第13幕 ドキドキFirst Time。①
「すっごいな、キヨ!! アンタ、料理人だったのかい!?」
目の前のテーブルに広がる料理に、ユルがオーバーリアクションと共に感嘆の声を上げた。
食堂の鍋や皿からゆっくりと湯気が昇り、香りが空間を漂う。
陽が落ちて、冷え始めた外とは対照的に、ここには柔らかな温度が満ちていた。
……とは言え。
ポトフ、カボチャのポタージュ、玉ねぎ入りの卵焼き、ローズマリーポテト。あとは、いつものパンとチーズ。
以上が本日のメニューだ。贅沢品はない。
「下手の横好きさ。口に合えば嬉しいんだが」
素朴も素朴のメニューだが、調味料が塩と砂糖と酢しかないので、善戦した方ではあろう。……とは言え、まずは『料理が完成した』事実が重要だ。
「……匂いが、既に美味そうなんだよなぁ」
グレイスはジュルルと涎をすすった後、唇をペロリと舐めた。
だが、反応したのはグレイスだけではない。
あちらこちらから涎をすすり、唾を飲む音が聞こえてくる。
「ホントじゃのう。こりゃ、酒の用意せんといかんわ」
ニンマリと笑うマリィの手の甲は、滑らかに下唇をなぞる。
どうにも、ローズマリーポテトが気になってしょうがないようだ。
「だな。エールの樽、新しいヤツ持ってこようか?」
ユルは椅子から勢いよく腰を上げ、周りをくるりと見渡した。
「お! 良いな!! 頼むぜ!!」
やはり、油とハーブの香りにはアルコールを呼ぶ力がある。
ガハハと笑うアヴィに、飲酒組は意気揚々と賛同の声を上げた。
その反応に「オッケー!!」と、ウインクを投げて、ユルは颯爽と食堂を後にして、扉の向こうに消えていく。
そんなユルを見送った後は、再び清寿の背中と目の前の料理へ。
待ち侘びる様子を隠そうともせず、皆視線を行き来させるのに忙しそうだ。
「よし、卵焼きは完成。あと、ジャガイモも、もうすぐ揚がるよ」
フライパンの油は細かい気泡に変わり、ジャガイモは黄金色から狐色へ。
立ち上がる匂いに、香ばしさが混ざり始めていた。
「わぁ……ご馳走だ……」
目の前の光景に、抑えきれない感情がレニーから言葉となって溢れ落ちた。
方舟の食堂では、嗅いだ事がない香りと目にした事がない料理。
声は出さずとも、他の者も目の前の光景に釘付けだ。
「持って来た!! こっちは準備万端だぜ!?」
息急き戻ってきたユルは、机にドカリと置いたエール樽を得意げな顔で叩く。
それを合図に酒飲みたちは、いそいそとグラスへエールを注ぎ始めた。
切り分けられたポトフの肉は野菜と共に深皿に盛り付けられ、スープは木のお椀へ注がれている。
そして大皿の卵焼きの横に、熱々のローズマリーポテトが並んだ。
「すまないな。お待たせ致しました」
清寿の言葉が、料理の完成を告げる。
皆目の前に昇る湯気に目を輝かせ、落ち着きない様子だ。
その楽しげな反応に、清寿の頬が少しだけ緩んだ。
「じゃあ、食うか!!」
グレイスのその言葉で、堰を切ったように思い思いの料理を口に運び始めた。
の、だがーー。
数度咀嚼した後、何故か一斉に動きが固まり沈黙してしまった。
その場には、得体の知れないピンと張り詰めた空気。
ある者は眉間に皺が寄り。
ある者は怪訝な表情を浮かべ。
ある者は言葉に詰まり、目を泳がせてオロオロしていた。
場が凍る。……と、でも表現したら良いのだろうか。
そんな姿を見て、清寿は一気に顔を強張らせた。
──日本ですら、地域が変われば味付けも変わっていたし……
頑張って作ったものの、やはり口に合わなかったのだろうか。
途端に、不安が清寿の頭の中をぐるぐると駆け巡る。
もしや、匂いで味へのハードルが上がったのかもしれない。
想像した味と違っていて、口に入れた瞬間に違和感を感じてしまう事もある。
──良かれと思ったが、ただの思い上がりだったか。
張り詰めた沈黙が、清寿の頭を押し下げる。
目の前から目線を外し小さく俯いた清寿は、思いの外動揺しているらしい。
リカバリーの案も浮かんでこないようで、気を抜けば引き攣りそうになる表情を隠すのが精一杯のようである。
「……家で食べてた料理と同じくらい美味しい」
そんな空気を破るように、眉間に皺を寄せていたラフィがボソッと呟いた。
独り言ほどの声だったが、時が止まった空間では清寿の耳に届くには充分だ。
「ミリヤドの高級レストランで食べた物より美味い……」
アルも小さく頷き、怪訝な顔のままポソリと感想を漏らす。
2人の声が張り詰めた空気を断ち切り、食堂には徐々に音が戻り始めた。
明るさを取り戻した空気に、清寿の沈んだ心もフワッと浮上した。
「……ああ。こりゃ……美味ぇな」
唸るようにアヴィが漏らす。
波紋のように広がる賛同の頷きが再起動のスイッチになったようで、また料理を口に運び始めた。
一口一口進むたびに、料理へと伸びる手が早くなり、強張っていた表情が緩む。
笑い出す者、首を傾げる者、必死に料理を頬張る者。
反応は様々ではあるが、今は誰も手を止める事はない。
「キヨさん、やっぱり凄いです!!」
パッと顔を上げたエヴァの目は、キラキラと輝いている。
手間を掛けた結果が目の前で実を結んだのだ。感慨深さも一入なのだろう。興奮したように味わっている。
「良かったよ。みんな一斉に固まってしまったから、口に合わなかったのかと……」
ただ清寿自身は、それどころじゃなかったようだ。
嬉しいよりは安心した感情の方が大きい。
皆の反応に小さく胸を撫で下ろしていた。
「違ぇよぉ! こんな美味ぇ物、昨今食った事ねぇから、驚いて思わず固まっちまったんだよぉ!!」
バクバクと食べ進めていたグレイスが手を止めた。
美味さも衝撃的だったが、それ以上に清寿の言葉が衝撃過ぎて、慌てて弁明せざるを得なかったのだ。
そう。グレイスが言う通り、こんなに美味い物が出来上がるとは誰しも思っていなかった。
いつもと同じ材料なのに、何故こんなに美味いのか。
理解不能さ。それが原因のフリーズだ。
「キヨ。アンタ、最高だぜ!! やっぱり、すっげぇ奴だな!!」
口いっぱいに頬張った肉をモシャモシャと咀嚼しながら、ユルはご満悦である。
親指をビシッと立てたあと、また目の前の料理に集中し始めた。
「ラフィ。本当に、貴族のご飯と同じくらい美味しいんですか?」
首を傾げたメイビーが、困惑気味にラフィへと目線を投げる。
どうにも、ラフィの言葉が俄かには信じられなかったようだ。
美味しい事には間違いないが、自分たちが今味わっている料理が、高級レストランすら凌いで、貴族の食事と同じ価値があると言うのだから。
「美味いです」
メイビーを見据えて、ラフィは淀む事なく即答した。
だが、その後少し首を捻ると、間を空けて再び口を開いた。
「……いや。それより随分と美味いかもしれないですね」
ラフィもまた『理解不能』と言った風ではあるが、結果が覆る事だけはない。
「え? マジ?」
レニーは首を痛めそうな勢いでラフィの方へと顔を向けた。
メイビーの言葉から察するに、貴族出身であろうラフィが真顔で言うのだから、おべんちゃらではないと判断したのだろう。
あんぐりと口を開けて目を大きくさせている。
「ええ。味は、この料理の方が断然美味しいと思います。……まぁ、随分経ちますし、記憶は朧げですが。それでも、そう思います」
材料の事は皆まで言わない。
それでも、ラフィの言葉に大半の者が目を大きく見開いている。
今度は清寿も驚愕する番だった。……勿論、顔には出さないが。
──いったい、どうなっているんだ? この国の料理は……
ただし、皆の驚きとは正反対の理由である。
確かに、できる最大限の尽力はした。
その甲斐あって、結局は上々。次のアプローチへの足場はできた。
だが。
何か今。しれっと、とんでもない情報も舞い込んで来た。
方舟の特質故にと結論付けていた状況が、根底から揺らぐ。ーー恐ろしいほどに。
「薬草に、こがーな使い方があるとはのう。ワシもまだまだじゃ」
そんな清寿の内心など知る由もないマリィは、ローズマリーポテトをポイっと口に投げ入れ、上機嫌にニンマリと笑って酒を仰ぐ。
「ええ。良い勉強になります」
リッカもどこ吹く風と、掬ったスープの芳香に目を細めていた。




