第10幕 ポーキュパインな僕ら。④
「あ。ここが貯蔵庫ですよ。ここが野菜の部屋で、あっちがお肉とお魚の部屋ですね」
階段を降りた先、踊り場の正面の扉を開けると、そこから真っ直ぐ伸びる廊下があった。
エヴァが扉を開けた時、中から独特の匂いが鼻を掠めた。
埃っぽくて、少しだけくぐもった匂い。吹き溜まった空気の匂いだ。
幼い頃に住んでいた、年季が入った借家の押入れの匂いを思い出す。
ただ、湿度は比較的低いようで、湿ったカビの臭いはあまりしない。
地下は3階まであって、地下1階が日頃飲む分の酒。
地下2階には根菜類と干物や塩漬け、備蓄用と少し高めの酒を。
地下3階には、日頃使わない備品を置いているそうだ。
そして、今いるのは地下2階の貯蔵庫。
ーーただ、相変わらずの雑然っぷりではあるが。
廊下にも、空の酒樽や瓶、萎びた野菜が転がっている。
数ある扉の中から、エヴァは迷わず手前の扉を開ける。
部屋から放たれた空気には、饐えた匂いに土っぽさが混じっていた。
案の定と言うか、何と言うか。
部屋の中には、地べたで根菜類が乱雑に転がっている。
「結構、広いな」
パッと見で、20畳程度の広さだろうか。
それくらいの大きさの部屋が、廊下沿いの両脇にずらりと十数部屋ずつ並んでいる。
それに、地下自体も広い。
そう考えると、活用していない部屋もたくさんありそうだ。
「冬場はもう少し詰まってますけどね。最近は日中が暖かくなって来ましたから、最低限の保存にし始めています」
なるほど。ならば、冬場は空き部屋も、もうすこし少ないのかもしれない。
『し始めている』と言う言葉通り、彼が在庫のチェックなどをしているのだろう。
「もっと暑くなって来ると長期間の保存は難しいですし。……まぁ、また秋の収穫が始まれば、少しずつ冬支度は始めますけどね」
確かに地下の方が涼しい。
けれどそれは、あくまで地上と比べての話である。
冷蔵庫がない以上、合理的な判断だ。
ーーただ、流れが拙いのか、連携が拙いのか。そこは不明だが。
見た限り、どうにも管理が上手くいっていない事は明白だろう。
清寿は目の前に広がる光景を眺めながら、脳内のメモ帳にチェック票を書き込んだ。
──でもまぁ。今口出しするのは野暮天か。
状況把握ができていない状態で御高説を垂れたとて、相手を不快にして終わるだけである。
やるなら、まずは筋を通してからでないと。悪意の無い親切心が綻びの元になってしまう。
喩えるなら、清寿は中途採用の新人で、試用期間中の身である。
その状態で生意気にも前職のやり方を押し付けるような真似は、御法度であろう。
そんなわけで、惨状には一旦目を瞑り、清寿は脳内のページをめくる。
今の優先事項は料理の準備。献立作りに思考をシフトさせた。
まずは食材の確認から。
ここにある食材自体は、向こうの世界の食材と見た目はたいして変わらない。
その事実に、清寿は少し胸を撫で下ろす。
食べていた料理から、ある程度は同じような食材が存在していると予想はしていたが、それでも現物を見るまでは少々不安があった。
ただ若干、大きさや形は清寿が見知った物とは異なるが、それは地球の世界でも同じこと。
まぁ、地域が違えば同じ種類の食材も形が違っているのはよくあることだ。
南瓜とジャガイモと玉ねぎ……のようなもの。
そして、部屋を移ってから、塩漬けの豚肉、ベーコン、卵、バターとチーズ。
見慣れた食材を手に取り、転がっていた木箱に詰めていく。
方舟の食事にも結構な頻度で出ていた食材だから、定番で安牌だと判断したようだ。
「調味料は塩以外に何かあるかい? あと、小麦粉とかはある?」
材料が決まったら、今度は調味料の確認だ。
塩があるのは分かっている。ただ、それ以外の味がした記憶はないのだ。
「調味料は砂糖が少しですね。小麦粉はそのまま食べられないので、備蓄を買ってないんです。小麦と大麦自体なら少しありますよ?」
砂糖は少し、小麦粉はなし。
小麦粉があればブリトーのような物でも作ろうかと思ったが、今回は断念。
小麦があるから挽けば不可能ではないが、そこまでの手間を掛けるのは時間が勿体ない。
今日はあくまで『お試し』である。清寿は無難に攻めると決めたらしい。
「酢はあるかな?」
これがあると一気に味付けが広がる。
流石に味噌と醤油はないだろうから、酢があるとありがたい。
「ワイン酢ならありますよ? マリィさんが、酢と薬草で消臭液を作ってますから」
──食用ではないのか? ……そこは、マリィに聞いてみるとしよう。
「使った分は俺が補充するから、砂糖も使っても大丈夫かな?」
塩はたくさんありそうだが、『砂糖が少し』と言うのが気にかかったようだ。
もしかして、こちらの世界では高価なものかもしれない。
「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。ここ数日はお天気も良いみたいなので、近々買い出しに行けますから」
「それより、砂糖って、お菓子でも作るんですか!?」
エヴァの大きな目が、期待でキラキラ輝いた。
清寿はそんなエヴァを見て、無駄に期待させてしまった事にちょっとだけ胸が痛む。
「それは今度だな。今日は、お菓子を作るのは無理そうだ」
清寿の言葉に、エヴァの目が一瞬で輝きを失い、眉毛がへしょんと下がる。
喜ばせてあげられない事は申し訳なくは思うが、無理なものは無理。
初っ端から大風呂敷を広げては、自分の首を絞めかねないのだ。
「ところで、ここでは油は高価なのかな?」
少ししょげているエヴァに、次の話題を振る。
こう言う時は話題を変えるのに限る。言い訳をしても良い事はない。
「エリドナでは、そこまで高価じゃないかなぁ? 一応、街の特産ですから。……まぁ、品質の良いやつは輸出用になってますけど、二番絞りが調理用、三番絞りが明かり用で売ってますね」
目線を上にして顎に指を置くと、思い返すようにエヴァが語る。
これは朗報も朗報である。
雑な言い方をすれば、油で揚げれば大抵の物は美味しくなる。
ーーただし、身体に良いかどうかは別問題だが。
それでも本日に限っては、油が使えれば一品だけは勝ち確の予感である。
「油の在庫はあるかな?」
──頼む、あってくれ。
「ありますよ。二番絞りの調理用」
──よし来た。だったら、どうにか出来そうだ。
清寿は心の中で力強くガッツポーズをきめる。
「……ところで、今日は何を作ってくれるんですか?」
エヴァはキューっと首を捻りながら、清寿に尋ねた。
まぁ、然もありなん。
油は良いにせよ、お菓子じゃないのに使う砂糖、そして消臭液に使っているワインビネガー。
エヴァにしてみれば、頭の中はハテナだらけの事だろう。
「ジャガイモで一品。塩豚とジャガイモで一品。あとは卵とチーズを使って一品と、スープかな?」
清寿は脳内メモを見返しながら、本日の献立を組み立てていく。
材料被りは致し方なし。それでも、できる限りのバリエーションは作りたいようだ。
「そんなにたくさんできるんですか!?」
エヴァの目が真ん丸だ。
具体的な料理名も調理法も出していないが、品数だけで既に驚いている。
だが、エヴァの気持ちはもっともだ。
敷地内での料理は、大体がパンと肉を焼いた物、そしてチーズやハムの保存食なのだから。
「材料が限られているから、いつもの食事とそんなに変わらないかもしれないが……」
そう、材料は同じ。食卓に普段並んでいる物だ。
ただ、もう少し丁寧に下準備をして、調理法を少し変えて、味付けを変える。
ーー問題は受け入れて貰えるかどうかである。
「それでも、日頃とどう違うのか楽しみです!」
えへへへ。と、人懐っこく笑うエヴァに、柴犬の面影が重なった。
彼も役目を離れた時には、愛嬌のあるワンコに変わるらしい。
「口に合えば嬉しいな」
清寿もつられて笑顔が溢れる。
籠一杯の材料。
そして不安と微かな期待を抱え、清寿は地下を後にした。




