は続いていく。
ーー清寿だけを置き去りにして。
清寿は小さく、けれどゆっくり息を吸う。
先ほどは言葉を飲み込んだが、ここで会話に入らなければ、謎が謎のまま今日が終わってしまう。
大縄跳びの縄を止める結果になったとて、モヤモヤをずっと抱えるよりはマシである。
吸った息をゆっくり吐き切った頃、思っていた疑問を口にした。
「さっきから気になっていたんだが……こちらで料理人になるのは難しいのかな?」
まずは根本的な事。多分、全ての疑問の根っこになるであろう疑問だった。
なんで、料理を作ると言うだけで、料理人かと尋ねられるのか。そもそも、そこから疑問である。
これが分からない事には、及第点が正しく定められないのだから。清寿にとっては、重要問題なのだ。
反対に、この謎が解ければ、ある程度の予測もつきやすくなるはずだ。
そんな清寿に、グレイスは「ん?」と、不思議そうな顔を向けて目を数度パチクリさせた。
その後、質問の意図が分かったのか、「あ」と、短く溢して口を開いた。
「他所じゃ違うかもだけどさぁ……ミリヤド帝国の管轄領じゃ、基本的に所属したい協会に高い入門金払って、そっからがスタートなんだよねぇ」
なるほど。若干ではあるが、問題の根底が見えてきた。
料理を習うのに金が発生する。それなら、料理人へのハードルは一段上がる。
そこから始まるグレイスの説明に清寿は耳を傾けて、脳内整理に勤しんだ。
その内容を簡単にまとめれば以下の通りである。
入会金を払って、そこから暫くは会費を払いつつ無給の雑用と下働き。
それから認められて残った者が、正規の料理人として安い給料貰いながら下積み修行。
けれど、そこから一人前になるまでに、時間も労力も、何より大金が掛かる。
「……って、事で。気軽に就ける職業じゃねぇなぁ」
そう締めにボヤいて、グレイスは説明を終えた。
まぁ、最後の『大金』と言うところに、若干の引っ掛かりは覚えたが、大枠の把握はできた。
それに、あとは気になる箇所を、今から潰していけば良いだけの話ではある。
「免許が無いと、店が開けないとか?」
早速、清寿は枝葉の疑問を潰しにかかる。
この流れに持って来れれば、こちらのものだ。何せ、仕事の延長線なのだから。
「まぁ、正式な料理人でなくても店は開けますが、家庭料理の延長なので。たまに街で買ってきた料理くらいのレベルが一般的です」
今度はアルが口を開く。選手交代は適材適所と言ったところか。
しかし、内容自体は何とも残念なお知らせである。
その『家庭料理の延長と言うレシピ』が、たまに目にするあのザマならば、一般人の料理レベルなど押して知るべしであろう。
であれば、エヴァの料理への、周りの反応も納得はいくと言うものだ。
「ただ、独学で本格的にやるにしても時間もお金も掛かりますし。協会に所属せず、レシピを購入するとなれば、1つ買うのにも高額な支払いが必須ですしね」
──そう言う事か。
アルの言葉に清寿は独りごちた。
「レシピは大金を払って買う物なんだな」
清寿は『大金』の正体を垣間見た。
アルの言った内容を穿って紐解けば、協会員だったとしても、レシピに関して何らかの支払いが発生する可能性が出てくる。
「勿論、家庭料理程度のレシピなら、手が出ないほどの金は掛からないようです。ですが、分量と手順が細かく記載されていたり、少し手の込んだ料理になれば一気に高額らしいですね」
アルの言葉は、清寿に追撃の戦慄を与えた。
その『家庭料理』が既にアレである。
それで金を取ると言うのだから、あまりにお粗末過ぎる状況だろう。
「買う以外の方法は?」
清寿は、自ら進んで仄暗さの中へ、また一歩と足を進める。
何せ、現状把握は仕事の要。芳しくない状況なら余計に、なのだから。
「一応、賃貸もありますが、その場合は協会への入門は必須ですし、勿論、別途賃料も掛かります。当たり前ですが、価値があればあるほど、使用料も高額になるらしいですしね」
これは、思った以上に闇が深そうだ。
料理の価値より、金脈としてレシピの価値がある。いわゆる『利権商売』と言うやつか。
ならば、一般に広がる事を『あえて』制御しているのだろう。それなら、綺麗に辻褄が合う。
「基本的に、レシピは知的な財産扱いですからね。門外不出にしている協会がほとんどです」
アルは清寿の浮かべた渋い表情に言いたい事を悟ったのか、苦笑いながら付け加えた。
ざっくりニュアンスで捉えると、特許制度と似てはいるが、それにしたって活用方法が権威主義と拝金主義に傾き過ぎている気がする。
「なるほど。確かに、それじゃぁ気軽には取り掛かれないな」
清寿の口から、大きなため息と共に言葉が溢れる。
それなら現状に『然もありなん』以外に言いようがないじゃないか。
「そうそう。料理人になるってのは、一定層以上が潜れる狭き門だよぉ」
グレイスが吐き捨てるように言った言葉が総括だろう。
ただ。清寿は、まさかこの世界でも、会社で嫌と言うほど味わった壁を見る羽目になろうとは。
何ともまぁ、どこに居たとて、世知辛さはついて回るものだと、しみじみ苦笑する。
けれどまぁ、疑問が晴れた事は喜ばしい。
清寿にとっては、『未知よりは、困難』。つまりはそう言う事なのだから。




