第12幕 Something new ⑤
次にカボチャのポタージュに取り掛かる。
皮を剥いて薄く切ったカボチャに、少しの水と塩をひとつまみ。
蓋をして、ゆっくりじっくり火を入れる。
材料が限られている代わりに、手間と時間をかけるようだ。
淡かった黄色が濃くなれば、バターを加えて潰しながら水分を飛ばす。
バターの香りが食欲をそそったのか、隣にいるエヴァが喉を小さく鳴らした。
炭火の熱で頬を上気させて清寿の手元を見つめるエヴァの目は真剣だが、どこか綺麗な景色を見ているような陶酔も感じる。
自分の喉が鳴った事すら気付いていない。
──誰かのために料理を作るのはいつぶりだろうか。
エヴァの横で、清寿は小さく微笑む。
ここまで来れば、完成までもう少し。
ポトフのスープを加えて伸ばし、味が整えば完成だ。
まぁ、少々甘味が足りない気もするが、砂糖を足すのはあえてやめておく。
「はい、味見」
無意識に引き寄せられるように、エヴァは目の前のスプーンを咥えた。
その後に目が一瞬ピクリと動き、細く蕩ける。
口からゆっくりと引き抜かれたスプーンは、随分綺麗になって戻ってきた。
「じゃ、残りの調理は食堂の暖炉でやろうか」
「はい!」
移動の準備をする清寿に、エヴァは待ち遠しさを隠しきれない。
いそいそと炭を拾って炭壺に移し、食堂の方へ駆けて行った。
ー◇ー◇ー
静かな空間には、作業の音と2人の声だけ。
食堂には、今は誰も居なくなっていた。
「お料理。まだ、増えるんですか?」
「揚げたジャガイモと卵焼き。これはそこまで時間は掛からないよ」
ワクワクが止まらない。エヴァの顔にそう書いてある。
材料被りでも、いつもの献立よりは品数が多い。
それだけで方舟ではご馳走の部類になるのだから、無理もない。
清寿は、何だか上機嫌にはしゃぐ犬を宥めている気分になってしまった。
とろ火にポトフとポタージュの鍋が並ぶ。
静かに立ち昇る湯気と共に香りが、だだっ広い食堂を支配する。
会話は途切れたが、優しくて温かい、そして少しだけ土を思い出す匂いが2人の作業を見守っていた。
「先に卵焼きを作ろうか」
熱したフライパンにバター。
ジャワワと小さな音を立てて、香りを振り撒きながら鍋底に広がる。
そこに荒微塵の玉ねぎを入れてしばらくすると、微かに甘い香りが加わった。
シャワシャワと小さく湧き上がる気泡と、クッタリ半透明に変わる玉ねぎ。
鍋肌で焦げたエキスが、空間に香ばしさを添える。
「色んな匂いがして、楽しいですね」
日頃と違った機能的な音とリズム、そして混ざり合う香りが食堂に溢れている。
目を細めるエヴァは、うっとりと静かに笑った。
けれど、そんな静かな空間から、突如の別れを切り出される。
終わりの合図は足音。
廊下の遠くから、ドダダダと忙しない騒音が近付いて来たのだ。
「何や!! めっちゃ良い匂いする!!」
「ホントだ!! すっごく甘くて良い匂い!!」
バン! と、勢いよく開く扉から元気な声が響く。
バターと玉ねぎの香りに鼻をひくつかせ、スゥとアズが食堂へ飛び込んできた。
「キヨ、これ何!?」
一目散に清寿たちの方へ駆け寄り、フライパンを覗き込む。
右往左往と清寿たちに戯れ、時折り止まっては胸いっぱいに匂いを吸い込む。
キャアキャアと歓声が綻び、静かな空間は一気に明るく華やいだ。
溶きほぐした卵液が、ジュワワっと音を鳴らす。
今日は巻かない卵焼き。出汁の代わりにポトフのスープ。
本当は甘い半熟卵焼きを作りたかったが、今回はやめておく。
日本でだって好みが分かれるところなのだから、初手で冒険する必要はないだろう。
ただ、ポトフスープを乱用気味だから、味の被りは許して欲しい。
匂いと騒がしさに数名やって来たが、皆様々に目を丸くしている。
知っている匂いなのにどこか新しく、未知の香りが溢れていたのだから無理もない。
入って来る者は誰も同じように香りに囚われ、呆けたまま動きを止めていた。
「お仕事、お疲れ様。もう少しかかるけど、待ってくれるかい?」
清寿の柔らかな声で、一様に我に返り、時間がまた動き始めた。
「わ~。何か良い匂いですね~」
その内の1人が、屈託のない笑顔で清寿に駆け寄る。
彼の名はレオナード。通称『レニー』
明るく元気なショートヘアの青年は、アズたちを押し退け、ライトブラウンの猫っ毛を揺らしながらオーバーリアクションで深呼吸をしている。
「お疲れ様。他のメンバーは?」
レニーの参戦で、邪魔だの何だのと小競り合いを始めたアズたちに微笑みを向けた後、清寿は後方に視線を移した。
「今日の在宅組は、ぼちぼち作業終わらせてるみたいです。斡旋所の外仕事組はどうだろう?」
目線の先には小さく傾げた淡いモスグリーンの頭。アシンメトリーになっている前髪が、傾けた頭の角度に合わせて流れている。
エルフのメビウスこと『メイビー』は、地味だが整った優しい笑顔を清寿に向けた。
その後、メイビーは隣にいた人物の方に目線を送る。
「さっき門の所に見えたから、もうすぐじゃない?」
メイビーの問いに返す彼は、セドリック。
みんなに『セディ』と呼ばれている彼は、雑嚢をドカリと雑に下ろしながらニッカリ笑って辺りを見回した。
「レニーたち、今日は何してたの?」
いつの間にか、アズたちの小競り合いにイリーニャも加わっていたようだ。
ポトフ鍋の蓋を開け、鼻先を近付けて湯気を浴びている。
「水汲みだよ。外の水桶、空になってたから」
戯れるアズたちを楽しそうに見ながら、メイビーは暖炉近くの席に腰を下ろす。
覗き込まずとも、匂いを堪能できる距離。小さく鼻をひくつかせ、背伸びと軽いストレッチをしながら笑っている。
「結局、半日仕事になっちゃったよ」
レニーは丸い目をジトっと細めて口を尖らせる。
「けど、夜の水汲みは勘弁だからね。明るいうちにやっとかないと」
嫌な事でも思い出したのだろうか、セディは鼻に皺を寄せながら、ボサボサになっていた暗めな茶髪を後ろでちょこんと結び直している。
2人がそんな表情をした気持ちは分からなくもない。
何せ水道設備が壊滅しているこの敷地では、少し離れた湧水場から水を汲んで来ると言う、超アナログな方法で水を確保しているのだ。
そんな重労働を、今日は仲の良い3人組が担ってくれていたようだ。
「でもまぁ。今日はお楽しみがあったからね~」
鍋を見ながらくるりと表情を変え、ニンマリと笑うレニーに、後の2人も笑顔を返す。
目線の先には良い香りを振り撒く鍋たち。その前には異世界から来たと言う不思議な男が腕を振るっているのだから。
清寿はフライパンを揺すって、ヒョイっとひっくり返した。
反動を利用して綺麗に裏返った薄黄色い卵焼きには、淡い狐色の焦げ目が静かな主張をしていた。
見事に決まった宙返りに少し大きめの響めきが起こり、パラパラと小さな拍手が聞こえる。
だが、そんな状況とは裏腹に、清寿は成功した事に心中でホッと胸を撫で下ろしていたのだが。
「あと1品で完成なんだ。皿とテーブルの用意、頼んでいいかい?」
清寿の言葉に、場に居た者が一斉に快活な返事をする。
一刻も早く。そんな暗黙の了解だろう。
清寿の希望を聞きながら、蜘蛛の子を散らしたように動き出す。
清寿は最後の1品に取り掛かる。
油にジャガイモとローズマリーを沈め、火にかけた。
やがて、油に小さな気泡が踊り出す。
気泡が弾けるたびに、ローズマリーの爽やかな香りが辺りの空気を塗り替えていった。
「ふぁ~。良い匂い~」
「めっちゃ腹減ってきた!!」
アズとスゥの手が止まる。
他の者の手もそれに倣うように止まってしまう。
「こりゃぁ、凄いのう!!」
「ローズマリーの香りですね。……良い香り」
扉が開く音と共にマリィの豪快な笑い声が響いた。
一緒に入って来たリッカは目を細めて柔らかく笑う。
それが合図になって、再び笑い声とお喋りと共にまた作業が流れ始めた。
「パン、切っておいて良いですか?」
遅れてやってきたアルも笑顔だ。
回っていない作業を見つけて加わる。
「すまない。助かるよ」
そうしてまた1人、また1人と自然に作業に加わっていく。
「うっわ!! すっげぇ良い匂いじゃん!!」
仕事が終わり、いつも通りに扉を開けたグレイスだったが、思いがけず流れてきた香りに、目を丸くしながら足を止めた。
漏れ出していた香りには気がついていたようだが、扉を開けた瞬間、一気に押し寄せてきた香りの雪崩に驚いたようである。
「こりゃ凄えや!! こんなの今までなかったぜ!?」
その足の止まったグレイスの背中を、邪魔だと言わんばかりに押すようにして、ユルが強引に食堂へと入ってくる。
目を爛々と輝かせながら手を天へと仰ぐと、高らかに笑った。
その後に続いた者たちも皆、驚きを含んだ笑顔で扉を潜っていく。
「大体揃ったみたいですね。夕飯、早く食べたいです」
ポトフを注ぎ分けていたエヴァは喉を鳴らしながら、ムズムズとした笑顔を浮かべる。
いつもなら、料理を受け取った後に皆ばらけて思い思いの場所に座っているのだが、今日は暖炉の前に自然に集まって席を選んでいる。
「キヨ~。腹減った~」
目の前の皿から立ち昇る香りに、スゥが慌てて涎をすする。
他の者も興味津々で釘付けだ。
「少しだけ待ってもらっていいかな? もう少しで完成するよ」
今日は集まって座っているから、卵焼きは切り分けだけして大皿に盛る。
もう少しで完成するフライドポテトもそうしよう。
「エディたちは?」
あと数人揃えば、食事の始まりだ。
エヴァは皿の数を確認しながら不在者の所在を尋ねる。
「まだ、作業してるのかな?」
キョロキョロと見回しながら、メイビーは首を傾げた。
いつもより少し早い集合だ。皆が集まっている事にまだ気が付いていないのかもしれない。
「じゃあ、まだ来てない人たちに声かけてくるね!」
セディが颯爽と踵を返して駆け出していく。
「急いでね! 長く待てないから!」
レニーの声に軽く手を挙げ、扉の向こうに消えていく。
さて、清寿にとってはここからが大勝負だ。
何とはなしに、企画会議の社内コンペ直前を思い出していた。
正に、『人事を尽くして天命を待つ』。そんな心境であった。




