第10幕 ポーキュパインな僕ら。③
「ここが炊事場ですね」
食堂を出てから直ぐ。
斜め前にある扉の向こうが調理場だった。
ただ、清寿が思い描いていた状況とは程遠い、『かつて調理場として使われていたであろう場所』であり、今や『家具などの不要物を放り込んでおく場所』と成り果てている。
かろうじて調理場だと判断できるのは、エヴァの説明と、それを元に考察すれば、レンガ造りのビルドインオーブンやコンロの面影があるからだ。
床に敷いてある石のタイルは所々剥げて、大きな窪みも目に入った。
レンガオーブンや作業台にも、割れた食器が散乱して山と積まれ、黒ずんで埃を被って鎮座している。
床に目をやれば、壊れた椅子などの小型家具が乱雑に打ち捨てられ、蜘蛛の巣を纏っていた。
そしてそれらは何処もかしこも例外なく、少しでも振動が加われば崩れてしまいそうなバランスで積み上げられている。
多分、床に散らばり転がっている、埃や塵にまみれた品物や欠片たちは、その惨劇の結果なのだろう。
──いつか見た、貯蔵庫の状態と同じ状況だな。
言っては何だが、エヴァの言葉がなければ、間違いなく『粗大ゴミ置き場』と思っていただろう有り様である。
どうにか使用できそうな場所は、簡易の炭焼きコンロとシンクであろう場所と。そしてその横に並んでいる水桶スペースのみだ。
何と言うか。
無理やり例えるなら、ホラー映像で出てくる、夜逃げでもしたであろうかと邪推してしまいたくなる廃墟。
生活感や、かつての繁栄の跡を残したまま時間だけが止まり、なすがままに朽ちている独特な空間……とでも言ったら良いのだろうか。
不穏と物悲しさが入り混じる、あんな様相だ。
ただ、異質なのは、ここには人が住んでいると言う事実。
確かに調理場は惨憺たる状況ではあるが、多少の差異はあっても敷地内のほとんどが大した変わりがない半廃墟のような状況でもある。
雨漏れ、ひび割れ、崩落。
そんなものは、探さなくても目に入るくらいの自然体だ。
ーー人が廃墟に拍車を掛けたのか、廃墟に人が住み着いているのか。
まだ、気軽に聞ける関係ではないけれど。
……まぁ控えめに言っても、セロが当初に言った通り『死ぬよりは、ちぃとマシな生活』に嘘偽りなしと言う状態である。
清寿は方舟に来て、随分と苦笑いを溢している気がする。
それでもエヴァの反応から見て、この状況に大きな違和感や不満は感じていないようだ。
彼でこの程度の反応なのだから、他のメンバーの反応も推して知るべし、と言った所であろう。
そして、調理場がこの惨状で不便さを感じていないとすれば、それほどまでに方舟内では、『料理』と概念が希薄と言う事かもしれない。
「ちなみに、料理は何処でしているのかな?」
清寿の疑問は真っ当だと思う。
幾ら概念が薄いとしても、これでは『やる』『やらない』より『それ以前の問題』なのだから。
「えっとぉ……食堂の暖炉で?」
エヴァは少しバツが悪そうに、お茶目な誤魔化し笑いを返す。
──そうか。一番奥にあった暖炉か。
詳しくは見ていないが、確かに竈として兼用できそうなくらい、間口の大きなレンガの暖炉があった。
それに、人数以上のテーブルもあった。
そして、先ほどは目的先行のために気にしていなかったが、思い返せば食堂すら、使用しているであろう部分以外は雑然としていた気がする。
ただ、そんな事に悶々としていても、状況が改善される事はない。
清寿は、本日の目標達成に必要な項目を、頭の中で書き出していく。
そうやって素早く優先順位を付けながら、この場の状況を観察したあとに口を開いた。
「やはり、冷蔵庫の類は無いのかな?」
そう。これだけは確認しておかねばならない。
あるとなしとじゃ、今からの行動に天地の差が出るのだから。
「え!? キヨさんの家は冷蔵庫あったんですか!?」
エヴァは、分かりやすく驚いた。
疑問で返されてしまったが、答えとしては充分だろう。
「あったよ」
その言葉を軽く返してくる清寿に、エヴァは心底驚いた表情を向けた。
今の状況から推察するに、存在はするが珍しい物のようである。
何にせよ、『無い』と言う事は確定した。
「でも、そうか……無いと食料の保存が難しいな」
問題はそこである。
何せ方舟商会には、25名所属している。
まぁ、その内2人は不在だが、それでも23名分の食事だ。
故に、分量の適量が分からない。しかも、あの巨体3人がどれくらい食べるのかも分からないのだから。
なのに冷蔵庫がないと言う事は、安全な保存方法を確保できないのだから、有り余るほど多めに作っておくと言う選択肢を消さねばならぬ。
これは、なかなかに由々しき事態である。
下げたはずのハードルが、思わぬところで地味に上がってしまった。
そんな事を清寿が思案していると、不審な挙動が目の端に入った。
「えっと……もしかして、キヨさんは向こうで上級国民だったんですか?」
エヴァが目を泳がせて、ドギマギアワアワしていたのである。
「違う違う、平民も平民だよ。それに幼少期はちょっと貧しい部類かな? ……まぁ、俺の住んでいた国は、こちらほど貧富の差は大きく無かった気はするけど」
清寿の言葉に、エヴァはあからさまな安堵を見せた。
もしかすると彼の中では、未だ身分の壁が、重く深く横たわっているのかもしれない。
「それでも、冷蔵庫が有ったんですね! 凄い!」
胸の前で手を組んで、エヴァは憧れるような、羨むような目を向ける。
その目は、アズたちに向こうの世界の話をした時の反応と似ていた。
ただ食い付いて来た内容が、実に現実的な部分である事が彼らしい。
「向こうでは一般的だったかな? それでも、冷蔵庫が普及したのは、ここ100年にも満たないはずだけどな」
食器棚に付いた埃の層を指で撫でながら、清寿は笑う。
主を亡くしてしまったこの空間は、一部を残して長いこと眠っているようだ。撫でた後の轍が随分と鮮明に浮かび上がる。
「一般的!? それも例の『カガク』ってヤツですか!?」
あの日は嗜める側に回っていたエヴァだが、今日はペカーーっと顔を綻ばせ、興奮気味に身を乗り出した。
きっと、自身の立ち位置をきちんと把握して、在るべき場所では一生懸命に背筋を伸ばしているのだろう。
「だな。それと、それを作る企業努力の賜物だよ」
日本にも見えない格差は存在するが、大半の人間は最低限の生活を享受できる。
それがここでは存在しない。
ただ厳密に言えば、向こうの世界でも、同じような環境下の国は存在している。
それでも、日本で生まれ育った清寿には、弛まぬ努力を是としてくれていた企業に、今更ながら敬意の念を抱いてしまった。
「凄いなぁ。こっちでは上流階級かお金持ちの持ち物ですよ。平民には、とても手出しが出来る代物じゃありませんもん」
そうやってプリプリと怒りながら、への字口で不満を漏らすエヴァに親近感が湧いてくる。
シチュエーションは違うが、似たような事を言っていた後輩を思い出してしまった。
「冷蔵庫。こちらでは、やはり魔法道具の類なのかい?」
魔法の世界だもの。安直ではあるが、定石な考察だろう。
何せ科学がない世界だ。そうなれば、自ずと流れは決まる。
「そうです。それも、稀少な宝珠を使って作る、とても高価な魔法道具……いや、正式には魔導式道具かな? まぁ、何かそんな凄い代物なんだそうです」
途中に分岐を挟んだが、今は掘り下げるのを諦めた。
清寿は自分の性格をよく知っている。ここで掘り下げると、きっとエヴァを質問攻めにしてしまう。興味はあるが、後日に回そう。
「稀少な宝珠……か。確かに、それは高そうだな」
その代わり、清寿は素直な感想を口にした。
「噂では、そんなに大きくない物でも大金貨20枚は下らないとか?」
『大金貨20枚』
アルに教えて貰った知識を参考にすれば、
『大金貨1枚=100万円』
多少のズレはあるだろうが、大体そんな感じの認識で良さそうだ。
ならば、2000万円を下らない代物と言う感じだろうか。
……成る程、それなら確かに気軽に買える物ではなさそうだ。
「何にせよ、俺は現物を見たことないですし。古都でも、貴族と大商人、一流のギルドが持っているくらいじゃないですかね? エリドナでは高級レストラン以外、誰も持ってないらしいですし」
エヴァは腕を組んで早口で言うと、最後に口を尖らせた。
眉間に皺を寄せて、随分と不満顔である。
……だがまぁ、この有り様の方舟では、問答無用で高嶺の花である事は間違いないだろう。
「そうなんだな」
エヴァの態度に苦笑していいのか、今知った現状に苦笑すべきなのか。
清寿は判断に困ったが、とりあえず苦笑は溢れた。
とりあえず、異文化に迎合するのは、斯くも難しい。それだけは理解できたので、この場は良しとしておこう。
「ですから、冬場以外は日持ちしない物は買えないんですよ」
付いて来るように促されて、奥の端にある扉へ誘導される。
ここが地下への入り口らしい。
「もう少しエリドナに近ければ生肉も買えるんですが、移動距離もある事ですしね。暖かい間は、どうしても保存できる食べ物ばかりになるんです」
簡素な木板でできた扉が開かれると、そこから漂う僅かな温度差と、留まった空気の匂い。
下に続く階段は、少しだけ薄暗い。
いつも疑問に思っている、構造の分からない壁付けの照明器具が薄ぼんやりと空間を照らしている。
エヴァを先導にして、清寿は地下に向かった。




